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花と光

作者: 陽菜子

ここは、雨神様が御座す国。

時おり、曇天をくぐって異世界より旅人が訪れる雨と雪の国。

これは、そんな国に伝わる御伽噺。








小さな魔女には名前がありません。

木の股から生まれし魔女たちは、人の姿を持つ人ならざる者。

その身体の血も肉も骨も、―――人とは異なる生き物。その身体を構成するのは、この世界の全ての気。人のような父も母もおりません。生まれたばかりの、その小さな魔女は、真っ黒な髪と曇り空のような瞳を持っていました。


魔女は目的を持って生まれる者と、そうでない者の二者います。

この小さな魔女は、後者でした。


ぽつり、ぽつり、と降ってきた雨粒を投げ出した肢体に受けながら、魔女はぼんやりと考えました。

意味なく生を受けたものは、意味を見出さねばらないのです。

魔女はしとりと濡れた髪を編みこむと、雨の中立ち上がりました。

もうすぐこの国には雪季が訪れます。

生まれたばかりの魔女ですが、その頭にはたくさんの情報が詰め込まれています。

人の父母を持たない代わりに、魔女はこの世界から「生」を受けますから、そうして、一人きりで生まれ生きていかねばなりません。

そのため、魔女たちには、生まれたときから一人で立ち、歩き、考える事が出来ます。魔女ですから、魔法を使うことも出来ます。そうして生きて行ける種なのです。

なので、その魔女も一人で立ち、歩き、考え、魔法を使って家を立てました。

レンガを使った小さなお家は、―――魔女の頭上に月と太陽が五回ずつ昇った後に完成しました。


ふわりふわりと、魔女の瞳と同色の雲から雪が降ってきました。

出来上がったお家の窓からそれを見ていた魔女は、とても綺麗な雪をずっと飽きもせずに眺めていました。


だんだんと、積もってゆく雪をただひたすらに眺めていました。







魔女はずっと、一人でした。







そんなある日のことです。


髪が伸び、足に絡まりはじめた頃、魔女のもとに一人の男の子が訪ねてきました。

光が反射して銀色に見える雪と同じ輝きの髪と、雪季と雨季の間に芽吹く若草の瞳をした男の子でした。


「貴女が魔女様?」


小さな魔女は生まれて初めて、人の子に会いました。


「ええそうよ、あなたは?」


初めての会話にドキドキしながら返事をします。

男の子は、「***」と名乗りました。




男の子は魔女をたびたび訪ねてきました。

手にはいつも魔女と一緒に食べたり、遊んだり出来るものが入ったバスケットを持っていて、魔女は男の子と一緒に「おいしいね」と言ったり、「楽しいね」と言ったりする事がとても好きでした。


