単数形のドラゴン、複数形のドラゴン
現在知られているあらゆる竜種は、群れることはない。
つがいとなった個体も、ごくごくわずかな期間生活を共にするのみですぐに離れ、単独での生活に戻る。
ゆえに、彼らはほとんどの期間孤独に過ごす。この理由としてはやはり竜種はご存知のように巨体であり、エネルギー消費量も非常に大きい。複数の個体が一箇所で生活した場合、おそらくその周辺の自然環境では竜種を養いきれないだろう、ゆえに彼らは群れないのだ、と考えられている。
そうした事情を踏まえた経緯から、竜種は複数であっても単数形で扱う単語として知られている。
「……というのが、今までの定説だった。聞いているかね、アカサキくん」
「ええ、何度も聞いてますよ、レオナ先輩」
王室付属研究機関の研究員であるエサキ・レオナを隣に乗せ、助手のアカサキは道路ともいえないような荒れた道をレンタルしたイトカワ自動車製、大型の四輪駆動車で突っ走っていた。
「いやー、それにしてもジェーバーの空気はうまい! アカサキくんはジェーバー来た経験はないだろう? いやー私も慣れてるというかそういったわけでなく学会で訪れたことがあるだけなんだけども、まあ私が知る限りの範囲でなら案内してあげよう。ほら、あれがかの有名なファンデルメール山脈だ! こう間近で見ると圧倒されるね!」
「……レオナさん、自分ジェーバー来たことありますよ」
「えっうそっ、なんでこんなとこに」
「ハイスクールのときの修学旅行で来たんですよ」
「チッ、これだから有名私学出は、金持ちのいけ好かない匂いが移りそうだ」
「露骨に態度変えましたね……」
「けーっアルバイトで入学費用稼いだ私のルサンチマンは到底アカサキくんには理解できませんよー」
南巳大陸最高峰のヴュートリッヒ山を含むファンデルメール山脈であるが、標高自体は世界的にはそれほど高くない部類に入る。
特筆すべきはその広さ。ファンデルメール山脈の範囲に関してはある程度議論の余地があるものの、もっとも一般的な定義で南巳大陸4分の1をも占めるその広さはまさに雄大豪壮の極みである。
このふもとで世界主要十二文明のうち2つが興り、世界的な文豪であるレフ・ヴァウェンサが生まれ――
「そして、世界の竜種の3割が生息する、生命の宝庫というわけだ」
「植物なんかも多いですね。ユグラドシル科なんか原産はすべてここですから」
「なにーアカサキくんそれ知識自慢ー? さすがすごいなージェーバー博士だけあるなー」
「大学の時に論文書く際に調べたんですよ! お願いですからいちいちめんどくさい絡み方しないでくださいよ!」
「アカサキくんのことはなんでも知ってるつもりだったから……レオナお姉さん寂しいの……」
「はいはい、着きましたよ」
車をポツンと立った小屋の隣に止める。
周囲は、今来た道のほかはうっそうとした森林しかない。
「この先は歩きになります。このコテージが拠点になりますね」
「食糧とかの必需品はどうするの?」
「一応数日分は積んできてます。まあ、最寄りの街まで車なら2時間ってとこなので、適時補給する形で」
「了解……長いこと放置してたわりには綺麗じゃない」
コテージの扉をあけ、中の一室をレオナが眺める。物もなく埃だらけの室内だが、野外でのフィールドワークを繰り返す彼らにとっては十分すぎる設備だ。
「コテージに置くべき荷物も置いたし……早速だけど周辺だけでも見まわってこようかしら。ほら、アカサキくん行きましょう」
「待ってくださいよ。ジェーバーはそれなりに治安も悪いんですから、盗難対策とかしておかないと」
「最寄りの街から車で2時間のとこに誰が盗みに来るってのよ。それより、暗くならないうちに周囲の探索をしておきたいなーって。もしかしたら飛んでいるティンバーゲンドラゴンが見れるかもしれないじゃない!」
「ああ、わかりましたわかりました! 貴重品だけでも施錠しておきますから、ちょっと待って下さい!」
「置いてくわよー……いや、もう行く! 私はきみを置いてった! いざ壮麗なる大陸の壁!」
自由気ままに山林へと駆け出すレオナを、アカサキは慌てて追いかけた。
* * *
「……ない」
