藤花
説明的文章、打破しました!
年が明けてすぐ、十五歳になった東宮・八十葉宮は兄の広之瀬帝に結婚を命じられた。相手は藤原右大臣の一の姫である。一つ年下のこの姫君は幼い頃から才媛と名高く、東宮の妃となるべく育てられた姫だった。
「本日はこのようにめでたき席にお招きくださり、光栄に存じまする。」
「まこと、美しき姫と宮、似合いの夫婦にございまするな。」
宴の席で酔いの回った殿上人たちの祝いの言葉を聞き流しつつ、八十葉宮はふっと横を見た。
白い唐衣と濃き紫の綾衣の襲がよく似合う、高貴で美しくて、少し幼い少女。そこには、今宵、八十葉宮の妻となる姫がいる。
慎ましげに目を伏せて、顔の前に扇をかざす、その横顔からは感情が読み取れない。
「姫、疲れてはいないか?今日は大変だったであろう。先に下がってもよいのだぞ。」
できるだけ優しく、怖がらせないように声をかけてみる。すると姫が扇の影からそうっとこちらを向いた。
言葉を選ぶようなそぶりを見せ、
「……いいえ、大丈夫です。」
と言った。
姫がパタリと扇を降ろす。
「お気遣いは無用ですわ。東宮妃になるからには、宮さまを支え、時には正せる人にならなければいけない、と教わりました。」
淡々と、姫は父親に言われたのであろう言葉を反復した。
(なるほど、な……)
后がねとして育てられた姫は、自らの感情を押し殺して、ただ淑やかに美しくあれと教わって。
目の前の少女はその通りにしているつもりだろうが、その眼差しから隠しきれない芯の強さがうかがえる。
(面白い……)
人形のように、ただそこにあるだけのものなど要らないのだ。
*******
東の空が白んできた。隣で寝ている東宮が起き出す気配がする。
「……宮さま?」
朝は苦手だ。姫は寝ぼけながら、夫となった東宮・八十葉宮の袖を掴む。
「姫……私はああいうのは好かぬ。」
「え?」
「……そなた、私の前ではおとなしくあれと言われたのであろう?だが、私はああいう感情を押し殺すようなことは好きではない。」
そう言って、八十葉宮は姫の髪をそっと梳いた。くすぐったいような、幸福感がある。
「何か、思うことがあるのなら言っていいのだ。」
私たちは夫婦なのだから。
「宮さま……わたくし……」
ずっと不安だったのだ。だから、その言葉がとても嬉しかったのに。
再びまぶたが落ちてきた。そのまどろみのさなか、八十葉宮が呟いた言葉を姫は聞き逃さなかった。
「でも、ごめんね。あなたを幸せに出来る自信はないんだ。」
普段よりも随分と砕けた口調で。
彼は苦笑を交えて姫に謝ったのだ。
*******
中宮はうたた寝から目を覚ました。
「随分と懐かしい夢を見ていたわね……」
汗で張り付いた髪をかきあげる。
濡らした布が欲しかったが、昼寝をしている主人に遠慮したのか、女房たちは近くにいなかった。
「もう二年たつのね……」
結婚して二年目の新春に、夫は帝として即位した。四月前のことである。
新帝の即位に際して、弘徽殿女御と宣耀殿女御が入内した。左大臣と大納言の娘で、いずれも藤中宮の従姉妹にあたる。
東宮妃から中宮になった彼女に敵ができたわけだが、彼女を含めてどの妃もいまだに八十葉帝の子を産んでいなかった。
中宮は十六歳、弘徽殿女御は十九歳、宣耀殿女御は十五歳だ。今が盛りと咲く花のごとき妃たちの勢いは日ごとに増すばかり。
「……あぁ、暑い。」
羽織っていた重苦しい濃き紅の小袿と薄桃の五つ衣を脱ぎ落とす。
半分掲げた御簾の間から初夏になりゆく穏やかな風が吹いた。中宮の御座所の藤壷からは、満開の藤の花が見える。
「他の木に寄り添わねば咲けぬ。なんとも頼りない花よ。」
まるでわたくしのようだわ、と中宮は一人呟いた。