魔女の成長はとてもゆっくりです。

もちろん魔女ですから、赤子にも、少女(おとめ)にも、老婆にだってなれます。

それでも魔女は生まれたときから林檎一つ分しか身長がのびていませんでした。

一方人の子の成長のなんて早いことでしょう。

出会った頃には魔女より小さかった男の子は、一年経つと魔女の背と並び、また一年経つと魔女の背を抜きました。

いつしか魔女を抱き上げることすら出来るようになりました。


「魔女様」


雪季がおわって春の芽吹きを感じる日、魔女は声を掛けられてびくりと肩を震わせました。

いつもの男の子がひらひらと手を振って近寄ってきます。

魔女は慌てて、男の子に近寄り、背伸びをしても届かない男の子の額に触れようとします。

魔女の行動に不思議そうに目を瞬かせながら、男の子は腰をかがめてくれました。

魔女は、そっとその額に手を当てました。


「あれ…?」

「どうしたの、魔女様?」


首をかしげる男の子は、具合が悪そうには見えません。

魔女は恐る恐るその喉に触れました。

硬いものが、男の子の皮膚の下にありました。


「―――病気?」

「え?」

「声が、かすれて、低くなっているわ」


男の子はふと表情を緩ませると、魔女を抱き上げました。


「ひゃ…っ」

「病気じゃないよ、魔女様。声変わり、成長の証です」


男の子の笑顔にどうしてか、

ツキリと魔女の胸は小さく痛みました。



ツキリ、


ツキリ、


ツキリ、



男の子が成長するたびに、魔女の胸は小さく痛み続けます。どうしてかしら、と首を傾げても魔女にはその理由が分かりません。

成長は喜びです。どうして、純粋に喜んであげることができないのでしょうか。

魔女は日に日に大きくなる胸の痛みに、とうとうベットから起き上がることが出来なくなってしまいました。

ベットの中から、外を覗けば、ふわりふわりと雪が舞い降りてきます。


雪季が訪れたのです。


雪季が始まると男の子とはしばらく会えません。森の中にぽつりと立つこの家までの目印が分からなくなって、迷子になってしまう危険があるからです。

男の子が訪れない雪季はいつも少しだけ退屈ですが、このときばかりは、一人になれることで安心できました。

魔女は眠ります。

考えても考えても答えは出ませんし、男の子のことばかり考えては会いたくなって会えない毎日を寂しく思うことに疲れてしまったのです。





そうして魔女は、深い眠りに落ちていきました。













・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・


・・・・・・・





魔女が目を覚ました時、雪季はとっくに終わっていました。

森の中は訪れた春の息吹にいきいきとしています。

思わず駆けたくなるほど暖かく、生き物の力強い息吹を感じる春です。魔女はゆっくりとベットから足を出します。


「あ、れ…?」


少し成長しているようです。

ゆるく編んでいた髪は解け、床を引きずってしまうほどのびています。

魔女の成長は緩やかなのに、まるで一気に成長期が来たようです。

立ち上がってみると、小さなお家は少しだけ窮屈になっているようでした。魔女は、久しぶりにドアをあけ、外に出ました。

春風が魔女の黒髪をふわりと靡かせます。

寝起きのためか少しだけふらつく足を、川辺へと向かわせます。


「え…?」


水面に映る少女(おとめ)は誰でしょうか。魔女は、きょとりと目を瞬かせます。

黒い髪に、曇り空の瞳。

顔に手を当てると、水面に映っている少女も同じ動きをします。


(わ、たし…?)