「どうしたの? 写真なら私の手元にばーっちりあるわよ。いやーすごかったわね繁殖中のバーンフェアリーの群れ!」
「車が! ない!」
もう日もほとんど落ちもはや真っ暗といっていい森林をアカサキがレオナの手を引いて脱出したとき、目にしたのは――明らかに自分たちのものではない車輪の跡と、借りた車が失われている光景だった。
「もしや、尾行されていた……?」
「ちょ、ちょっとどういうことよ! アカサキくん!」
「レオナ先輩、まだ潜んでいるかもしれません……一応自分の後ろに」
「う、うん……」
空港から尾けられていたか、それともどこか別の場所で防犯意識の薄さを気取られたか。
間違いなく手慣れたこの国の犯罪者による"洗礼"だろう。
アカサキは、ベルトポーチから拳銃を取り出し、ゆっくりとコテージの前に進んでいく。
「ど、どこでそんな物騒なものを……」
「ジェーバーは銃の携帯が禁じられていませんから。念のため護身に持っておいたんです」
「お、思ったよりアカサキくん旅慣れしてた……」
「旅には多少は慣れてるかもしれませんが、銃はそうでもないです……ぶっちゃけ、まったく自信がないので何かあったら逃げてください」
「いやだよ! アカサキくんを置いて逃げるなんてできない!」
「素手の足手まといが一人いても事態は悪くなるだけなので、逃げてください」
「はい」
慎重にコテージの扉を開けたが、中には誰もいなかった。
ひとまずアカサキはほっとしたが、コテージの入り口にかけておいた簡易な錠はあっさりと壊されており、中は無論全面荒らされていた。
「金庫までは持って行かれなかったようですね。旅券やしまっていた分の現金は無事でした。ただ……食糧などの生活必需品はしまっていなかったのでほとんど……残ってる分じゃ1日か、もって2日ですかね」
「そ、そんな……アカサキくん、こっから最寄りの街まで歩きでどんぐらい……?」
「まあ、丸一日は覚悟すべきかなと……」
「な、なんか連絡手段とかないの!?」
「それも、やっぱり街にいかないと……そこまで行けば大使館かなにかに助けは求められるかと思いますが」
「うう……流石に夜出歩くのは危ないよね、今日は諦めてここで一夜を過ごすしか……誰か通りがかってくれればいいんだけど」
「この状況でこのド辺鄙なとこに偶然通りがかった人を信用はできませんけどね……」
「寝袋は残ってるね、今日は諦めて体を休めて――」
大きな、唸り声が聞こえた。かなり近い。
「……悪いことは重なりそうですね、レオナ先輩」
「この唸り声は、ルーンクロウベアー……」
ルーンクロウベアー。巨大な体格でするどいツメを機敏に振るい、極めて獰猛。ファンデルメール山脈に住む大型陸上生物の一角である……というだけでは説明不足が過ぎるか。
ルーンクロウベアーは陸上生活型の食物連鎖の頂点にいる大型竜種に対しても立ち向かい、しばしば勝利をおさめる。つまり、この山脈の陸の王者というわけだ。
「ど、どうしてこんなとこいいるのよ! この時期のルーンクロウベアーは天敵なんかいないんだから奥深くで穏やかに暮らしているはずでしょう!?」
「そんなこと自分がわかるわけないですよ!」
慌ててアカサキは入り口の鍵を閉めた。
どしん、どしんとコテージが少し揺れる。
どうやら周囲を歩きまわっているようだ。
「うう、たぶん私らの匂いに気付いて警戒してるんだわ……」
「静かにして、立ち去るのを祈るしか……」
陸上生物の中でも大型であるルーンクロウベアーは歩くたびに簡素なコテージを揺らす。その揺れは大きくなっていき――扉に近づいていく。
そして扉が、大きく揺れた。
「ひっ」
「……」
「い、行ったかな……」
「いや、まだ……ほら、足音が」
「……ねえ」
明かりもつけずにコテージの壁に二人で寄り添いながら、レオナが問いかけた。
「アカサキくんは、なんでこの仕事選んだの?」
「そんな深い思い入れはないですよ。カレッジでまあまあ成績がよくて、そんでもって王室付きの公務員なら待遇もそんなに悪くないだろうな、と思って選んだだけです。レオナ先輩は?」
「私、トネガワの出身なんだけどさ」
「ああ、あそこなら……」
「うん。竜種が、いた。そんなおっきくないやつだけど」
