入団
「すぅーべーてわーたしぃが、わたしたっちぃがー、まるっと解決、まるっとまるっとまるっとプリーキューだぁ」
計画がうまくいったことに対する安堵感と、地磁気との距離がいままでで一番近づいた(気がする)ことですっかり上機嫌になっていた僕は、自宅へ向けての道中、自然とまるっとプリキューのオープニングテーマを口ずさんでいた。
気持ちも顔も緩みきったまま角を曲がると、擬態を解いたカメレオンのようにひゅっと彼女が現れた。
「いやはや、中々に歌がお上手で」
「うぉわっ!?」
僕は驚いた拍子にバックステップを一歩、二歩、三歩と踏んだ末、結局アスファルトに尻もちをつくハメになった。
「す、杉咲季さん……」
「はい、いかにもわたしが杉咲季ですが」
「い、いま歌ってたの、録画してないよね?」
「やれやれ、大慈弥さんはわたしのことを盗撮マニアだとでも思っているのですか。それとも、あなたのファンだとでも?」
「いや、だったらいいん――」
「録画ではなく録音ならしておきましたけど」
そう言って彼女がスマホの画面をタップすると、『すぅーべーてわーたしぃが、わたしたっちぃがー、まるっと解決、まるっとまるっとまるっとプリーキューだぁ』と僕の歌声が路上に響き渡った。
「いやめてぇぇぇぇ!」
「安心してください。これは学校中にばら撒くためではなく、なにか辛いことがあった際、笑顔を取り戻すために私的にしか使いませんから」
「嫌な使い道!」
「それにしてもうまく丸め込みましたね。やはりわたしの眼力に間違いはなかったようですね」
「丸め込むって……それより、もしかしてずいぶん前から見てたの?」
「はい、一部始終。偶然用事があってあの場にいたので」
あんななにもない公園に一体なんの用があったというのか。やはり歩鬼門業だろうか。それとももしかして生粋の公園マニアで、公園というよりは空き地と表現したくなるあの場所を見ておきたかったのかもしれない。
しかしあんな見晴らしのいい公園で、僕たちの目に触れることなくどこに潜んでいたんだろうな……と、そんなことより――
「僕の歌はともかく、地磁気との会話は撮ってないよね」
「もちろんです。それどころか今回知り得たいかなる情報もわたしの中で処理し、外部に流出させることは一切ありません。大慈弥さんが小学生の時に跳び箱を跳びたくない理由を長々と話して周囲を呆れさせたことも胸にしまっておきます」
「そんなもんしまわなくていいから! いますぐ忘れて!」
さっきから声を張り上げてばっかりだから喉が痛んできたぞ、まったく。
一通りのやり取りを終えると、ようやく僕たちは互いの帰路を目指して歩き出した。といっても、僕の家はもうあと数分のところだけど。
数歩歩いたところで、僕のやや斜め後ろを歩く杉咲季さんが、ポツリと呟くように言った。
「わたしも地磁気さんの気持ちは分かる気がします」
「それって、他人にどう思われるかが気になるってこと? まだほとんど杉咲季さんのことを知らないけど、我が道を往くって感じで全然そんな風に見えないけど」
「……それはきっと立ち位置が違うからでしょう」
それだけ言うと彼女は口を噤み、僕の前に出ようとした。横に並んだときに見えた表情には、普段のポーカーフェイスとは微妙に違う、陰りみたいなものが初めて見えた気がした。
翌日の朝、僕はいつも通り遅刻ギリギリで教室へ駆け込んだ。額に噴き出した汗をハンカチで拭っていると、なんとなく視線を感じた。
右斜め前方を見てみると、数人の茶ボブが群がる中に、好ちゃんと同じ青いYシャツを着た地磁気の姿があった。目線を少し下げると、昨日までの靴下よりか幾分長い、紺色のハイソックスを履いた脚が見えた。
その瞬間、なぜだろう。僕は自分の表情筋が緩んだのを感じた。無事にミッションをやり遂げたことに対する安堵感なのか、彼女が自分の意志で少しの変化を選んだことに対する嬉しさなのか、はたまた、いままで気づかなかった紺ハイソの魅力に気づいてしまった興奮からなのか、その答えは僕にも分からない。
とりあえず変態だと思われないうちに紺ハイソから視線を外し、ニヤけている顔を隠すためにハンカチで口元を覆うことにしよう。
