三人は夏に
とある閑静な住宅街に佇む、洋風邸宅。その1階にある大きな厨房で、小学校高学年とおぼしき少年が、慣れた手つきで大鍋を振るっていた。飴色のタマネギが放つ薫香と、エキゾチックな芳香……おそらくは隣の小鍋で炒められたクミンの発するものだろう。少年はいくつかのスパイスを手際よく調合すると、筋取りの済んだ鶏肉を豪快に鍋へ放り込む。ジュッと賑やかな音を立てて、鍋と油が騒ぎ出す。肉にほどよく火の入った、絶妙な頃合いを見極めると、少年はそっと水を注いで、ローリエの葉を浮かべた。注ぎ入れられた水の、穏やかな流れに、たしなめられるようにして鍋が静まると、人口密度の低い豪邸は、たちまち静寂に支配された。あとにはおだやかなガスコンロの音と、少女の浅い息遣いが聞こえるのみである。
「うーん、いいにおいだね! おいしそう!」
浅い息遣いの少女が、椅子に座ったまま、厨房の少年に語りかける。テーブルに留められた純白のエプロンで、美容室のように全身を覆われ、身体のラインは明らかでないものの、赤く艶やかな唇、スッと通った鼻筋、パッチリとした目と、長い睫毛――紛うことなき美少女だ。透明感のある黒髪のショートが、透き通るような肌の白さを強調させている。ふっくらとした頬は、ほのかに紅潮して、どこか苦しげに微笑むあどけない少女の中に、一片の妖艶さをも醸し出していた。
英国風の壁掛け時計が五つ鳴る。窓から差し込む日の光に、先月ほどのギラつきはない。夏休みも間もなく終わる、秋ほど近い夕方の5時。少女はどうやら椅子に座って、少年の作る夕飯のカレーが、完成するのを待っているようだった。
いや、夕飯は既にできているらしい。少女の前に敷かれた大きなランチョンマットの上には、既に大きな石づくりの容器が2つ置かれている。少女の前の容器はもうすぐ空になるところだが、もう一つの容器と、おそらく中身は一緒だったはずだ。大人用の巨大な丼から溢れんばかりに盛り付けられているのは、牛肉と卵に、種々のナムル……どうやら夕食のレシピはビビンバであり、カレーは明日のメニューのようだ。少し早めにお腹のすいてしまった少女が、少年を待たずに、一足先の夕食を始めたというところだろうか。
いや、どうもそうではないらしい。ビビンバを一杯食べ終えた彼女は、そのまま間髪入れず、2つめの容器に手を伸ばして食べ始めたからだ。その姿に気づいたらしい少年が、少女の方へ歩いて行く。「俺の夕食を食べないで」と抗議するのかと思いきや、少年は優しげな声で「大丈夫?」と少女に声をかける。「もちろん……まだ、余裕……」軽いゲップをしながら、あまり余裕そうでない表情の少女が、少年に健気な微笑みを向ける。「そろそろ、休憩した方がいいんじゃない?」「ううん、今日はまだ食べられる気がするし、食べたいの。せっかく食欲が出るように、辛いものづくしにしてもらったわけだし……」「食べたいならいいけど……でも、くれぐれも無理しないでね。お皿、回収しとくよ……」
少年が、今しがた空になったばかりの、大きな石づくりの丼を、流しへ回収する……と、流しにはそれと同じ丼が、あと2つあった。夕食のビビンバはどうやら、4人前存在したようだ。決して早いとは言えぬペースで、一口一口、ゆっくりと咀嚼する少女は、最後の丼を数口食べたところで、スプーンを置き、ふうっと軽い溜息をついた。
「……カレー、あとどのくらい?」
「もうすぐ……あと15分くらいかなぁ……。どうして?」
「ううん、なんでもない。もしカレーできてたら、カレーとビビンバと、交互に食べようかな、って思っただけ……」
「いつも言ってるけど、疲れたら残していいよ……」
「そんな! 残すわけないでしょ!? だってゆーちゃんの料理は、とってもおいしいもの! 残したら勿体ないし、ビビンバさんにも失礼だよ……コチュジャン、追加してもいい?」
「いいけど……さっきの食べるときにも、コチュジャン追加してなかった? ほんとに、無理しないでね……辛いものだと、確かに食欲は出るかもしれないけど、僕は雫さんのお腹が心配だよ……もう今までで一番、食べてるんじゃない?」
「このくらいなら、今までにも何度か食べてるから、大丈夫。ゆーちゃんは知らないかもしれないけど、わたし、夜食のあとが一番重いのよ」
