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帚乗りは終らない

作者: さわだ

■プロローグ


 

私の学校では入学すると、沢山の魔術書と一緒に一本の帚を渡される。

 

「奉仕の精神」を養うためにと言う事だが、誰もが帚をもって外に出て積極的に奉仕活動しようとは思わない。

 

しかし、誰が思い付いたのか分からないが、この面白くも無い帚を最高に楽しいモノに変えてしまう方法を作り出した。

 

それが「帚乗り」。

 

黒く学校の周りを、いやこの世の全てを覆い尽くすような深い森。通称「シュバルツヴァルト(黒い森)」を誰が帚に乗って一番早く抜けられるかを競うのだ。

 

太陽が赤く輝く暖かい日本から、血筋のものと言う理由だけで連れてこられたこの北欧にある学校は不満だらけだったが、この「帚乗り」だけは私の心をいたく刺激した。

 

日に日にスピードにのめり込む私を、周りの人間は呆れるふりをして軽蔑するが、そんな事はどうでも良い。どうせ私は最初から異邦人だから、周りの同級生とは考えが合わないのだ。そう割り切ると頭が冴えて、帚で森を飛ぶのが楽しくなった。

 

鳥よりも速く森を駆け抜けるのはとても緊張する。上手く木を避けようとして別の木にぶつかりそうになる事はしょっちゅうだし、その時バランスを崩すとそのまま帚から無様に落っこちることもある。体の回りに空気の壁を何層も重ねて体を守っているにしても、痛い物は痛い。

 

切り傷や打撲を作って帰ってくる時は、偉く惨めだが何だか次こそはと復讐心を喚起され、また飛んでは落ちてを繰り返す。

 

毎日増える傷や包帯を、同じクラスの人間がクスクスと笑うの私は知っている。けど今はつまんない勉強よりもずっと箒で遊んでいた方が楽しい。夜中宿舎を抜け出して、監視の目を潜りながら帚に乗って飛ぶことは、お菓子を作りあうよりも私には大事だ。

 

そんなある日、夜疲れて昼間の休憩時間に校舎の外の木陰で寝ていると、植え込みの前のベンチで同じクラスの数人がお茶を飲みながら何やら話し込んでいた。聞くつもりは無かったが、聞こえてきたのは自分の事だったので耳だけは音の方へと傾けた。

 

「あのチカって子は相当変わっているわよね」

 

「そうそう、両腕にこれでもかってくらい包帯巻いちゃって」

 

「ミイラよねあれじゃあ」

 

まさか自分が死体よばりされているとは思わなかった。黙って聞いていたら私が一番大事にしていることをけなし始めた。

 

「そんな傷ばっか作って何やってんのあの子?」

 

「アレじゃない、帚乗りよ」

 

「そんな子供っぽいことやっているの。最初見た時は飛び級の生徒かと思ったけど、やっぱり中身も外見も子供なんじゃないの」

 

「東洋の子はやっぱ変わっているわ」

 

「そう、行動全部が全部子供っぽいよね」

 

ケラケラと笑う彼女たちの前に自然と私の腰は跳ね上がった。植え込みを超えて校舎に戻る時、チラッとベンチを見ると三人が肩を寄せて気まずそうに上目遣いだった。

 

私が何も言わずにその場を立ち去ろうとすると、真ん中の女の子が声を出す。

 

「ダルグリッシュさん待ちなさいよ」

 

振り向くと、私より身長の高い彼女は見下ろしながらこう言った。

 

「貴方、帚で「世界の夜明け」でも見に行くつもりなの?」

 

真ん中の茶色い髪を短く切り揃えた彼女は横の二人に目配りして笑い始めた。

 

「なにそれ?」

 

私にはその時質問の意味が分からなかった。

 

「貴方、そんな事も知らないで帚に乗っているの?」

 

「悪い?」

 

「悪くはないけど……やっぱり変わっているわよ貴方」

 

態とらしく驚きながら、また三人で笑い出したので私は寝不足と不愉快さから来ているであろう怒りに身を任せて一歩前に踏み出そうとしたが。その時グイッと肩を掴まれてバランスを崩して後ろの肩を掴んだ人物に寄りかかった。

 

「穏やかじゃないなあ」

 

「ファナ先輩」

 

途端に目の前の三人は黄色い声を上げた。

 

軽く手を挙げてその声に応えると、ファナ先輩と呼ばれた彼女は私の肩を掴んで自分の方へと向けた。私は玩具の様にくるりと周った。

 

黒い髪の、少し浅黒い健康的な肌の女の子は前のクラスメイトより更に長身だった。何よりも特徴なのは大きな目。見詰めると吸い込まれそうな黒い瞳に驚いた。

 

「凄い傷だねあんた」

 

「別にたいしたこと無いです」

 

予想通りの答えだと白い健康的な歯を見せ付けられて私が失敗を悟った時、目の前に有る一枚の綺麗な羽根に目を奪われた。それは太陽の光に反射すると様々に色を変え、美しく輝いていた。

 

羽根に目を奪われていると、ファナ先輩はやっと私の肩に乗っかった手を放した。

 

「あんたも「世界の夜明け」を見るために頑張ってるのか?」

 

また出てきたその「世界の夜明け」と言う言葉に私は戸惑った。

 

「先輩、その子「世界の夜明け」を知らないんですよ」

 

先輩と私の間に入って、クラスメイトは尊敬の眼差しをファナに向けた。

 

「へえ、それでそんだけ傷を作るとは根性座っているねえ」

 

品定めをするように私を見た後で、感心してながら私の顔を覗き込むと、隣のクラスメイトは少しムッとしていた。

 

「可笑しいですよね、学校に入って「世界の夜明け」の話を知らないなんて」

 

「そうでもないさ、あたしもどんなモノかよく聞かなかったからなあ」

 

私の目の前勝手に進む話しに興味は無かったが、その綺麗な羽根には興味があった。

 

「それでも、一度は見てみるもんだねアレは」

 

先輩の話しに間に入ってきた彼女とその取り巻きの二人もうっとりとしながら先輩の顔を見ていて何だか私には不気味に見えた。

 

「けど先輩みたいに、銀フクロウの羽根を身につけられたら素敵ですね。

 

「それは銀フクロウって鳥の羽なの?」

 

「ダルグリッシュさんは本当に何も知らないのね」

 

冷やかすように彼女は先輩にすり寄って、羽根を指して喋り始めた。

 

「この銀フクロウの羽根は「世界の夜明け」を見た人だけが手に入れられる証拠なのよ」

 

「証拠?」

 

「そう、「世界の夜明け」を見た人だけに訪れる銀フクロウから授けられる優れた魔法使いの証明の証よ」

 

他人の服を指さしながら誇らしく語る彼女に私は益々不快な気分になったが、銀フクロウの羽根には興味を引かれた。

 

「いや、実際は目の前に止まってたんで、一枚拝借したんだけどね」

 

先輩は美談に注釈を入れたが、そんなことは彼女たちには関係なかった。

 

「まあ「竜の巣」の先にある「千の泉」を目指すのは価値があるさ」

 

「「竜の巣」?」

 

また質問と露骨に隣のクラスメイトは嫌な顔をしたが、先輩は何処か嬉しそうに私の肩を叩いた。

 

「この森にある凄くヤバイ所さ」

 

「竜が生きているって話は本当なんですか先輩」

 

私はその時露骨に顔をしかめた。竜が生きている?

 

「この前「竜の巣から」喚きながら帰ってきたヤツが居たらしいな」

 

「ええ、別のクラスの子なんですけど見たって言うんですよ竜を」

 

「あたしもチラッと見たさ、赤くて大きな口をな!」

 

その話を振られた時、ファナという先輩は手を大きく広げて三人の前で戯けて見せた。また上がった黄色い声援に私は閉口した。

 

「どうだいあんた面白そうだろう?」

 

「別に……」

 

「ただ帚に乗って木の間を擦り抜けるだけよりも、遙かに大変な困難が「世界の夜明け」前には待っている」

 

ヤケに目を輝かせながら、初対面の先輩は私を挑発した。

 

「けど挑戦しがいは凄くある」

 

「挑戦?」

 

私は帚に乗って空を飛ぶことが、試験の様なモノとどうして繋がるのかピントは来なかった。

 

「そう、そしてその挑戦に勝つと。証拠としてこれがもれなくこれが貰えるって訳さ。シンプルで素敵だろう?」

 

その時先輩の細くて綺麗な指が指した羽根を見た時、私は何か心に火が灯った様な気がした。一瞬見た先輩の目はその私に灯った火を見逃さずに、さあ始めろと合図を送ったようにも見えた。

 

そして私の体はその火を消さないように忙しなく動き始める。私は直ぐに学校の図書館へと歩き始めていた。

 

まずは学校周辺の詳細な地図を手に入れなきゃと私は直ぐに行動を開始した。

 

足早に歩く私をクラスメイトは嘲笑で送り出したが、先輩だけは違った。

 

「竜の巣へ飛び込むときは最初で最後だと思いな。「世界の夜明け」を誰よりも速く見るコツは一発勝負に賭けることさ」

 

背の高い先輩だけは、その場を走り去ろうとした私の背中へ大きな声を掛けた。私は何処までも先輩に全てを見透かされた気分になりながらも、目標が出来たことに興奮を覚え、足早にその場を後にした。

 

この学校では誰もがその銀フクロウの羽根を見ると敬意を払いその持ち主に一目置く。

 

顔立ちや肌の色よりも目立つ証を私は手に入れたいと願った。強く、強く、暗い森を睨み付けその先にある「証拠」が欲しかった。それさえ有れば誰もが私に距離を置く。それがこの学校に入ってから一番欲しかったものだ。

 

その日から私は一人で自室にこもり、前よりも速く飛ぶ方法の研究に没頭していった。

 

そして、運命の週末を私は迎えた。






■ピット・ワーク

 

簡素なベットと机が一つずつ有る小さな部屋で、少女は板張りの床に腰を降ろしていた。そして、本を片手に大きな外掃き用の藁と木の棒で作られた質素な帚を睨むように見つめている。質素な素材で作られた長袖のワンピース姿のまま胡座をかいて、顎に手を当てた後神経質そうに黒い髪を掻きむしった。真っ直ぐ腰まで伸びた髪が小さく揺れると、東洋系の細身の顔には困惑の表情が浮かぶ。

 

(違う、違う、スピード上げたいなら質量軽減法を施した方が良いけど・・・)

 

腕を組み、小さな頭を前屈みにして唸る。

 

(そうすると、肝心の推進出力上げる術を埋め込む場所が削られて意味がないなあ)

 

左手の手元に散らばったメモを取り、足下に転がったペンを取る。

 

(ああ、自動回避術を削れば質量軽減法と推進出力増大法が乗っかるんだけどなあ。けどこれ削っちゃうと気にぶつかって、下手すれば死んじゃう可能性大)

 

物騒な思考を抱え込んだ頭の重さに耐えかねて、少女は体を床にそのまま倒した。

 

(そもそも帚にこれだけ術式を施さなきゃいけないところに無理があるのよ)

 

頭を床にくっつけても、思考は零れることなく頭を満たす。堅い板張りの床にそのまま頭を着けていると、板を踏む音が聞こえた。程なくドアをノックする音がする。

 

二度、三度と叩いても床に横になった少女は微動だにしない。それは、ノックした人間に対する拒絶のメッセージだ。

 

またかと心の中で悪態を付いても、それを口にする気力はもう無い。帚に対して思考能力の大半を使い果たしたので、簡単なコミュニケーションすらめんどくさい。

 

程なく鍵の掛かってないドアノブを捻る音が聞こえる。

 

ドアの隙間から顔を出したのは同じ年頃の少女だった。その少女は羊皮紙の様な白い肌と、青い目に大きな眼鏡を掛けていた。薄い金髪を長い三つ編みにして、を揺らして部屋を覗き込むその表情は、何処か落ち着きを感じさせ心配する母親のようだ。

 

床に横たわる少女のギラギラとした真剣な目つきとは対照的だった。

 

「起きているの?」

 

「起きてる」

 

倒れ込んでいる少女はぶっきらぼうに応えると、顔を合わせたくないのか床に額を付けて伏せる。

 

「晩ご飯の時食堂で見かけなかったけどどうしたの?」

 

「別に、食べたくなかったから」

 

やっぱりという顔をして、覗き込んだ少女は溜息を吐く。

 

「駄目よ食べなきゃ」

 

「一食抜いた位どうって事ない」

 

「これからまた帚に乗るのに?」

 

伏せていた少女は初めてドアへ目を向ける。視線にはそれがどうしたという挑発が込められていた。

 

「チカ、危ないことはしないで」

 

懇願する少女にチカは上体を起こし上目使いで応える。

 

「じゃあ私もお願いするわアリル、私の事はほっといて」

 

胡座の上に膝を付いたチカは不遜そのものだった。それをアリルは嫌な顔一つせず、会話を続ける。

 

「ほっておけば帚に乗らない?」

 

「まさか」

 

アリルはまた溜息を吐いて部屋に入った。そのドアに隠れていた手には小さな紙袋が合った。そのまま部屋の窓側にある机により、袋を開けて中身を取り出す。パンとパンの間に野菜やベーコンを沢山挟んだサンドイッチが出てきた。

 

「いまお茶入れてくるから、ちょっと待っていてね」

 

「余計なことしないでって言ったじゃない・・・」

 

さっさとお湯を沸かしに行ったアリルを尻目に、チカは立ち上がってベットに体を横たえた。沈み込んだ体を重そうに動かしてうつ伏せになる。

 

(畳の上の布団が懐かしいな・・・)

 

柔らかいベットが今のチカには酷く不愉快だった。

 

チカは机の椅子に座り、左手に持ったサンドを(かたき)のように強くかぶりつく。右には先程見ていたメモの束がある。

 

(お腹空いてたんだ)

 

豪快に食すチカを見て、アリルは微笑んだ。それに気付いたチカはアリルを一瞥した後、サンドを放してマグカップを手に取り口にアリルが煎れた紅茶を流し込む。チカは紅茶に砂糖やミルクを入れない。

 

アリルは最初にチカと合った時の事を思い出した。

 

「砂糖は幾つ入れる、ミルクは?」

 

「いらない」

 

「ホントに?」

 

不思議そうに顔を見るアリルに、チカは不服を唱えた。

 

「私の国ではお茶には何も入れない」

 

今日もさっきまで床に胡座をかいて、メモと睨めっこをしていた。床に腰を落とす国から来た異邦人を、アリルは何だか気になって何時も声を掛けていた。まるっきり違う環境に飛び込んだチカを、アリルは何かと面倒を見た。

 

それはクラス委員長としての使命と言うよりは、頑なにクラスに溶け込むことを拒絶する彼女が本心から心配になったからだ。アリルはクラスメイトが困っているのを放っておけるタイプの人間では無かった。だからクラス委員長という面倒な仕事を引き受ける事になった。そして、自然にチカに何かと声を掛けることになった。

 

周りは所詮言葉が通じないのだと言ったが、チカの英語は完璧なクイーンズ・イングリッシュだった。少なくとも言葉は通じているはずだ。

 

遠く極東からこの深い森に囲まれた「魔法学校」に来たチカは、皆の興味を惹く対象だったが、頑なに会話を拒む彼女を今では誰もが距離を置くようになっていた。

 

そんな彼女だからこの小さな個室が与えられている。

 

「フェアリラント魔法学校」は全寮制で共同生活を基盤に運営している。個室が与えられるのはホームシックに掛かった者や、本人の強い希望が無ければ入れない。そう、チカの場合は本人の強い希望だ。友達を作らず、誰とも一歩も二歩も距離を置く。

 

アリルはそれでは五年に及ぶ学校生活が、何も楽しくないものになってしまうと心から心配していた。しかし、その善意がチカには煩わしかった。

 

それでもしつこく部屋を訪ねてくるアリルにチカは根負けして部屋に鍵を掛けるのを止めた。ノックに応えるまでずっとドアを叩き続けるアリルに強い拒絶の言葉を投げつけても、アリルは全く堪えなかったからだ。

 

部屋に入れるようになるまでの苦労を少し思い出しながら、ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲む。アリルは部屋に横たわる帚を見た。

 

何処にでもある普通の外掃き用の帚。この「魔法学校」に入学した時渡される帚はある意味彼女たち魔女と呼ばれるものの象徴でもある。

 

