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雪糅

お久しぶりです。よろしくお願いいたします。

 夜明宮が生まれたすぐ後、藤原右大臣の長女にて八十葉帝の正妻である藤中宮の懐妊が公表された。これにより、夜明宮誕生の祝いは一気に収束する。

 そして翌年の睦月、中宮は玉のような男児を出産した。露木宮と呼ばれるその子は、生後三週間で東宮に立坊される。異例ともいえるこの東宮立坊には、もちろん藤原家の思惑が絡んでいたが。


 新たな年の始まりは、後宮の女たちの新たな戦いの始まり。








 

 柳の青と桐の紫、卯の白の優雅な色合いの庭。

 池に浮かべた舟の上では、一流の楽師が曲を奏でる。

 左大臣家の邸宅にて、今上の八十葉帝を招いての宴が催された。

 真昼から酒を酌み交わして、人々は上機嫌だ。

 酒を運ぶ女房の、御簾からこぼれる姫君たちの幾重も重ねられた衣が美しい。初夏の柳重ね、桐重ね、卯の花重ね。色とりどりの優雅なものと、美しく上品な楽の音。

 柳花苑が奏でられ、四人の舞姫たちがしずしずと前に進み出た。古代の天平の頃の衣装で、ふわりと領巾をふる。舞姫の結い髪につけた簪の玉が揺れた。山吹の衣が、日の光を受けて眩いほどだ。

 天界のごとく麗しい風景を眺めながら、八十葉帝は左近衛中将にそっと近寄る。


「北の方をほうっておいてよいのか?後でいろいろ言われるぞ。」


「あなたに言われたくないですね。」


 八十葉帝も中宮を放っておいている。


「あれを内裏から連れ出すのは難しい。」


「そうでしたね。……まぁ、お互いの妹を大切に、ということですね。」


「だな。」


 中宮は左近衛中将の妹で、中将の北の方は八十葉帝の妹の女四宮だった。

 二人は杯を酌み交わす。


「それで?この間いっていた……雪糅(ゆきかて)と言ったか?その女とはどうなった?」


「あぁ……聞きますか?」


「是非とも。」


 それでは、と中将は話し始めた。







 左近衛中将がその女と出会ったのは、昨年の冬のことだった。


 前の日、北の方である女四宮とけんかをした中将は家に帰りづらかった。

 他家の宴へ行った帰り、のろのろと遠回りをしながら屋敷は向かっている。


「若君、雲行きが怪しくなってきました。そろそろ帰りましょう。」


 従者が声をかけて、中将は一つため息をつく。

 

「そうだな……仕方がない、帰るか。」


 遠くで雷の音が鳴った。


「まずいですね、降ってきました。」


 大粒の雨が降り出す。すぐに土砂降りに変わった。


「大丈夫かっ?為行!」


「申し訳ありません!どこかで雨宿りをしましょう。ちょうどそこの屋敷に使いをやらせたところです。」


「分かった。」


 屋敷の者は快く受け入れてくれた。

 車宿に牛車を入れ、屋敷の中に上がらせてもらう。

 中流階級の貴族の屋敷だろうか。大きさはそれほどでないにしても、並べられた調度品は品がよく良い物だった。


「このようなものですみませんが……」


 家人がそっと酒と肴を置いていく。


「ここは誰の屋敷だ?」


 中将が問うと家人は平服して答える。


「先の若狭守さまの屋敷で、若狭守さま亡き後は姫君がお一人でお住まいです。」


 地方の国守は何かと実入りがよい。その屋敷の品の肯ける。

 家人が退出したあと、部屋の奥の御簾の内側で衣擦れの音がした。

 

「このようなところではたいしたおもてなしも出来ず、申し訳ありません。」


 若い女性のようだった。


「とんでもない。急にお邪魔してしまい、申し訳ないのはこちらのほうです、姫君。」


「いいえ……家人も少なく、女一人のわびしい屋敷、来客があるのは嬉しいことです。」


「ならば良かった。」


 中将は苦笑した。

 しばらく二人とも黙っていた。

 ただ、雨の降る音だけが聞こえる。

 ふと姫君がため息をついた。


「……よく降りますこと。どうやら少し雪交じりになってきたようですわ。」


「さようですね。みぞれですか。」


「えぇ、そう。雨とも雪ともつかない、姿のはっきりしない雪糅。まるでわたくしのよう。」


「姫君……?」


「頼れる者もおらず、ただ何をするでもなく過ぎる日々の、なんと味気ないことか。」


 ふふっと姫君は寂しそうに笑った。

 その儚い声音に、中将は心の奥が強く揺さぶられたように感じた。


「つまらぬ話を聞かせてしまいました。申し訳ございません。」


 どうぞごゆるりと、と言って姫は立ち上がり、退出しようとする。


「お待ちくだされ。」


「…何かございましたか?」


 姫君がゆったりと問う。


「…私では、いけませぬか。」


「え……?」


 何がしたいわけでもない。

 愛とか恋とか、それとは違う。それでも、こういった立場の女に情をかけてしまうのは、中将の癖だった。


「私がそばにおりましょう、雪糅の君。」


「……」


「美しい名ではございませんか。雨でもあり、雪でもあり……ほら、とても綺麗だ。」


 御簾を持ち上げ、姫君をじっと見つめると、彼女は力が抜けたようにどさりと座り込んだ。

 たっぷりとした豊かな黒髪が肩からたゆたい、姫君は年の割に地味な紺の袿の袖で顔を覆っている。華奢な肩が、小さく震えていた。

 その小柄で頼りない姫君を、中将はそっと抱き寄せる。

 姫君がおそるおそるといった様子で顔を上げた。

 白い肌で、たれ気味の目に涙がたまっている。赤いふっくらとした唇は、震えていた。

 その涙を指でぬぐって、中将は姫君の額に口づける。


「私は右大臣家の長男。後悔はさせませんよ、これでも情は深い方なんです。」


 そう言って笑って見せると、姫君は─────雪糅の君は大粒の涙をこぼした。











「おい、まさか会ってその日にか?」


 帝がすっとんきょうな声を上げた。


「えぇ、そうですが?あなただってそういうことしたことあるでしょう、主上?」


 うっと言葉に詰まった八十葉帝は、杯をあおった。


「それからも通っているのか?」


「もちろん、最近懐妊が分かりまして。彼女、結構うっかり者なので、危なっかしくて目が離せないんです。」


「そうかそうか、めでたいな。」


「お互いに。……しかし、これが私の悪い癖なんですが、実は先日もう一人妻を持ちまして。」


 中将は困ったような喜んでいるような顔で笑った。


「は……?」


「花笠というのですが、この娘もなかなか良い娘でして。」


「おい、おい、詳しく聞かせよ。」


「分かりました。」


 


 案外、八十葉帝よりも中将のほうが色好みと言えそうなのだ。



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