「そうかなぁ……」
「そうだってば! 私の身体のことだから、私が一番よく分かってるの。余裕って言ったら余裕なの!」
「うーん……でも、時々そう言いながら、痛がったり、気を失ったりするじゃない? 悪いことは言わないから、いったん量ってきた方がいいと思うよ……今日はもう、かなり食べてる方だと思う……どんどん辛くして、無理矢理食べようとするのは、すでに雫さんの身体が悲鳴をあげてる証拠じゃないのかなぁ……?」
「そこまで言う? じゃあ、コチュジャンは、いらない! 私、コチュジャン追加しなくても、このくらいなら食べられるもん! ほんとに、余裕だもん!」
少女は頬を膨らませて、そのまま食事を続ける。時おりゲップをしたり、伸びをしたりしながら、少しずつ少しずつ、ビビンバを睨み付けるような表情で飲み下していく。少女が伸びをするたび、テーブルにクリップで留められたエプロンが、ピンと張るように波を打つ。それはまるで、手品師が何かを隠すときに、対象を覆う風呂敷のようだ。20分後、大きな丼のビビンバが、とうとうまた一つ、エプロンに覆われた少女の消化器官に隠されてしまった。
「うっぷ……ほ……ら……余裕……だったでしょ? ごちそう……うっ……さま! で……カレーは、まだなの?」
「いやぁ……実はもう、できてはいるんだけど……」
「なあ……うっ……んだっ……。できてる……なら……出してよ!」
「ねえ、お願いだから……ちょっと休憩しようよ。僕、心配だよ。ほら、ちょっと体重とか、量ってみたらどうかな? たぶんほんとに……言われたとおりカレー6人分作っちゃったけど……今日ちょっと、危ないと思う……」
「まあ……そんなに言うなら……体重は……量るけど……でも……まだ……余裕だからね!」
少女はそう言って、椅子の手すりに掴まると「うっ……」とかけ声をかけて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。エプロンをテーブルに留めていたクリップがパチンと外れ、エプロン越しに、少女の身体のラインが見て取れる。「ややふっくら気味」という顔から想像するよりも、遙かに発育のよさそうな胸回り。丸く柔らかそうな肩周りと、ルネサンス絵画のような二の腕。身体の重みを支える両腕は、開き気味になった両脚ともどもプルプルと震え、辛うじて重力に耐えているように見える。ふくらはぎは思ったほど太くはなく、女性らしい下半身の皮下脂肪は、膝より上の太ももと、堂々たるお尻周りに集中しているようだ。
しかし、かように小学生離れした体格の彼女を描写するにあたり、胸や太腿、お尻の記述だけでは、全く以て不十分であると言わざるを得ない。何と言っても特筆すべきは、その胴体の前方、大きく張り出した巨大な膨らみである。豊かに実った胸の下、肋骨直下の鳩尾から、胸を左右へ押しのけるようにして、ポンと飛び出した異様なカーブ。それは大量の食物を詰め込まれ続けた胃袋の形そのままに、なだらかな左右への広がりを伴って、両脚の付け根まで続いている。お腹があまりに大きいので、若干背中を反らし、前屈み気味になっているにも関わらず、エプロンの生地は太ももの背面より前面の方で、大きく不足してしまっていた。
「じゃあ……行って……きます……。カレー……盛っておいてね……」
少女は両腕でお腹を抱えるようにして、ゆっくりと歩き出した。歩行は蟹股。お腹が邪魔して、脚をまっすぐに動かすことができなくなってしまっているのだろう。扉を開け、廊下に出て……手すりに掴まり、息を切らしながら、風呂場の脱衣所まで……豪邸とはいえ、わずか十数メートルほどの距離を、数分かけてゆっくりと、脚を震わせながら、休み休み、苦しそうに歩く。自らの挑戦がもたらした必然的結果とはいえ、大きくなりすぎた胃袋が蓄える大量の食べ物と、胃袋を大きくする過程で蓄えられた大量の脂肪とが、少女の身体をかつてないほど重く、動かしにくくしているためである。