この学校がある大陸で広く伝わる童話には、魔女達は帚に乗って空を自由に飛んでいる。それは昔から有る風景で、不思議でもなんでも無い。

 

ただ鉄の機械が燃焼工学と航空力学、さらに魔法素材マジックマテリアルの発達により自由に都市と都市を結んでいる現在はあまり魔法で飛翔し様とするものはいない。その飛行術は廃れ、より便利な方を人は選んだ。

 

しかし、その飛行術はこの「魔法学校」には確りと受け継がれていた。と言うのも学校の回りは未開の深い森で覆われており、その場所は一般にはあまり知られていない。観光パンフレットに載るような所でもない。

 

立派な校舎があるが娯楽が少ないのは遺憾ともしがたいが、隣の街まで数百キロメートルに渡って深い森が続いているのだ。校舎を抜け出してどこかへ遊びに行くのも簡単にはいかない。

 

そこで、誰が考えたかは定かではないが、空を飛んで移動する方法を思いついた。そう、一番手に入りやすい材料で移動手段を作ることを考え出したのだ。

 

元々魔法のセンスがずば抜けている在校生達はたちまち古の飛行術を誰もが使えるようにライブラリーを作り、クラス単位で共有した。それが、先輩から後輩へと受け継がれ今にいたっている。

 

そのライブラリーを流用して、様々なカスタマイズを施し自分の「飛行用帚」を作るのが一部の人間には趣味として今も昔も流行っている。

 

アリルが床に転がってる帚に手をかざす。

 

「オペレート(作動)」

 

アリルが呟くと、帚が意思を持って床から腰の高さまで浮かんだ。帚に掛けられた「魔術」がアリル指示に反応して「魔法」を発動させた。

 

その浮かんだ帚に手を翳しながら、アリルはしきりに頷いた。

 

「よくカスタマイズしてあるわねこの帚」

 

施された「魔術」を眺めながらアリルはしきりに感心した。

 

「まだ全然だめ」

 

まんざらでも無さそうに、チカは食事を続けた。

 

「よく出来てる。空中でのバランスも良さそう……あら」

 

アリルの手が止まり目を細める。メガネのつるを持って帚を凝視する。チカは食事の手を休めアリルの方を向く。

 

「ここの強化構造式?こんなにピーキーで良いの?」

 

アリルが二つ三つ制御コマンドを発動させると、帚から送られた沢山のパラメータが同じ魔術特性を持つチカの目の前に映る。

 

「別にギリギリじゃないでしょ、私一人を支えるのには十分じゃない」

 

マジマジと目に映った数字を見ながらチカが答えても、アリルはまだ納得がいかない様子だった。

 

「けどこれだとチカが乗ると折れてしまうんじゃない?限界重量が三十五キロでは無理よ」

 

「三十五キロ? 六十は確保してるでしょ?」

 

「それは静止重量よね。空中機動時の応力計算をしてないのチカ?」

 

「あっ」

 

「あってチカ。こんなに自動回避アルゴリズムを弄っているのに、空中機動時の剛性を考えていなかったら帚が折れて、空中へ放り出されてしまうわ」

 

木にぶつからない様に進行方向を変えたとき、急な機動変更で帚の柄に負担が掛かる。当然強化術式を施しておかないと、両手で掃く力に耐えるだけで良いはずの木の棒は簡単に折れてしまう。

 

「チカ、スピード上げるのに軽量化するのは分かるけど、それで怪我でもしたら危ないわ」

 

「そんな事は解ってる」

 

「解ってるんだったら、直線スピード重視の設計はしないわ」

 

チカが目指す「千の泉」までは沢山の障害物が待ち受けている、其処へ最短のルートで飛ぶには当然その上を飛んでしまえばよいのだが。この魔法学校には外部の進入を拒むために様々なトラップが仕込まれている。特にたちが悪いのは空中警戒魔法で、学校周辺を森より高く飛ぶものに対してあらゆる手段で警告し、応じない場合は警備隊が出動する仕組みになっている。

 

そんな物騒な仕組みを作動させることなく目的地に向かうには、森の木々の間を縫うように進まなくては行けない。その為、森の中を飛ぶ用にカスタマイズされる帚はその急激な軌道変更に耐えられるように作られていなければならない。

 

チカの設計はそのセオリーを無視して、ただスピードを如何に出すかに重点を置かれたものだった。

 

心配そうにチカの顔を覗き込むアリルに、チカは再び床に座り込んだ。

 

「ずいぶんアリルは「帚」のこと詳しいのね」

 

たった一度で自分の帚の欠点を指摘され、チカは目の前の優等生を黙って返すわけにはいかなくなった。

 

「そうでもないわ」

 

「でも、なんかコツを知っているみたい」

 

悔しそうな顔をするチカを見て、アリルは少し可笑しかった。チカが悔しいなり感情をぶつけて来るのに、アリルは悪い気はしなかった。

 

「昔ね」

 

アリルも床に腰を落とした、チカと目線の高さは同じになる。

 

「小さい時、良くおじいちゃんと一緒にやっていたの「帚乗り」」

 

「小さい時って何時?」

 

「パブリックスクールに入る前だから、十歳くらいの時かな」

 

「十歳で飛行術出来たの?」

 

チカは素直に驚いた。魔法が施された帚に跨れば誰もが飛べる訳ではない。その飛行を制御するのはあくまでも飛ぶ意思を持った者、つまり乗りこなすものに依存する。飛行術は様々なパラメータを感覚と経験で制御しなければ行けないので、幼い少女が出来る技ではない。

 

「家にはその手の文献合ったし、おじいちゃんが横でずっと見てくれたから」

 

「それでも凄い・・・家の文献ってアリルの家は大きな家なの?」

 

「そんなでもないのよ、代々「魔術の家系」っていうだけ」

 

アリルは少し首を振ると、チカにはアリルがこれ以上口を動かしたく無さそうに見えた。自分にもそういう経験はあるので、家のことはそれ以上口にしなかった。

 

そんな事より使えると言う言葉のほうが頭の中を支配した。

 

「私より全然経験者なんだアリルは?」

 

「そんな事無いわ、私の場合は本当にただ飛ぶだけだから。ここで皆がやっている森の中を飛ぶ術とは比べ物にならないくらい簡単な仕組みしか知らないわ」

 

「けど私より飛行経験があるのは間違い無いでしょ」

 

「そっ、そうかしら」

 

惚けるアリルにチカは慌てて机にあったメモを集めて、ペンを取りアリルに迫った。

 

「ねえ、フレームの設計が上手く固まらない限り何をやっても駄目なのは私も気付いていたの。他にもおかしな所があったら全部言って」

 

「そんな細かいこと急に言われても……それに消灯時間までもう少しもないわ」

 

時計は八時を回っていた。短い夏が終わり初冬に指しかかる季節の夜空は少し薄暗かった。高い緯度のこの地域は日が落ちるのが遅く、日の出は二時から三時の間に登ってしまう。

 

「私は今日どうしても飛びたい」

 

「そんな焦らなくても」

 

「一番だという証拠が欲しいもの、誰にも負けたくない」

 

アリルは今日何度目になるのか解らない溜息を付いた。

 

「チカ、みんなそんな証拠が無くても貴方を認めてくれるわ」

 

「違う、私は友達なんか欲しくない。ただ、影で悪口を言うしかない連中に私の本当の実力を見せ付けたいの。外見じゃなくて、私が私である事を証明したいの」

 

「証明?」

 

「そう、東洋人であるとかそういうことよりも、誰よりも早く飛んだと言う方が格好いいじゃない?」

 

チカが真剣に帚をいじっている理由をアリルはハッキリと聞き、騙されたような顔をしながらチカに質問した。

 

「すこし単純な気がするわ」

 

アリルのもっともな答えにチカは断言した。

 

「シンプルな方が私は好き、ゴタゴタ自分がどうにかできる範囲外の事で騒がれるよりよっぽど楽しいもの」

 

そうか、チカは今まで異なる環境で育った人間と一緒に暮らしたことがないのだろうとアリルは気が付いた。そして、他人に自分を理解して貰うのに、まさに単純な方法でその問題をクリアーしようとしているのだ。

 

(私は誰よりも上手く「魔術」を扱える……その為の一流の「帚乗り」の証が欲しいのか)

 

多分チカは其処まで考えていないだろうとアリルは気付いていた。そして、シンプルに目的を達成させるこの目の前の人物にさらに興味を持った。

 

「何?」

 

「えっ?」

 

「人の顔を観察してるみたいだったから」

 

「ごめんなさい」

 

アリルは思わず黒いチカの瞳を見詰めていた。チカの真剣な目にアリルは引き込まれたのだ。自分はチカの無謀な兆戦を止めるためにこの部屋に来たのに、彼女の真剣さに押し切られ帚の改良に手を貸したくなり始めているのを感じたのだ。自分がそんな無謀なチャレンジを手伝うことになるとはチカに言われるまで考えも付かなかった。

 

そう、チカの挑戦は無謀なのだ、だからこそ真剣になれるのだろうとアリルは思った。

 

「チカ、でも「竜の巣」を夜明けまでに抜けるのは無理よ」

 

アリルは少し熱くなった自身の心を冷ます為にも、今一度自制を促す言葉を口にした。

 

「やってみなければ解らない」

 

チカはまだ瞳に強い意志を宿す。

 

「私達一年生で「世界の夜明け」を見た人はまだいないもの」

 

「だからやるんじゃない!」

 

誰がチカにこの話しを吹き込んだのかと、少しアリルは疑問に思った。

 

暗い森の中のさらに奥深い「竜の巣」と呼ばれる場所の先にある「千の泉」で「世界の夜明け」と呼ばれる現象が起こる事は、この学校に居る誰もが知っている。

 

その「世界の夜明け」を見たものは、一人前の「帚乗り」と認められる。それがどんな現象化は見たものしか知らない。実際見たものは口を揃え、口には表せない世界がそこにあるという。それは小さな優越感から見たものはそのような事を言うのかと、アリルは常々疑問に思っていた。

 

「チカ、私達の習ったことではまだ「竜の巣」を日没前に抜けるのは難しいわ」

 

「けど、達成した人は過去に何人も居るんでしょ?」

 

「どの人も多くの研究成果を残した偉大な「魔女」よ、やっぱりセンスが普通の人と違うのよ」

 

「そのセンスとやらが何か分かればなあ」

 

チカは自分の腰まで伸びた黒い髪を両手で掻きむしる。その後腕を組みアリルの前で考え込んだ。アリルはさっきから感情豊かに振舞うこの「異邦人」を楽しげに見た。こんなに熱心に語りかけてくる同年代の子は久しぶりだったと思い出した。初めて空を飛んだ時、周りの友達に、自慢げに飛んだことを喋っていた事を思い出した。

 

「帚乗りはね、いかに簡素に術式を帚に施すかが良い飛行を生む結果に繋がるっておじいちゃんが言っていたわ」

 

「簡素に?」

 

目を閉じたままチカは答える。アリルは何だか素直なチカがかわいくなって、先生気取りで指を振りながらレクチャーした。

 

「そう、帚なんて小さな物体を「飛ばす」と言う時点でもう他の魔術を練りこむスペースは無いから、後は自分がこの帚にどういう特性を植え付けるかを明確にするのだって言ってた」

 

「明確に・・・」

 

「そして、帚に載せられない術は自分でカバーする。そうして帚とお互いを補完しあい一体になればどんな複雑な場所も自由に空を飛ぶことが出来ると・・・」

 

「それだ!」

 

チカは大きな声を上げ、アリルに両手を広げて文字通りに飛びついた。

 

「きゃっ、ちょっとチカどうしたの」

 

「そうよ、全部帚に乗っけようとするから重くなる」

 

興奮したチカはアリルを床に押し倒して上に乗りながらぶつくさと呟く。

 

「障害物を感知して、自動的に避けるなんて大きなアルゴリズムを乗っけようとするから上手く行かないんだ。そう、それは私の仕事にすればいい」

 

「チカ、痛い」

 

生まれて初めてマウントポジションを取られたアリルは、床にぶつけた頭を触りながら天井を見る。すると、腕を力強く引っ張られ上体が立つ。気が付くとアリルはチカに抱き付かれていた。

 

「アリル、礼を言うわ。これで、今日私は「世界の夜明け」を見る事が出来る!」

 

「ちょっとチカ・・・痛い」

 

「あっゴメン」

 

ぱっと手を離して、チカは両手でアリルの手を掴む。

 

「私と帚が一体になった飛行術を作り出せば良いんだ。いける、考えてたアイデアが全て繋がった」

 

「繋がった?」

 

チカはアリルに自慢の玩具を紹介する子供の様に溌剌と喋り始めた。

 

「夜明けまでに「千の泉」までに行くのに必要な平均時速は毎時三百キロ。その為に必要な加速性能と高速安定性をもたらす飛行式はもう出来てるの。後はその「飛行エンジン」をどうやって帚に施すかだったんだけど、今のアリルの話で行けば感性系は無理に帚に施さなくても済むわ。それで空いたスペースに「飛行エンジン」を乗せることが出来る」

 

チカから一枚の紙にまとめられた魔術式を渡され、アリルはゆっくりと読んでいく。

単純ながら、細部は緻密に計算され尽くしていた。

 (なる程、風を上手く導いてマナを蓄えた燃焼室へ送っている)

 

一通り読んでアリルはチカの顔を見つめる。するとチカは感想を聞きたいのか目を輝かせてアリルの反応を待っていた。アリルはクラスで言われているチカのあだ名を思い出した。「東の人形」それがチカのあだ名だ、東洋の表情のない紙と布で作られた人形の様だと言うことで付けられたあだ名だ。

 

けどそんな名前を付けられた人物とは思えないくらい、今自分の前にいる女の子は表情を感情とリンクして熱心に語りかけてくる。まるで子供だ、教室ですましていた人物と同じだなんて思えない。

 

くすっと笑うアリルに、チカは少し顔を俯いた。

 

「凄いわチカ、これなら本当に「世界の夜明け」を見られるかも知れない」

 

メモからアリルは顔を上げ、チカに話しかける。

 

「嘘は嫌よ」

 

「嘘じゃないわ」

 

「だってさっき笑ったじゃない」

 

横を向いたチカの顔は教室でのいつもの表情だった。

 

「違うわ、別のことを思い出しただけ」

 

「何?」

 

不思議そうにアリルの顔を覗き込むチカを、アリルは静止する。

 

「それよりもチカ、本当に今日飛びたかったらもう一度このパラメータ再計算した方が良いと思うわ」

 

「さっきからやっている」

 

「フレームの再設計に時間を割くならば、推進系の再計算をした方が良い」

 

「けど早く・・・今日飛びたいの」

 

「それは分かった。良く分かった・・・」

 

アリルは立ち上がってスカートの裾を軽く叩いた。チカも吊られて立ち上がる。

 

「私はチカを止めに来たのに・・・」

 

自分はチカの無謀な挑戦を止めるためにこの部屋に来たのに、彼女の真剣さに押し切られたのを感じた。そう、彼女の兆戦は無謀なのだ。だからこそここまで真剣になれる。それに惹かれてしまったアリルはもう優等生を気取って、レースを傍観出来る立場では無くなった事を感じた。

 

自分に言い聞かせるように言いながら、最後の溜息を一つ吐いて再びチカの方を向く。

 

「止めても無駄なのが分かった、もう止めない。けどせめてチカのデタラメなフレーム設計を私に任せてくれる? チカにケガをして欲しくないの」

 

アリルの提案にチカは沈黙で応えた。

 

「だめ?」

 

不安げに顔を覗き込むアリルに、チカはどう応えて良いか判らなかった。

 

自分はこの学校で友達を作らないと決めたはずだった。何かあれば国のことをとやかく聞かれ、騒ぎ立てられるのが煩わしく嫌だった。その為に駄々を捏ねて寄宿舎の個人部屋を当ててもらったのだ。

 

それなのにアリルは、この特大のお節介者は、入学以来少しも変わらず優しく声を掛けてくれる。授業を一緒にでてれば彼女が才能有る人間なのは解る。自然にリーダー的な役割を演じるアリルをチカは面白くなかった。

 

(けど、「帚乗り」に関してはやっぱり私よりアリルの方が才能ある)

 

さっきもアドバイスを求めた、それが自分の課してきた課題に反する様な気もしたが、それよりもアリルからは得られるものが多いと感じた。もう時間がないのだ自分が足踏みしている間に誰かが先に「世界の夜明け」に到達してしまうかも知れないのだ。こういうときにチカという少女は感情を押し殺して単純に損得を考えることが出来る。根は素直なのだ。

 

「判ったは、アリルは今まで好きなようにしてきたんだから、これからもどうぞご自由に」

 

それでもチカは最後に虚勢を張った。自分でも恥ずかしいくらいに子供っぽい言い訳だと思った。

 

「チカ、ありがとう」

 

精一杯の虚勢で突き放して言ったつもりだったが、アリルは笑顔で礼を言った。

 

こうなりゃヤケだと、チカは心に決めた。断ってもどうせアリルは何だかんだと理由を付けてこの部屋に居座るのだろう。ここは実利を取って、高楊枝を気取ってる場合では無いのかも知れないとも思った。

 

「今日は寝ないでこれから突貫作業よ、覚悟出来てる」

 

「そういうのは嫌いじゃないわ」

 

チカは恥ずかしそうに、アリルは嬉しそうにしながらクスクスと笑い合う。そんな二人の背後に廊下から小さな足音が聞こえてきた。

 

ドアを開ける動作がやけに手慣れているため、その女性は幽霊のように音もなく部屋に進入してきた。

 

「ダルグリッシュさん、何かさっきからドタバタと音が聞こえるけど?」

 

長身で細身の体から発せられる声はどんな言葉でも命令調に聞こえてくる。規律を厳しく押しつける先生として、学校内では有名な先生だった。

 

「気のせいです、サリバン先生」

 

帚を持って床を一心不乱に掃いているチカを見て、サリバン先生は幾つか質問をしたかった。

 

机の上に有る食べかけのサンドを見て、あなたは食事中に掃除をするのか?

