11-①
「え、いけない?」
中腰ながらに顔をしかめ、俺はつくえに手をついた。
「仕事が……はいったの……。今日……いまから……」
「仕事って……、参観日、当日ですよ……」
ため息まじりに頬がひくつく。
彼女がする神経の逆撫でに、俺は受話器を耳に近づけるしかできない。
「ていうか、ほんとに仕事あるんですか? 聖子さん窓際族じゃないですか」
「ええ……、和葉と暮らすなら……このままじゃ……だめと……思って」
「まぁ、それは、そうですね」
「一昨日ころ……色々……上司にかけあったり……、提案したり……してたら……、いま、仕事が……わんさか」
「ああ、ナチュラルしごでき……」
俺は劣等感を感じた。
「たぶん、途中からは……間に合う……から……、だから……お願いしたいの……」
「ん、なにを?」
「親……がわり」
*
懐かしいような、つい最近のような、いまだ俺の中に、この学校がある感覚。
25年前でも、6年も通っていれば、そりゃあ忘れないもんか。
(そういや、同窓会はしたな)
当たり前っちゃ当たり前だが、風景も、匂いも、風の心地でさえ、当時そのまま。
昼の休み時間、子供の叫び声が耳奥へと通るたび、口の中にカレー味が広がる。
俺も少し遅れたか、すでに大人で、ごったがえしている。
「あ、おっさん」
「おお、叶芽くん。なんか久しぶり」
そこに通りかかったのは、はなたれの短パン小僧。
自分家の庭かのように堂々と歩いているが、しかし、どこか挙動不審ではあった。
「あっ、あのさ! 和葉の……かーちゃんは?」
「あとでくるってよ。ったく、参観日くらい、仕事、休めっての」
「お、おお……そうなんだ」
辛気臭い顔をみせた叶芽くんは、少しだけうつむいた。
いくら改心していようと、お義母さんのあの姿が幻影になり、脳裏にこびりついて、いるのであろう。
30年たっても苦手意識が残ってんだ。
子供ならなおさら。
俺はその頭をポンポンと叩き、安心させるようほほえむ。
「大丈夫だ。聖子さんはお前が思ってるほど、ひどい人じゃねーよ。今日の和葉の弁当も、聖子さんが作ったんだぜ?」
「そうなの?」
「そうそう、だから和葉に心配させること、いうんじゃねーぞ」
「う、うん。わかった」
聞きわけさえよければ、このクソガキも可愛いもの。
いや、こいつがこうなったのも、俺のせいだったか。
しかし、安心させたはずの叶芽くん。
まだ挙動不審はなおっていない。
「じゃ、じゃあ、おっさんは親がわり?」
「そんなとこだな。……って、どうした。なんか、目ぇ泳いでるけど」
「いやべつに。も、もう、俺いくから」
彼がそういったとほぼ同時。
その懸念が現実となる。
「おぉぉーーすっ! 叶芽ぇ!! きてやったぞ!」
俺の後ろから、校門付近で甲高いおばさん声が叫ばれた。
電線にとまっていたカラスたちも、驚きのあまりに飛びたっていく。
「うわっ! かーちゃん!」
(うげ、かーちゃん……)
「おいおいおい、愛する愛息子に会いにきてやったってのに、その反応はなんじゃいな」
「こなくていい、つったじゃん……」
このふたりが揃ってしまえば、そこはもう実家でしかない。
なんだか少し、疎外感。
「……で、誰このおっさん」
「おっさんは、おっさんだよ。いい人だよ」
「ああ、えっと、向かいの家の小清水さんのとこで、住み込みで家事やってるものです」
和葉や俺には別人を取り繕えるが、実の親となるとかなりきびしい。
なんというか、変な恥ずかしさがある。
「はーん? ほーん?」
「ははは……はは……」
「ふーーん……?」
細めた瞳をこらし、まじまじと、みつめてくる。
顔を近づけ、まるで、吟味でもしているつもりなのか。
あくまで母だ。
しかも、一番、俺が暴れていた時代の母。
緊張感だとか、羞恥心だとかは断じてないはず。
だが、ならば、この顔をしたたる水滴は、なんなのか。
瞬きひとつひとつが、何時間にも感じる。
声を発する一瞬手前。
母の上唇と下唇がもちっと弾んだ瞬間が、しっかりと見えた。
「あんた……………………、パパに似てるわね」
「は?」
(は?)
心の声で綺麗なシンクロ。
こんなのでも母親だ。
この先、なにをいうのか、だいたい予想がつく。
「そんでもって、あんた、お向かいさんでしょ? あらあら、まあまあ、興奮してきた」
「なあ、かーちゃん……、そういうの、やめろって……」
「あ!? いいでしょ別に! パパくたばってから、もう2年になるし! 男に飢えてんのよ。こちとらぁ」
俺は目をぱちくりしたあと、ひとつ大きなため息をついた。
どうして俺はこんなにも、親世代にため息をついているのか。
「あの、すいません」
「あ?」
「心情はお察しします。気丈に振る舞ってるだけなのもわかります」
女手ひとつ、俺を20年近く育ててくれた。
荒くれものみたいなひとだが、碌でもないひとではない。
いまでこそ、まあ、面と向かってはいわないが、尊敬もしている。
だからこそ、だからこそ、いわせてほしい。
「俺に猫撫で声、2度とすんなよ……」
母の色気。
子供がみるものではない。




