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202◯年、日本某所、首相官邸の会議室では、前回の国政選挙を振り返り、問題点を洗い出すという名目で閣議が行われていた。
議題は体裁ばかりで、実態は与党が多数の議席を失い、過半数を割り込みかねない現状を誰の責任にするか、という話に終始していた。現総理には責任を取って退陣してもらい、早く自分に席を回せという党内の強烈な圧力だ。とは言え、内閣の構成員は総理寄りの人間が多く、今回の敗戦の要因が与党への不審から来ていることもあり、内部の足並みは揃わないでいた。
総理は退陣も覚悟してはいたが、特に与党の他派閥の足の引っ張り合いにはらわたが煮えくり返る思いだった。
「(まったく、政党間の調整や、嫌疑の質疑応答ばかりで野党だけでなく、与党までも邪魔になるとは。もう潮時かもしれないな。」
内閣総辞職を口にしようとした、その時。いつの間にか長身で豊かな黒い長髪をした男性が立っていた。
皆もその存在に気づき、突然の侵入者に会議室がざわつく。セキュリティも厳しく、到底容易に侵入できるような場所ではない。彼が常人ではないことは、一目で明らかだった。
「ハハハ、皆さん、盛大に勘違いされていらっしゃる。あなた方が選挙で負けたのは総理のせいではありませんよ。投票率が低いからです。」
男が挑発的な笑みを浮かべながら、不思議と通る声で語りかけてきた。
「な、何なんだお前は! ここは内閣の閣議だぞ! 関係者以外は!」
「だまらっしゃい!」
憤慨した大臣の一人が声を上げるが、男は彼を一瞥しただけで、その発言をピシャリと止めた。
「総理にお聞きしたい、前回の衆議院議員選挙と、今回の参議院議員選挙、国民の投票率はいかがでしたか?」
男が総理に語りかける。護衛のSPたちも、まるで金縛りにでもあったように動けない。
「衆議院議員が49%、参議院議員が39%だ。どちらも最低記録を更新してしまった。正直、内閣総理大臣として、国民に対して申し訳ないと感じている。選挙に意味を見出してもらえなかったのだから。」
総理は「投票率」という言葉に、人前では決して言うつもりのなかった本心まで、思わず口から漏れてしまった。
「そうですね。ですがそれは、あなた方の責任だとは言い難い。今の公職選挙法はそもそも70年以上前に制定されたもの。戦後すぐと現代では状況が違いすぎます。選挙権があるだけでありがたい。そういう時代とはもう違うのです。それともなんですかな?あなた方は自分たちが当選できれば国民の投票率が低くても問題ない、いや、信任を得ていると言えるのですか?」
男が鋭い視線で周りを見渡すと、海千山千の政治家であるはずの彼らも、借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「総理、私を選挙投票率改善担当特命大臣に任命してください。私が必ず、投票率を上げる施策を打ち出してみせます。」
総理はその男の目を見つめるうちに、抗いがたい確信にも似た思いに囚われた。――この男ならやってくれる。
「そうだな。国民の半分が投票しないということは、この国の国民を半分失ったに等しい危機的状況だ。これは緊急事態である。そういえば、まだ貴方のお名前を伺っていなかったな。」
総理はまず、自分から名乗ると、男に笑いかける。男はニコリと笑みを浮かべ恭しく名を名乗る。
「私の名前は『月野尊』と申します。」
いまここに日本の未曾有の危機を救うべく、特命大臣『月野尊』が誕生したのだった。