 

貴方は一人でマグカップを二つ使うの?

 

それとクローゼットからでているスカートの裾はだらしないと思わないの?

 

とにかく言いたいことは沢山あったが、足下に転がった小さなメモがサリバンの目に入った。

 

「コレは?」

 

「ゴミです」

 

手に持った瞬間、チカはそれを素早く奪い取りゴミ箱に捨てた。

 

チカは自分の瞬間的に起こった軽率な行動を後悔したが、サリバンはメモに関してはそれ以上何も言わなかった。

 

「ダルグリッシュさん、もう遅いから掃除はほどほどにして就寝しなさい」

 

「はい、先生」

 

入って来た時と同じように静かにドアを閉め、部屋を出て行った。

 

チカはそっとドアに近づき耳を澄ます。足音が聞こえなくなってから、十心の中で数えて静かに両開きのクローゼットを開ける。

 

「危ない」

 

「危なかったわ」

 

同時にチカとアリルは溜息を吐いて、お互いの安全を確認し有った。

 

「アリルは部屋に行かなくて大丈夫なの?」

 

「それは大丈夫、上手く誤魔化すようにルームメイトに頼んだから」

 

アリルは周りに人望が有るので、だれも悪いようにはしない。その辺はチカと天と地の差がある。

 

「じゃあ作業始めようか?」

 

「ええ急ぎましょう、あっと言う間に時間になってしまうわ」

 

チカはゴミ箱に捨てたメモを拾い、再び机に向かった。アリルは帚に向かってアルゴリズムを記述し始めた。小さな見習い魔女達の工房が、夜静かに動き始めた。

 

(ダルグリッシュとマローリのコンビか、予想外だったわね)

 

サリバンは術で足音を演出し、まだチカの部屋の前に居た。それは決定的な証拠を押さえて踏み込むためでなく、ただチカのパートナーが誰なのかが気になっていただけだ。

 

チカのメモを一瞬で記憶したサリバンは、そのチカの燃焼に対する素晴らしいイメージとセンスに感心していた。

 

(さすがはダルグリッシュの名を継ぐモノと言うところか・・・)

 

サリバンは校長に呼び出された時の事を思い出した。

 

「「東の魔女」がエウロペに帰ってくる」

 

魔術の歴史を深く学ぶモノには忘れることの出来ない名前、ダルグリッシュ家。戦いに敗れ東の果てに流浪したと聞く家の血を受け継ぐものがこの地エウローペに帰ってきたのだ。

 

それが、その追放の主犯となったマロリー家の「直系」とコンビを組んで「世界の夜明け」を目指す。

 

面白い、サリバンは自然に唇の端が上がった。

 

「残酷な氷」と証されるサリバンの笑顔は何処か冷笑と言う言葉以上に見た物の心に痛く突き刺さる。その為、だれも彼女の笑った顔を見たことがないのだ。見たら石になるとは言わないが、心臓に悪いからだ。

 

このまま行くと、今年のクラスはヤケに森を越えるのが遅くなると思ったが。どうやら久しぶりのレコード更新も夢では無いようだ。

 

(これだけ期待しているのだから、小賢しい手を使うのなら容赦しないわ)

 

サリバンは学校の上空警戒術の再強化でもしようと、管制術室へ向かう。足音と表情を消して、サリバンは静かにチカの部屋の前から去っていった。

 



 

■ファースト・ラップ

 

広大な敷地の中にある学校の校舎の裏手は柵もなく森に繋がっている。森の中を少し歩くと高台に開けた広場が有って、昼食時などは沢山の生徒で賑わう。その広場も超えて、更に奧に進むと打たれた杭にロープを繋いだだけの簡素なフェンスが有る。

 

此処が唯一監視の目も緩く、尚かつ誰にも見つからない森に入り込む秘密のスタート地点だ。

 

秘密のスタート地点と言っても「帚乗り」をするものは此処からしか森に入れないので、沢山の人間がギャラリーに訪れたりもする。しかし今日は誰もいなかった。焦っているのは自分だけかと、チカは誰もいないフェンスの前に一人で帚を持って目の前の森に対峙するように立っていた。

 

やっと落ちた太陽が森を真っ暗に染めた。日中でさえ針葉樹林の森は薄暗さを感じるのだが、ロープの向こう側は更にその黒さを濃くしていた。

 

チカはフード付きのコートを羽織っていたので寒さは感じなかった。だが頬には何やら冷たい風を感じていた。

 

まだ季節的には早いが、厚手のコートを出して着てきて正解だった。森の方からは少しずつ冬がしみ出している感じがした。この北欧の地は夏の後に一気に冬が来るという、自分が居た四季の変化を感じている余裕は無いらしい。

 

暗い、何処までも暗いとチカは目の前に広がる「シュバルツバウト(黒い森)」を遠い地平線を見定めるような目つきで眺めていた。黒く先が見えない森を本能で畏怖し、好奇心の狭間を漂いながら、自分の心に有るチャレンジの火が恐怖で消えないよう、好奇心でそれを補っていた。

 

誰かが土を踏む音にチカは肩を一瞬上げ、近寄ってきた人物の顔を見てその緊張を解いた。

 

「ごめんなさい、遅くなって」

 

帚を抱えたアリルが小さな声でチカに呟く。

 

「別に・・・」

 

慎重に先生に見つからないように歩いて来たのをチカは知っていたので、労いの言葉をかけようとしたが何故か出なかった。チカ自信は気付いていないが、まだ何処かでこの好意を拒もうとする気持ちが有った。

 

それに気付く努力をするよりも、アリルが帚のほかにもう一つ、手に持っていたゴーグルの方が気になった。

 

「それ? アリルが言っていたいいものって」

 

「そう、祖父から貰った飛行用のゴーグル」

 

モトレーサー(バイク)用のゴーグルだろうかとチカが見ていると、アリルは手にとって見てと差し出す。

 

チカが手に取ると、それは良く工作されたものだと言うのが解った。淵の金属部分は暗闇で色は良く分からないが、手で撫でるとすべらかで、よく磨きこまれているのは解った。

 

「凄い高価な物じゃないのコレ」

 

「祖父が昔飛び回っていたときのものだって、私に譲ってくれたの」

 

さっきからアリルの話に出てくる叔父は余程の道楽者だったのだろうか? 少なくともアリルの家が普通の家では無いことは分かった。

 

「良いの借りて?」

 

「是非使って」

 

チカの疑問にアリルは笑顔で答えた。

 

「昔祖父が突然突風に有って森に落ちた時も、そのゴーグルのお陰で目だけは全然怪我しなかったから。縁起が良いものなの」

 

「他の部分は?」

 

「右足と左手を骨折して全治三ヶ月だったらしいわ」

 

(それでこのゴーグルって縁起良いのかしら?)

 

大きな疑問を抱きつつも、今更無下に返すわけにも行かず耳の覆いが付いた帽子の上から掛けて見る。

 

「似合うわチカ」

 

アリルの小さな手拍子付の賞賛に、チカはどう答えて良いか判らなかった。

 

まあ、自動障害物回避アルゴリズムを削ってその回避判断を自分でこなしながら進んで行かなければならないので、目は保護したほうが好ましい。多分アリルもそう思って態々自室まで戻って取ってきてくれたのだろう。 

「サーチング・スペル(索敵呪文)がちゃんと機能するか見てみて」

 

「分ったわ」

 

アリルの指示通りにチカはコマンドを導く。頭で魔術式を組みたてる。

 

「オペレート(作動)」

 

索敵呪文を起動すると、目の前の暗闇から白っぽく木々が浮かび上がる。魔法使いだけが見えるマジックウィンドウ(魔法窓)、温度差を感知し術者の視覚に伝えるアルゴリズムが作動し、チカの目の前から暗闇が消える。

 

「なんか何時もより良く見えるような気がする」

 

ゴーグルを掴みながら、チカがアリルの方を向く。

 

「祖父が何か魔技を施していたのかしら?」

 

アリルはそう言う話は聞かなかったのでチカの感覚を不思議に思った。まあ、一流の魔法技術師である祖父の物なので、何にもギミックが無いのも変だとは思っていた。

 

「ともかく、これで準備は出来た」

 

「本当は試し飛びをしたかったけど……」

 

「一発勝負は嫌いじゃない」

 

肩に掛けた帚を揺らし、自身溢れる眼差しをアリルに向ける。それが逆にアリルの不安を増幅させた。しかし、どうやらチカという人物は一度決めたらなかなか止めない頑固者だと言うことは十分理解した。

 

だから止めない、どんなに無茶をしても壊れないフレームを心血注いで設計したのはその為だ。

 

「頑張ってね」

 

「当然」

 

そう言うとチカは外套のポケットから一枚の札を取り出す。指で挟みながら、呪札に込められた魔法を発動させる。


 

すると札の先から火が浮かび上がり、灯りが灯る。それを素早く逆の手に持った帚の草の部分に近づけた。

 

「オペレート(作動)」

 

帚にコマンドを送ると火はまるで水が染み込むかの如く、帚の草に絡まり始めた。しかし何かが燃えている焦げた臭いはしない。これがチカオリジナルのアシスト・マジック(加速用呪文)だ。前方に貼る空気抵抗を和らげるフィールド・マジック(領域制御呪文)から、少しずつ空気を帚の藁の部分に導入し。そこで空気を圧縮してマナと一緒に燃焼させる。それによって得られる噴射圧によって帚を加速させるという乱暴な仕掛けだが、チカの森を早く切り抜ける為の切り札だ。

 

そのまま火のついた帚をチカは跨ぎ、両足に力を入れる。頭で飛翔をイメージし、飛翔術をスタートさせる。

 

この時チカは頭の中には様々な魔術が順を追って実行されていた。そもそも魔術とは血によってしか発動しない。いや、厳密に言うのであれば血とセンスによりこの世の物理現象に干渉する。

 

一般的に血族と呼ばれる一族は平均して魔術を行使出来る体に生まれる。しかし、魔術を発動させる「マナ」の持ち主はその家系に突然現れたり消えたりもする。つまり絵が上手く掛けたり楽器が人より上手く吹けるのと変わらない、個人が持つ「才能」に属するものだ。

 

魔法学校の入学条件の唯一無二の条件はこの「マナ」が人並み以上に優れていることだ。そして、その「マナ」を有効に無駄なく使う術が「魔術」であり、その「魔術」によって行われる行為を指して「魔法」と言う。

 

(飛翔アルゴリズムを作動させる)

 

チカは頭で整理された魔術をアルゴリズム(一連の規則の集まり)に従って実行していく。優れた魔法使いとは、この「マナ」を正確に速く無意識に心の中で広げ実行していく事が出来る人物の事を言う。

 

チカの意志がマナを伝ってこの現実世界のルールを改変していった。浮かぶはずの無い帚が浮かび、それに乗ったチカも空中に音もなく浮かび始めた。

 

アリルの頭上を越えたところで上昇を一旦停止して、チカは周囲を見渡した。雑巾を絞るように強く帚の柄を握っていた手を緩め、少し肩の力を抜いた。

 

「チカ、気を付けて」

 

アリルはさっきから心配そうな顔を崩さなかった。チカはそれを上から覗くと、同じ高さで見ていた時とは違い何だか細いものにすがっているように見えた。チカはそれが自分が引き起こしたことだと感じると、急に心細くなった。

 

「大丈夫、貴方の設計したフレームは見ての通り頑丈」

 

軽く柄を叩き、必死に健在をアピールした。

 

アリルの顔が一瞬綻ぶが、それはまた不安によって掻き消された。一瞬のうちに消えた笑みに、またチカは心を痛めた。そう、痛める必要が無いはずなのに何故此処まで心が痛むのだろう。

 

そうだ、痛める必要は全然無い筈だ。自分は誰にも関わって欲しくない、関わりたくもない。この異世界に一人で偏見をはね除けて卒業まで頑張ってみせると決めたのだ。アリルが勝手に心配しているだけだ、私がそれを和らげてあげる義理は無い。

 

チカは恨むように帚を握りしめながら自問自答を重ねた。アリルの行為を否定しようと躍起になった。だが、自分が空中に浮いているのは紛れもなくアリルの御陰だった。

 

色々考えていると、チカは自分でも驚くほどに臆病になった。目の前に魔法によって白く浮かぶ風景が不気味に思えてくる。何度か寄宿舎を抜け出して、夜の森を飛行してみたが。今目の前に有る森が、同じ森とは思えなかった。何か、森に挑まれているような不思議な感覚がチカを襲う。

 

(迷うな)

 

そう自分に言い聞かせてチカは帚に前進の指示を出した。その時、チカの心は意志とは反対に迷いが判断を鈍らせていた。前進の指示を中途半端に帚に送ってしまった。

 

帚の藁の部分が一瞬赤く燃え上がり、鈍い音が辺りに響く。チカの帚は跳ね上がり、空へ向かって一直線に飛び上がろうとした。

 

(しまった!)

 

空に飛び上がって森よりも高く飛んでしまうと、「魔法学校」の対空警戒に引っ掛かってしまう。慌ててチカは帚の進路を森へと変えようと、体で帚の進路を変えようと帚にぶら下がるような格好になって、帚の進行方向を地面に変えた。

 

「チカ!」

 

アリルの声と同時に地面にぶつかりそうになったチカと帚はギリギリで進行方向を垂直から水平へと変換し、森へ飛び込んだ。チカは帚にぶら下がりながらも、その双眸に森の木々を抜ける道を探る。感覚的に左、右と進行方向を指示して高速で森を抜ける。

 

(凄い、やっぱり加速用のアシストを噴かすとスピードが桁違い)

 

チカはこの時初めて、暴れ馬の様に言うことの聞かない帚に乗っていることを思い知った。自動回避装置を外した帚はただ術者の指示に従って飛ぶだけの乗り物だ。それを征すのはチカの意志だけだ。

 

(面白い、最高だわこの子)

 

自分が作り上げた「帚」を擬人化すると、急に愛着が湧いてきた。恐れは少しずつ消え、チカは自分の頭が冷静になってきている事を少しずつ感じられるようになっていった。

 

(頭に血が上っていたなって、そうか)

 

まだ自分がぶら下がったまま飛行していることに気付いたチカはスピードを落とし、上体を起こし体勢を立て直した。

 

(マッピングと方向指示を準備しなきゃ)

 

チカは冷静になった頭で、ナビゲーションの準備をすっ飛ばした事を思い出した。慌てて頭の中で必要なアルゴリズムを呼び出す。

 

(まずはマップを・・・)

 

頭の中でマップを呼び出そうとチカは意識をそちらに集中した時、目の前に大きな木が表れた。危ないと心の中で叫ぶ寄りも速く、体を大きく横に倒して滑らすと、外套の裾が木に触れるくらいの距離で間一髪かわした。しかし避けるモーメントと上体を勢いよく振った勢いが重なり、チカは帚から振り落とされそうになった。

 

(停止、進行停止!)

