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伝承の怪物たち  作者: 右顧左眄
絶海の巨人
4/10

巨人伝説

長い廊下を渡り、ようやく教授の研究室にたどり着く。


 教授は「茶の準備をしてくるからゆっくりしておれ」と言い残し、

そのまま部屋の奥へと引っ込んでしまった。


 通された研究室は、資料や研究道具が整然と並んでおり、いかにも教授の几帳面な性格がうかがい知れる空間だった。

 しかし、よくよく観察してみると、パッと目につかない棚の隙間や椅子の影に、雑に書類や小物が突っ込まれている。

完璧に見せて手を抜くところは抜く、教授らしいしたたかさも垣間見え、セルゲイは小さく息を漏らした。


そうやって部屋を眺めていると、やがて教授が戻ってきた。

セルゲイは勧められた空いている席に座り、教授特製の茶を受け取る。


「わし特製配合のハーブティーじゃ。遠慮せず飲むがいい」

にこやかに差し出されたお茶だったが、立ち上る湯気からはすさまじい激臭が放たれている。

セルゲイは飲むふりをして唇をすぼめ、苦笑いしながら静かにお茶を遠ざけた。


「……改めて、その巨人伝説についてお聞かせ願えますか?」

 セルゲイが本題を切り出す。

お茶を飲んだ弟子のリアクションを楽しみに待っていた教授だったが、少し残念そうに肩をすくめると、真面目な顔つきになって伝承について語り始めた。


「巨人伝説というのはな、このアテンの、主に沿岸沿いに住む漁民たちに伝わる古い伝承じゃ」

教授は記憶を紐解くように目を細める。


「その昔、アテンからほど近い火山に、罪を犯した火の神が埋葬された。その火の神は死してなお、すさまじい怒りに苛まれており、その感情が高ぶるたびに火山が噴火して周辺に甚大な被害を与えたそうだ。困り果てた神々は、火山の周辺に住んでいた巨人の一族に、火山の監視を命じた。巨人たちは粗暴ゆえに、当時は周辺の民草から大いに嫌われておったそうだがね。だが、この監視命令のために、学ある神が彼らに知識を伝えた。やがて巨人は民とも交流するようになり、次第に誤解は解け、民草と協力して生活するようになったという。いつしかその姿を見せなくなったが、今でも巨人たちは火山の監視を続けておると伝えられておる」


 ひとしきり語り終えた教授は、激臭のするお茶を実においしそうにすする。

神の命令で火山を監視する巨人──。

セルゲイの脳裏に、いくつかの疑問が浮かぶ。


「その火山は、実在するのですか?」


「もちろんするよ。アテンからさらに南の海にある『ゲレス諸島』と呼ばれる場所がその火山じゃ」

教授はあっさりと回答した。


「では、巨人は今もそこに?」


「場所まで分かっておるのはそこまでじゃ。実際に巨人を目撃した者は、これまでに誰もおらん」

お茶をすすりながら、教授が冷徹な事実を告げる。


「では、なぜ今になってそのお話を?」


「その火山がな、最近になって不穏な活動を見せておるからじゃよ」

教授の言葉に、セルゲイは神妙な面持ちで先を促した。


「過去の文献を紐解くと、小規模な地震は噴火の前兆だという。その証拠に、南の漁民たちが、海中から何かを突き上げるような不気味な音を聞いたとも言っておる」


「噴火が近い、と?」


「時期の断定はできん。が、おそらくそう遠くない時期に大噴火が起こるじゃろう」

とんでもない話になってきた。一介の研究者が扱うには、あまりに規模が大きすぎる。


「このことを、議会には報告されたのですか?」


「もちろん伝えておるよ。そしてその対策も検討中じゃ。これといった有効策はないがの」

教授が自虐的に笑う。


「そしてな、今回君に来てもらったのは、まさに生物学的な知見を欲してのことなんじゃ」

教授がいつになく険しい表情になり、セルゲイをまっすぐに見つめた。


「先ほどの伝承で、巨人は火山を監視していると言ったじゃろ? にもかかわらずだ、記録に残る『前回の噴火』の際、巨人を見た者は誰一人としておらんのだよ」


「巨人の伝承はあくまで噂話で、そもそも存在しない……という説が濃厚なのでは?」


「普通ならそう考える。しかしだ、この伝承はアテンの漁民たちの間で信じられないほど広く、深く根付いておる。その地に古くから住む者ほど、この話を頑なに信じておるんじゃ」

教授は思案顔で顎をさすり、部屋を歩き始めた。思考をまとめる時の彼の癖だ。


「民俗学の基本は、文字に記されない文化や風習を研究することじゃ。そして、そういった口伝の多くは、何かしらの『真実』を歪んだ形で伝えておるものとわしは考える。とすれば、巨人、あるいは巨人に類する未知の巨大生物が実在する可能性は極めて高い」

教授はピタリと足を止め、セルゲイに強い視線を向けた。


「そこである仮説を立てた。巨人はいないのではない。何らかの原因で『居合わせることができなかった』のではないかと。巨人といえど生物じゃ。何か外的な要因によって、動くことができない状況に陥っているのではないか?」

教授の熱を帯びた問いかけが、研究室の静寂に響く。


「セルゲイ君。君には民俗・生物学的な両方の観点から、巨人がなぜ現れなかったのか、そしてどうすれば巨人を再び動かすことができるのかを調査してもらいたい」

思った以上に難題だった。

 いつ噴火するかわからない火山の対策として、おとぎ話の巨人を探すなど、夢にも思わない荒唐無稽な話である。

常識的な人間が聞けば、高名な教授がいよいよ正気を失ったと思うだろう。


しかし、セルゲイは自分の胸の奥が、激しく高鳴っていることに驚いていた。

あの日──初めて北方の地で「大熊」に出会った時の、魂が凍りつくような恐怖。

そして、その超常の存在に対する狂おしいほどの好奇心。

あの時に宿った情熱の炎が、今、再びこの胸の奥で激しく燃え上がろうとしている。


「わかりました」

セルゲイは力強く頷いた。


「非才な身ではありますが、その調査、謹んで引き受けさせていただきます」


「おお……! ありがとう。どうか、このアテンを救ってくれ」

教授はセルゲイの手を両手で固く握りしめ、しきりに感謝を述べた。


 こうして、かつてない難題を背負った新米研究者は、巨人と火山の伝説に隠された真実を突き止めるため、この灼熱の都市国家アテンの全土を駆け回る長い旅へと一歩を踏み出すのだった。

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