8-②
『え、なんすかこれ』
『何って君の家の鍵だろう? 先週くらいかな、いつでもいいから来てくれって君が送ってきたんじゃないか。結局何だったんだい?』
『あ、ああ。そうだったかな。いや、俺も覚えてないなぁ……って』
『じゃあ返しておくよ。思い出したらまたその時に呼んでくれ』
押切さんより新たに手にした鍵を握って、俺はまたあの納屋の前に立っていた。目的も事情も変わってはいるが、今はほんの微かな手がかりでも成果と言えよう。 親友の元奥さんの家に住み込みで家事を手伝うなんて、冷静に考えれば倫理はない。俺の転生へ木内叶芽も一枚噛んでいるのか?
(でも俺、お向かいさんだったのに家事代行のこと全然知らなかったんだよな。タイムパラドックス的な存在なのかもしれんが)
未知の領域に浮き足立つ。
誰か人の手を借りられればよかったが、現状のほどよい知り合いはキッズ3人のみ。あいつらを呼ぶくらいであれば、骨は折れるであろうが1人の方が何かと都合がいいだろう。
黄土色に輝く鍵穴へと鍵を捻じ込むように2、3度出し入れするも通らず、もしやつかまされただけなのではと疑いだしたタイミングで、鍵のてっぺんにパウダーをまぶしたような手ごたえと共に、鍵穴は反時計回りへと180度回った。
扉の立て付けは悪くもなかったが、砂利の上を引きずるようなざらついた感触はあった。パチリと明かりを点け、中を覗くと部屋は案外すっきりしていた。一様トングと大き目の袋を持って生ごみの対策をしていたが、不要に終わってしまう。
1LDKの戸建てと言えば実感はわきずらいが、体育倉庫ぐらいの大きさに全面コンクリートの打ち放し。そこにカセットコンロ、二人掛けのソファ、セミダブルのベットと少年心がくすぐられる。机や棚はなく、書類が床に放られているのは気になるが、こういうのはそういうのが風情なのだ。
木内叶芽の「こういうの」へのセンスには敬意を表しつつ、しかしそれでいて違和感がいくつかある。主目的から逸脱しざるを得ない、そもそもそれを果たすことすら不可能となる違和感が。
違和感①、行き届いた放置。家に帰っていない期間は1週間になるが、冷蔵庫に生もの類が一切なければ水道から水も出ない。引っ越し直後のように閑散として、生活感がまるでない。
(事務所だから居住は別にあるのか? いや、押切さんはここに住んでいるって言っていたよな)
もしくは、元々から身を切る覚悟で小清水家で寝泊まりするつもりだったか。
違和感②、荒れた痕跡。雰囲気に沿ってはおり「こういうの」の延長だと見逃してはいたが、ソファは破かれた跡で綿がはみ出ていれば、ベットのスプリングはむき出し。便所の扉は金具が外れてそれはもう開放的であった。
言い分通りならここに住んでいたのだ、流石にファッションとは捉えがたい。最近に荒んでいたのか。なら何故生活感がないのか。
違和感③、本当に事務所か。以前に見たチラシが指していた住所は間違いなくこの納屋なのだが、仕事の様相がまるでないのだ。何らかのファイリングもしていなければ、固定電話も線が抜かれている。床に散らばる書類は個人的な物ばかりで、契約だとかの内容は書かれていない。
率直に気味が悪かった。ここで過ごした形跡があれば、その形跡も否定しうる。
(そもそも俺は家事代行なのか? 押切さんも知らなかったが、ここに住んでいたことは知っていた。もしそうであれば何が目的なんだ)
いったん整理しよう。木内叶芽がこの納屋に住んでいたことは明白。最近までここにいたが生活感はまるでなく、用意周到に放置した状態。そして木内家事代行サービスの事務所としているがその痕跡はなく、そんなサービスをしているかも怪しくなってきた。こんな所だろうか。
成果どころか迷宮入りすら視野に入ってくるほどに疑問が増幅していく。
溜息交じりにソファへと腰を下ろしたところ、スプリングの飛び出た部分と背もたれの間に丁度ケツがはまり、居心地の悪さはあったが気にはせずにうなだれた。
両足が浮く形になったため、足元がクリアに映り、ソファの下の隅に財布が落ちていたのを発見した。背徳感は感じつつ、それでいて「まぁ本人だし」などと誰も知る由のない言い訳しながら手を付ける。
(おっ、免許証入ってる。これは貰っておいたほうがいいな。後はクーポン券と、少量の小銭。札もクレジットも入ってないし、お金類まったくないのか)
財布としての機能を果たせていないレザーを眺め、端をつまみながらプラプラと振子にしていると、札を入れる口から重厚感ある八つ折りの紙が落ちた。
俺はそれを拾い上げ、無神経に中身を開いては一瞥する。一瞥だけで鳥肌が立った。
今更になってそういえばが踏み込んでくる。初日の出来事だ。何故俺は転生であったのに林の中で倒れていたのか。この転生前の木内叶芽が、どうして人目のつかない林に用があったのか。
「遺書か……これ」




