12-③
生あたたかい風がふいて、板と空気がすれたような音が耳にはいった。
ふりかえると、辞書ほどにぶあつい上製本を胸の前にだきかかえ、必死なまでに眉毛に力をこめた、白雲さんの姿。
今日のファッションも、あまりあるセンスがあふれている。
「おはよう……! この聖書をひもとけば、きっと木内も、かえれるはずだから。だ、大丈夫よ……! たぶん……」
一夜あけた今日。
俺の感情もさだまらないまま、さびれた空き地にあつまって、脳をとろけさす。
正直、なにがしたいとかも、なにもなかった。
他人をだましてまで、みたされるほど、俺は人間ができていないわけではない。
だが、なんというか、白雲さんの手を、はなしたくないんだ。
やることすべてが蛇足にすぎないきがして、口のなかに大量の綿をつめられたような感覚になる。
和葉とあいたくない。
答えがほしくない。
いまはただ、このよくわからない程度の知り合いが、心地いいんだ。
「この聖書、ひとことでいえば、時の先人の備忘録ね。おそらく、現世で解読ができているのは私だけかしら。たしか……書かれていたはずだわ、時のわたりかたについて」
「お、おう……」
黒を基調に重厚な文様がきざまれた表紙は、たしかに聖書とよばれて、しっくりくる。
まあ、裏表紙の右上にでかでかあるバーコードが、現代の法下で取引された代物だと証明しているようなものだが。
そのオカルト本を地面におき、広げるようにひらいた白雲さんは、びっしりと書かれたヘニャヘニャの文字に指をさした。
「まず、簡単にタイムスリップの原理の説明ね。基本的に、タイムスリップは過去に戻っているようにおもえるけれど、厳密にはそうじゃないらしいの」
「……??」
「自分のいまいる世界ではなくて、無数にある別の4次元、仮想世界における過去。そこに多次元的な手法を駆使して、その仮想世界にワープしている、ってかんがえるのがベターなのよ」
「あぁー……、パラレルワールドってやつか? 例えば、俺がゴミをひろってすてた世界と、そのまま無視して通りすぎた世界のふたつが存在する……みたいな」
「うん。パラレル? ってのはわかんないけど、たぶんあってる」
ちいさくうなずいた白雲さんは、微笑むくらいに口角をあげる。
つまり、俺がもといた時代と、この過去の時代は、平行線の別世界。
小清水家に家政夫がいたことを俺がしらなかったのは、そもそもパラレルワールドだから、で説明がつく。
タイムスリップものなら、わりかし、お決まりの展開ともいえようか。
「ただ、多次元によるワープとか、連続する1次元(時間)を人間がつくりだすなんて不可能。この多世界解釈どころか、タイムスリップなんて、人類の科学じゃ再現性なんてないわ」
「え? じゃあどうすんだよ」
「あら、わからない? だからこそ、私は儀式をくりかえしたのよ。聖書にかかれたとおりのね」
ああ、なるほど。
いま話しているのは、「はじめに」の部分だということか。
ここからこそが本領発揮。
この霊感商法がかたる世界なのだろう。
「とりあえず、木内がこの時代にきて、やるべき目的を特定するところからね。それがわかれば、てっとりばやいわ」
「目的ねぇ……。……ん? この場合、白雲さんの……あの、時空がどうたらこうたらってやつが、俺の目的になるんじゃないのか?」
実際のとこは関係ないが、白雲さんにあわせた疑問をなげておく。
「いいえ、おそらくは違う。私が召喚しようとしたのは、邪眼に眠りし時空の騎士だもの」
「ああ、そうすか……」
「私の予想だと、私がした召喚の儀式は、たんなるトリガーだとおもうわ。その儀式と、木内がこの時代にくる目的がまじりあって、次元に歪みをうんだのよ」
納得のいく仮説ではあるが、そうだとしても、その目的がみあたたらない限りは話にもならない。
得意げな顔で人差し指をたてているところ、申し訳ないが、苦言はていさせてもらう。
「つってもな、その目的がなんなのか、わかんないんだよ。予想につくやつは、もうあらかた、やったんだけどな」
「あら、そう? でもそれは、木内がなすべきとおもった目的でしょう?」
「……? どういう意味だ?」
「私がいってる目的は、過去をかえること、だけじゃない」
彼女は続けて口をひらく。
「たとえば、タイムマシンにのって過去にいった場合、また、タイムマシンにのらないと、元の時代にはもどれないでしょう」
「……っ!!!」
俺の眉毛が、ピクリとうごいた感触があった。
無意識だったのだろう。
その感触が波紋のように額全体へとひろがって、脳を振動させていく。
なんというべきか。
なにか、この過去転生において、見落としていた本懐だったのかもしれない。
「タイムスリップの種類っていうのは、召喚される以外にも色々あるの。いまからそれを、おしえてあげる」
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