どういうことかしら。

魔女は不安そうに眉を寄せました。

そうして、生まれたときと同じように肢体を投げ出しました。

春が訪れると、訪ねてくれる男の子を待ちました。

あのバスケットいっぱいのお菓子やおもちゃが懐かしい。一緒に「おいしいね」と言ったり、「楽しいね」と言ったりすることが大好きだった。

魔女は待ちました。

ずっとずっと待ちました。

魔女様、と言って魔女に笑いかけてくれるのを。

ずっとずっと待ちました。


月が昇って、太陽が顔を出し、ゆっくりと時間は流れていきました。


春はいつしか終わり、雨季がやってきました。

毎日毎日、自分の瞳と同じ雲を眺めていました。そうして、魔女は、立ち上がりました。


魔女は自分で考えて、歩き出すことにしました。


魔女は自分の足でどこへだって行けます。


目的を持たずに生まれた魔女は初めて、男の子に会いに行くという目的を持ちました。

森の中は雨が降っています。

雨に濡れて張り付いた髪を掻き揚げて、一度お家に向かいました。

小さな魔女だったことには大きかったローブを着こんで、一歩踏み出すことにしました。

森の中は不思議な静けさです。さわさわと木々が風に揺れています。


一歩、一歩。


ゆっくりと、男の子がいる街へと向かってゆきました。

レンガ造りの家々が、魔女を迎えます。

街は、昼だというのに、人がいません。どうしたことでしょうか。

魔女は、どうしたものかと、広場で足を止めます。男の子の家など知ってはいません。

いつだって、男の子が会いに来ていてくれたから、魔女は知る必要が無かったのです。


「おねえちゃん、何しているの?」

「え?」

「今日はね、お家にいなきゃいけないんだよ」


窓を開けて身を乗り出すように声を掛けてくれる女の子がいた。

くりっといた亜麻色の瞳が、好奇心を覗かせて魔女を見つめます。その瞳に、男の子の面影を見つけて、魔女はきゅっと唇を噛みしめます。


「どうして…?」

「――領主様がお亡くなりになったから」

「領主様…?」

「そう、***様」

「……………え?」


魔女は、走りました。

生まれて初めて、こんなに駆けました。

女の子が言った名前は、かつて男の子に教えてもらった名前でした。

広場を抜けて、領主様の住んでいるお城へと走りました。

丘の上の、白いお城。

魔女の住んでいる森からも見えていました。男の子がかつて、「あのお城は、領主様のお城だよ」と教えてくれたお城へ。

お城の前には喪服を来た人たちが列を作っています。

人を掻き分けて、中へ入ると、白い棺がありました。

棺の中にはたくさんの花が添えられていました。

男の子の白銀の髪の毛と一緒の、壮年の男の人がいました。眠っているように、穏やかな、それでいて血が通っていない青い顔をした男の人がいました。

魔女の知っている男の子ではないけれど、魔女にはその人が魔女が焦がれた男の子だと分かりました。

人の成長は、魔女には余りに早い。


「おいて、いかないで…っ」


目的を持たずに生きてきた魔女が、初めて持った目的は、男の子に逢うことだったのに。

あなたに会って、もっといっぱい、お話がしたいのに。

触れた頬は、氷のように冷たくて、魔女は涙を溢れさせました。

涙がこんなに熱いものだなんて初めて知りました。

魔女の落とした涙は、男の子の服に染みをつけるだけでした。




魔女は泣きました。


たくさん、


たくさん、


泣きました。




目的なんてなくったって、人は生きてゆけます。

けれど、目的を失った魔女は、生きていけません。

それは、世界が決めた理。

ゆっくりと、魔女は世界に溶け出します。

音が急速に遠のいていきます。


「魔女様…?」


その声だけは、きちんと魔女に届きます。

振り返った魔女は、男の子に似た、男の子を見つけます。


「おねえちゃんが、お父様の言っていた、魔女様?」

「…っ」

「森の中の、小さなお家に住んでいた、魔女様?」

「…っ、う、ん…っ」


頷いた魔女に、その子はにっこりと笑って抱きしめてくれました。

ふわりとやわらかな髪が、魔女の頬をなでます。

抱きしめられていた身体はいつの間にか、男の子を抱きしめるほど大きくなっていました。

魔女は、眠りすぎていたことを悟りました。

人の命が短く儚いと知っていたのに、魔女は男の子から逃げてしまいました。

逃げてしまった結果、男の子と再び話をすることが出来なくなってしまいました。


「『魔女様、あなたの名前を知りたかったです。あなたと一緒に、お菓子を食べたり、遊んだりすることが何よりも楽しかった。いつかまた、…お会いしましょう』」

「え………?」

「お父様からの、伝言です。魔女様」

「わ、たしも…っ、私も、あなたと過ごす、日々は、……楽しかった…っ、また、遊びたい…っ、」


――私の、名前は。


――リツカ、


――雪の花の、名前。


「リヒト…っ」


魔女は、…男の子の名前を初めて、口にしました。

もっと、呼びたかった。

もっと、呼んで欲しかった。

魔女は、ゆっくりと、世界に解けてゆきました。













自分の足で歩いて、あなたに会いに行けばよかった。


自分の言葉で、あなたに好きだといえばよかった。


あなたにおいていかれる寂しさに向き合えばよかった。


そうすれば。


限り或るあなたの生を、一緒に過ごせていたのかもしれなかったのに。


雨が降る。


雪が降る。


若葉が芽吹く。


時は巡る。


あなたに、また、会いたい。












ここは、雨神様が御座す国。

時おり、曇天をくぐって異世界より旅人が訪れる雨と雪の国。

これは、そんな国に伝わる御伽噺。


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