再び、大きな足音が聞こえた。少しだけレオナは声を小さくして話し続けた。
「私の実父は私が生まれて数カ月後に事故で亡くなっちゃって、でお母さんは私が10歳のときに再婚したんだけど、その再婚した義父と折り合いが悪くてさ。よく家出して、トネガワ山の麓の森にいってたんだよね。今風にいうとプチ家出?」
「……結構、重い背景しょってたんですね。見えないです」
「結構アカサキくん失礼だね。……で、さー。ぼーっと木の幹の上で座ってたりしてたわけよ。そしたらさ、竜種が近づいてきて。私は最初結構ビビってたんだけど、どうも危害を加える様子はなかったから、私の周りをぴょんぴょんと飛ぶ竜種が可愛く思えてきた。……あとで思い返したところ、あれはトネガワヒメドラゴンの若い個体だった」
扉からは遠ざかったようだが、未だに足音が時折響く。
安全装置がかかったままとはいえ、拳銃を強く握ったままのアカサキは自分の手が汗ばんできているのを自覚した。
「興味深げに私をひとしきり観察した竜種は一旦その場を離れた。まあ、野生動物だしそんなもんだろう、珍しい体験が出来たな、なんて思っていたら――数十分後に再び現れて、私の前にビッグラットの死体を置いてきた」
外をルーンクロウベアーが闊歩しているなんて事実を忘れたかのように、レオナはケラケラと笑った。
「もちろんまあ、多感な10歳の少女はそれを見て慌てて逃げ出したわけだけど。まあそんな少女でも冷静になって考えてみればそいつが私にエサを与えてよこしたってことぐらいは理解できた。そしてもう少し歳を重ねると、"彼"が何をどう間違ったか私を同族かなにかと間違えたんだろう、と思うようになった。そんでもってこの道に進んでみて――竜種は群れをなさず、利他的行動をほとんど取らないということを知った」
「それで、専門を竜種に」
「まあ、それだけでもないんだけどね。"彼"は若い個体だったから、子の保護のような習性とも考えづらい。とはいえ、私が調べた限りでは、やはりトネガワで竜種が大きく群れるという事例は見当たらなかった。でも、周辺環境が竜種の群れを養うほど豊かであるとかの条件が揃えば群れをとるようにスイッチするとかそういった習性をもっていて、そのときのために他の個体を助ける習性だけは残っていたのかも、なんて考えるようになり――世界で一番豊かで広大な自然のあるジェーバーに来たわけ」
「……道路の方に行ったみたいですね」
「そうね。もう足音はしなくなったわ」
「だから……今回の研究対象のアカハラアースドラゴンは、トネガワヒメドラゴンの近縁種ですもんね」
「うん、でも今回はもう研究どころでは――もしかして」
レオナは突然立ち上がり、コテージの扉に手をかけた。
「どうしたんですかレオナ先輩! 足音はしなくなりましたけど、それでも今外にでるのは危ないですよ!」
「ねえアカサキくん、この時期森の奥から出ることのないルーンクロウベアーは、なんでこんなところまで出たんだと思う? それも、その後森に戻らず道路の方に進んだのは」
「えっ……いや、わかりませんよ。なんらかの理由で、食糧を探しにいく必要がでたとか?」
「本当に飢えているのであれば、中に生き物がいることを感づいていたルーンクロウベアーはもう少し探りを入れてきたと思う。とりあえず、挨拶にドアをぶち破るとか。ルーンクロウベアーの腕力ならあんな扉、紙細工みたいなもんだし」
「たしかに……飢えているというよりは、姿の見えない外敵を警戒しているという感じでしたね」
「そう。たぶん警戒していたんだと思う。でも、普通外敵を警戒するルーンクロウベアーは自分の縄張りにこもる」
「縄張りが奪われたとか。同種か、近縁の熊に……いや、でもこの季節はルーンクロウベアーをはじめとして、熊はあまり動かないはず。じゃあ、他の種類の……?」
「でも、このジェーバーにルーンクロウベアーの天敵はほとんどいないはずよね。対抗できるとすれば――竜種ぐらい」
「いや、それはおかしいですよ。ジェーバーに住む森林性の竜種はアカハラアースドラゴンをはじめとして竜種としては小型です。ルーンクロウベアーの縄張りを奪えるような存在では――」
「そう、単独ならね。いくわよアカサキくん! カメラとライトは私に任せなさい!」