 

足を中に浮かべて、必死に両手で帚を握りしめてスピードを落とす。鉄棒にぶら下がったような格好のままチカは空中で停止した。溜息を吐くような格好ではないのだが、自然と口からは安堵の溜息が出た。

 

「大丈夫なのチカ!」

 

突然アリルの声が聞こえ、驚いて目を開けると声の主が居た。やっとアルゴリズムが働いて出てきたマップはスタート位置を指していた。オートマッピングに至っては丸い円を描いていた。チカはガクッと頭を下げた。

 

俯いたチカにアリルは声を掛けるのを躊躇った。チカとアリルが作り上げた「世界の夜明け」を目指す「帚」は荒ぶる神の如く、制御の難しいものになってしまった。まだ自分たちには「世界の夜明け」を目指すのは甘い夢なのか。

 

その夢だけを一途に目指していたチカに、その事を確認させることは優しいアリルには出来なかった。帚に力無くぶら下がるチカは一言も発しなかった。

 

今日はもう帰りましょうと声を掛けるつもりで寄ったアリルに、チカは突然足を蹴り上げて迎えた。

 

「きゃあ」

 

突然蹴り上がった足に驚きアリルは尻餅を付いた。チカは持ち上げた足の反動を使い、長い髪を振り回し、逆上がりの要領で帚の上に昇った。

 

「大丈夫アリル?」

 

帚の上からチカが声を掛ける。アリルが見上げたその顔はとびきりの笑顔だった。何も迷いの無い、自身に満ちた表情。ただそこには驕りが無く、ただチャレンジすることに喜びを見つけた者の顔だ。

 

「チカ・・・」

 

「アリル貴方の作ったフレーム本当に頑丈ね、これなら多分この森と対等に闘える」

 

両手を組んで、チカは目の前の森を睨み付ける。そして、ナビゲーション用のアルゴリズムを一から組みなおした。失敗はついさっき全部した、それをしなければこの帚ならばきっと夜明け前に湖へ付ける。「世界の夜明けに」立ち会うことが出来る、チカはそんな気がした。

 

「諦めないの?」

 

最悪のスタートを切った筈のチカに、腰を地面に付けたままアリルはチカに聞いた。チカは暗闇に再ほどよりも笑顔を輝かせ宣言した。

 

「アリル私は挑戦するわ、たとえ今日辿り着かなくても明日には着いてみせる!」

 

帚を握りなおして、状態を帚に近づける。足首を帚の後ろに掛けて、ピッタリと身体を柄に密着させて眼前の森に挑む準備を全て終えた。

 

ああ、もうチカには迷いが無いのか。アリルは少し寂しくも嬉しかった。

 

「チカ、幸運をここで祈っているわ」

 

アリルは態々東洋の宗教の祈り方に合わせて両手の指を伸ばし、手のひらを合わせ祈った。ぎこちない動作に、チカはゴーグルを取り地面に座り込むアリルに注意する。

 

「アリル、まさか待っているなんて言わないでしょうね?」

 

「待つわ」

 

「無駄よ祈りも含めて」

 

言い放ったチカを、アリルは微笑んで切り返す。

 

「貴方は自分勝手に飛んで行くのよ? 私も勝手に祈るだけ」

 

勝手にしろと叫びたかったが、自分含めてまさしく勝手にしているわけなので怒りの矛先が自分に向かってくるのを感じたチカは、アリルに文句を言うのを諦めた。

 

(変なのアリルが教室に居るのとは別人みたいに頑固で・・・まるで私みたいだ)

 

ふと、そんな事を考えていると肩に張った力が抜けた。チカはもう一度全てのアルゴリズムが動いているかどうかチェックした。

 

(いけない)

 

頭の上に上げっぱなしだったゴーグルを再び着け直した。視界が開け、再び森の木々が目の前に浮かぶ。今度は恐れない。チカはその決意の目でアリルを一瞥してから、帚を加速させ再び森へと飛び込んでいった。

 

一瞬の森がざわついたと思ったら、その後森は直ぐ静寂を取り戻した。

 

真っ直ぐに森へ飛び込んだチカをアリルは手を合わせたまま見送った。そしてさっきまで帚に跨っていたチカの姿を思い出した。ああ、アレが本当のチカ・ダルグリッシュなのだ、教室で何も興味を示さないで表情を変えないチカは全くの偽者だった。

 

(本当のチカはあんなにも豊かに顔を緩ませる子だったんだ・・・)

 

自分でも気付かない内に、アリルは手を握り締めて何時もの形で祈りを捧げた。無事に帰ってこられればと純粋に祈った。

 

祈りと共に、本当の自分を取り戻したチカの挑戦が始まる。






■スペシャル・ステージ

 

氷河が地球全体を覆っていた頃から数千万年たった現在。この星を覆い尽くす氷の冠は北極点を中心に著しく後退していった。そして、高緯度のこの土地には氷が溶けて残った豊かな水は深い針葉樹林を作り出した。

 

森の上には学校の監視の目が張ってあるのでそれ以上高く飛べない、目的地まではこの鬱蒼と繁木々を避けながら進んでいくしかない。そのため早く森を抜けようにも、スピードを上げればそれだけ回避の時間が少なくなり衝突の危険が付きまとう。しかし夜明けまでに残された時間は刻々と消えていく。

 

(速く、もっと速く)

 

チカは相棒の帚を握りしめ、双眸を前方に向け細かい指示を帚に送っていた。大小様々な木々を、美しいシュプールを描くように一つ二つと避けていく動きに迷いはなく。少しずつではあるが確実にスピードを上げ、チカは風よりも早く森を抜けて行った。

 

この時のチカは、頭の中に高度なアルゴリズムを実装し、その術式に目等の感覚器官から得られた情報を刻々と伝えて完璧に帚を操っていた。冴えた頭にサーチング・スペル(索敵呪文)がもたらした数百メートル先の木々の位置を一瞬で把握し、最適なアクセリングと体重移動を導き出す。帚は森を縫うように木々をすり抜けた。

 

右に大木を避けそのまま体を帚にぶら下がるように真下に倒す、帚の先を少し押し出し加速用のアフターバナーを噴かす。上昇した帚は横たわる大木を裂け、チカの体は一回りして基のポジションに戻った。曲芸の用に一つ一つ障害を避けるチカの顔には恐れはなく、ただ目の前の事に意識集中し、細かいコントロールを繰り返していた。アクロバチックな帚の軌道も、その場その場の最適な判断が自動的に行われている結果だった。

 

そんなチカの目の前に、山を通小さな小川が目に入った。地図と現在位置を合わせて照会すると、どうやら森の奥深くに通じる川のようだ。助かったと、チカは帚を小川の上へと滑らせて、流れに逆らうようにその川の上を進んだ。川の上にも当然木の障害物が横たわるが、森のど真ん中を突き抜けるよりは警戒しなくて済む。

 

しばらくは安定して飛行が出来ると思ったチカは、少し頭の中を整理するためにもスピードを落とし進んだ。

 

(凄い、帚と私が一体になったみたいだ……)

 

あっと言う間に過ぎた時間を振り返ったチカは、軽い興奮から冷静さを取り戻してすこし過去を振り返った。

 

アリルと作り上げた帚は正に森を速く抜けるために作られた道具となった。細かい進路変更を繰り返要求される場所で、敏感に反応する飛行術式とその急激な運動を支える帚の耐久性を上げる構造式。この二つが上手く噛み合っている手応えをチカは感じていた。どんな複雑な地形もこの帚さへ有れば制覇出来る自信が芽生えていた。

 

手袋越しに伝わる帚の感触が頼もしい。ただの帚が自分の「魔法」によって「空飛ぶ装置」になったのが嬉しかった。この装置は自分の指示に従い自由に飛ぶことが出来る。暗く人を拒み続けるこの森を、自分の作り上げた帚は我が物顔で蹂躙しようとしているのだと。クラスの人間が見たらこの行為をどう思うのだろうかとチカは考えた。尊敬? それとも自ら危険な森へ猛スピードで飛び込む狂った愚か者?

 

(どっちでも良い、この感覚はやみつきになる)

 

学校では感じられない自由をチカはこの森の中で謳歌していた。自分を学校に閉じこめていた森を、自分が作った帚で自由に飛び回る。この時チカは何も恐れては居なかった。井の中の蛙と言ってしまえばそれまでだが、確かにこの森で生きている人間はチカしか居なかった。そのチカが「自由」を得たと勘違いしても咎めるものは居ない。

 

自分の実力をクラスの人間に見せ付けるために、「千の泉」に表れる「世界の夜明け」を目に納め、あわよくば梟の羽を手に入れその証拠とすれば誰にも奇異な対象としてではなく魔女としての自分を見せ付けられる。チカにはゴールが近いように感じられた。

 

それは実際間違いではなかったが、チカの前に最後の障害がその牙を剥く準備をしていた。

 

川の流れが急になり、高度が上がってるのを感じたチカは再び頭に地図を展開した。そこには自分の現在位置から遠くないところに、危険を訴える記号と共に言葉が記してある。

 

(竜の巣……)

 

その名前を見てチカは自分がまだ何も成していない事を思い出した。

 

そもそも、このレースは通常考えればそう難しいものではない。

 

距離で考えればたいしたことがない。学校と「千の泉」まで一直線に飛べば二時間くらいで着くだろう。しかし、幾多もの歴史的財産を抱える「魔法学校」を守るため、上空には沢山の監視網が引かれているので、それに引っ掛かると最悪の場合は停学か最悪の場合退学処分だ。

 

後もう一つは道無き道を走り抜ける方法。森の中を縫うように飛ぶ事だ。これはある程度魔術的センスと修練を重ねれば問題なくこなせる。特に魔法学校に入学してくるものはその魔術的センスは他の一般の人間に比べて段違いの力を持つ、勉強熱心なもので有れば帚に乗って森の中を突き抜けるなど対した障害ではない。

 

しかし、「千の泉」にたどり着けるものは極わずかなのは事実だ。たとえ着いたとしても、早い日の出はとっくの昔に過ぎているのが常だった。なぜならば千の泉を囲む広大な土地を大木が幾つも折り重なってできている森、竜の巣が幼い帚の乗り達に超えられぬ壁として存在を露わにしているからだ。

 

樹齢数千年近い木々が、その巨体を横たえるその森は昔竜が住んでいた地域と言われている。実際、生存痕や化石が横たわり学術的にも興味深い地域である。「魔法学校」とはその竜の研究を目的に作られた研究室が大きくなり、現在の場所に建校されたものだ。

 

それだけ竜とは、その存在が躯となっても神秘的な対象となっている。

 

それもその筈で竜とはその存在事態が元来否定されるべきものである。何者の攻撃も受け付けない頑丈な体躯を持ちつつも、大空を舞うことの出来る存在。それは自らを魔術によって存在をさせ、己の体を維持していた唯一の生物。人がこの星に生まれる以前に存在していた支配者たる竜の躯から人は魔法の存在をしり、その知恵にてこの星の新たなる支配者としての地位を固めつつ有るのだ。

 

しかし、その竜の躯が眠るこの森は酷く人を拒む。そもそもこの「千の泉」と「竜の巣」は彼ら竜達の壮絶なる戦いの後とする節がある。彼らの強大な魔法がぶつかり合い、この地にその自然に対して無敵であるはずの肉体を、哀れに骨とかして埋もれさせているのだ。

 

その時の戦いの激しさが、この地のマナを未だに荒れたものにしている。マナとは魔法の発動に必要な力であるが、それがこの竜の巣では著しく人のコントロールを拒む、まるで誰か別の強烈な意思が働き暴走する。

 

(あの話は本当だったんだ)

 

チカはまだ踏み入れていない竜の巣の影響を、帚の柄から感じ取っていた。何か、少しでも集中を切らすと途端にコントロールを失うような気がした。なにか、焦りのようなものが空気に含まれて居て、心臓の鼓動を無闇やたらと早めているような気持ちになる。

 

焦る気持ちと共にチカの帚は進むと、目の前には大木がフィルターのように育英にも重なっていた。

 

その巨木のフィルターから絞り出されたように川が流れている。遂に川の源流まで来た、つまり此処から先が「竜の巣」だ。

 

(なんだろう?頭がチリチリする)

 

緊張で神経が高ぶるのを感じながら、チカは覚悟を決めて巨木の群れに飛び込んだ。




「アリル、「竜の巣」を飛んだことがあるかい?」

 

突然背後から声を掛けられて、アリルは振り向く事すらできなかった。気が付いたら隣に声を掛けた人物は堂々とアリルの横に腰を降ろした。

二人とも学校運営委員会で顔を会わせることがあったので、初対面ではない。


 

「いえ、ファナ先輩」

 

隣に座る背の高い女性は、ローブを取って長い髪に手を通した。暗闇でもそのくせっけの髪がランプの光で輝いていた。

 

「先輩どうして此処へ?」

 

「誰かが今日「千の泉」に挑戦しに行ったって聞いたけど、あんたじゃ無かったのか」

 

「私にはそんな勇気ありません」

 

「そう、やる気がないだけでしょう。それって何時でも出来るっていう余裕かな?」

 

「そんな余裕なんてありません」

 

「マロリー家の次期頭首がそんな謙遜する必要ないだろうに。もう、立派に飛行術を習得しているんだろう?」

 

ファナの声にアリルは少し返答に詰まってしまった。ファナの言い方に嫌みはないが、マロリー家の名前を出されると、身構えてしまう癖があるからだ。

 

「誤解しないでおくれアリル。単純にあんたのセンスの良さを知っているから疑問に思ってるだけだからね」

 

長い睫毛を付けた黒い目がアリルを覗き込む。

 

「いえ、判っています先輩」

 

地中海の陽光をタップリと受けて育ったファナは何処か挑発的で、同姓から見ても危険に見えたものだ。しかし、だれもがその大らかで屈託の無い性格で同級生だけでなく後輩の面倒も良く誰もが慕う。アリルも入学当初から何かと気に掛け

 

てもらっていた。

 

「私には時間内に早く森を擦り抜けるレースに挑戦する度胸は無いんです。今日挑戦しているのは私のクラスメイト、チカ・ダルグリッシュです」

 

「へえ、あんたの友達だったんだあの子」

 

ご存じなんですか、とアリルは少し驚いた。

 

「うんまあね、帚に乗ってる奴はたいがい声を掛けてるようにしてるから」

 

「気になるんですか?」

 

「ああ、気になるね」

 

そう言うとファナは胸に付けた一枚の羽を指さす。

 

「私より早く「世界の夜明け」に遭遇する人間が出てくるかもと思ってさ」

 

ファナも一年の時に既に「千の泉」で「世界の夜明け」を体験済みだ。この魅力的な先輩を更に花を添えているのはその胸元に付けた大きなフクロウの羽だった。何時もはフクロウの羽を帚に括り付けて、颯爽と学校を抜け出す姿を見かける。

 

「先輩は確かもっと早く」

 

「いや、丁度入学してから一ヶ月半さ。何か噂には尾ヒレが付いて三週間だとか書いてあったりするけど、そんな分けないだろう?」

 

それでも一ヶ月半前まで帚で空を飛んだことのない人間が森を突き抜けるなんて、普通の人間が出来ることではない。

 

「それでも素晴らしい記録ですよね、だからみんなその羽を見て尊敬する」

 

アリルの目に移るフクロウの羽は白地に銀色の複雑な模様を描いていた。見る角度を変えるとその模様は様々な色合いに変化していった。誰もが目を止め見入ってしまう不思議な模様は貴重さを物語っている。

 

賢くて人の前に滅多に姿を現さない森の賢者「銀フクロウ」の羽だ。

 

「見せびらかす訳ではないけど、やっぱりこの羽は私の誇りだから」

 

ファナは手に持って手元のランプに羽を翳した。

 

「この羽を手に入れたい為にがんばった訳じゃないけど、やっぱり見ているとあの「世界の夜明け」を見た時の感動を思い出す」

 

