15-③
「絶対やだっっ!!」
ちゃぶ台に両手のひらが思いきり振り下ろされ、ダンッと響く音とともに、雑誌がパサリと畳に落ちた。
並列して座る俺と和葉に、ちゃぶ台を挟んで相対するのは小清水聖子。
突然の再婚という話に感情をあらわにする和葉だが、俺は比較的、冷静でいられた。
先にネタバラシをされたのは、このためだったのかもしれない。
「和葉、話だけでも──」
「話ってなに!? 私は……私は嫌だから!!」
その叫びが部屋と、俺と聖子さんの体を揺らす。
実の娘に言いたてられても、落ち着き払ったすまし顔でいられるのは、それを前提とした覚悟があるからなのか。
和葉ももう高校生で、大人の考えも理解できる歳だ。
母親の幸せを尊重している彼女が、ここまで否定的なのは、なにか理由があるに違いない。
それを聞きだせるのは聖子さんだけだ。
俺には、和葉の背中に手を回し、言葉をもたさず宥めることしかできない。
「安心……して……。そのひとと……一緒になるつもり……だけれど……、和葉に……仲をとりもって……ほしい…………わけじゃないの。親として……分別はつける……から……」
「わかってる! お母さんが、そんなことするひとじゃないのは、わかってる……」
和葉はひくついた口に反論をのせる。
「お母さんには幸せになってほしいって思ってるし、再婚そのものには私もなんとも感じてない」
「……なら」
「でも、そのひとと一緒になってさ、一緒に、住むことになるのは……私……」
そういうと、俺のほうに首をグルリむけてきて、憂いた瞳で目線をおくる。
食いしばる唇は赤く腫れ、顎が皺立ち、いまにも爆発してしまうほど顔が真っ赤。
「助けて」とでもいいたげな表情をみせる和葉だが、いま、なにを思い、なにを求めているのか、俺にはわかる。
新しい父親ができるとか、知らないひとと暮らすとか、そんなものは些細なものなのだろう。
再婚して、この家が再婚相手の家になるということは、もちろんだが俺の居場所はなくなる。
すでにこの世界での振る舞いかたがわかっている以上、路頭を迷う心配はないが、和葉にとっての気がかりはここだ。
俺たちが出会ってからの8年間を、長いとみるか、短いとみるか。
「……! 和葉……!」
目線をそらして、黙りこくって、目を閉じる。
俺が、返していい言葉はなかったのだ。
横で勢いよく立ちあがる音が聞こえた。
襖を開け、わざとらしく廊下を歩く足音が聞こえた。
前方で息を吐く音が聞こえたが、俺は目線をあげなかった。
気がついたのは、いまだった。
叶芽くんを見守った時。
聖子さんに助け舟をだした時。
和葉のそばにいたこの8年間も、俺のアイデンティティそのものも、すべてが他人事だったんだ。
他人事だから本気になれて、他人事だから正論で動けて、他人事だから、だから、いまの俺は虚構なんだ。
和葉を諭そうが、聖子さんを励まそうが、外にいる他人の発言でしかなく、俺自身の言葉じゃない。
いまの俺は、どちらの味方をしようが、双方の正論しかでてこない。
「……和葉、の、……ことを、考えて…………それで……。私は親だから…………だから……」
「……」
そうか、聖子さんは自分で前をむいたのか。
俺よりずっと、ずっと先にいるから、俺は言葉がでないのか。
海の底にいる。
口を開けても溺れないし、呼吸もできる。
だが、口の中に水は入るし、腹に溜まる感覚もあるんだ。
上を目指そうにも、体が海底の岩石に縛りつけられていて、手を伸ばすことでやっと。
気づいてしまった以上、これから先、俺がなにをどう取り繕おうと、この感覚だけは一生、つき纏ってくるんだろうなぁ。
*
陽が落ちて、布団を敷いて、床につく。
眠りにはいったのは一瞬で、それでも、細胞という細胞が駆け巡り、脳に直接、伝播する。
『俺の人生はもう、俺だけの人生じゃない』
わかっている。
不可能を前提に行動していた。
行動していないと、なにもかもが、なくなってしまう気がしていたんだ。
『俺は一家の主だ。俺には、家に帰る義務がある』
ぜんぶ、ぜんぶ綺麗事で、他人事で、だからこそ焚きつけて離さない。
俺はそんなにもできた人間じゃない。
俺は賢い判断ができる人間じゃない。
そんなことは、とっくに──。
