大食いダイエットの誕生
感想とても嬉しかったです! ありがとうございます。
【直近のできごと】
料理研究家のママが作る試作メニューをいつでも全部食べ切れるようにと、毎日胃袋がパンパンになるまで大食いの練習をした結果、でっぷり肥えてしまった雫。そんな雫の思いに、母がようやく気づきました。
「しずく! しずくっ!!」
深夜の邸宅に、女性の叫び声が響き渡った。帰宅して愛娘の寝顔をそっと確認しようとした母が、ベッドにもたれて気を失っている娘を発見したからだ。手にもったノートを取り落として、娘に駆け寄る母。床に落ちたノートの表紙には女子らしい丸文字で「おなかの練習帳」と記されていた。
備え付けベッドと簡素な姿見のほかに目立った家具はなく、段ボールだらけの部屋。引っ越しの荷ほどきの途中だったらしい。段ボールとベッドの間に置かれたランニングマシンは、少女が使った後らしくコンセントが刺さったままになっている。
確かに少女の体型は紛れもなくアメリカンサイズで、ランニングが必要であることに疑いの余地はない。本来はダボッとしたデザインであるはずのクマのパジャマがピッチリと少女の太腿に貼り付き、柔らかな皮下脂肪に圧されて縫製が悲鳴を上げている。肩と二の腕の縫製も似たようなもので、第一ボタンと第二ボタンだけは辛うじて留まっているが、第二ボタンが弾けるのも時間の問題だろう。よく見るとボタンを取り付ける糸が長くなっている。いったん切れたボタンの糸を長めにすることで、辛うじて左と右の生地を繋ぎ止めているようだ。
第二ボタンの下には、たわわに実った胸と、しっかりした谷間。あどけない少女の顔立ちや、子どもっぽいパジャマのセンスとは不釣り合いに妖艶な発育を遂げている胸は、母譲りかもしれない。駆け寄った女性は「グラマーな美女」という形容詞と名詞がこれ以上ないくらいに似合う体型だが、少女の胸とお尻のサイズ感は、既にそんな母を凌駕している感もある。
少女と女性が決定的に違うのは、ウエストラインである。女性の方が絵に描いたようなくびれを呈しているのに対し、少女の方は全くボタンが閉まりきらない。伸びきったTシャツすらもお腹を覆い隠せないようで、お腹が丸出しになってしまっている。豊かな胸を完全に「乗っける」ような形で、胴体が大きく前に張り出しているのだ。160度近くまで開脚した太腿の間へ向かい、緩やかにカーブを描く曲線と、柔らかそうに変形したおへそ。
皮膚が段にならず、ピッチリと張り詰めているのは、脂肪が多すぎるためだろうか? どうも話は、そう単純ではないようだ。その理由は二つある。
第一に、もしも少女のウエストラインを脂肪で説明しようとした場合、脂肪のつく部位がアンバランスすぎるからだ。確かに人それぞれ、脂肪のつきやすい場所とつきにくい場所というものはあるだろう。少女は顔に贅肉がつきにくい体質らしく、肩や太腿に比べて、頬や二重顎のあたりは愛嬌のある範囲に収まっている。しかしそれはあくまで、通常想定される範囲内のバランス感だ。一方、少女のウエスト周りは、漫画家の作画ミスのように、明らかなアンバランスさを醸し出している。少女が背中を反り気味にし、腹部が強調されるように見えていたとしても、これほど大きな腹回りは奇妙である。
第二に、ただの脂肪なら、重力に従い床面に向かって末広がりに垂れ下がるはずだが、少女の腹部はむしろ、臍の上方を中心に飛び出しているように見えるからだ。鳩尾からボコッと飛び出している曲面は、中に何かをパンパンに詰めた袋を抱え込んでいるような張り詰め方をしている。張り詰め方だけ見れば、大きな子宮が内面から圧迫している臨月の妊婦に近い。サイズ感的には三つ子か四つ子を孕んでいないとおかしいが、そもそも子宮があるのはお腹の下の方なので、上腹部主体の張り出しを妊娠で説明することも困難だ。
脂肪でも子宮でもないとすると、彼女のお腹をこれほど大きく見せているものは何か? 信じがたいことだが、それは少女のパンパンになった胃袋らしい。少女の周りには果たして、牛乳のガロンボトルが6本並んでおり、うち5本は空で、残る1本も3分の1ほどしか残ってはいない。3分の1ほどしか残っていないボトルを少女が右手で握りしめていることと、少女の右口角からひとすじ牛乳らしい筋が胸元に向かって流れ、パジャマに染みを作っていることが、その仮説を補佐するものとなろう。少女の白い肌と厚めの皮下脂肪の奥に、5ガロン超の牛乳を詰め込んだ胃袋があると考えれば、確かにこの体型の説明はつく。
