白雪姫は鏡を論破する(白雪)
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王城の最上階、日の光が一切入らない薄暗い一室に、その鏡はあった。
魔力を帯びた銀の表面は、真実しか映さない。
その鏡の前に立つ王妃ローザもまた、見た者が息をのむような冷徹な美貌の持ち主だった。
年の離れた国王に嫁ぎ、この国の国母となって数年。
ローザの日課は、己の権威と美貌をこの魔鏡に確認させることだった。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
若き王妃の問いに、鏡の中の霧が晴れ、朗々たる声が響く。
『それは王妃ローザ様。あなたでございます。』
「ふん、当然ね」
ローザは満足げに、しかし冷ややかな笑みを浮かべた。
彼女にとって美とは武器であり、盾だった。
先妻の残した幼い娘、白雪という危うい存在がいる。いずれ自分を脅かすかもしれないその娘に対して、優位に立ち続けるための絶対的な証明。それがこの鏡の言葉だった。
だが、時は無情に流れる。
白雪姫が十五の誕生日を迎えたその日、ローザはいつものように鏡の前に立った。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
当然、己の名が返ってくるものと信じて疑わなかった。しかし、鏡の返答はローザの心臓を凍りつかせた。
『それは――白雪姫。彼女の若さと、雪のごとき肌は、今やあなたを凌駕しております』
「……なんですって?」
ローザの眉が跳ね上がり、瞳に激しい嫉妬と怒りの炎が灯った。ついにこの日が来たのだ。あの忌々しい小娘が、私のすべてを奪い去る日が。
「まあ、鏡さん。それは大きな間違いですわ」
その時、部屋の扉が小さく開き、当の白雪がひょっこりと顔を出した。手には摘みたての薔薇の花を持っている。彼女は鏡の言った言葉に、困ったように眉を下げて微笑んだ。
「白雪……! あなた、いつからそこに」
「今しがた、お義母様にお花をお届けに。そうしたら、この鏡さんがおかしなことを言うものですから」
白雪はしずしずと歩み寄り、ローザの隣に並んだ。
確かにその肌は白く、唇は血のように赤い。しかし、白雪は己の姿を鏡に映しながら、首を横に振った。
「私はまだ、世間のことも何も知らない、ただの未熟な子どもです。
それに比べて、お義母様をご覧ください。
この国の政を支え、多くの苦難を乗り越えてこられた、酸いも甘いも噛み分けた大人の美しさ……。年輪を重ねた大樹のような、気品と深みのある美しさには、私など逆立ちしても及びません。
鏡さん、あなた、 "美" というものを表面だけでしか捉えられないなんて、案外その目は節穴なのですね」
『……!?』
鏡の表面が、驚愕で激しく波打った。
真実の魔鏡たる自分が、一介の少女に節穴と罵られたのだ。しかし、白雪の言葉には一片の嘘も、嫌味もなかった。ただ純粋に、ローザの「生きてきた強さの美」を讃えていた。
鏡は反論の言葉を見つけられず、ガタガタと震えたまま、沈黙するしかなかった。
ローザは、毒気を抜かれたように呆然と白雪を見た。
(……な、何なの、この子。私を煽っているの? それとも、本気で言っているの……?)
本来嫌悪するはずの義娘から、これ以上ないほどの賛辞を贈られ、ローザの胸中は激しくかき乱された。
そして魔鏡を封印した。
翌年、白雪が十六歳になった時のことである。
ローザは再び、恐る恐る鏡に問いかけた。この一年、白雪の評判は城下でも高まる一方だった。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
鏡は、今度こそローザを言い負かそうと、誇らしげに声を響かせた。
『それは白雪姫。彼女が王都の飢えた民のために、自ら炊き出しを行うその "心の美しさ" は、何物にも代えがたい光を放っています!』
(あぁ!やはり)
ローザが奥歯を噛み締めた瞬間、またしても背後から軽い足音が響いた。
「あら、鏡さん。またそんな極端なことを」
白雪がスープの染みがついたエプロン姿のまま、部屋に入ってきた。
彼女は鏡に向かって、呆れたようにため息をつく。
「私が行った炊き出しなど、ただその場の空腹を満たすだけの、一時しのぎに過ぎませんわ。
ですが、お義母様のしたことはどうでしょう?