『────もし、あんたの選択が、世間一般の批難に浴びることだとしても、私は絶対にあんたの味方でいる。それだけは、忘れないで』
「…………」
ああ、そうだ。
8年前、かーちゃんはわかっていたんだ。
そりゃそうか。
実の息子が自分のこと以外に全力になる意義、そしてその結果。
8年前といえば、かーちゃんは32歳か。
俺の3つも歳下だぞ。
もし、一香が同じ状況に落ちて、何年も無駄な足掻きを続けていたら、俺はなんて声をかける。
また綺麗事をいうのか。
家族なんだから、家族を思うことは当たり前とでもいうのか。
俺は……。
俺は………………────。
『──あ、いま蹴った』
『え!? お、俺も! 俺も聞きたい!!』
『…………』
『…………』
きゅぅ〜……。
『……!! いま! なんか、音!!』
『ごめん。それ多分、消化音』
『はぁ!? なんだそれ!!』
『あはは。いゃ〜しかし、あと数ヶ月もすれば私もお母さんかぁー。全然、実感わかないや』
『俺はそんなことないぞ? まずベビー用品一式だろ。絵本、つみき……、ほら! 勉強ドリルも買ってきてるぞ!!』
『早るなぁ、浮かれすぎないでね』
『そりゃもちろん、もちろん』
『うんうん…………。……あのさ、叶芽くん。結婚して子供もできるし、改めて、真面目な話、してもいい?』
『ん?』
『好き。私は木内叶芽が好き。そして、生まれてくる我が子にも、それ以上の愛情をそそぐつもり。私は実家があんなだったからね』
『…………』
『でも、不運っていうのは突然やってくるものなの。これだけは、なにをどうにも変えられない』
『和葉……』
『だから、優先順位をはっきりとしておきたい。選択のとき、少しの思考も介入させないために』
『ああ、わかった』
『まず1番はこの子。譲っちゃダメ、これだけは絶対に。なにがあっても最優先で考えて。究極、私と天秤にかけたとしても』
『なるほど、親としての自覚ってやつだな』
『うん、そのとおり。……そして次、2番目に大切にすること』
『おう』
『それは自分よ、自分自身』
『……え』
『勘違いしないでね。私は叶芽くんのことを信頼しているし、信頼されているとも思ってる。でも、叶芽くんは自分を大切にしてほしいし、私も私自身にそうしたい』
『な、なんで……、互いに互いを助けあうって、それでいいんじゃ……』
『うん、それができるなら、それがベスト。でもね、私がいっているのはもっと極論の話』
『……??』
『世の中っていうのは、理不尽にも残酷なの。私たちの及ばないところで、別離する可能性もある』
『……』
『当然、困った時はお互い様。これは損切りするための保険じゃない。ただ、互いに互いの足枷だと思いたくないの』
『うん……』
『私はあなたの隣にいたい。養ってほしいからとか、愛してほしいからとか、そんな理由で結婚したわけじゃない』
『…………』
『だから、もし、この幸せが長続きしなかったら、その時は自分の幸せをみつけてほしい。私はそう思ってる』
『…………、でも俺は……それでも、和葉のことを……』
『うん、うん……私もよ。忘れなくていい。切り捨てなくていい。でもそれは、前をむいていてもできる。叶芽くんが、私に教えてくれたように……』
『…………』
『……』
『……わかった』
『!!』
『けど、まず大前提は、その最悪を起こさないことだ。自分と引き換えってことになれば、その時は、俺は咄嗟でも和葉を選ぶぞ』
『うん、それでいい。それは私もおんなじだし』
『ああ、あくまで極論な、極論。あー……でも、ありがとな。子供が産まれたらこんな話、する機会もないだろ』
『そうねぇ。でもごめんね、水差して。お詫びにおっぱい揉ませてあげる』
『ムード作り下手くそか────』
──この地に落ちて、俺はすぐに蓋をした。
いや、「俺」、ではないな。
和葉が、自分自身で蓋をしてくれたんだ。
壊れていたけど、壊れなかった。
壊れていたからこそ、壊れなかった。
焦燥感がまるでない。
未練とほざき、言い訳をツラツラ並べては、もうとっくに光の中にいたんだな。
「一香…………、和……は…………」
俺は羽毛にくるまって、泣いた。
次回最終回の予定です。
キリが悪そうなら、次々回の予定になります。
それも無理そうなら、次々次回の予定になります。




