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35歳の俺と7歳の嫁  作者: mixnunu
15話
64/66

15-③




「絶対やだっっ!!」


 ちゃぶ台に両手のひらが思いきり振り下ろされ、ダンッと響く音とともに、雑誌がパサリと畳に落ちた。

 並列して座る俺と和葉に、ちゃぶ台を挟んで相対するのは小清水聖子。

 突然の再婚という話に感情をあらわにする和葉だが、俺は比較的、冷静でいられた。

 先にネタバラシをされたのは、このためだったのかもしれない。


「和葉、話だけでも──」

「話ってなに!? 私は……私は嫌だから!!」


 その叫びが部屋と、俺と聖子さんの体を揺らす。

 実の娘に言いたてられても、落ち着き払ったすまし顔でいられるのは、それを前提とした覚悟があるからなのか。

 和葉ももう高校生で、大人の考えも理解できる歳だ。

 母親の幸せを尊重している彼女が、ここまで否定的なのは、なにか理由があるに違いない。

 それを聞きだせるのは聖子さんだけだ。

 俺には、和葉の背中に手を回し、言葉をもたさず宥めることしかできない。


「安心……して……。そのひとと……一緒になるつもり……だけれど……、和葉に……仲をとりもって……ほしい…………わけじゃないの。親として……分別はつける……から……」