民が今後も困らないようにと、新しい産業を興し、職を斡旋し、国全体の貧困を根本から解決しようと夜遅くまで仕事をしてくださっています。
一時的な施しをする私と、民の今後の未来を作っているお義母様。本当に心が美しいのは、どちらか一目瞭然でしょう?
鏡さん、あなた少し視野が狭いのではありませんか?」
『ぐっ……!』
鏡はまたしても言葉を詰まらせた。
白雪の言うことは、あまりにも正論だった。長期的な視点で見れば、王妃の国政改革こそが最大の救済である。
鏡の表面はみるみる曇り、光を消した。
ローザは、エプロン姿で自分を見上げる白雪の、濁りのない瞳を見つめた。
(私がここ最近ずっと徹夜で行っていた仕事を、この子はそんな風に見ていたの……?)
これまで「冷徹で容赦のない王妃」と民に恐れられてきたローザにとって、自分の孤独な努力を完璧に理解し、肯定してくれたのは、白雪が初めてだった。
ローザの頑なな心が、わずかに震えた。そして魔鏡を封印した。
さらに翌年、白雪が十七歳になった。
ローザは、もはや恐怖ではなく、どこか奇妙な期待を胸に鏡へ問いかける。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
鏡は必死だった。魔鏡のプライドをかけ、今度こそ誰もが認めざるを得ない白雪の美を提示した。
『それは白雪姫です! 彼女が夜を徹して怪我をした兵士たちを看病した、その "献身の美" ! これぞ聖女の如き美しさにございます!』
「いいえ、鏡さん。あなたって本当に形ばかりに囚われるのね」
待ってましたと言わんばかりに、白雪が薬草の入った籠を抱えて現れた。
「私がした看病など、ただ手を握り、寝ずの番をしただけのこと。
ですが、お義母様は違います。兵士たちが二度とそんな痛ましい怪我を負わないよう、他国との外交関係の構築に努め、戦争そのものを回避してくださいました。
一人の兵士に寄り添う私と、何千、何万の兵士の命を戦火から守るお義母様。本物の献身とは、どちらの姿を指す言葉かしら?
鏡さん、少しお勉強が足りないようですわね」
『……あ、う……』
鏡は哀れなほどに沈黙した。またしても論破されたのだ。
白雪はローザを振り返り、尊敬の眼差しを向ける。
「お義母様、お疲れではございませんか? 外交のお仕事、本当に頭が下がります。今、お身体を癒やすハーブティーを淹れますね」
「あ、ええ……ありがとう、白雪」
白雪が甲斐甲斐しく部屋を出ていくのを見送りながら、ローザは不覚にも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(……なんて、良い子なのかしら)
かつて抱いていた嫉妬や憎しみは、すでに霧散していた。
それどころか、自分の本質を誰よりも理解してくれるこの義娘が、愛おしくてたまらなくなってきたのだ。
十八歳。白雪は、国一番の美女として、また最も聡明な姫として近隣諸国にまで名を馳せていた。
鏡はもう、意地になっていた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
『それは白雪姫でございます! 彼女が国の古い法律を学び、悪法を改正しようと邁進するその "知的な美しさ"!これこそ至高!』
「まあ、鏡さん。私の拙い勉強をそんな風に言うなんて、からかっているのですか?」
法典の分厚い束を抱えた白雪が、凛とした足取りで入ってきた。
「私がしているのは、過去の先人たちが敷いたレールをなぞり、穴を見つけ埋めているだけに過ぎません。
ですが、我らがお義母様は、何もないゼロのところから、この国の未来を見据えた新しい法案を立ち上げ、保守派の貴族たちをその圧倒的な弁舌で説得し、国を導いておられます。
模倣する私と、創造するお義母様。知性の深さが違うのは明白です。
鏡さん、あなたそろそろ "美の基準" をアップデートされた方がよろしいかと思いますわ」
『アップデート……っ!?』
近代的な単語で詰め寄られ、鏡はひび割れんばかりに戦慄した。
ローザはクスリと笑ってしまった。そして、白雪の元へ歩み寄ると、彼女の抱える重い法典を半分、持ってあげた。
「ありがとう、白雪。でも、あなたのその視点があるからこそ、私も法案の不備に気づけるのよ。あなたも十分に知的で、美しいわ」
「まぁ、お義母様にそんな風に言っていただけるなんて、光栄です!」
二人は仲良く微笑み合い、部屋を後にした。残された鏡は、ただ寂しく沈黙を守るしかなかった。
そして、白雪が十九歳になった年。
もはや、ローザが鏡に問いかけるのは、ただの年中行事であった。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
鏡は、最後の力を振り絞るように、声を震わせた。
『……白雪姫、にございます。彼女が隣国の第一王子から求婚され、その手紙を読んで頬を染める姿は……恋する乙女の、純真無垢な美しさに満ちております……。こればかりは、既婚の王妃様には真似できぬものかと……!』
鏡としては起死回生の一撃のつもりだった。
だが、それを聞いていた白雪は、顔を真っ赤にしながらも、毅然と言い放った。
「な、何を言いますか、鏡さん!