「しずく! あんた、どうしちゃったの!?」
「あれ!? ママッ! 帰ってきてたの!?」
「飛行機が遅れちゃったから、雫の顔を見るのは明日にしようと思ってたんだけど・・・・・・」
「ママ・・・・・・うっぷ・・・・・・」
慌てて起き上がろうとした少女が、気分悪そうに頬を膨らませ、辛うじて何かを飲み込んだ。両脚を開脚し、ベッドに頭と背中を反らせた姿勢で胃袋の圧迫を極力抑えていたようだが、急に起き上がろうと背中を丸めたため、腹部が圧迫されてしまったらしい。
「しずく・・・・・・もしかして、こっちに来てからも『練習』してたの?」
「・・・・・・えっ!?」
「その牛乳、あなたが全部飲んだんでしょ?」
「・・・・・・飲んだけど・・・・・・でもちゃんとランニングもしてるし・・・・・・」
「肥ったことを責めてるんじゃないの・・・・・・むしろ、私が雫に謝りたいの。今まで雫のこと全然知らずに『自業自得』なんて罵って・・・・・・ごめんなさい。あなたが肥ったのは、私の料理を完食するためだったなんて、母さん今日まで知らなかったの。いつも美味しそうに食べてくれるから、単に食べるのが好きな子だと思ってたの」
「ママのお料理は美味しいし・・・・・・たくさん食べるのは、嫌いじゃないよ・・・・・・」
ベッドにもたれかかっている少女の向かいに女性はひざまずき、少女の膨らみきったお腹の柔肌をそっと撫でる。
「いいのよ、そんなに頑張らなくて。いつもこうして、気絶するまでお腹に詰め込んで・・・・・・もとは小さかった胃を、むりやり私のために拡げてきたのね。私、それなのに何にも気づかずに・・・・・・『好き放題食べたのは、あなたでしょう?』なんて・・・・・・」
「でも、食べて肥っちゃったのは、私だもん・・・・・・ママじゃないもん・・・・・・」
「ママが肥らせちゃったようなものよ。たとえ私の作った料理のカロリーで肥ったわけじゃなかったとしても、私の料理を食べ切るための練習で、お腹いっぱいの身体に、必要以上のご飯を詰め込んでいたんでしょ? そりゃあ、肥るわよ・・・・・・私、これから責任持って雫のこと元の体型に戻すから・・・・・・そうと決まれば、目標と現状の把握よ。あなた、大食いの練習始めてから、何キロ肥ったの?」
「・・・・・・分かんない・・・・・・」
「確か、去年の今頃はまだほっそりしてたよね・・・・・・」
女性が、さきほど取り落としたノートを拾い上げて、ページをめくる。
「ほら。10月5日、39.6キロって書いてある・・・・・・」
「・・・・・・それは覚えてるけど・・・・・・最近全然体重量ってないから、分かんない。毎日ランニングしてるから、たぶん痩せてるはずだし・・・・・・」
「今の重さの問題? そしたら私、体重計持ってくるから、ちょっと待ってて・・・・・・」
パタパタと廊下を駆けていく女性。お腹を庇いながら、苦しそうにゆっくりと四つん這いになり、起き上がろうとする少女。膨らみが大きすぎて、床にお臍が擦りそうだ。ベッドに座って一息ついたところで、女性が体重計を手に戻ってくる。
「ほら、すぐ見つかった・・・・・・」
「待って・・・・・・お手洗い行って、お洋服脱いでから・・・・・・」
「たいして変わらないわよ」
「でも・・・・・・」
「いいから、量っちゃいなさい」
少女はクマのパジャマの上だけ脱いで、お腹を両手で抱えながら、ゆっくりと体重計に載る。デジタル表示の桁は瞬く間に2つ増えて、104.1 という表示で止まった。
「・・・・・・いくつになってる?」
お腹が邪魔して足元の見えない少女が問う。
「・・・・・・ひゃくよん、てん、いちきろ・・・・・・」
「え!? わたしいつの間にか、百キロ超えてるの!? あ、でも、牛乳5本とこれだけ飲んでるから・・・・・・」
「5ガロンと3分の2だとして、21.5 kg引いても、82.6 kg ね・・・・・・この一年ちょっとで、体重が倍以上になってるわけか・・・・・・」
「・・・・・・ランニングしたのに、減ってない・・・・・・」
「そりゃあ、毎日こんだけ飲んでたら、減るはずないわよ」
「・・・・・・そうなの!?」
「そうに決まってるでしょ? 」
「・・・・・・食べてないから、体重減ると思ってた・・・・・・」