横に座るこの物静かな人があの明朗闊達なファナ先輩とはアリルは一瞬混乱した。フクロウの羽を見ているファナはどこか郷愁を思い出した老人のようにも見えた。

 

「もう二度あの感動を味わえないのだろうけど、この羽が手元にある限り私は昨日の事のように思い出してしまう」

 

初めて見た「世界の夜明け」の事を思い出すと、ファナは急に少女の様に人懐こい笑顔を浮かべた。

 

「だから何時もの自分らしくない姿を他人に見られたくないから、私は帚にこれを括りつけているのさ」

 

キリッと顔をもとに戻して、再びアリルの方を向いた。

 

「その帚で「竜の巣」を飛び越えたという事ですか?」

 

「いや、一人で奉仕活動してる時くらい物思いに耽ってもいいだろう?」

 

目を細くして笑ファナの顔を見ながらアリルは同性でもドキッとしてしまった。改めてファナの人気の根源を知ったような気になった。

 

「まあ「竜の巣」を超えたっていうのは何か魔法使いとしての自信に繋がるけどね」

 

「「竜の巣」そんなに恐ろしい所なんですか?」

 

「外見は確かに巨木がなぎ倒されて、人を拒んでるように見えるけど。昼間や普通に歩く限り、私達の学校を取り込んでいるこの深い森と何ら変わらないさ」

 

軽く言った後、ファナは遠くにある「竜の巣」を睨みつける様に侮蔑の表情を浮かべた。

 

「ただ魔法を……魔術を行使するものには酷く拒否反応を起こす。特に夜は眠る竜の魂が活性化しているみたいだ」

 

「そんな!」

 

今まで腰を沈めていたアリルは急に立ち上がり、大きな声を上げた。

 

「竜の巣は「アンチ・マジック・フィールド」と言う事なんですか?」

 

「いや、それは厳密には間違い。実際学校もあそこが「アンチ・マジック・フィールド」と認定していない。実際昼間はなんともない空間だから」

 

たしかに「アンチ・マジック・フィールド」なら、地図にその種の記号が付け加えられているべきだ。しかし、どんな地図にも「危険で険しい地域」としか書いてない。

 

「ただ、あの森に強い意思で魔術を行使すると何かが囁いて来るのさ」

 

侮蔑の後は挑発的な笑みだった。

 

「個としての意識があるわけでなく、ただ争いに明け暮れた竜達の思念がノイズとして入り込んでくる」

 

「ドラゴン・ロアが生きている土地なんですか「竜の巣」は?」

 

「学校側でも結論は出てないが、たぶんそうだろうな」

 

竜が己の姿を変え世界に干渉し続けた技を竜言ドラゴンロアと言う。この星で行けないところをなくした人間にすら、その存在は現在をもってしても確認されていない。

 

ただ、竜という存在を世界に許すほどの強力な魔術である事は確かだ。

 

「なぜそんな所が野ざらしで放置されているんですあか?何かのソサエティーが管理していてもおかしくないのに・・・・・・」

 

そう言ってアリルは自分が所属している学校を思い出した。

 

「そうだ、「竜の巣」は学校が管理している「遺産」の一つさ」

 

「ではなぜ立ち入り禁止区域にしないのですか?」

 

「意味がない」

 

「ない?」

 

「「竜の巣」の「遺産」が働くのはその森を飛んですり抜けようとする者だけに働くからだ。不思議に上空で魔術を使っても何にも反応しないのさ。だから禁止区域にする必要がない、それどころか学校にとっては良い壁になる」

 

「壁?」

 

「そう壁、北から魔術を使い森を這って来る侵入者を確実に惑わすことが出来る」

 

「それだけの理由で内緒にしてあるんですか?」

 

アリルにはちょっと話が飛躍しすぎているように聞こえた。

 

「いや、多分違うね。あれは超えられない壁と同時に試練の壁でもあるのさ」

 

「試練ですか?」

 

「そう、複雑怪奇な森を限られた材料で走り抜けるにはそれなりの技量が求められる。その求められる技量とは多分この学校で学ぶ事とそんなに変わらないんだろうな」

 

アリルはそれでやっとこの学校の伝統事業になっている「帚乗り」について理解した。

 

「学校は暗に挑戦しろと言ってるって事ですか?」

 

「少なくとも作為的なものは感じるのさ、まあ学校に入って寄宿舎の生活に慣れないと鬱屈したものが溜まるしな。「帚乗り」はそういう物の解消にはなるし。学校もその辺の事があるから見逃しているんじゃないかな?」

 

「寄宿舎生活に慣れなかったんですか、ファナ先輩は」

 

「まあ慣れないというか、周りから浮いていたのは確かさ」

 

アリルには社交的なファナが寄宿舎生活に慣れなかったと言うのが不思議だった。

 

「なあアリル、あんたは自分だけが他人と違うと孤独に襲われた事は有る?」

 

不躾なファナの質問にアリルは少し戸惑った。

 

「いえ特に」

 

小さなアリルの声を聞いて、ファナは少し目を細めた。特殊な家に生まれたものなら一度は必ず抱く心境を、特にという言葉で誤魔化したアリルをファナは少しの尊敬と哀れみを感じた。

 

マロリー家というエウロパの魔法使いの一大宗家の唯一の跡継ぎとして生まれた者が、孤独を感じないはずが無い。早くからそういった感情に心を浸してきた彼女は、自然と孤独を隠していくことが出来る。そして、孤独を知ってるが故に他人に優しく出来る。

 

「あたしはね、この世界中から人が集まる学校でそう言った感情に引きずり込まれそうになった」

 

ファナが自分の弱みを見せたので、アリルは驚いた。この力強く凛々しさを寸分も失わない先輩にも弱さがあった事に、当たり前だが気づかされた。

 

「そんな時、何か目標があって知力と体力を極限まで単純に要求される「帚乗り」にはすごく救われた。ハマッタ人間はとにかく他の事が手に付かなくなるんだ。小さな帚に何処まで自分の命を預けられるかっていう、はたからみたら酷く危ない事も平気で出来るようになる」

 

今度は子供のようにファナは目を細めて屈託無く笑った。

 

「だから、どうにもあのチカって言う子が気になってね。それでたきつけたらアレだ。あたしがやってた事も無謀と呼ばれたけど、あの子のやってることは異常だね」

 

「ちょっと待ってください!」

 

アリルはやっとファナがこの場に訪れた理由を知った。そして、初めて先輩相手に感情を爆発させた。

 

「チカが「帚乗り」にハマッたきっかけはファナ先輩の仕業だったんですか?」

 

「ああ多分ね」

 

仕業とは随分悪巧みをしたみたいに聞こえるとファナは思った。しかし、鈍い後輩の動きを見てちょっかいを出したくなったのも事実だったのでそこは伏せておいた。

 

「先輩が吹き込んだお陰でチカは体中を傷をつけて、益々クラスから離れていっています」

 

「スピードは人の視界を狭くする」

 

チカの身なりがドンドンとボロボロになっていくのを見ながらファナはよくほくそ笑んだものだ。

 

「良いことさ、一旦極限まで視界を狭くして何かに没頭することは」

 

そうすれば逆に視界が広がった時にぼやけていたピントが合う時があることをファナは知っていた。

 

「それじゃチカの学校生活はますますつまらなくなってしまいます」

 

真面目なアリルはファナに食い下がった。

 

「言い切れるのかい?」

 

「私はもっとチカの事を知りたいし、私の事を知ってもらいたいです」

 

恥ずかしげも無くクラスメイトを気遣う理由に、ファナはアリルがチカに抱く感情に微妙な歪みを感じた。

 

「随分こだわるね?」

 

ファナは立ち上がってアリルと目線を合わせる。眼鏡のレンズ越しのアリルの目は大きく、光を失ってなかった。

 

「チカは遠い異国から来たんです、生活・文化全然違うこのエウロパの地に親の命令で来たくないこの学校に入ったんです」

 

「だから可哀そう、助けてあげる?」

 

「確かに私の傲慢かもしれません。チカにもそう言われました」

 

ファナの挑発にアリルは首を振った。

 

「それでも私はチカにチャレンジして欲しいんだと思います」

 

「チャレンジ?」

 

「この学校は来ようと思ってこれる場所じゃない、私の友人にも来たくても入学を拒否された人間はたくさん居ます」

 

幼年期から魔術の家計に育ち、脱落して言った親戚や友人を見てきたアリルにはそれは痛いほど見て来た現実だ。


「チカは幸か不幸かこの場所に入ることが出来た、選ばれた人間なんて傲慢な事は言いたくないんですけどチャンスには違いが無いと思います。だからせっかくのチャンスを放棄しないで、楽しいものに変えていって欲しいと思うんです」

 

アリルがチカにこだわるのはその点であった。豊かな才能に惹かれ、それをチカが放棄しようとする事が真面目な彼女には許せない。

 

「チカ本人にはそのチャレンジが苦痛だったとしても?」

 

「私にはチカ・ダルグリッシュがそんな痛みに負けるような弱い人間には見えません。だから・・・・・・」

 

ここまで喋ってアリルはファナに向かって自分の本音を暴露しているのが怖くなってきた。自分がやってる事が正しいかどうか不安に襲われた。ファナの目は火の如く、水のように普段冷静なアリルの心を煮え立たせた。

 

アリルはふと叔父に希に魔眼と呼ばれる目を持つ人間が居ると聞いたことがあった、ファナはその持ち主なのだろうかと考えると、やけに暗闇にファナの瞳が映えるのに気付いた。

 

アリルは頭の中で魔眼の影響力を防ぐための術式を必死に探し始めた。

 

「はは、私の心配は無駄だったね」

 

大笑いしながら何度もファナはアリルの肩を叩いた、思わずアリルは咳き込んでしまう。

 

「あっごめん」

 

咳き込むアリルを申し訳なさそうに見ながらファナはファナでこの小さな少女を見直していた。

 

(ただの育ちの良いだけのお嬢さんの筈がない気がしてたが、見た目以上に気が強いヤツだな)

 

まだ知り合ってからそんなに日が経っていないクラスメイトを、そこまで心から心配できることに感心していた。

 

「なんか自分を見てるみたいで少し気になって声を掛けてみたんだけどなあ。あんたみたいな確り者が近くに居るんだったらきっとあのチカって子は無事に帰ってくるし、これからも問題なくやっていけるな」

 

「ファナ先輩・・・・・・」

 

咄嗟にアリルは魔眼を防ぐスクリーンの術式実行指示を取りやめた。言葉を聴けば、この先輩が敵意を持って魔眼を使用してるわけではないと悟ったからだ。気を取り直してアリルはファナに視線を向ける。

 

「あっ、またやっちゃった」

 

ファナが一瞬考えた顔をから、頭を掻き毟りながら声を上げた。

 

「どうしてこう気付かないうちに使っちゃうんだろう・・・・・・」

 

「先輩?」

 

「アリル、あんたもしかして気付いていた」

 

「いえ、さっきやっと気付きました」

 

瞼を軽く抑えながら、ファナはアリルに謝った。

 

「別に悪気があってアンタの心を掻き乱した訳じゃないんだ、ゴメン、どうも天然の物で制御が効かなくて」

 

「それは分かりましたから、気になさらないで下さい」

 

今迄ファナが魔眼の持ち主だということを聞いたことは無かった、多分みな美しい外観から惑わされていると思っているのだろう。

 

「どうも私はね、才能があるヤツの前に立つと無意識にコイツを使ってしまうみたいなんだ」

 

頬の前に指を立てながらファナは反省をしながらつい一ヶ月程前の事を考えていた。

 

「チカと言いアンタといい、見てると疼くのよコイツがね」

 

その双眸に、再び火が入ったような気がアリルにはしたが不思議と恐れは感じなかった。正しい人間が持つマジックアイテムは恐れるものではないということをアリルは理解していたからだ。

 

「生まれてからずっとその目なんですか?」

 

「ああ、近くに住んでた魔法使いに封はして貰ってたんだけど。学校に入ってからは無意識に使ってしまうみたいで。それもきっとアンタ達みたいに面白いヤツがいっぱいいるからなんだろうけど」

 

その話を聞いてアリルは笑いながら思わずため息を付いてしまった。自分の事を棚に上げてよく言うと。

 

「いやあまあ、アンタが居れば大丈夫だと思うから。私眠んで帰るは」

 

照れ隠しなのか、ファナは帰る算段をした。

 

「先輩、チカは本当に大丈夫でしょうか?」

 

ファナが一瞬の間を置いてからアリルを指差す。

 

「さっき言ったよ、アンタが居るから大丈夫だと」

 

そう言うとコートのポケットに両腕を突っ込み。まるで男のように颯爽と校舎の方へと戻って行った。

 

ファナは歩きながら笑っていた、その笑顔をは異性から見れば酷く誘惑に駆られる笑みだった。

 

(アイツの才能をいち早く見抜いて見守る友人が居るのであれば、きっと竜の巣を超えることが出来るだろう)

 

自分には居なかったパートナーを早速持っているチカが、少しファナは羨ましかった。それを幸運と呼ぶのか才能と呼ぶかわ別にしても、面白事には違いなかった。

 

「何とかなるか」

 

事の騒動の発起人は呟きながら宿舎に帰っていった。

 

残されたアリルは少し安心した後、また訳の分からない不安に再び襲われた。ファナ先輩が何を本当はしたかったのかは分からないが、チカを心配してくれていることは確かだった。

 

アリルは再び森を見つめる、時間からしてチカはいよいよ「竜の巣」で戦っているころだろう。

 

再び腰を下ろし、目を瞑って今日の事を思い返していたら不思議とアリルも笑みがこぼれた。

 

コントロールできない魔眼の持ち主と、異国から来た頑固者が始めたレースに付き合ってる自分も変わり者だということが解って面白かった。

 


 

幾重にも重なり、その上をコケや小さな木々に覆われた巨木の群れがチカの目に入ってくる。太い幹をどうすればこんなに根元から折ることが出来るのかと思うほど、ザックリと割れた木が横たわる姿を見てはこの森の名を思い出す。

 

横たわる円柱の巨木が竜の太い首を、幹が裂かれた部分は、ささくれが鋭い歯を連想させ、竜にの大きな口を連想させる。初めて入った森は正に故郷の森とは異質で、人を完全に阻む深い森であった。

 

チカは歴史の授業を思い出した。

 

「黒い森」は人外の地。

 

巨木と起伏にとんだ地形は人を欺き、二度と元の世界には戻れない。

 

「黒い森」は妖精達の世界。

 

そこは我々以外の者たちが住む世界、当然我々の常識は通用しない。

 

その「黒い森」が国土の殆どを支配するのがこの「フェアリラント」だ。

 

中でも北部に位置するこの「竜の巣」と呼ばれる広大な森は、黒にいくら黒を足しても黒にしかならないはずだが、見慣れた「黒い森」をさらに深遠へと誘うかの如く光届かぬ暗黒の世界を作り出していた。

 

魔法使いが作り出す「ライトマジック」や、発電機や電池からなるライトを発明するまでの人間にはまさに光届かぬ暗黒の世界として語り継がれていた。

 

しかし、近年魔術と科学の発達によりその全貌が少しづつ見えてくると、人々は森の異様な生い立ちを知る事になった。

 

冒険家にして「魔法学校」の創設者である、ジム・マロリーがこの深い森で半年にも及ぶ現地調査と持ち帰ったサンプルから導き出した結果は世界中の魔法使いを驚かす物になった。

 

「この森は竜たちが争いあった事から生まれた土地だ」

 

ジム・マロリーの発表は様々な物議を呼んだが、数十年たった今では概ね彼の所説が認められている。その後の追跡調査で数々の竜の躯が発見・発掘され「魔法学校」にて研究されている。その研究結果から考察すると、相当激しい戦いが繰り広げられたのは間違いない様だ。この「竜の巣」と呼ばれる地域が異様に起伏に飛んでいるのは、竜が行使した力による物だというのが確認されている。

 

チカはこの森を抜けるアドバイスを一つだけ受けていた。

 

「竜の巣へ飛び込むときは最初で最後だと思いな。「世界の夜明け」を誰よりも速く見るコツは一発勝負に賭けることさ」

 

背の高いやけに美人な先輩からのアドバイスだった。その先輩のアドバイスに素直に従った事が自分も不思議でしょうがなかったが、そうさせるだけの説得力が先輩の言葉にはあるような気がした。

 

実際は魔眼の力で魅了されていた為なのだが、本人は知らない。しかし、それが後にチカの心を守ることになる。

 

(確かに複雑な地形だけど)

 

チカは突然現れたクレパスに帚を進め、幅数メートルの壁の間をすり抜ける。

 

(ここまで来れる人間が超えられないほどのものじゃない)

 

クレパスを抜け、森の木々をゴーグル越しに捕らえると、チカの魔術は一瞬にしてその通り抜けられる最短のルートを導き出した。

 

(クリティカル!)

