運動と水分補給
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こちらは、前話(練習帳がママに発見される日)の1日前、2話前(夏休みの特訓がママの帰宅で終了した日)の2か月後を想定し、雫視点で書かれたお話になります。
おなかが、すいた・・・・・・。
ひっきりなしに食べ物を詰め込まれ続けるのが日常だったせいか、私の胃袋は破裂寸前にパンパンな状態を「普通」と感じるようになってしまったのかもしれない。夕食分のシリアル 100 g を、3時のおやつとして先に消費してしまってから、2時間あまりが経過している。
腹の虫を抑えるように、ギュッと鳩尾のあたりを押してみる。シルクの白いキャミワンピと、秋色の長Tシャツ越しに「もにゃっ・・・」と柔らかく触れる、分厚い脂肪の確かな感触。胃袋は空っぽのはずなのに、少し背中を丸めるだけで、パッツリとTシャツの生地が張り詰めるのが分かる。一年前なら 10 kg 食べても余裕だった布地は、今や深呼吸をするだけで弾けてしまいそうだ。
「痩せなきゃ・・・・・・だよね・・・・・・」
備え付けベッドが置かれただけの殺風景な寝室には、アメリカへ来るときに持ってきた大きなスーツケースと、引っ越してすぐにママが買ってきた姿見、夕陽に照らされたランニングマシン。俯き加減にお腹の脂肪をつまんだまま姿見に映っている、むっちりしたシルエットの女の子は――わたし。
「私の目を盗んで、好き放題食べたのは、あなたでしょう? 自業自得よ。せいぜい反省なさい。私はあなたに料理なんか作りたくありません」
私はママに、嫌われてしまったのだと思う。お仕事で忙しいのもあるかもしれないけれど、引っ越してもうすぐ二ヶ月になる今でも、私はママに会えていない。身の回りの世話と、ホームスクーリングの家庭教師をしてくれる日系二世のアリサ(Alisa)さんは、美人でバイリンガルだけど料理の腕はさっぱりで、食事は三食シリアルだ。ゆーちゃんとママの料理が、懐かしい。ゆーちゃんは元気でやってるかな? 明日、船便の引越荷物が届いたら、ママは荷ほどきに来るだろうか?
私はランニングマシンの電源を入れ、ゆっくりと走り出す。数分もしないうちに、全身から汗が噴き出し、息が上がる。お腹と胸と、お尻の肉が、たぷんっ、たぷんっ、と遅れて揺れる。以前は平気だった運動が、この二ヶ月は、とてもしんどい。少しでも胃袋を大きくしたくて、動けなくなるほど限界まで食べて、そのまま眠って・・・という生活を繰り返していたせいで、筋肉が落ち、脂肪が増えてしまったからだろう。ほとんど歩いているのと大差ないような速度で、ドスドス身体を揺らすのが精一杯だ。
「ふーっ! 今日も頑張った!」
30分のランニングを終えた私は、飛び散った汗を拭き取り、ユニットバスで手早くシャワーを浴びる。シャワーカーテンと固定式シャワーヘッドの扱いにも慣れて、トイレの方を水浸しにしなくてすむようにはなったけれど、日本の湯船が懐かしい。どうしてアメリカ人は、シャワーを固定してしまうんだろう? お腹の段とか、胸の裏とか、肉で蔭になる部分が洗いにくいのに・・・・・・こんどアリサさんに訊いてみよう。そういえばこっちに来てから、胸は更に大きくなった気がする・・・・・・お腹の方は分からないけど・・・・・・でも運動もしてるし、たぶん痩せてはいるはず。
体重計は船便で送ったから、日本からアメリカへ届くまでに2か月かかる。明日段ボールが届いたら、真っ先に体重を量ってみよう。本当はママに会うまでに、夏休み前と同じくらいにはなっておきたかったけど、痩せるのって案外難しいのかもしれない。何キロ痩せてるかな? シリアルしか摂ってないから、10 kg くらいは痩せてるといいな・・・・・・。
「運動もしたし、シャワーも浴びたし、戸締まりも確認したし・・・・・・あとは水分補給して寝るだけ!」
運動すれば、喉が渇く。でもアリサさんが言うには、アメリカ人は水道水をほとんど飲まないらしい。日本人がアメリカの水道水をたくさん飲むと、お腹を壊すこともあるとか。だから私は考えて、水分補給を牛乳でやることにした。牛乳は日本よりずっと安いし、シリアルのために大量の買い置きがあって、宅配業者が定期的に補充してくれるから好都合だ。おまけに開封しない限りは、常温で何ヶ月も保存可能ときている。開封直後に飲みきれる私は、保存用の冷蔵庫を必要としない。味が今ひとつなのと、単位が違うのは残念だけど、1ガロンが3.785リットルっていうのは最近ようやく分かってきた。数本飲めば、ほどよく空腹が紛らわされて、何も食べなくても眠れるのだ。
私は台所と寝室を3往復して、取っ手つきの1ガロン容器に入った牛乳をベッドサイドに5本運ぶ。中途半端に水分補給をした後、チャポチャポと音のするお腹を抱えて、追加の牛乳を取りに台所まで歩くのは面倒なので、飲みたい分だけ最初に運んでおいた方が楽なのだ。
喉はカラカラなので、容器の蓋を開けて一気飲みする。不足している水分が、喉の奥へと心地よく流れ込んでいく。1分足らずで1本目を空にした私は「ケフッ」とささやかな換気を済ませ、2本目のキャップをパキッと開けた。