「牛乳のカロリーって、すごいのよ? ほら、ここに、2352 kcalって書いてあるでしょ? これを毎日5本飲んだら、それだけで 11760 キロカロリー。しずくと同年齢の子どもたちが必要なカロリーはだいたい一日 2200 kcalだから、あなたが寝る前に飲む牛乳だけで、ゆうに5日分以上のカロリーなわけ・・・・・・」
「・・・・・・ママ、計算すごい・・・・・・」
「これくらい、料理研究家はできて当然よ。7300 kcal 余るごとに脂肪は 1 kgずつ身体に蓄えられるから、毎日牛乳だけでも 9000 カロリー以上も余剰のカロリーを摂取してたあなたは、普通に考えれば毎日 1 kg以上ずつ体重が増えててもおかしくないわけ・・・・・・あれ? でもそしたら、おかしいわね・・・・・・」
「・・・・・・何がおかしいの?」
「あなた、この2か月は毎晩、同じくらいずつ牛乳飲んでたの?」
「・・・・・・だいたい5本くらい、飲んでたよ・・・・・・」
「そしたら、もっとずっと肥ってないとおかしいのよ・・・・・・」
「・・・・・・でも、ランニングも毎日30分してたけど・・・・・・」
「30分のランニングで消費できるエネルギーなんて、たかが知れてるわ。それにあなた、夏休みの間は毎日運動もせず、巨大に育てた胃袋がずっと満タンになるように、高カロリーの食べ物を詰め込み続けていたんでしょう? このノートにある通り・・・・・・」
「・・・・・・そうだけど・・・・・・」
「それでも16kgちょっとしか脂肪が増えなかったなんて、不思議だわ。栄養学の定説と違う・・・・・・ほら・・・・・・例えばこの日、夜食で白ごはんを6升ちょっと食べてるじゃない? 6升のごはんって、何キロカロリーになるか分かる?」
「・・・・・・分からない、です・・・・・・」
「 1合のごはんが 540 kcal くらいあるから、6升食べたらそれだけで 3万2千キロカロリー。それだけで 4 kg 以上の脂肪が蓄えられてもおかしくない量なわけ。夜食の白米だけで、同い年の子の15日分――夏休みを半分過ごせちゃうくらいの量を食べてるんだもの。ひたすら白ご飯だけ詰め込んだときですらこうだから、脂っこいおかずになったら、もっとずっと高カロリーなのに・・・・・・それでもあなたが本当に運動していないとしたら・・・・・・ひょっとして、人間が吸収できるカロリーには限りがあって、ある程度以上食べるとむしろ消化にエネルギーが使われるんじゃないかしら? そうよ、きっと! すごい! これって大発見だわ!」
「・・・・・・どういうこと?」
「たくさん食べたときって、胃も腸も大急ぎで食べ物を通過させようとするわよね? だから便秘の人が肥りやすいのの逆で、食べたもののうち吸収できるカロリーの割合はだんだん下がっていくの。でも、消化に必要なエネルギーは必ず食べた分量に比例するでしょう? だからきっと、毎食のように大食いしていたあなたの身体が、実際に余らせたカロリーはそれほどじゃなかったのよ。パンダなんか、毎日12時間以上食事して、1日15 kg 超の笹を食べても 肥らないんだもの。これは笹が低カロリーなのと、笹を消化するのにたくさんのカロリーを消費するから肥らないわけで、それと似たようなことが起きてたんだわ・・・・・・」
「・・・・・・それがどうして、大発見なの?」
「だから、それを逆手に取れば、大食いすることで痩せられるかもしれないのよ! 低カロリーの料理を大量に食べればどこかで、料理から吸収できるエネルギーを、料理の消化に使うエネルギーが上回るはずなの。腸が吸収できるエネルギーより、胃や腸を動かすエネルギーが多ければ痩せられるでしょう? わたし明日から、あなたのために低カロリーのレシピ開発するから、試してみない? 普通の人は毎日何十キロも消化しないから実証できないけど、今のあなたならできるわ。スポーツ選手やボディービルダーが沢山のカロリーを消費するのと同じように、あなたの胃や腸もものすごく鍛えられているんだもの。ほかの人たちよりずっとたくさん食べられる分、ほかの人たちよりずっとたくさん、消化にエネルギーを使っているはずなのよ。名付けて『大食いダイエット』・・・・・・どう? 革新的じゃない? アメリカでは肥満が問題になってるし、うまくいったらすごいことになると思うわ・・・・・・」
後にアメリカで "Shizuku" と呼ばれ、一大センセーションを巻き起こしたダイエット法が、この世に誕生した瞬間であった。