 

空間上に有る一点を線で結んでいけばそこには道が見える。それを一瞬の内に把握して、そこへ帚を滑らせば道なき森の中を突き進むことが出来る。この時のチカは、緊張と興奮、慎重と大胆が絶妙なハーモニーを奏で、帚を操る事に集中していた。

 

森が深くなりそこに光が届かなくても、チカの心には不安は微塵もなかった。コートの裾が木々を霞めたとしても、衝突の恐怖に襲われることはなかった。

 

最短ルートを見つけ、減速後は直ぐにアシストを吹かして失った加速度を得る。その強弱の効いたライディング(乗り方)は正に天分の才能だった。

 

そして、この森にはそのチカの自身に溢れるライディングを見ている者たちが居た。世界を少しずつ変えていく魔法の力を感じて、その仕組みは音もなく動き始めていた。チカが静かな森で巻き起こした風は、古い傷に触れたのだ。

 

(凄い、トンネルみたいだ)

 

地面を抉り取って凹面に形成した道が突如現れた。チカはその底部のほうへ帚を進め、一瞬立ち止まった。まるで当然のように苔や木々が折り重なって道を作り上げているが。よく見れば木々は一方の方向へと例外なく傾斜していた。

 

(これが竜の戦いの傷?)

 

竜が吐くブレスは全ての物を焼き尽くし、破壊して消し去ったと言われている。チカの目の前にはその証拠である傷跡が横たわっていた。

 

ふとその力の巨大さに畏怖をすると、自然と帚のスピードが落ちた。ただ圧倒な力の持ち主たちの前に足がすくんだ。

 

その時、チカの目の前に光が見えた。最初は街の夜空に輝く一等星のように小さな光だった。

 

(何か来る?)

 

光が急速に大きくなり、全てを薙ぎ倒しながらチカに向かって突き進む。折れる木々、震える空気、全てを貪欲に呑みこみながら突き進む。

 

道を真っ直ぐに進む光の波を避けようと思っても、チカは体が動かなかった。全てが夢の様に唐突に現れ、ただ圧倒されてチカは光の渦に飲み込まれた。

 

目の前が白くなったあと、直ぐに視界はもとに戻った。そこにはつい数分前の光が呑みこむ前と同じ風景が広がっていた。

 

慌ててチカはゴーグルを取って、裸眼を大気に曝した。風が眼に当ると、それが現実だとわかる。

 

飲み込まれる瞬間まで目を見開いていたチカにはどうにも信じがたい内容だった。

 

(今、光に呑みこまれた筈なのに……)

 

確かに自分はとんでもない衝撃波に身を曝したはずだった。声を上げる隙すら与えない、強大な破壊の波に襲われた。

 

しかし、周りに木が焼ける匂いもしない。ただ目の前の映像だけが頭の中で指しかえられた。

 

(なんでそんな事が?)

 

自分で出した推論をあり得ないことと決め付けて、チカは今の現象を振り返った。

 

とりあえず出した結論はこの場からの撤退だった、溝から抜け出し木々の間を逃げるように飛ぶ。

 

しかし、目の前で起こった非常識な光景は確実にチカから冷静さを奪い取った。先ほどまでに完璧にこなしていた飛行は為りを潜め、木々に危なっかしく近づいていく。

 

荒くなる呼吸と共に、視界が狭まったような気がした。回避のタイミングを間違え巨木にチカは身体をぶつけそうになった。咄嗟に出た足で擦るように足裏を滑らせ、事無きを得る。

 

(落ち着け、落ち着け)

 

チカはそう言えば言うほど焦っていく自分がもどかしかった、先ほどまで頭の中に整然と配置されていたパラメータが一つ、また一つと自分の頭の中から消えていく。

 

必死で術式の再構築を試みるが、目の前の古い戦いの記録は益々鮮明になっていった。そして後方からは今まで聞いたことの無い程の音が

 

背中を叩いた。

 

体中の細胞を沸騰させるような咆哮と共にチカの頭上を二匹の竜が通過した、闇に溶け込むような黒い鱗に身を包まれた竜たちはゆっくりと大空を進軍した。

 

チカは思わずその雄大さに目を取られ、進むことをやめた。

 

骨と文献だけの存在が、今どういう理屈だか分からないが自分の目の前を飛んでいる。その事実にただ戸惑うだけだった。

 

いつの間にか少し開けた場所に出た。そこから望む森の遠景は薄っすらと赤く染まっていた。そして、急速にその赤みを濃くしていった。

 

風景に気を取られていると、自然と帚の高度が下がっていった。チカも体力と気力が急激に奪い取られているのを感じ、地面に降りることを決めた。

 

久しぶりに降りた地面に、土の感触を確かめる。その現実的な感触が、チカを少し安心させた。

 

ゴーグルを取って腕に引っ掛けて帚を杖のようにしてより抱った。その姿は何処か戦いつかれた兵士が剣に寄りかかっているように見えた。

 

顔を上げればまだあの二匹の竜が上空を旋回している。糸で繋がっているように互いの距離を一定に保ち、何かを探すように森の上を飛んでいた。

 

目を細めながら、何か森の中に探しているようなその姿を見ていると。急に像がぶれた。

 

そして、目の前には巨木よりも太く、空を支えるために作られたような柱が大地を突き破って乱立した。

 

一瞬の躊躇の後、衝撃波を含む閃光と共に火球が尾を引き空へと打ち上げられた。

 

それらの火球はまるで意思を持っているかのごとく、微妙にカーブの軌道を描き、黒い竜を目指して飛翔する。黒い竜に到達する直前にその火急は破裂し、一瞬夜を昼へと変えた。

 

「「竜の巣」ってそのままじゃない!」

 

初めて声を出して森へと叫ぶ。

 

大地から沸いて出た竜たちは小さなチカの存在に目もくれず、ただ空へと大きな口を裂けてしまうと思うくらいに広げ、空を威嚇する。

 

一瞬の爆発に照らされた黒い竜を見たチカは、その目が怒りに満ち、その怒気が自分にも向けられていると感じた。

 

黒い竜は大きな翼を広げ、反撃の咆哮を上げた。光の筋が二線森へと放たれる。捲れ上がる土と木々には目もくれず、白い竜達も火球を次々と打ち上げる。

 

急激にエスカレーションした戦いに、チカはただ見とれるだけだった。圧倒的な破壊の光景に、自分の心が空っぽになっていくような気持ちだけが大きくなる。

 

この現象が果たして今起こっている現実の風景なのかどうかと言うことはもうどうでもよくなった。

 

まるで誰かが投げた雪球から雪合戦が起こったように、それはとうとつにチカの目の前で始まり、そして何を持って終わりと決められて無い戦いは終わりの様子が見えなかった。

 

閃光が竜の体を突き破り、火球が竜の翼を燃やした。

 

生き残った黒い竜がその巨体を弾丸のように丸め、地上に滑空、いや落下して槌のように巨体を白い竜へと振り下ろした。絶命の咆哮と同時に白い竜は巨体を真ん中から折られて潰れた。潰された竜の翼や骨が黒い竜を包んでいるようにも見えた。

 

(これは幻だ)

 

必死でチカは幻であることを自分に言い聞かせた。出なければ竜たちにとって取るに足ら無い存在の自分などは、あっという間に消し飛んでいる筈だからだ。

 

目の前の戦いは、まさに森を一つ消し飛す勢いで進行している。

 

生き残った黒い竜と白い竜が対峙する。お互いの咆哮が森を大地を震えあがらせる。赤々と燈る火が、森や大地の恐怖を現しているようだった。

 

竜の前に自然すらも無力感に襲われる、ましてや人など姑息な生き物にしかすぎない。

 

白い竜が首を水平に構えて火球を放つ、それを恐れずに黒い竜は翼をマントの様に翻し直進する。火球を突き抜け白い竜に肉薄すると、その屈強な前脚を白い竜の首筋に打ちこんだ。

 

杭よりも太い爪が打ちこまれた個所からは鮮血が吹き荒れ、白い竜をたちまちに赤く染めた。返り血を浴びた黒い竜もまた不気味に光沢をまとった。

 

白い竜は苦痛を訴えるよりも早く、その牙を黒い竜に打ちこむとまた鮮血が宙を舞った。

 

二体の竜が己の全てを賭して戦う姿にチカはどうしようもなく見守っていた。

 

その時、お互いの竜が大きな口を開け、近距離でブレスを打ち合った。光と熱が空中でぶつかり合うと、それらが放射状に四散し、衝撃は周囲の全てをなぎ倒しチカにも襲いかかった。

 

幻だと呆けるように魅了されていたチカに、熱い空気が頬を舐めた。チカは地面から突然空へと引っ張られ、木々の中に放り込まれた。

 

(そんな……)

 

吹き飛ばされたダメージよりも、さっきまで幻だと思っていたものが突然本物となって襲ってきた衝撃にチカは初めて冷静さを失った。

 

地面の振動がいよいよ絶えられなくなり、チカは慌てて帚に跨った。全てが揺れているような感覚がチカを襲い、何処へ帚を進めればよいかはもう分らなかった。

 

唯一、この世界で不動の存在を示している竜たちはその激しい動きを止めて機会を伺っていた。

 

その姿から、エスカレーションした闘いが最後の局面を迎えていることがチカにも分った。

 

水面の波紋の様に、お互いの前面に様々な光の輪が生まれ、それらが集まって大きな輪を作り上げていった。今までとは比べ物にならないほどその輪は大きく広がり、そして光の一点へと収束していった。

 

本能で最後のカタストロフィーが始まる事に気付いたチカは、必死に帚を走らせた。しかし、アシストを点火しようとしても、焦ったチカには正確に魔術をコントロールできなかった。

 

最後に竜の方へと振り向いたとき、火と光が織り成す巨大な柱が見えた。その後すぐに衝撃波が全てを呑み込む征服者の軍団の様に方々で破壊を繰り広げた。

 

その光の波に自分がさらわれるのを感じて、チカの意識は急速にその白い世界へと溶けていった。

 


 

「すごいわこの映像」

 

「竜の巣」と呼ばれる森の上空で、帚に乗った一人の少女は腕を組みながら関心をしていた。

 

帚の先に梟の羽を付け、分厚いコートを纏った少女は意味深く唇を歪めた。

 

「グランドクロスとシンクロ出来る子が居るなんて・・・・・・さすがはダルグリッシュの血ね」

 

彼女の名はアネット・デ・サンクティエンス、高等研究院に所属する「魔女」。

 

幼い顔立ちに反して、チカやアリルよりもずっと年上だ。面識が無いが、「友達」のファナが今日竜の森に到達する人間が居ると聞いて掛けつけていたのだ。

 

「ふふ、今日の対空警戒がやけに厳しいと思ったらこんなビックイベントが有るからなのね」

 

その厳しい警戒網をあっさり見破って空に浮かぶアネットは、直ぐにあの鉄面皮のサリバンを思い出した。あの人ならダルグリッシュ家の事を知っているのだろう。他のものにこの竜の記憶を盗み見みさせない為に。

 

「けど、こんな歴史的な記録を学校だけで独り占めするなんて勿体無いわ」

 

アネットもまた謎のままの竜の生態を研究する魔女だった。その為に彼女は危険を犯してまで、この「竜の巣」の上空に漂っていた。

 

「ファナはその魔眼で簡単に竜の記憶を見破ったけど、あの子には強烈なトリガーが合ったって訳ね」

 

大抵の物は竜が生きている映像を見ただけで、逃げ出してしまうか、強烈な「死」の記憶に打ちのめされ、学校に敗残兵のように帰って行く。「竜の巣」を無事に抜けられるのはその強い意思を持った者だけなのだ。

 

「さてさて、あの子はここから復活できるのかしら?」

 

お母さんが絵本を意地悪に閉じるような声をだした。しかし、アネットはその結果には興味が無いのか高度を上げてその場を静かに立ち去った。




(あれ、ここは何処だろう?)

 

目の前に広がる深い森を見ながら少女は自問自答する。

 

(アリル?)

 

森の手前で静かに腰を降ろしている少女を見て、思わず声に出だ。

 

まだ、待っていたんだ。真っ暗になった森で少女は森を見つめていた。

 

(待っていてもしょうがないって行ったのに……)

 

時間的な感覚がわからないが、たぶん彼女は長いことあそこで待っている。自分が出ていった時と同じ格好でずっと待ってくれている。

 

その事に感動も怒りも無かくチカはその事実を受け止めていた。なぜあの子はそこまで心配できるのかが分らなかった。

 

どうする訳でもなく、ただ空に漂っているような感覚と共にアリルを見ていると、彼女は立ちあがり振り向きもせず校舎の方へと走っていった。

 

(まってアリル!)

 

頭では叫んでいるのに、口は反応せずただ髪を揺らして走る少女を見送った。

 

その時チカは久しぶりに寂しいと言う感覚を素直に受け入れた。




最初に飛び込んできたのは星空だった。呆れるくらい、無秩序に散らかった光る星干が無防備な目に飛び込んできた。

 

チカは大の字で寝ていた体の上体を寝起きの様に起こし、周囲を見渡した。

 

「あっ」

 

声と同時に目の前にそびえたつ巨岩に目を奪われた。

 

「竜だ」

 

大きな岩にしか見えないが、良く見ると岩の壁面に大きな骨らしいものが見える。苔などの様々な植物が表面を覆っているが、二匹の巨大な生き物が互いに向き合っているのがわかった。

 

チカはそれがさっきまで自分が見ていた映像の帰結だと言う事を直感で理解した。圧倒される大きさとと言い、多分あの最後まで全てを投げ打って戦っていた白と黒の竜だ。

 

チカの目には何だかその竜が薄っすらと光っているように見えた。暗闇に己の存在を示すように。

 

どうやって自分がここに来たのか思い出せない。

 

けどチカは、多分この竜達に呼ばれたような気がした。いや、この「竜の巣」に入ってから様々な「問い」が満ちているような気がしていた。

 

頭に直接響くその声は威厳に満ちた声だった。自分の全てを見透かされているような、正直にならなければいけない気持ちにさせる高みからの声。

 

チカはただ岩を見上げていた。

 

先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた竜達が、自分の前で静かに眠っていることにただ見とれていた。

 

その時、風が少し頬を撫でるとチカははっとして自分の足元を探した。

 

直ぐ脇に帚が見つかり、それを持ち上げると今度は頭上のゴーグルを掛け直した。

 

帚を跨ぎ、飛行術式を一つ一つずつ丁寧に開いていった。

 

帚に身体の体重が乗っかるのを感じ、アリルは満足そうに微笑んだ。

 

(やっぱりアリルの作った構造式は丈夫だ)

 

どう転んだか分らないが、コートは泥で酷く汚れていた。物凄く高いところから落ちたようだが身体には痛みは無く、傷は無さそうだった。軽く帚を左右に振って、付いている葉を落とす。

 

なぜだか知らないが身体から突然恐怖が消え去ったのをチカは感じていた。目の前に居る竜に脅え、逃げ回った記憶が蘇っても怖くは無かった。ただ、やるべき事を思い出させる。

 

(そうだ、私は「千の泉」を目指す)

 

なぜ?

