15-②
俺は以外にも冷静だった。
ここが8年前であれば、胸ぐらをつかんでぶん殴っていたかもしれない。
だが、その歳月が、目的を夢や妄想の類いに昇華させていた。
ようは俺自身、牙が抜けたことを自覚した、ということになるのだが。
「いまさら、なんのようだ」
『オマエハモウ、カエレナイ』
『タイムマシンナド、ツクルコトナド不可能ナノダ』
『オマエハ事故で、ココニキタ』
『鮫島ダケヲ、ツレテクル、ハズダッタ』
『ダカラ諦メロ』
『オマエハコノ世界デ、死ンデシマエ』
声が何重にも聞こえる。
俺の中に入りこんでくる。
その理解しがたい内容は、聞き取ることすら困難で、しかし、腹にはすとんと落ちてしまう。
俺は家族が絶対だ。
そこに代わるものなんてない。
だが、何故だか、反論ができない。
口を開くたび、言葉が喉につっかかる。
こいつを前にしてしまうと、首を縦に振ることしかできなかった。
「………………、俺は……どうすればいい」
『シルカ』
『オマエニハ、ドウスルコトモ、デキヤシナイ』
『凡夫』
『一生ココデ暮ラセ』
『カエスコトナド、特別アツカイハデキナイ』
『オマエハ選バレナカッタノダ』
響いて。
響いて。
気がつけば、俺は吐瀉していた。
茶色く濁る混濁した液体に、赤い斑点が散らばり、一層グロテスクに映りこむ。
見上げても、神の姿はもうなかった。
神々しい煌めきは、街灯の光芒。
綻んでいった地面も、不気味な田畑。
少し進めば、いつもパートに向かう際に通る、見知ったT字路がみえてくる。
夢か、幻か。
ただ確かなことは、口に残る甘くもあり苦くもあるこの吐瀉物が、ここが現実であることの確証を、もたらしてくれている、ということだけだった。
*
「じゃあ……、いってきます」
覇気のない声に鼓膜が反応する。
俺は扉の隙間から手をだし、ひらひらっとふりかえすだけで見送った。
和葉も俺の虚無感をなんらかで感じとったのだろうか。
届きもしないその同情に、嬉々としている自分に嫌気がさす。
人格を否定されて、人間性がなくなって、それでも俺は壊れなかった。
壊れてほしいのに壊れなかった。
そうすれば、幾許かは楽になれるはずなのに。
いまの感情も、和葉に飯を食わせるたびに、忘れていくのだろう。
こんなあっさりとした絶望を味わっても、なんとも思えていないのは、本当に、なんというか、蝕まれてる感覚がする。
和葉は和葉だし、その和葉も一香に置き換えているんだ。
だから狂わない。
8年間、娘にむけるはずだった愛情を和葉には注いだ。
他人だって割り切れてたら、俺も……。
「木内……さん……」
「うわっ! びっくりしたっ!」
「ずっと……呼んでまし……たよ……」
ドアの影にいたのは聖子さん。
いつものアンニュイな表情をむけてくる。
「あの、仕事は?」
「すぐに……いきます。……あの、木内……さんには……先に、話しておきたかった……ことが、あるので……」
「和葉よりですか」
「はい…………」
聖子さんは深呼吸をして、少し会話の間をあける。
8年もの間、俺も手助けはしたが、本質的な育児は彼女がおこなっていた。
元の聖子さんより活発だったはずなのに、いまの肌艶はとてもいい。
初めのうちは戸惑うこともあったが、彼女はもう立派な母。
間近でみていたんだ。
このひとはもう、あの時のような突拍子のないことは、いわないだろう。
いい籠る聖子さんを和ませるべく、俺はそっと微笑んだ。
俺の顔をみてか、決心ついたのか、彼女はゆっくりと口を開く。
「………………私、……再婚する…………ことに、なりました……」
「……え?」