レオナは、近くを熊が歩いていたなんてことをもう忘れていた。
扉を開け、矢のように駆け出し――アカサキはため息を一度ついて、レオナを追いかけた。
「待ってろ竜種、うおおおお! ぎゃああー」
「だ、大丈夫ですかレオナ先輩!」
「こけた」
「なにやってんですかレオナ先輩……」
「うっせー、人類史に残る大発見が私を待っているかも知れないんだぞ! 服の汚れが何だ! 膝小僧の擦り傷がなんだ!」
「無駄に走って転ぶことが研究につながるわけではないと思います」
「その通りです。アカサキくんは実に論理的でいいですね」
「まったく……一緒に歩きましょう」
「はい。手繋いでいい? 暗いし」
「しょうがないですね……ちょっと、結局走るんじゃないですか!」
「うるせー、アカサキくんも転んで私と同じように膝をすりむいてしまえばいいんだ、君みたいなおぼっちゃんは二度三度ぐらい転んでおいたほうがぎゃああー」
「……」
再び転んだレオナは服についた土を手で払った。アカサキは、やれやれといった態度ながらレオナを引っ張り起こして肩を貸す。
「あれ、肩貸してくれるの? やさしーねー」
「こんな何度も何度も転んでたら逆に遅くなりますよ。急ぎましょう、なにせ人類史に残る大発見が自分たちを待っているかも知れないんですから」
「おっ、アカサキくんもわかってきたじゃん」
そうやって二人が歩いて進んでいるうちに、少し開けた場所に出た。
そこだけ頭上を覆う木々が欠け、月の光が射している。
「これだけ開けているところをみると……さてなんだと思う、アカサキくん」
「たぶん、さっきのルーンクロウベアーのねぐらだと思います。散らばってる食べ残しもルーンクロウベアーの食性と一致しますから」
「さすが。たぶん間違いないだろうね」
「……レオナさん、後ろに。もしかしたらこの音は、さっきのルーンクロウベアーが――」
「いや、この音は違う……ルーンクロウベアーよりは軽い……複数だ! 近づいてくる!」
少しずつ、音は近づいていき――次第に大きくなっていくそれはまるで地鳴りのようになった。木々に隠れてはっきりと見えないが、あがる土煙ははっきりとわかる。
「わあああああ! 写真だ! 写真を撮らないと! アカサキくん、カメラを!」
「落ち着いてください、カメラなら先輩のポシェットにありますよ」
「ほ、ほんとだ。あれ? いつ受け取ったっけ?」
「最初から先輩が持ってたんですよ!」
「そういえばそうだったかも」
その音の正体は――彼らが夢見た、竜種の群れ。アカハラアースドラゴンの大移動の光景だった。
「なるほど、彼らは周辺の環境を消費し尽くしてしまわないように、こうやって夜間の間に移動しているんだね。それにかわいそうな熊さんは巻き込まれないように離れておいた、と」
「ちょ、ちょっと先輩近すぎませんか。巻き込まれると危ないですよ」
「私の命とこの写真の迫真性、どっちが大事だと思う!」
「レオナ先輩の命です」
「や、やだなに言ってるのよアカサキくん……もう……」
「はーいわかりましたから下がりましょうね、レンズの倍率変えればいいんですからね」
「はい」
数分後、群れの最後尾がややぎこちなく駆けて行き、なにもなかったかのように二人だけが残された。
「ふむ。彼らは走る時土よりも硬い木の根の上を狙って動いているようだね。だから大移動の痕跡になるような足あとはあまり残らない、と」
「すごいものが見れました……でも先輩、冷静になってみるとなにも解決してませんよ、自分たち。車はないままですし」
「いやいやいや、アカサキくん。私らは世紀の大発見をして、フィルムもしっかり残したわけだよ?」
レオナは、自信満々にピンと一本指を立てて言い放った。
「つまり、我々は生きて無事に帰る義務がある!」
王室付属研究機関、生態学部。
予算も少なく、実績も少なく、歴史も短いが――それでも、新たな発見を求めて彼らは全力を尽くす。
「精神論では街への距離は短くなりませんよ、先輩!」
「たしかに。アカサキくんはいいことしか言わないなあ。見習いたいものだ」
とりあえず、どうやら竜種は、孤独というわけではないらしい。
ポンコツおねえちゃん先輩、だいぶ気に入ってしまった。