世界一阿呆なまほうつかい
モフモフが書きたかったんですがどうしてこうなったんでしょうね?
へにゃん。この言葉に大海に挑むかのごときロマンを感じる男どもよ。
ぴこん。この言葉に焦げ付くような欲望を感じる男どもよ。
俺は今。全世界のケモナーとモフラー達の嫉妬と羨望を一心に集めている自信がある。
「ふみゅ……」
「くっ……くっ……!」
力を入れすぎてこわばった腕がプルプルと震え、食い縛った口から意図しない声が漏れる。
肩にも力が入り、それに輪にかけて表情筋が痙攣することで、顔は恐らく面白可笑しく歪んでいるだろう。
だがそれも致し方なし。全ては俺の膝の上で無邪気に眠るこの天使が悪い。
しょぼくれた四十がらみのおっさんが何を意味不明な事を言っているのかという呆れを受ける危険を犯しても、あえて言わせていただこう。
今、俺の膝の上で、一匹の猫が昼寝している。
膝を丸め、軽くグーを作って、見事に丸まっていると称していいその小さな体がすうすうと呼吸とともに細かく上下する様には見ている者に果てしない庇護欲を抱かせる魔性を放ち、
体勢が悪いのか寒そうにもぞもぞと時折動いている様子には、頬を緩めないものはいないだろうと思わせるほどの可愛さが放たれている。
そしてふりふりと揺れる尻尾から背中に生えている羽根に至るまで完全に白で統一されているその美しさは雪銀に例えられる事にも頷けるといって過言では無い。
先ほどまで悔しそうに、でも本能には逆らえなくて、自分の使っていた猫じゃらしにじゃれていた猫が、疲れた後に自分の膝に乗ってきてくれた時のあの衝撃。自分はこの服を一生家宝にしようと決意した。
ああ、ここに来るまで苦節七年。思えば長い道のりであった。
三歳の頃、親より口減らしとのことで魔法使いに売られ、そのまま青春時代を魔法使いとして修業を重ね、いっぱしの魔法使いとなって師匠の元から独立し、友人の紹介により錬金術師として就職して早四十年。
幼き頃より師匠の研究を手伝って、料理に炊事洗濯と生活環境を整えて、文字も覚えて勉強し、他の同年代の子供のように遊びにも行かず必死こいて毎日を生き抜いた日々。
薬の作成を手伝えば配合が気に入らないとぶん殴られ、混沌と化していた倉庫を整理すれば魔法陣がどこに行ったかわからなくしたとぶっ飛ばされ、依頼品を納品に行けば海千山千の商人たちに値切りを受けて、それでも頑張って割引交渉を抑えたところで叱責されて食事を抜かれる。
そんな生活の中で、必死に盗み見た魔法の技術と合間合間で勉強した魔術の理を少しづつ蓄えて、およそ三十を超えたころにようやく師匠から皆伝を受けた。
そこからがまた一苦労。十年来の友人に協力を得てとある商会に就職したはいいが、辺境へと調査に活かされるわ、国との提携で作る新しい建造物にどうやって術を刻んだらいいか、魔法薬の生産ラインの監督に深夜から駆りだされるわ散々であった。自由となったはずの日常を侵食していく仕事。使われずに溜まっていくばかりの給料。消えていかない目の下の隈。思い出すだけでも涙が浮かぶ。
そんな激務に混ざって辺境へと調査出張していた時、この天使に出会ったのだ。
清らかな水を讃える湖の横で、毛並みを整えていた小さな白い猫。足も小さく、身体も小さい。長い髭がちょこんと頬に三つ伸び、時折ピクピクと耳が動く。うつらうつらしている瞳と体が何とも可愛らしい。
そしてなんとその背には白い羽が生えていた。
この世界には、触れてはいけない魔獣が三つあるという。
金竜。銀豹。黒魚。どれもそのあまりの強さと他を廃絶する気性の荒さに、もはや近づくことすらも災害として認識される天災指定生物。目の前の可愛らしい猫はまさにその内の一つ、銀豹だった
その時、自分とともにいた調査員たちは皆一様に死を覚悟し、願わくばその被害が近隣の村までも及ばないことを祈ったという。
だが正直言って、その時に私の目には白猫の種族が何だったとか、危険故に触れてはいけないとか、そういうことの一切合財は浮かばなかった。というか、背中にあった羽根さえも目に入っていたかどうかがあやふやである。
その時の私が思ったのはただ一つ。”かわいい”だった。
独り立ちする前々から、私はどうにも自分のストレスを癒してくれる存在が欲しいと思っていた。
そしてそれは長年の抑圧とストレスにより自分でも制御できないほどの大きな欲望となっていたらしい。
まず眼前まで近づいて土下座した。外聞構わずその猫の前に土下座して、そのまま口説き落とすために全力で頭を使って話しかけた。それはもう、命を懸けんばかりの勢いで一緒にいてくれるように頼みこんだのだ。
日頃はただ食事と呪文の為以外には開かれない口は自分でも驚くほどに流暢に話し出し、いつも動きの鈍かった体はどこかしらに重しを捨てたかのように軽く動いた。後から、親しい同僚である友人ですら「本当ならこういう『誰彼の失態』みたいな話は、酒の席とかのちょうどいいネタになるんだけど、あの時の貴方のことは流石にネタにする気にもならないわ。どうなるかひやひやものでもあったし、それ以上に貴方が怖かったもの」というほどの勢いだったと聞いた。実際、しょぼいおっさんがいきなり本気で土下座をすれば、誰だって思い出したくないものだし、その時は素直に悪いと思ったものだ。