「いやあ、さすがに俺が見込んだ男だけのことはある。グッジョブだジミー」
「ワイのコレクションが役に立ってホンマに良かった。乾杯やかんぱーい」
放課後、僕は漫研の部室である視聴覚室に来ていた。一時間目の授業が終わるや否や杉兄と檜が教室にやってきて、放課後になったら来るように言われていたのだ。
眼前では檜が手にした二リットルペットボトルのコーラを、杉兄の持つ缶コーヒーに当ててから豪快に口の中へと流し込んでいた。万が一吹き出しでもしたら、顔を中心とした僕の体は檜のだ液を含んだコーラまみれになることだろう。あな恐ろしや。
残りの漫研部員であり、僕が今回のミッションを成功させる上で多大な貢献をしてくれた杉咲季さんは、視線こそこちらに向けているが広い室内の一番後ろの席から最前列の僕たちを透過し、ホワイトボードの前にかかったなにも映っていないスクリーンを見ているかのように、まるで興味を示していないようだった。
「よくぞこの困難なミッションを達成してくれた。改めて礼を言おうじゃないか」
「そいつはどうも。それで、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか。なんでお前らは地磁気に紺のハイソックスを履かせたかったんだ」
「まあ慌てるな。今日ここに来てもらったのはそれを教えるためなんだよ。檜、例の映像を頼む」
「了解や」
檜がコーラ片手に机の上に置かれたノートパソコンをいじると、スクリーンに同じ見た目の制服姿の美少女フィギュアが七体映った。
「はっ? これがいったい――」
「左から順にパンスト、オーバーニー、ハイソックス、ハイカット、クルーソックス、アンクレット、スニーカーだ。パンスト以外の長さはオーバーニー――いわゆるニーソがだいたい五十センチから五十五センチくらいで、ハイソックスが三十三から三十八センチ、ハイカットがそれより十センチほど短くて、クルーソックスが十六から二十センチ、アンクレットがくるぶしを覆うくらいでスニーカーはくるぶしの下だ。本当はもう少し細かく区分できるんだが、ややこしくなるといけないからな。とりあえずこれだけ覚えておいてくれ」
杉兄の言葉を受けて改めて画像を見てみると、それぞれ履いている靴下の長さが違っているのに気が付いた。
さすがにニーソックスやスニーカーソックスとの違いは一目瞭然だが、正直ハイソックスとハイカット、クルーソックスに関しては見比べないとあまり違いが分からない。
というか……
「で、靴下の種類がいったいどうしたっていうんだよ」
「焦るなよジミー、早漏は嫌われるぞ。檜、続きを頼む」
「ほいさ」
檜がマウスをクリックすると、スクリーンに円グラフが映し出された。時計回りに三十、二十、十四、十、九、七、三、七パーセントと書かれている。
「この数字がなにを示しているか分かるかい?」
「いや、皆目見当がつかない」
「だろうね」
杉兄が指をパチンと鳴らし(うまく鳴らなかったが)、檜がマウスをクリックすると、スクリーンに『我が校における女子生徒の靴下の割合』というタイトルが表示された。
次いで円グラフの内部に、紺のクルーソックス、紺のハイソックス、白のアンクレットソックス、白のハイソックス、紺のアンクレットソックス、紺のハイカットソックス、白のスニーカーソックス、その他、と時計回りに文字が浮かんだ。
うちの高校は女子だけでも五百人近くいるはずだが、まさか全員の靴下を調べたのだろうか。
「日によって多少の変動はあるけど、だいたいこの数値の通りだと思ってもらっていい。かつて全国を席巻した紺色のハイソックスはいまや下火となり、我が校においてはなんとわずか二十パーセント、五人にひとりの女子しか履いていないという有様だ。ああ、実に嘆かわしい」
「嘆かわしいって、なにが?」
僕が浮かべた疑問に、杉兄の顔は普段の人畜無害なものから、殺された家族の復讐を決意した男のような険しいものに変化した。