 

岩が問いを発しているような気がした。

 

「分らないからとりあえずやれる事をやりたい、寂しい気持ちはもう沢山だから」

 

岩に向かって問いかけるなんて普段の自分なら絶対恥ずかしくてやらないだろうと思いながらも、チカは真剣に言葉を発した。

 

岩はそれ以上何も語りかけてはこなかった。

 

その時チカはファナ先輩の言葉を再び思い出す。

 

「竜の巣へ飛び込むときは最初で最後だと思いな。「世界の夜明け」を誰よりも速く見るコツは一発勝負に賭けることさ」

 

随分とぶっきらぼうだが、必要最低限のアドバイスだった訳かとチカは理解した。「竜の巣」がこんな場所と説明されても、この不思議な過去との邂逅を理解出来る訳がない。「竜の巣」を帚に乗って擦り抜けるのに必要なのは、まさに一発勝負の緊張感の中で発揮されるセンスだ。

 

もう少し具体的な事を行ってくれた方が良いのにとチカは思った。

 

しかし、それは仕方の無いことだった。魔眼を持つファナにはこの地で人が見る映像が竜達の記憶の残滓だと言う事を簡単に見破ったからだ。ファナにとって見れば、この森も普通より少し険しい程度の森でしかない。

 

多くの挑戦者がこの竜の記憶に呑みこまれ「千の泉」を諦める。この森に入り込んだ記憶すら奪われるものが後を立たない。ただ、「竜の巣」はこの森に「挑戦」してくるものを呑み込む。この森に焼き付けらた竜の力が闘いの記憶を術者に対して直接送りつける。

 

木々が焼ける臭い、大地が赤く染まる。肉が焼ける臭い、燃えさかる炎の破裂音。それら森の記憶が術者の魔法に過敏に反応して、人が生まれていない古の時代へ飛ばされた様な体験をさせる。

 

再び帚で走り始めたチカに、再び闘いの映像が送り込まれる。静かな暗い森と、赤く燃えさかる森の様子が交互にチカの目の前に表れ、チカの憔悴した体に混乱と疲労をもたらす。理性で解っている幻と、体で感じる現実が起こす摩擦にチカは何度も冷静さを失いそうになった。

 

(それでも私はこの森を越えなければ行けないんだ)

 

チカが力を込めて握りしめる帚の感触だけが、変わらず自分を支えている様な気がした。そうだ、今信じられるのはこの森を越えるために作り上げた自分の帚だけだと決意を心に刻んだ。

 

ただ周りより自分が優れている事を示したために今、恐ろしい光景の中を帚で飛んでいく。目の前の木が幻であるかも曖昧なこの危険な森を、自分の意思で飛んでいる。

 

(今此処で魔術を停止して、歩いて帰ればそれで全て終わる)

 

最初から出ている簡単な結論に背を向けて、チカは必死に幻影の森を駆け抜けた。チカ自身もその困難に自ら飛び込む事にどれくらいの意味があるのか、「帚乗り」をしている最中によくそんな疑問を抱えた。しかし、誰よりも早くゴールを目指す事が自分自身との闘いだと言うことに、チカはこの「竜の巣」の中で気が付き始めていた。

 

このエウロパに地に行きなり連れてこられ、森の中の学校にたたき込まれた時、何時かはこの環境から抜け出そうとばかり考えていた。何かの切っ掛けさえ有れば何時かはあの何も不自由のない故郷に帰れると心の何処かで思っていた。

 

(けど、それは違うんだ)

 

チカにはさっき見たアリルの姿が頭に浮かんだ。自分を待ち疲れ、去っていってしまったアリルの事を思い出した。あんなに一生懸命手を差し伸べて貰っておいて、暗い森の中を待っていてくれたこの森で最初に心からの言葉を交わしたアリルに見捨てられたと思った。

 

(結局寂しかっただけなんだ私は)

 

二匹の竜の前で声に出した感情は、この学校に来て初めて表に出したチカの弱さだった。

 

(泣いてる)

 

ぼやける視界が目にたまった涙を知らせてくれた。ゴーグルをずらして指先で拭うと、不意にバランスが崩れチカと帚は地面にぶつかりそうになった。

 

慌てて両腕で帚を支え高さを維持して前方を見据える。涙と一緒に目の前の森は静かな姿を取り戻したかのように見えたが、すぐにまた闘いの残滓が現れ始めた。少し疲れを感じ、帚を空中で停止させる。目の前には小高い山が連なっていた。

 

自分が見ている地図が正しければ、「竜の巣」の最後の砦だ、あの山を通れば「千の泉」が目の前に表れる。そこまでの最後の行程を想像すると、チカは何か力を吸い取られた様な気がしてきた。数時間も帚に乗って飛行を続け、体力とマナは既に空っぽになって居るのを感じた。コートの内ポケットに入れて置いた懐中時計を取り出すと、夜明けまでは一時間を切っていた。

 

(後少しだから)

 

チカは自分にそう言い聞かせて、最後の行程を往くことにした。

 

(今此処で「帚乗り」を止めたら今日手伝ってくれたアリルの苦労も無駄にするんだ)

 

諦めて誰かに助けてもらうのではなく、チカは自分で闘う事を決めた。

 

(泣いてる場合じゃない。ここで涙を流したって誰が見てる訳じゃない)

 

この森では自分は一人だ、古の闘いの記憶の中にタダ一人放り込まれ、自分の意思が試される。この森を誰よりも早く抜けたいのなら、その意思を困難の中に貫き通せと。その意思を実行する術が魔法であると言うことを、チカは感じていた。アリルの事も言葉に出来ないが、今は感謝の言葉をのべたかった。暗い森の中でアリルを一人にさせたことをチカは自戒した。

 

気が付くと空には無数の竜が舞っていた、皆一途に山の向こうへと進んでいった。その方向にはチカも目指す「千の泉」が在った。

 

竜の様に大空を飛翔することの出来ないチカはそれを見送る。自分がこの険しい山を越える為には、帚に頼ることしかないことを改めて確認した。ゴーグルを付け直し、チカは再びスタート地点に立った気分になった。

 

チカは帚の柄を強く握ると、あんなにも感じていた疲労が少し和らいだ様な気がした。気のせいかも知れないが、さっきから帚が頼もしいパートナーである気がしてきた。

 

空飛ぶ竜達に引かれるように、チカはスピードを上げ再び動き始めた。

 

森は千の泉に近づけば近づくほど、その大地に亀裂を作り、巨木は障害となってチカの前に立ち塞がった。時間が刻一刻と減っていく中、チカは最短のルートをその場で選択し、障害物の間を擦り抜け始めた。木々の間にある小さなトンネルへ果敢に帚の矛先を向ける。その平均速度は徐々にでは在るが、確実に速さを増していた。

 

その時、スピードを上げたチカの前に、急に表れた壁のような大岩が行く手を塞いだ。チカは一瞬で空気流制御の魔法を書き換え、大きな抵抗を作り上げてフルブレーキングを掛けた。魚を引っ掻けた竿の様に帚は弓のように反り返った。一瞬動いていた視界が停止する。停止した瞬間チカは周囲の空気を集め、最大出力でアシストを点火した。

 

壁に弾かれたように進路を変え、また別の岩の前でチカは同じ様なことを繰り返した。加速と停止をまるでスイッチのような潔さで切り替えて行く。

 

「あらら、間に合わないと思ったけど。これはもしかして間に合っちゃう?」

 

竜の巣上空をのんびり帰ろうとしたアネットの頭に、凄まじい動きをする物体の連絡が届いた。来てみれば期待の子が、無茶な乗り方で森を蹂躙していた。

 

「あんな乗り方したら、あっと言う間に帚が折れてしまうのに」

 

チカが通るラインがどんどん直線に近づいていくのを空から見ながら、アネットはそのチカの荒々しい走りを惚れ惚れと見ていた。

 

「すごいわあの子、まるで帚が折れることを考えていない。余程自信が在るのねフレームの設計に」

 

望遠映像を頭に呼び出し、アネットは鞭のように撓む帚を見ながらニタニタと笑った。だがアネットは知らなかった、チカが信頼しているのは帚ではなく、それを設計した人物だということを。

 

アネットから見て実にチカのアクセリングとブレーキングはリズミカルで面白い。メリハリの効いた独特のテンポで、体を縦横に回転させながらも重心を射抜き、真っ直ぐに「千の泉」を目指して帚を進める。

 

険しい「竜の巣」のコースも今のチカにはあまり関係が無かった、ただ挑戦することが楽しくて仕方が無いという感じで一つ一つの障害物を果敢に挑戦し、その勝負に勝っていった。

 

成る程そうかとアネットは納得した。あの子は、ダルグリッシュは竜と合ってそれに怯えず、挑戦することを選んだのだ。それがとても難儀な事だということを、アネットは知っていたので肩を竦めた。

 

「成る程、その血だけがトリガーでは無かったのね」

 

アネットは自分の頭に記憶した映像の数々を思い出しながら苦笑した。

 

「こんなに騒がしく走り抜けられたら、きっと静かに眠る竜も起き出すわね」

 

自分で声に出しながら、実に情緒的なことを言っているのを感じて、アネットは遠くに見える数々の湖面を見た。

 

「さて、「世界の夜明け」は彼女にどう影響をあたえるのかな?」

 

面白そうだったが流石に監視網の目を騙す術を全力で使いながらの飛行はそろそろ時間切れだった。頭上を飛ぶ魔女は再び帚を翻してその場を去った。

 

そしてアネットの言葉通りにチカは森を抜けた。それと同時に、「竜の巣」はまたいつもの姿を取り戻した。次の挑戦者が現れるその日までの休眠に付いた。

 


 


 

■ラストラン


急に変わった空気の匂いに、チカは呟いた。

 

「湖だ」

 

何時の間にか湖の上空を飛んでいた、その湖面に自分の姿が徐々に大きくなるのを見付けて慌てて帚を水平に戻した。

 

まるで布切れが枝に絡まるように身体をだらしなく帚に横たえながら、盆地になっている泉の上でチカはギリギリまで高度を上げ周囲を見渡した。そこは先ほどまでの世界とは違う、開けた世界が文字通りに視界に広がっていた。

 

大きな湖の間に沼と言っていいような小さな湖が数え区切れないほどあり、その間にポツン、ポツンと木が生えている小島が有る。無数の水溜りが所狭しと散りばめられていた。

 

(着いたの千の泉に……)

 

チカは「千の泉」の由来を思い出した。真面目な誰かが一生懸命泉の数を数えていたが、時刻と気象条件によって泉は隣とくっ付いたり増えたりするのでついにサジを投げた。そしてめんどくさくなって「千は有るだろう」で「千の泉」と名前をこの地に付けた。

 

この話しを聞いてチカは馬鹿馬鹿しいいと思ったが、今自分の前に有る星を身に纏った湖面を見ていると改めて馬鹿な話だと思った。

 

これの数を数えてどうするつもりだったんだろう?

 

疲れ切った身体でチカは頭の悪い誰かの事を考えた。

 

不自然なくらい湖の上空は静かで、自分以外の生き物の存在を感じなかった。探そうと思っても、もうそんなに時間が無い。夜明けは刻々と迫っていた。

 

「世界の夜明け」

 

そう名づけられた朝日を見たものだけが、銀フクロウの羽を持ってかえることが出来る。

 

その為の「帚乗り」だった筈だが、チカはどうでもいいような気がしていた。

 

疲れ切った身体にこの静寂は有りがたかった。なにか今だったら小さな事は全て許せてしまうような気がした。

 

目の前に広がる世界の広さに圧倒され、チカは心地良い疲労感を味わっていた。そんな時、チカに「世界の夜明け」が訪れた。

 

最初はとても唐突だった。風が止み世界が沈黙すると、湖の湖面が平面を保ち鏡の様に像を写し始めた。数え切れない程の湖面が鏡の様に、眩い光を放つホシボシを映し出す。

 

空も地面も輝く星に征服され、木が生えている島は海に漂う魚のように星空に浮かんでいる。

 

日が昇りきる前の少ない時間、そこは星の間を漂う空間へと変わる。

 

チカは見渡す限りの星達に圧倒されていた。上を走る天の川が下にも映っている。感覚としてどちらが本物か自信が無くなった。上下感覚を奪われ、空気すらまるで薄くなったようだった。まるで水に漂うような、いや重力から解き離れたような心地にチカは興奮よりも安堵を覚えた。このままずっとここに浮かんでいたい、何からも自由な自分だけの空間。

 

ふとチカは手を伸ばした。星を掴めると思ったからだ。自分でも子供っぽいと思ったが

 

ここにいると届きそうな気がしたからだが、もちろん掴めるわけが無い。チカは自分の行動を笑いながら帚に倒れこむようにして空を漂った。

 

そう、手が届くような眩い星達も触れることの出来ない遠い所にあるものなのだ。そして、星達からも自分に手は届かない。ただ存在を知らしめる光を送るだけ。

 

こんなに沢山の星に囲まれても人は孤独で、それをどうすることも出来ない。

 

必死に林を駆け抜け、辿り着いた場所は無限の広がりを持って挑戦者を向い入れていた。

 

もちろんチカはその感動を言葉では思いつかなかった。ただ一瞬、この世界の本当の姿を見ただけだ。隔たりは無いが無限にも近い距離に漂う自分を感じていた。

 

(確かにこれは人には感想残せないや)

 

「世界の夜明け」を見た人間が、言葉少なく「凄い」としか言えないのが良く分かった。

 

これが後世の人間ならば宇宙空間に漂う気分だと表現できただろう。しかし、それにはまだもう少し時間が必要だ。

 

そもそもこの泉はこの星にあるものだけで作られたわけではない。昔、星の軌跡すらも動かしたと言うドラゴンロアの力により、呼び込まれた無数の隕石の落下によるものだ。

 

その落ちてきた物の宇宙空間を渡っていた時の記憶が、「世界の夜明け」と呼ばれる現象を引き起こしているのか、それもまだまだ解明されない謎だ。

 

今は亡き竜たちの戦いの傷跡が深く残るこの地にはこのような奇跡が起きる。だが体感するものにはその奇跡の源が何であるかは関係無い。チカもただ浮いているだけなのに、なぜこんなに気持ち良いのかは考えなかった。

 

そして、「世界の夜明け」が地平線上に現れた。

 

眩い光が世界を包み元の姿へと変えて行く。

 

色がこの世界を形作っていくと、急に空気も匂いを風に乗せて運んできた。

 

付けていたゴーグルを外し、目が外気に触れると自然に涙がこぼれた。ゴミが入ったからか、気持ちが昂ぶったかはチカにも分らなかった。ただ、時間にしてたった数分の体験の喜びと終わってしまった寂しさは良く分かった。

 

袖で顔を拭った後、帚の先に一匹のフクロウが留まっていた。最初っからここにいるように、微動だにせず。その大きな瞳でチカを見つめる。その身体は朝日の光に様々な模様を描き輝いていた。図鑑で見た姿よりもその気高さは際立っていた。古い時代からの知恵の象徴であるフクロウが、チカを値踏みしているようだった。

 

(羽根……)

 

チカは咄嗟に手を伸ばした。銀フクロウは脅えるわけでもなくその手を見つめた。

 

まったく動かない銀フクロウを見て、これなら羽根の一枚二枚は取れそうだった。

 

もう少し伸ばせばその銀色に輝く翼に触れるところまでチカは手を伸ばした。そして、その手を引っ込め手のひらを見つめる。強く帚を握っていた手袋はボロボロになっていた。

 

(私に貰う資格があるかな?)