この勢いで一昼夜、いや三日三晩、一週間と話し続けんばかりの自分の勢いを止めたのは、白猫の天使であった。
ひたすらに話し続けて口説き続ける私の頭へ、てしっ、と前足を載せたのだ。
恐る恐る顔を上げた先にあったのは、疲れたようにため息らしきものを吐く妙に人っぽい仕草をした一匹の猫。
「やれやれ」といわんばかりの仕草をして、こちらへと近づいてくれて、未だ畳んでいた膝の上に乗ってくれた時、私は本当に幸せであった。おそらく、あの時以上の幸福は、この先の魔法使いとしての長い人生にもないだろうと確信できるほどだった。
そして念の為に一緒に来てくれるかと聞いたとき、こっくりと頷いてくれたのを見て思ったものだ。
ああ、人生というのは報われるものだと。
その後、この猫が銀豹だとか危険だとかいう七面倒くさい阿呆どもを黙らせるために取り敢えず形だけの主従契約を結び、研究用にとか、国防用に、とかいってきた阿呆共には百回くらい地獄を見せて仕事もしがらみも何もかもぶっとばす勢いで周りを黙らせる等々の非常に面倒な仕事も出来たが、今の自分はそれらを完全に終えて、こうして家でまったりくつろいでいる。家への来客は、生態を知りたいという奴が偶に来るくらいであり、非常に静かだ。
そして今! そんな苦難を超えて手に入れた従魔が何とも可愛らしい声を出して、俺の膝の上で眠っている。これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぼうか!
世の中の魔術師諸君あるいは魔法使い諸君は従魔を戦闘や配達、酷い者になるとただの捨て駒として使うという常識が散布している。
なんともありえんことだ。はっきりと断言すれば、日常の雑用なんぞ自分一人でやるのが筋であるし、戦闘なんてものに自分と相手以外を巻き込む時点ではっきりと畜生にも劣る。
それが故に、私は「スル」と名付けたこの銀豹との契約に「自分に従う」という項目を創らなかった。というか、実態的にはむしろスルの方が主人である。人間の尊厳? そんなものこの柔らかさに比べたら鼻で嗤って終わる。
ああ、モフモフである。毎日繰り返しているブラッシングのお蔭で、今のスルの毛並みがフカフカのモフモフである。
叫びたい。「家の子最高!」と叫んでしまいたい。だが叫んでしまえば、今の自分に降ってきた幸せは儚く夢幻の如く消えてしまうことは確実だ。
故に今は、視る。見て、観て、その姿を全て脳の記憶に焼き付けて永久保存しておくのだ。
正直言ってその毛並みとか耳の形とか可愛らしい目元とかふよんふよん戯れてくる尻尾とかもう何言ってるんだろうと自分でもよく分からなくなってしまいそうなほどに、魅力的である。魅力的すぎる。
というか撫でたい。抱きしめたい。力一杯モフモフして顔をうずめて抱き枕にして一日中ゴロゴロしたい。昔同僚に言われた「可愛いじゃないんだよ! かぁいいんだよ!」という意味不明な言葉にでも頷いてしまいそうになる勢いがここにある。
「ぐっ……!?」
そうして邪なる自分の思いに反射的に突き動かされそうになった時、自分の鼻に唐突に、ずきり、と鈍い痛みが走ったことを自覚する。
いかん。鼻から銀豹への赤い情熱が吹きだしてしまう。
だがもし、鼻から情熱が吹きだしてしまえばどうなる。
簡単だ。この白い天使が、世界の宝が濁ったらしい自分の血で染まってしまう。
――――――そんなことにするわけにはいかない!
「ふぐおおおおお!!」
今動いてしまえばスルが膝から堕ちてしまうから、ここから動くという選択肢は無い。
そして手の届く範囲で鼻を抑えられそうな紙は無い。
故に、ここは気合のみ。鼻にある貧弱な血管を突き破ってしまった赤きわが情熱を、同じく全力の気合でもって抑え込むのだ。
全身が熱くなるほどの興奮。筋肉の一本一本の動きですら感じられるほどの冷静さ。その二つが合わさった今の私に出来ないことは無い!
根性。ただそれだけの言葉を頭に思い浮かべ、己の鼻血を止めようと渾身の力を振り絞る。
最初に少し手の平に零れた量以上は、決して溢さない不退転の姿勢。そのお陰か、やがて血も止まり、痛みもあまり感じなくなってくる。
だがここで安心して力を抜くのは二流。本物の一流を自認する私であれば、少なくともスルが寝入っている間くらいは渾身の力で耐えなくては。
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」
一体何時間が経ったのか。集中しすぎて最早時間の感覚もない。
目を瞑り、ひたすら精神を統一し、黙想する。
その時、前方で動く気配があった。思わず目を開く。
「にゃあん」
「あ」
いつの間にか起きていたスルが、ペロンと真っ赤で小さな舌で、汚れた私の鼻と口を舐める。
そして――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ぶっほおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉう!!!」
その日も私は、血の海に倒れ伏した。
取り敢えず一言。
てっめえおっさんそこ変われえええええええええぇぇ!!!