一人で夏に
ピピッ……ピピッ……ピピピピッ……
目覚ましが鳴った。電気をつけたまま寝落ちしてしまったらしい……深夜1時……夜食の時間……おなかが……おなかが痛い……トイレに行かなければ。電気をつけっぱなしたまま、テーブルに突っ伏して眠ってしまっていたようだ。部屋の眩しさに目を細めつつ、ゆっくりと首を起こすと、大皿の上に半分ほど残った巨大なプリンと、銀のスプーン……どうやら私は夕食を食べきれなかったらしい。
少し遅れて、両腕がジンジンと痺れていることに気づく。ベッドに戻りそびれた日はいつもこうだ。一昨日もテーブルで眠ってしまって後悔したのに、今日もまたやってしまった。あと一口……もう一口なら食べられるはずと思っていた筈なのに、いつの間にか記憶が飛んでしまっているのだ。
枕代わりに使った両腕には、レースのテーブルクロスの柄が、真っ白な餅肌にピンク色の痕跡として写し取られている。ゆっくりと手を握ったり開いたりしながら、指先まで血を通わせていくと、ピンクの絵柄も次第に薄くなっていくのが分かる。手のしびれが薄れていくのに伴って強く自覚されるのは、パンパンに張ったお腹の皮の痛み――背中の方まで突っ張っているような、胴体の膨らんでいる感覚である。
皮膚の伸ばされる痛みに顔をしかめながら、私は背中をさらに反らせて、ゆっくりと身体を起こす。お腹がパンパンすぎて、皮膚が痛い。すごく痛いけど……ちょっと、気持ちいい。よたよたと両手でお腹を支え、がに股でトイレに向かいながら、頑張った私のお腹を撫でるのは、実のところちょっと楽しくて、ドキドキするのだ。サッと撫でればゾクッとくるし、サワサワさすれば幸せ……だって、このお腹の中は、ゆーちゃんの料理が、いっぱい詰まっているんだもの!
私のお腹がもっと大きくなれば、ママやゆーちゃんの美味しい料理を、もっとたくさん食べられるようになる。私が残さずたくさん食べれば、ママもゆーちゃんも喜んでくれる。私がもっとたくさん食べられるようになれば、ママにゆーちゃんを紹介できる! そのためにも私は、こんなところで挫けるわけにはいかないのだ。
トイレが詰まらないよう、何回かに分けて流すと、少しお腹に余裕ができる。ハンドソープはラベンダーの香り。手を洗って、ゆーちゃんにはまだ頼めない下着の洗濯や、郵便受けの確認なんかを手早く済ませる。元々は朝、早起きしてやっていた作業だけれど、夏休みに入って夜の特訓を始めてからは、この時間に済ませるのが一番いいという結論に落ち着いた。少し眠くはあるけれど、他の時間よりお腹が楽だからだ。
ゆーちゃんが家に帰るのは、いつも決まって夕方6時。私がゆーちゃんのデザートを食べ終えるのはだいたい夕方の7時頃。そこから夜の1時まで、6時間は消化する時間がある。1時から4時までは3時間しかないし、そこからゆーちゃんのやってくる朝の8時までも、4時間しかない。8時から7時まではずっと何かしら食べ続けているから、当然お腹に余裕はない。
夜の特訓を始める前にもう一つ行うべき作業は、炊飯器のセットである。空の業務用炊飯器に、無洗米を3升セットして、急速炊飯のスイッチを入れる。昨日の残りご飯がたくさんあるから、炊き上がりを待つ必要はないけれど、朝ゆーちゃんが来るまでに、食べるものがなくなったら困るからだ。ゆーちゃんが発見するまで気づかなかったけれど、胃袋はできるだけパンパンにしておかないと、すぐに怠けて小さくなってしまうみたいだもの。
「さーて、それじゃあ、夜の特訓、いただきまーす!」
炊飯器とテーブルを往復するのが面倒なので、業務用炊飯器のそばに椅子を置いて、炊飯器を抱え込むような感じで座る。左手に茶碗。右手に箸と杓文字を持ち替え、茶碗に盛って……食べて……盛って……食べて……を繰り返す……そうだ! ゆーちゃんのプリンをおかずにしよう! 茶碗2杯分ほど食べたところで、ゆーちゃんのプリンの存在を思い出した私は、隣にもう一つ椅子を持ってきて、それをテーブル代わりに、ゆーちゃんのプリンを置いた。