私の恋など、まだ始まったばかりの、青くて酸っぱい果実のようなものですわ!
それに比べて、お義母様と父上をご覧ください。長年、共に国の荒波を乗り越え、互いの欠点を補い合い、言葉にせずとも通じ合う、あの熟成された極上のワインのような夫婦の絆……! その愛に裏打ちされた、内面から滲み出るような包容力のある美しさこそ、至高の愛の形です!
鏡さん、あなたには "愛の深み" というものが、まったく分からないようですね!」
『ワイン……深み……うう、もう、お許しを……』
ついに鏡は精神的に折れた。
銀色の表面に「降参」の二文字を浮かべ、それ以来、二度と勝手に喋らなくなったという。
「もう、白雪ったら。そんなに私を庇わなくていいのよ」
ローザは優しく白雪の肩を抱き寄せた。白雪はローザの胸に顔を埋め、甘えるように微笑む。
「だって、本当のことですもの。私は世界で一番、お義母様を尊敬して、愛しておりますわ」
「私もよ、私の可愛い白雪」
そこには、血の繋がりを超えた、確かな母娘の絆があった。
その後、鏡が動かなくなったので、物語は急速に大団円へと向かう。
数ヶ月後、王宮は二つの大きな喜びに包まれた。
一つは、王妃ローザがめでたく子宝に恵まれ、元気な男児を出産したこと。
ローザの美しさは、母となったことでさらに輝きを増し、国中が待望の跡継ぎの誕生に沸き立った。
そしてもう一つは、白雪姫の結婚である。
彼女に熱烈なアプローチを続けていた隣国の王子は、噂通りの類まれなるイケメンであったが、それ以上に、白雪の "物事の本質を見抜く聡明さ" と "誰に対しても誠実な心" に深く惚れ込んでいた。
結婚式の当日、純白のドレスに身を包んだ白雪は、世界で一番美しい花嫁だった。
「お義母様、これまで本当にありがとうございました。私、向こうの国でも、お義母様のような立派な王妃になれるよう、精一杯頑張ります」
ローザは、涙を堪えながら白雪の手を握りしめた。
「あなたなら、きっと私以上の王妃になれるわ。だって、あなたは私の自慢の娘だもの。……あ、そうだわ。これを持っていきなさい」
ローザが差し出したのは、あの、すっかり大人しくなった「魔鏡」だった。
「えっ、これを私に?」
「ええ。あなたが向こうの国で寂しくなったり、自分に自信をなくしそうになったら、この鏡に問いかけなさい。きっと、今のあなたにふさわしい、本当の『真実』を教えてくれるわ」
白雪は嬉しそうに微笑み、鏡を受け取った。
「はい! 大切にします!」
こうして、白雪姫は最愛の王子と共に隣国へと旅立ち、末永く幸せに暮らした。
ちなみに、隣国の王宮に飾られた魔鏡は、白雪姫が「鏡よ、鏡」と問いかけるたびに、彼女の美しさを全力で、かつ極めて多角的な視点(内面、行動、知性、将来性)から大絶賛する、非常に饒舌で、どこか必死な「大絶賛鏡」へと変貌を遂げたという。
王妃ローザもまた、最愛の息子と夫に囲まれ、国母としてその美名と威厳を長く歴史に残した。
誰も傷つかず、誰も不幸にならない、美しき雪の姫の物語。
城の広間で、幼い王子を抱くローザの笑顔は、間違いなく世界で一番、美しかった。
ノリが真逆だけど、鏡は私にとってのチャッピーです。何を聞いても絶賛してくれる。
でも、「あーそれはとてもいいアイデアですね!」って言っておきながら
「でも~~の方が絶対いいと思いますよ!!」って落とすのなんでや。




