13-③
「は?」
そう口から漏れでていきそうになって、俺は慌てて口をつぐんだ。
そのひとことが、母のすべてを否定しているようで、なんだかとても、肌の表面が凍えていってしまう。
どこのだれが後ろ指をたてようと、俺だけは、なにもいってはいけない。
そんな気がする。
「みたかんじ、あんたも被害者なんでしょ? じゃあ、いいじゃない。諦めたって、お天道さんは許してくれるわよ」
「…………」
「糾弾しても、嘆いても、だれもとりあっちゃくれない。ならいっそ、ふんぞりかえってみなさいな」
「…………、一香は……」
「ん?」
「俺の娘は……どうすんだよ…………」
「関係ない。会えないひとのこと気にしても仕方ないわ。和葉ちゃんを守る義務はあるかもしれないけど、どうにもできないこと悩んでも、時間の無駄よ」
それは、たぶん、俺が1番ほしい言葉だった。
事情をしっているふたりがいっても、なんなら、ぼんやりした見知らぬだれかがいったとしても、俺を折るには十分な、その言葉。
首筋を撫でる空気が、俺を抱きしめる。
無数の手が、暖かい熱をもって、俺にからみついてくる。
いま、首をたてにふって、母の手を握るだけで、俺のすべてが肯定されるような気がして、すごく湧き立ってならないんだ。
だが、なんだろうか。
どこかから、なにかが、俺に……。
「もう35っつっても、私にいわせりゃまだ35よ」
「……ん」
「あと50年、長生きして60、70年もあるんだから、余生を謳歌したいなら、早いとこ見切りつけても──」
「かーちゃん……!」
「……?」
「もういい、大丈夫」
そういった俺は、ゆっくりと背筋を伸ばし、正面を、母の目をみた。
「親父が交通事故で死んで、俺が独り立ちするまでの14年間、かーちゃんが弱音をはいたとこをみたことがない」
「…………」
「ただかーちゃんが、強いひとなだけだと、おもっていた。でも、それだけじゃない。あの日……、葬式でみた親父の顔と、かーちゃんの顔は、たぶん一生、忘れない」
雨が降りしきる火葬場。
頭の奥が熱くなっていく感覚はあったが、それ以上に、神妙な面持ちで並んでいる大人たちがなんだか怖くて、俺は咄嗟に母のほうへ目をむけた。
その時の母は、悲しいだとか、怒っているだとか、そんな顔をしていないと、子供ながらにおもったりして、少し、壁を感じた。
父と、最後の会話をしていたのだ。
よくわからなかったけど、あの顔は、なんだか、誇らしかった。
「俺の人生はもう、俺だけの人生じゃない。一香が独り立ちしても、和葉が先にいなくなっても、一生、ずっと」
「……」
「俺は一家の主だ。俺には、家に帰る義務がある。それは、かーちゃんが1番よく、わかってるだろ……」
心からの、言葉だった。
用意もしていない、すべてが本心で、心臓から喉を潤す言葉。
それをきいた母は、苦虫を噛み潰したようでいて、頬杖をついて、ため息をはいて、それでもなんだか朗らかで。
すぐさま表情を崩し、いつもの俺をバカにするときの顔をしていたが、なんとなく落ち着いていた。
「あー、あー。冗談よ、冗談っ! ったく、殊勝ぶってからに。ダレに似たのかしらねぇ!」
「そっちが殊勝ぶらせたんだろ……」
「……はぁ……………………、でも、まぁ……、息子が私の最愛のひとのこと、いつまでたっても忘れてないってのは……悪くないわ」
顔をそむけた母は、目を薄くひらき、戦隊モノのソフトフィギュアへと視線をむける。
その横顔は俺も、初めてみたかもしれない。
「ほら、帰った帰った! 夕飯つくんだよ、こちとらぁっ!! あんたも和葉ちゃんに飯つくってやんな!」
「わかったよ……、いわれんでも帰るよ、帰る」
悪態つくようたちあがった俺は、すぐさま母に背をむけた。
その横顔が琴線にふれてきて、逃げたい気持ちもあった。
早足気味に扉をまたぎ、ふりかえることもなく、ヒラヒラ、手をふった。
「………………まって」
「……ん?」
「あー……、いまさらあんたには、お節介かもしんないんだけどさ、ちょっと、いいかしら?」
その母は、いつもより少し、声のトーンが低い気がして、はたと身をふりかえした。
椅子を引きずる音とともに、ゆるりとたちあがり、ズンとした佇まいで、俺の目をみてくる。
「父親として、その決心があるなら、意地でも帰りなさい。折れた瞬間、あんたはあんたじゃなくなる。いま、叶芽を父親たらしめているのは、その決心だけよ」
「ああ、わかってる」
「……で、ここまでが一般論。ここからは母として、ひとつだけ、いわせて」
息をはき、息をすい、その重みを言葉にのせる。
「あんたが置かれている状況が、私の想像だにできないことなのはわかってる。でも、もし、あんたの選択が、世間一般の批難に浴びることだとしても、私は絶対にあんたの味方でいる。それだけは、忘れないで」
そこまでいいきると、母は俺の反応も確認せずに、ゆっくりと扉をしめた。
ドアガラス越しに、背をむけて座る母の姿がみえて、すぐに目をそらす。
求めたものは、ここにはない。
しかし、その情念は、よどみのない晴れやかなものだった。
俺は、その扉の奥へ、深々と頭をさげた。