 

このフクロウと会うまでの一日を思い出すと、銀フクロウには手を触れることが出来なかった。昨日まであんなにも欲していたのに、目の前のフクロウに触るのは躊躇った。

 

チカの躊躇いを見届けると、フクロウは現れた時と同じように静かに姿を消した。湖面を低く滑空し、何処かへ飛んでいくフクロウをチカは最後まで見送った。

 

(帰ろう)

 

再びゴーグルを掛けなおし、手袋を良く手になじませた。ナビゲード・スペルを再チェックし、帰りの行程を導き出した。

 

最大推力で吹かしたアシストは、大きなバックファイヤーを起こして静かな湖面に波を起こした。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにチカは突き進んだ。当初の目的を達しないまま、チカは帰路についた。その事に当の本人は何の不満も無かった。

 


 

チカの帰路は順調に進んだ。帰りの「竜の巣」は全く別の顔でチカを向えた。昔の記憶を掘り起こすことも無かった。拍子抜けするほど簡単に「竜の巣」を通り抜け、他の森も木々の間をゆっくりとすり抜けた。

 

緊張感から開放され達成感に包まれた後、訪れたのは脱力感だった。

 

気が付くと転地逆さまにひっくり返り、ぶら下がるように飛んでいた。慌てて体制を立て直しても、再びぶら下がってしまう。なんとか帚に絡み付けてい足もやがて力が入らなくなり、時間と共に瞼が重くなってくる。

 

やがて、身体中のマナが尽きるのを感じて終に足を地面につけた。木の根元に横たわると、疲れがさらに身体中に溢れたような気がした。かといって野宿する気も無かったので、ひたすら学校へ向って歩いた。

 

帚を担ぎながら大木連なる森を歩く自分の姿を思うと、可笑しくて仕方が無かった。半分以上やけになって歩いていると、遂に最初に森に飛びこんだ場所に付いた。

 

(良く帰ってきたなあ私)

 

自分で驚きながら、遂にその場にへたり込んだ。もう少しでベットの距離まで来たが、もう一歩も動きたくなかった。

 

「お帰りなさい」

 

その声に驚いてチカが顔を上げると、アリルの手が伸びていた。

 

「アリル…」

 

「遅かったから凄く心配したのよ」

 

チカは手を伸ばし、アリルの手を握った。手袋越しでも分る手の冷たさに驚きながらも、久しぶりの感覚に安心もした。

 

アリルは抱き起こしたチカの身体を引き寄せ、抱擁で安全を祝った。

 

アリルにしては珍しく子供っぽいと思った。彼女の細い身体にこれ以上より掛かるのも悪いと思い手を離す。

 

「私が出てからずっと待ってたの?」

 

「竜の巣」で見た事を思い出しながらチカは聞いた。その問いにアリルは首を振って答えた。

 

「一度コレを取りに戻ったわ」

 

そういって脇に抱え込んでいた保温瓶を出す。

 

「何ソレ?」

 

「暖かいお茶。疲れてるだろうと思ったから、何か暖かいものをと思って」

 

そう言うとアリルは手際よくカップにお茶を注いだ。白に薄く茶色を混ぜた液体からは湯気が立ち昇る。差し出されたカップを呆気に取られながら受け取り、チカは口を付けた。

 

「甘い」

 

タップリのミルクと砂糖が入った紅茶は寝不足の体に深く染み込んだ。

 

「あっごめんなさい、チカは何も入れないほうがよかったのよね」

 

何時かの話しを思い出してアリルは不手際を詫びた。

 

「いや、今日はこの方が好い」

 

嬉しそうにミルクティーを飲むチカを見ながら、アリルはチカに微妙な変化に気付いた。

 

「「千の泉」まで辿り着いたの?」

 

アリルは今まで意識的に聞かなかった話題に触れた。

 

「うん何とか」

 

チカは即答したが、アリルから見て、証拠である銀フクロウの羽根は何処にも見当たらなかった。

 

「凄いわチカ、一番最初に千の泉に辿り着いた一年生は貴方よ」

 

それでもアリルは大喜びだったが、チカは何処か人事の様にカップを覗き込む。

 

「どうしたの?」

 

「私はズルをした」

 

まるでカップに語るように、中の液体を回すように揺らしてチカは寂しげに語った。

 

「一つは先輩に竜の巣への挑戦の仕方を教わったの、あのファナとか言う名前の背の高い先輩に」

 

「何を教えてもらってたの?」

 

「竜の巣へ飛び込むときは最初で最後だと思えってね。あのアドバイスが無かったら中途半端な気持ちで飛びこんで、竜の記憶の餌食になる所だった」

 

チカが語る竜の巣での出来事、竜の記憶を垣間見るという言葉にアリルは少しも疑わなかった。ファナとの話しでその存在は知っていたからだが、チカの話しからもその現象の奇妙さは伝わってきた。

 

「冷静になって考えればアレは竜の記憶と言うより、あの森の記憶だったのかな」

 

「森の記憶?」

 

「うん、この世を壊すつもりで戦った竜たちの戦いが目の前で展開されるの。その戦いの傷跡が、自分達が森を抜けるコースとして今に残ってるの。そこを魔法を使って駆け抜けていると何時の間にか自分の心の中にその傷の記憶が身体に染み込んでくるのかな」

 

アリルにはチカの推論は正しいと思った。遠い昔に滅んだ竜の魔法は現代にまで影響を及ぼしていると言う話はよく聞く。

 

「レコードの針の様に記憶の上をなぞって、竜が生きていた時代の記憶を追体験したの?」

 

「うん、そうみたい」

 

「簡単に言うけどチカ、凄い話じゃない」

 

「凄すぎてね、古代史研究家なんかは是非見たかったんだろうけど」

 

夜が明けてもチカは猛々しい竜の姿は忘れられなかった。

 

「私はもう引き帰す気持ちなんかこれっぽっちも無かった、だって絶対銀フクロウの羽根を付けて帰ってくるつもりだったから。今日で最後にしたかった」

 

今考えると何が最後にしたかったかわからないが、多分回りに認めてもらいたかったのだろう。自分が強い人間であると、周りの人間とは違うと。

 

「たぶん殆どの人はあの「竜の巣」での体験で気味悪がって二度と兆戦しないんじゃないかな」

 

「「竜の巣」を超えるのは強い意思だけね」

 

「なにそれ」

 

「ファナ先輩の言葉よ。チカの事を心配してここまで来てくださったのよ」

 

「先輩が?」

 

フーンと言いながら、風でボサボサになった髪にをかきあげる。

 

「結局あの先輩に上手く乗せられたんだろうね」

 

「そうね」

 

今度は二人でクスクス笑った。

 

「もう一つはチカ?」

 

アリルの何気ない質問に、チカは真剣な面持ちに変えた。

 

まるで罪を告白するような目に、アリルも少し身を引いた。

 

「もう一つは……アリルに手伝ってもらったこの帚」

 

右手に持つ帚を誇らしくチカは語った。

 

「このアリルに作ってもらった帚があったから「竜の巣」を潜り抜けることが出来た。「世界の夜明け」っていう、今まで見た中で一番素敵な場所に辿り着けた」

 

「そんな事ないわ、全て貴方の意思の力」

 

「違う。私のはただのワガママだよ。それは意思なんてカッコイイ物じゃない。アリル、貴方が私のワガママを真剣に聞いてくれて、そして一晩中心配してくれたことを私はやっと分かった」

 

チカは言葉を選んでも、目はアリルを直視できなかった。アリルはその話しを静かに聞く。

 

「それがどんなに難しいことか私は一人で「竜の巣」で脅えていた時、この帚を見て気が付いた。あの時一人じゃないと言うことに凄く救われた。」

 

チカはこの時自分で涙目になっているのに気付いた。必死にそれを溢すまいと我慢した。けど、我慢を重ねれば重ねるほどそれは水量を増し、やがて頬を伝った。今日は泣いてばっかりだとチカは思った。意固地な殻が全て剥がれ落ち、素直になる。

 

「そう結局私は一人では何も出来なかった、一人じゃ何も出来ない小さいヤツって言うことを確認しに行っただけだった……」

 

チカは自分が弱いと認めることがこんなに悔しい事とは想わなかった。ただ、アリルの前でもう虚勢は張れなかった。森の中で何度この折れない帚に命を救われたかわからない。この丈夫な帚だから安心して森を駆け抜けることが出来た。

 

「そう考えたら銀フクロウから羽根を取る事も出来なかった」

 

気が付くとチカよりも大粒の涙をアリルは流していた。右手をチカの肩に当て、もう片方の手で涙を拭く。

 

「アリル?」

 

「ごめんなさい、私はやっぱりチカに辛いことをさせたのかな?」

 

「そんな事無いよ本当に……今更だけどありがとうアリル」

 

チカは急に恥ずかしくなって下を向いた。今までアリルに面倒を見てもらった事を考えると今更ながら照れた。

 

アリルはアリルで初めてのお礼に照れていた。もう言葉は要らなかった。「世界の夜明け」がどんな物だったかもアリルには興味が無かった。ただ目の前で泣いたり照れたりするチカを見ているのが嬉しかった。

 

アリルもチカもやり遂げた達成感で一杯だった、その証拠が無くても全く負い目を感じなかった。

 

「私はやっぱり「帚乗り」に挑戦してよかったよアリル」

 

「そう」

 

「本当に私の知らないことばっかりなんだこの世界は」

 

チカは帚を肩に担ぎ、戦場から帰った兵士の様に胸を張った。

 

「今度は何に挑戦するの」

 

技とらしく手を顎を当て、チカは考える振りをする。

 

「とりあえずは、べっとり甘いジャムのついたトーストとスクランブルエッグとサラダの重い朝食かな?」

 

「また辛い戦いね」

 

「うん、けどもう食わず嫌いはやめようと思った」

 

チカは帚を、アリルは保温瓶を抱きながら宿舎へと歩く。チカはあの柔らかいベットに倒れこむのが先だと思った。今ならあの柔らかさも許せる気がする、いや歓迎する、白いシーツへと飛びこむ覚悟は出来ていた。

 

「さっさと飯食って、今日はもう寝るよ」

 

伸びをしながらチカが前を進むと、アリルは慌ててチカの方を振り返る。

 

「今日はサリバン先生の授業が午前中に有ったよね」

 

「うそ」

 

「休校日だけど特別授業があるって昨日連絡が急に……」

 

「なんでそんな大事なこと今さら言うの!」

 

「えっチカ知ってると思っていたから」

 

今日の「帚乗り」に夢中で授業なんて上の空のチカがサリバン先生のボソッと言った連絡など覚えてる筈が無かった。

 

「今日授業が有るって分かっていたら「帚乗り」なんてしないって。授業中眠くなるに決まってるじゃない」

 

「ごめんなさい、私は何時も睡眠時間短いから……チカもそうなのかなあと思って」

 

(他人に自分の常識押し付けないで!)

 

出掛かった言葉を手と同時に引っ込めて、チカはその場に座りこんでしまった。今更そんな事アリルに言える分けないので諦めた。昨日までの自分だったら文句が幾らでも出て来るのに。

 

座りこむとこのまま眠ってしまいたかった。授業をサボって木の根元で寝るというのも気持ち良さそうだとチカは思案したが、サリバン先生の授業をサボった場合と寝た場合どちらが酷い結果を生むのかは明白だった。

 

寝ただけで、一時間以上クドクドと説教され時間の掛かる特別課題を山と出されるのだから、サボったとばれたらどんな仕打ちをされるのだろうかと考えると疲労感は最高に高まった。

 

まさか、前日に自分の部屋に来たのも偶然ではないのかもと考えると、崖淵に立たされたような気分になった。

 

「ごっごめんなさいチカ」

 

サリバン先生の授業で居眠りをした生徒の末路をアリルも知ってるので、どう声を掛けてよいのか迷う。その時座りこむチカを上から覗き込むと、コートのフードの中にこの問題の解決策をアリルは見つけた。

 

その時、この孤独なレースは完結を迎えた。






■エピローグ

 

誰もが教室に漂う異様な空気を感じながら授業を受けていた。

 

学校一厳しい先生として知られるサリバン先生の授業なので、緊張感に欠ける事は普段もそんなに無いのだが、今日は緊張感の中に何処か浮付いた雰囲気も含まれている感じがした。

 

誰もがその目立つ生徒に対して一つでも二つでも口を挟みたいのだが。この教室の現在の絶対権力者であるサリバン先生がその生徒に対して一瞥した後無視を決め込んだので、全員もそれに従った。

 

しかし、多くの者が黒板よりもその生徒、チカ・ダルグリッシュの方を見てしまう。チカの方を見ていると、サリバン先生から質問が飛んでくるので慌てて授業に戻るが、また居眠りするチカについつい目をやってしまう。

 

そんな光景を廊下の窓からチラチラと覗く人間がいる、休日返上の特別事業なので他の生徒は休みなのだ。口コミで何人かが覗きに来た。奇妙な光景に訪れた人間は一様に引きつった口元を隠し去っていく。それ意外では背の高い先輩が大声出して笑って帰っていった時には、さすがに全員が廊下の方を向いたが先生だけはそれも無視した。

 

事態の共犯者は別にチカの方を向くわけで無く、ただ熱心にノートを取っていた。その端に、新しいお菓子のレシピが落書きされていたのは本人しか知らない。

 

共犯者はその明晰な頭脳をフル回転させ、今日の授業の内容を理解しつつ今度チカに食べさせる故郷のお菓子を思案した。クリームをタップリ付けたスコーンを甘すぎると文句言いながら食べる姿を想像しながら受ける授業は楽しかった。

 

チラッとチカの方を見ると、騒動の発端は光が波打って煌く。銀フクロウの羽根がピンとチカの黒い髪に挟まり、旗の様に振舞い教室に存在を誇示していた。

 

サリバンがチカの脇を通るたびには教室は緊張に包まれる、サリバンが羽根を一瞥するとチカが寝返りを打ってサリバンの方を向いた。教室の緊張が沸点まで高まり、誰もが爆発と秩序の崩壊を予想したとき、それを覆す事態が起きた。

 

ほんの一瞬だがあの鉄面皮のサリバン先生が笑った。呆れと、どこか赤ん坊を愛でる母親のような笑顔でチカを見届けてそのまま机の間を進んだ。

 

教室の誰もが「奇跡」を見たような顔になって、挑戦者の方を向いた。満足そうに眠るチカを誰もが認めた。

 

自分の授業が久しぶりにざわついた雰囲気になるのを感じながら、サリバンは自問自答を繰り返していた。

 

(あんな幼い顔で寝る子に、本当に魔女になる為の「正しい素質ライトスタッフ」が有るのだろうか?)

 

森の賢者たる銀フクロウに魔女たる素質を認められた証に送られる羽根を付けた少女を見ながら、サリバンは久しぶりの逸材を前に笑みがこぼれた事を自覚していた。

 

そして、時間きっかりの授業を終えてサリバンが教室を後にした瞬間、教室から爆発的な歓声が廊下まで聞こえた。

 

その歓声を聞きながらサリバンは久しぶりに自分の机の引き出しに入っている銀フクロウの羽根の事を思い出した。その羽根を手に入れたとき、何かから一歩前に進んだと感じたあの頃を思い出した。飛ぶことの意味を少しだけ自覚し始めたあの日の事を。

 

何時の時代も飛ぶ事の素晴らしさは変わらない、それは永遠に受け継がれるものなのだろう。

 

サリバンは自分の歩幅が嬉しさから大きくなるのを感じ、チカ・ダルグリッシュへの懲罰課題の内容を考えながら教員室へと向った。

 


 

こうして「帚乗り」は永遠と続く。






END

あとがき


最近お気に入りの言葉


「思いついたプレーの中で、何時も一番難しいのを選択している」


サッカー選手 元イタリア代表 ロベルト・バッジョ



前の本を買っていただいた方、ご無沙汰しております。


初めての方、読んでいただいてありがとうございます。作者のさわだと申します。


今回の話しは前の話の舞台がちょっと現代だったので、反動でいっちょファンタジーを書きたかったという所から書き始めました。


前作で魔女の定義みたいなのが曖昧かなみたいな指摘をもらって、自分の中で魔女の定義を考えてた時にまず最初に思いついたのが「帚に跨った魔女」でした。


それでちょうどWRC(世界ラリー選手権)でペター・ソルベルグの気合の入ったレースっぷり、冷静の中に情熱が溢れる走りに感動していたので「帚のレースなんてどうよ?」と目論んで書いてみました。


後は昨今のファンタジーブームに跨ればそれなりに読まれるかなあと「風が吹けば桶屋が儲かる 」理論を展開して相変わらず夢に溺れた書き方をしました。


けどファンタジーって自分で歴史を作る作業なのでそれは凄く楽しかったですね。その分ちょっと独りよがりで纏まってないのは、まだ僕の中でこの話が完結してない事もあって、書き足りないと感じた部分も正直あります。次回作にこの経験が生かせるかどうか、駄目っぽい気がするなあ。是非感想など送って頂けると、次回その辺が改善されると思うのでよろしくお願いします。


あっタイトルは好きなサッカー番組から取らせて頂きました。分かる人には分かると思います。知らない人には意味が分からないですね。


いつもの様に校正に色々な方に見ていただいて、ご苦労を掛けました。また掛けるんでよろしくお願いします(まだだ、まだ終わらんよ)。


それでは次回なにかでお会いできればと思います。


では


さわだ


11/29/2003


という後書きを書いたのが四年近くも前の話で、何となくこちらに投稿してみることにしました。


もとはコミティアで発表した作品です、今も毎回参加させていただいております。

http://www010.upp.so-net.ne.jp/foot/


楽しんでいただければ幸いです。


ではでは

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― 新着の感想 ―
[一言] チカの成長が身近に感じられて、素晴らしい作品だと思いました。 一部誤字脱字、同じ表現の繰り返しがありました。
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