9-①
大きなあくびと目やにを擦る動作に連動してか、和葉がどんどんふくれ面になっていく。昨夜の今日ということもあり、睡眠欲は微妙に満たせていなかった。
誤魔化すように左の口角を上げながら、宥めるよう掌を縦にまっすぐするも、それに反して考えはお義母さんへと伸びていく。
あの反応を見る限り、もう取り返しのつかないとこまできているなんてことはないはずだ。とっくの昔に壊れてしまった顔を俺は知っている。
となれば、2人が親子であると確証を得れる状況さえ作ってしまえばいいのだろうが、そこが難解というか、気持ちでは繋がっていても物理的な隔たりがあるのだ。
昨日は無理やりとっ捕まえることで話し合いまで持ち込めたが、そう二度はないだろうし、今後の帰宅が深夜だとして、和葉をそんな時間まで起こしておくのも気が引ける。2人の関係に一歩踏み込めるのはこの2人にしかできないのだ。俺がでしゃばるわけにもいかない、あくまで仲介に徹するしか他がない。
あと一歩、その一歩が幻想にしかならず空を掴む。気持ちは整っているんだ。何か、何でもいい、行動に移せる何かがあれば何でも。
「うーん」と唸るとまた睨まれ、今度こそ肩を窄めた。
しかし、一度手詰まりになると案外思考はフラットになっていき、関係のないことを再確認させられていく。そういえば、俺は家政夫でもなんでもなかったのだった。金こそもらっているが、それは家計に他ならず、俺の存在が圧迫させているのは事実。
つまりは縄跳びなのである。良心の呵責を打破すべく、せっかく免許証を手にしたのだからパートでも──、などの考えを巡らせた辺りで、気付けばもっこりがかおを出す。
「こんにちは。もう、すっかり はるです。──はい! 終わり!」
「おうお疲れお疲れ、はいはんこ。しかし毎日しっかりしてんな」
「うん。日記とこれだけは自信あるもん。おいこみできないから」
「ある意味しっかりだな……。じゃあ時間も時間だし、早いけど昼飯にするか。そうめんがな、安かったから買ってあんだよ」
「おー」
飯へと意気込んだ矢先、ジーとけたたましい音が鳴り、先に玄関へと足を運ぶことになった。和葉は居間越しに廊下へと顔を出しており、それを横目で確認しながら扉を開けると、見知った小さな顔が見上げていた。
「叶芽君、なんだお前か。どうしたんだよ」
「おっさん! 上がっていい!?」
「別にいいけど、こっち今から昼飯だぞ。お前飯は?」
「俺、今日かーちゃんいないから大丈夫。す、すぐ帰るから!!」
「ああそうか。じゃ、ここで食ってくか?」
「う、うん! そうする」
あたかも自分の家かのように向かい入れ、和葉がいる居間へと誘導しておき、台所へと向かう。
「叶芽君! どうしたの?」
「あ、ああ……えーと」
言い淀んだ叶芽君は、何やら持ってきていたチラシを咄嗟に背後へと隠した。
しかし、小2の俺ってばこんなにも慎ましい奴だっただろうか。いや、あの時だ。あの橋の上での一言が、彼をこんなにもたくましくさせたんだ。全部俺のせいじゃないか。
「か、和葉はさ、何してたんだ……?」
「私音読の宿題ー」
「マジ? 俺それ1日で終わらせたぜ」
「えー? 毎日しないといけないのに?」
「かーちゃんにプリント渡したら全部にはんこ推してくれた」
(あのばばあ、不正じゃねーか)
ちゃぶ台に3つ並んだお椀の前に腰を掛け、いただきますの合図で麺を啜る。3人共タイミングは同じだったようで、そうめんの三重奏が響き渡った。
「で、何の用だったんだ? お前は」
「ん! ん、んん。──こ、これ!」
慌てるように掲げられたチラシは裏側を向いており、それに気が付いた叶芽君ははにかみながら表へと向け直し、ゴシック体を指さす。
「夏祭り! 行こうぜ!!」
「あー! 神社でやってるやつ」
「な! いいだろ! 10日、用事とかなかったらだけど……」
「いいんじゃない? なんもなかったはずだし行って来いよ」
そしてあわよくば、いい感じの空気でも醸し出してくれれば万々歳だと下心を込め進めたが、和葉は戸惑った様子で口をすぼめた。
「うーん……。木内さんが一緒ならいい……かな?」
グリンと首を回し、剥き出された眼球が俺を射す。
「わかったわかった、俺も行くから、ていうか保護者はいたほうがいいもんな」
「おっしゃーー!! じゃ、そういうことだから! よろしくお願いします!!」
勢いのよい返事を吐きそうめんを吸い、頬を膨らませたまま両手を合わせ、「じゃ」の一言だけでその場を後にしていった。台風のようで慎ましくもなんともなかったが、むしろ安心である。
だが気になるのは和葉の方だ。いつもなら、それこそ30年後も、イベントごとには目ざとい和葉が何故こうも渋るのか。
「勢いまかせに了承したけど、なんか用事とかあったか?」
「ううん、大丈夫。大丈夫なんだけど、その日ね。ママ、誕生日なんだよ」
「うおマジか」
その瞬間、頭の上に豆電球が生まれた感触を味わった。お義母さんの感情はこちらを向いており、ならば状況のセッティングだけをしてしまえばいい。まったく経験はないが、イベントプランがふつふつ沸いてくる。
「これか。これだな」