んー、甘くて、幸せ!! これならいくらでもご飯が食べられる! 今日はかなり目標に近づけるんじゃないかな……体重計と手鏡も持ってきておこう。
私は脱衣所から高機能体重計と手鏡を持ってきて、椅子の隣に置いた。今は辛うじて屈むことができるけれど、もうすぐお腹が張って屈めなくなってしまう。その前に体重計と鏡を準備しておかなければ、特訓の成果を確認することができないからだ。脱衣所で体重計を取ろうと屈んだら、ゴッと大きなゲップが出た。空気は水より軽く、お水はお米より軽い。だからゲップはできるだけ出しきってしまった方がいいし、特訓の成果をちゃんと数字で確認するのは、ゆーちゃんの作るスープやら味噌汁やらで胃の中がそれなりにチャポチャポしている夕食後よりも、ひたすらお米を詰め込む夜食後の方がよいのだ――あれ、プリンとお米はどっちが重いんだろ? ま、いっか。
ゆーちゃんと出会う前、お母さんの料理をいつも残してしまっていた小学校3年生の頃の私は、どんなに一生懸命食べた後でも、体重計の数字が 40 kg を超えることはなかった。健康診断で量った体重は 29 kg ちょっとだったから、胃袋を破けそうなくらいパンパンにしても、当時は 9 kg くらい「しか」平らげられなかったということになる。(※注、9 kgというのは、成人フードファイターの大食い大会に参加しても優勝を争えるレベルです。今の雫さんは、幼少期からの不断なき大食いで胃袋を鍛えすぎたせいで、食べ物の量に関する感覚が常人離れしているのです。真似しないようご注意下さい。)
ゆーちゃんに出会って、食事をするのが楽しくなって……初めて 50 kg になったのは、ゆーちゃんの提案で高性能の体重計を買った4日後――去年の夏のことだった。たしか食前の体重は――富士山みたいって騒いだ記憶があるから―― 37.76 kg だったはず。どうすれば胃袋を大きくできるかまだ分かっていなかった去年は、12.24 kg しか食べられていなかったのだ。(※注、12.24 kgというのは、成人男性フードファイターの最高記録レベルです。今の雫さんは、幼少期からの不断なき大食いで胃袋を鍛えすぎたせいで、食べ物の量に関する感覚が常人離れしているのです。真似しないようご注意下さい。)
体重計を買って、週末に胃袋が縮んじゃうことをゆーちゃんが発見してくれて……週末に出前を取ったり、ゆーちゃんの手料理を食べたりするようになって……朝食も食べるようにして、昼食の量も増やして……お昼休みもゆーちゃんと、給食の配膳室に忍び込んで他のクラスの残り物まで片付けたりして……そんな努力の甲斐あって、わずか1年でママの料理を食べきれるようになるなんて、あの頃は想像すらできていなかったよ。頑張った私! ありがとうゆーちゃん!!
ママの料理を食べきれるようになって初めて、ママの料理がどのくらいの量なのか、体重計で数字を確認できるようになった。その日のママの気分によって多少は変動するけれど、ママの料理は少ないときでも 15 kg、多いときだと 20 kg近くある。
アメリカに出かけたママを空港まで送りに行った先月の今日。目標を設定するために、深夜まで何も食べずにお腹を空かせ、体重計に乗ったときの数字は 58.69 kg。ママが作る2人前のごちそうを食べきるための目標は、食後体重100 kgに設定にすればよさそうだった。
空腹時の体重が58.69 kgであることを確認してから、初めての夜食を限界まで詰め込んで(3升炊きの釜を2台空にし、3台目にも少し手をつけて)量った体重は 80.14 kg。ゆーちゃんが大発見をしてからの1年間で、既に私の胃袋は、1年前の倍近く――21.45 kgの食べ物を抱え込めるほどにまで、巨大に成長を遂げていた。
それに加えての、夜食である。この1か月というもの、お腹は常に食べ物で膨らみっぱなしだったから、空腹時と直接の比較はできないものの、夏休み前と比べても明らかにお腹を大きく育てられた実感はある。先週から食後の体重は 90kg台に突入しており、今日は遂にゆーちゃんにも認めてもらった!