「わかってる! お母さんが、そんなことするひとじゃないのは、わかってる……」


 和葉はひくついた口に反論をのせる。


「お母さんには幸せになってほしいって思ってるし、再婚そのものには私もなんとも感じてない」

「……なら」

「でも、そのひとと一緒になってさ、一緒に、住むことになるのは……私……」


 そういうと、俺のほうに首をグルリむけてきて、憂いた瞳で目線をおくる。

 食いしばる唇は赤く腫れ、顎が皺立ち、いまにも爆発してしまうほど顔が真っ赤。

 「助けて」とでもいいたげな表情をみせる和葉だが、いま、なにを思い、なにを求めているのか、俺にはわかる。

 新しい父親ができるとか、知らないひとと暮らすとか、そんなものは些細なものなのだろう。

 再婚して、この家が再婚相手の家になるということは、もちろんだが俺の居場所はなくなる。

 すでにこの世界での振る舞いかたがわかっている以上、路頭を迷う心配はないが、和葉にとっての気がかりはここだ。

 俺たちが出会ってからの8年間を、長いとみるか、短いとみるか。


「……! 和葉……!」


 目線をそらして、黙りこくって、目を閉じる。

 俺が、返していい言葉はなかったのだ。

 横で勢いよく立ちあがる音が聞こえた。

 襖を開け、わざとらしく廊下を歩く足音が聞こえた。

 前方で息を吐く音が聞こえたが、俺は目線をあげなかった。


 気がついたのは、いまだった。

 叶芽くんを見守った時。

 聖子さんに助け舟をだした時。

 和葉のそばにいたこの8年間も、俺のアイデンティティそのものも、すべてが他人事だったんだ。

 他人事だから本気になれて、他人事だから正論で動けて、他人事だから、だから、いまの俺は虚構なんだ。

 和葉を諭そうが、聖子さんを励まそうが、外にいる他人の発言でしかなく、俺自身の言葉じゃない。

 いまの俺は、どちらの味方をしようが、双方の正論しかでてこない。


「……和葉、の、……ことを、考えて…………それで……。私は親だから…………だから……」

「……」


 そうか、聖子さんは自分で前をむいたのか。

 俺よりずっと、ずっと先にいるから、俺は言葉がでないのか。


 海の底にいる。

 口を開けても溺れないし、呼吸もできる。

 だが、口の中に水は入るし、腹に溜まる感覚もあるんだ。

 上を目指そうにも、体が海底の岩石に縛りつけられていて、手を伸ばすことでやっと。

 気づいてしまった以上、これから先、俺がなにをどう取り繕おうと、この感覚だけは一生、つき纏ってくるんだろうなぁ。





 陽が落ちて、布団を敷いて、床につく。

 眠りにはいったのは一瞬で、それでも、細胞という細胞が駆け巡り、脳に直接、伝播する。




『俺の人生はもう、俺だけの人生じゃない』




 わかっている。

 不可能を前提に行動していた。

 行動していないと、なにもかもが、なくなってしまう気がしていたんだ。




『俺は一家の主だ。俺には、家に帰る義務がある』




 ぜんぶ、ぜんぶ綺麗事で、他人事で、だからこそ焚きつけて離さない。

 俺はそんなにもできた人間じゃない。

 俺は賢い判断ができる人間じゃない。

 そんなことは、とっくに──。




『────もし、あんたの選択が、世間一般の批難に浴びることだとしても、私は絶対にあんたの味方でいる。それだけは、忘れないで』


「…………」




 ああ、そうだ。

 8年前、かーちゃんはわかっていたんだ。

 そりゃそうか。

 実の息子が自分のこと以外に全力になる意義、そしてその結果。

 8年前といえば、かーちゃんは32歳か。

 俺の3つも歳下だぞ。

 もし、一香が同じ状況に落ちて、何年も無駄な足掻きを続けていたら、俺はなんて声をかける。

 また綺麗事をいうのか。

 家族なんだから、家族を思うことは当たり前とでもいうのか。


 俺は……。

 俺は………………────。











『──あ、いま蹴った』

『え!? お、俺も! 俺も聞きたい!!』


『…………』

『…………』


 きゅぅ〜……。


『……!! いま! なんか、音!!』

『ごめん。それ多分、消化音』

『はぁ!? なんだそれ!!』


『あはは。いゃ〜しかし、あと数ヶ月もすれば私もお母さんかぁー。全然、実感わかないや』

『俺はそんなことないぞ? まずベビー用品一式だろ。絵本、つみき……、ほら! 勉強ドリルも買ってきてるぞ!!』

『早るなぁ、浮かれすぎないでね』

『そりゃもちろん、もちろん』


『うんうん…………。……あのさ、叶芽くん。結婚して子供もできるし、改めて、真面目な話、してもいい?』

『ん?』


『好き。私は木内叶芽が好き。そして、生まれてくる我が子にも、それ以上の愛情をそそぐつもり。私は実家があんなだったからね』

『…………』

『でも、不運っていうのは突然やってくるものなの。これだけは、なにをどうにも変えられない』


『和葉……』

『だから、優先順位をはっきりとしておきたい。選択のとき、少しの思考も介入させないために』

『ああ、わかった』


『まず1番はこの子。譲っちゃダメ、これだけは絶対に。なにがあっても最優先で考えて。究極、私と天秤にかけたとしても』

『なるほど、親としての自覚ってやつだな』

『うん、そのとおり。……そして次、2番目に大切にすること』

『おう』


『それは自分よ、自分自身』

『……え』


『勘違いしないでね。私は叶芽くんのことを信頼しているし、信頼されているとも思ってる。でも、叶芽くんは自分を大切にしてほしいし、私も私自身にそうしたい』

『な、なんで……、互いに互いを助けあうって、それでいいんじゃ……』

『うん、それができるなら、それがベスト。でもね、私がいっているのはもっと極論の話』

『……??』


『世の中っていうのは、理不尽にも残酷なの。私たちの及ばないところで、別離する可能性もある』

『……』

『当然、困った時はお互い様。これは損切りするための保険じゃない。ただ、互いに互いの足枷だと思いたくないの』

『うん……』


『私はあなたの隣にいたい。養ってほしいからとか、愛してほしいからとか、そんな理由で結婚したわけじゃない』

『…………』

『だから、もし、この幸せが長続きしなかったら、その時は自分の幸せをみつけてほしい。私はそう思ってる』


『…………、でも俺は……それでも、和葉のことを……』

『うん、うん……私もよ。忘れなくていい。切り捨てなくていい。でもそれは、前をむいていてもできる。叶芽くんが、私に教えてくれたように……』


『…………』

『……』


『……わかった』

『!!』

『けど、まず大前提は、その最悪を起こさないことだ。自分と引き換えってことになれば、その時は、俺は咄嗟でも和葉を選ぶぞ』

『うん、それでいい。それは私もおんなじだし』


『ああ、あくまで極論な、極論。あー……でも、ありがとな。子供が産まれたらこんな話、する機会もないだろ』

『そうねぇ。でもごめんね、水差して。お詫びにおっぱい揉ませてあげる』

『ムード作り下手くそか────』





 ──この地に落ちて、俺はすぐに蓋をした。

 いや、「俺」、ではないな。

 和葉が、自分自身で蓋をしてくれたんだ。


 壊れていたけど、壊れなかった。

 壊れていたからこそ、壊れなかった。

 焦燥感がまるでない。

 未練とほざき、言い訳をツラツラ並べては、もうとっくに光の中にいたんだな。



「一香…………、和……は…………」





 俺は羽毛にくるまって、泣いた。




 次回最終回の予定です。

 キリが悪そうなら、次々回の予定になります。

 それも無理そうなら、次々次回の予定になります。

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