脱衣所の扉を閉め、体重計の電源を入れるために屈もうとした彼女が、一瞬顔色を変えて何かを咀嚼し、もう一度かろうじて飲み込んだ。どうやら食べたものが戻ってきたらしい。もはや彼女の、ギチギチに詰まったお腹の中は、僅かに追い出すことのできる空気すらも、なくなっているということなのだろう。少女の胴の皮膚と消化器官が感じる内圧は、朝からうなぎ登りに高まるばかり。もう随分前から、皮膚も胃壁も、これ以上ないほどに伸びきって「もう限界」と悲鳴を上げつつ、わずかばかりの隙間を、それでも何とか捻出し続けてきた。そこに容赦なく、彼女はビビンバを放り込んでいたというわけである。
「ふう……あぶなかった……」
少女は屈むことを諦め、脱衣所の鏡越しに足の指の位置を確認しながら、足の指で器用に体重計の電源を入れる。ピッ、と体重計の液晶が光ったことを確認すると、少女は白いエプロンをゆっくりと、はだけた。
シーツを縫い合わせたような、そのお手製エプロンの下に、少女は何一つ着ていなかった。「たくさん食べると暑くなり、汗をかいてしまうから」というのが、1週間前、彼女がエプロン生活になった表向きの理由であったが、夜食中にペンギンのパジャマが破け、いよいよ着られるものがなくなってしまったからというのが本当の理由である。
なるほどこうして見ると、少女の身体が目一杯栄養分を蓄えて、はち切れんばかりに膨らんでいるのがよく分かる。パンパンに脂肪滴を抱え込んでいる一つ一つの脂肪細胞が見えるようだ。顔と首、手と足の指、手首と足首を除いて、彼女の骨格は、十分すぎる贅肉でラッピングされている。胸とお尻は、成長期の若さ故か、辛うじて重力に逆らっているものの、質量が大きすぎるためか、熟年者のように、若干下を向いている。肩甲骨周りには皮膚と皮下脂肪のたるんだような、小刻みの段が形作られているし、脇の下の肉はプニッと前後にはみ出し、さながら押し心地の良さそうなボタンのようだ。
尋常ならざる大食いを繰り返してきたためか、急激な体重増加をきたしたためかは定かでないものの、脂肪で埋もれた横長の臍周りには、生々しいピンク色で幾多の肉割れが生じ、ほの青い血管が多数浮き出ている。お腹を押すと、表面こそ柔らかいものの、数センチ奥にはしっかりとした密度の胃袋が感じられ、そのどっしりとした肉袋は、よく見れば左右や背面にも、周囲の内臓を押しのけて限界いっぱいまで緊満しているのが分かる。
少女はそんな、酷使されすぎたお腹を、少し得意気にゆっくりと撫で回し、体重計に右脚から、ゆっくりと上がった。デジタル表示の数字が、めまぐるしく動く。少女は息を止め、体重計の数値を安定させようとするけれど、重さに慣れていない脚が震えるせいで、なかなか確定の電子音が鳴らない。数十秒間格闘した挙げ句、97.8 から 98.4 の間を行ったりきたりして、98.2 kg でようやく電子音が鳴った。
「えっ!? すごっ……ほんとだ……ゆーちゃんの……言った通り……。辛いものって……思ったより……入るんだ……なぁ……」
少女は満足げに腰へ手を当てると、お腹を突き出すように、鏡の前でポーズをとってみる。パッツパツの腹部と、ムッチリした背部と、スッキリした顔回りとのギャップが凄まじい。この少女は、どんなに肥っても可愛い遺伝子の持ち主であり、急速に身体へ蓄積された大量の脂肪の持ち主であり、驚異的に肥大した胃袋の持ち主なのである。
しばらく自分のお腹を撫で回したり、身体をねじったり反らしたりしながら、彼女は鏡の前で、自分の姿に、そっと言い聞かせる。
「あと1.8……ここまで……食べてきて……あと……たった……1.8だから……頑張れ、わたし……」
再びエプロンを被り、テーブルに戻ろうとした彼女が、脱衣所の扉を開け、よたよたと廊下を数歩、歩き始めたところだった……ガチャガチャ、と鍵の音がして、パッと玄関の扉が開いたのは。着こなせる人を大いに選ぶであろう、ビビッドな赤の洋装を華麗に手懐け、黒いティアドロップのサングラスとハイヒールを合わせたグラマラスな美女が、ブランドものの大きなスーツケースを持って、玄関に現れた。
「……えっ!? ……ママ!? ……帰国は、来月って……!?」
「えっ!? ……しずく!? 本当にしずくなの!? どうしちゃたの!?」
赤服の美女は、しばらくの留守中に大量の食物を詰め込み、はち切れんばかりに成長した一人娘の姿を目の当たりにして、心配そうな表情で玄関先に立ち尽くした。