『……なんだか夏休み始まった頃より、おなか随分立派に育ってない?』
少し伏し目がちに、遠慮したような表情のゆーちゃんは、たぶん恥ずかしがっていたのだと思う。向こうは気づかれていないと思っているのかもしれないが、女の子は男の子の視線に敏感である。このところゆーちゃんは私の身体を、物言いたげにじっと見つめていることが多いのだ。
始めはてっきり、私の胸を見ているのだと思っていた。この1年で大きく実ったママ譲りの胸は、まだママよりは小さいけれど、コンビニで見かける雑誌の表紙よりは既に十分大きいと思う。数か月前まではツンと上向きで、それなりに堅さもあったけれど、最近――とくにこの1か月で、大きさも柔らかさも一段と増し、お腹の上に乗っかって、ふにゃりと柔らかく変形している。でもゆーちゃんの視線は、それより下の方を向いていることが多い。
胸より下だとすれば、脚だろうかと思った時期もあったけれど、脚でもなかった。最近は自分の脚を直接確認できていないけれど、今でも肌つやはいい方だと思う――最近は一日中パジャマの長ズボンだから、肌つやはあまり関係ないか。
お腹の締め付けがあると食が進まないし、ガスがたまって苦しくなったりもするので、食事のときはダボダボのTシャツと、パジャマの長ズボンで過ごすのが定番だ。夏休みに入ってからは一日中食べ続けなければならないので、くまさんのパジャマとペンギンのパジャマをヘビーローテーションしている。他のパジャマもたくさん持っていたけれど、太ももの締め付けがきつくて上まで上がらなかったり、お尻の布が足りなくて座った表紙に破けてしまったりして、少しずつ使えなくなってしまったのだ。くまさんのパジャマはまだ余裕だが、ペンギンさんの方はもう少しすると座ったときのお尻が危ないかもしれない。膝より下、ふくらはぎやくるぶしのあたりはまだ十分布地に余裕があるから、いよいよ危なそうなときは膝下の布地を切り詰めて、お尻周りに回せばいいだろう。思い切って半ズボンにするのもありかもしれない。
そういえばいつからだろう? お腹いっぱい食べたとき、ズボンの方まで影響するようになったのは。今は満腹のとき、鳩尾から両脚の付け根までパンパンに張りだした膨らみがあるけれど、小さい頃は満腹まで食べても、せいぜいお臍の少し下あたりまでしか膨らんではいなかったはずだ。食べられる量が増えて行くにつれ、お腹が全体的に下の方へ、飛び出して垂れ下がってきたような感じがする。
そう、このお腹なのだ! 胸でも脚でもなく、ゆーちゃんがずっと見つめ、そして今日褒めてくれたたのは!
『……なんだか夏休み始まった頃より、おなか随分立派に育ってない?』
ゆーちゃんが私のお腹をどう思っているか、今日まで確証はなかったけれど、ゆーちゃんが私のことをいつも応援してくれているのは知っていた。私がママの料理を残したくないと言えば、満腹で気を失うまで一生懸命食べてくれたし、私がもっと沢山食べられるようになりたいと言えば、料理を作ったり出前を頼んだり、手つかずで残された牛乳や食パンなどを他のクラスの下膳台から集めてきてくれたりもした。
私は食後、大きく膨らんだ自分のお腹を眺めるとき――特に脱衣所で、パンパンに飛び出した胴体の特異なシルエットを実感するとき――私のこのお腹が、私だけど、私じゃないような、不思議な感覚に襲われるのだった。このお腹は、私だけのものじゃない、ママとゆーちゃんのお陰でここまで大きくなった、ママとゆーちゃんと私の共有財産……そう自分に言い聞かせてお腹を撫でると、充実感のような達成感のような、愛着のような愛情のような、何かほっこりとあたたかな気持ちが、お腹の奥底から湧き上がってきて、お腹の苦しさがスッと和らぐのだ。
『……なんだか夏休み始まった頃より、おなか随分立派に育ってない?』
見つめていたお腹から少し目を逸らして、何やら気恥ずかしくて言いにくそうに、それでも確かに聞こえるように、ゆーちゃんは言った。「おなかが随分立派に育っている」と。「立派なお腹だ」と。ゆーちゃんもまた、私と一緒にお腹を育て、立派になった大きなお腹を一緒に喜んでくれていると分かって、私はすごく嬉しかった。もっと、もっと、もっと沢山、食べられるようになりたい理由が、ここにきてまた、一つ増えた。
「今夜は、更に張り切れちゃうね!」
私は、ママとゆーちゃんと私のためのお腹に話しかけ、盛大に換気を済ませると、先程より少し速いペースで、プリンをおかずに、白米の続きを食べ始めた。