「なにが……だと? 紺のハイソックスこそ我が国における唯一無二のオンリーワンで制服に合う靴下、すなわち『キング・オブ・ソックス』だろうが! あのちょうどいい具合にふくらはぎを覆う絶妙な長さ、白や黒、その他諸々の色も含め、この世に存在するどんな色とも違う、奥行きと深みのある紺という色合いが、制服姿を完全無欠なものにするんじゃないか。それがたった二〇パーセントにしか履かれない事態になったというのに……貴様ぁ! それでも日本人か!」
なにを言ってるんだ、こいつは。
「アッキー、落ち着くんや」
「おおっといけない、俺としたことが。ついつい紺ハイソのこととなると見境がなくなってしまって……」
杉兄は興奮を鎮めるように缶コーヒーに口をつけると、再度話し出した。
「なぁジミー、君が最初にこの部屋に来たとき、俺が校則の第三章第二条の内容について訊ねたのは覚えているか」
「ああ、服装の規定についてだろ」
「実はそいつが改正されることになったんだ。今年度になってから校長が代わったのはジミーも知っていると思うけど、この校長が現在の制服の着こなしについて気に入ってないらしくてな。いまの校則だとワイシャツかポロシャツに指定のズボンかスカートを履いてれば、靴下はどんな長さでどんな色でも自由ってことになってるだろ」
「靴下だけじゃなくて靴もな。それにシャツの色もだ」
「そんなことはどうでもいいんだよ、大事なのは靴下だけだ。で、咲季ちゃんが入手した情報によると、一ヶ月後におこなわれる予定の服装検査で、最も履かれていた靴下を指定の靴下にすることになったらしいんだ」
「えっ、そんな馬鹿な」
とは言ったものの、校長の権限というのは意外に大きいものだ。とある公立の小学校では校長の一存で服育という名のもとに高級ブランドの服を制服にした例もあるくらいだし、靴下を指定するくらいわけないだろう。
「幼い頃から紺ハイソを愛でてきた俺は、現在の紺ハイソ離れとでも言うべき状況に大いに胸を痛めていた。しかしなにができるわけでもなく、ただただ悔しくて哀しくて眠れない夜を何度も繰り返すことしかできなかった。だがそんな折、さっきも言ったように来月の服装検査で紺ハイソが最も履かれていたら、今後我が校における女子生徒の靴下は百パーセント紺ハイソになるということを咲季ちゃんから教えてもらったんだ。これはきっと紺ハイソのことを思い続けた俺に対する天からのプレゼントだと直感し、すぐに紺ハイソ好きの同士である檜と咲季ちゃんを誘って、紺色のハイソックスを女子に履いてもらうための団体、その名も『紺色のハイソックス団』を結成したんだ」
「紺色のハイソックス団……黄金の夜明け団みたいだな」
どっちもキワモノだし。
「いままで理由を明かさなかったのは、万が一校則が代わるという情報が漏洩したら、俺らの他にも自分の好きな靴下を流行らせようとする輩が出てきかねないからだったんだ」
「いや、出てこないと思うけど」
「しかし地磁気に紺ハイソを履かせたいまとなってはそんな心配はもう無用だ。ジミーは正式に俺たちの仲間になったんだからな」
「えっ、なに勝手なことを……というか待てよ。ってことは、地磁気にだけ紺ハイソを履いてもらってもしょうがないじゃないか」
「そのとおりだ。服装検査までにひとりでも多くの女子に紺ハイソを履いてもらう必要がある。だからこそ今回の経験を生かして、ジミーには期間までに得意の話術を駆使してさらに頑張ってもらう必要があるんだ。期待しているぞ。君こそ我が紺色のハイソックス団のスーパーエースだ」
「いらないよ! そんな世界一不名誉なエースの称号」
僕は話の真偽を確かめるべく、室内の後方に座している杉咲季さんのところへ向かった。
「ちょっと杉咲季さん。話が違うじゃないか」
「話とは?」
「地磁気に紺ハイソを履かせることができたら、例の動画を消してくれるって――」
「わたしはそんなこと言ってませんよ。協力してくれたら消すと言ったんです。まだ計画の途中である以上、こちらを消すわけにはいきません」
杉咲季さんが僕に向けたスマホの画面には、鉛筆を口に銜え、悦に入ってるヤバい奴――僕が静止画の状態で映っていた。
あばばばばばばば!? えっ、なに、僕ってこんなにヤバい顔してたの? 全然渋カッコよくないんですけど。というかどこから撮ったらこんなに鮮明な映像を残せるんだよ。
「というわけで、引き続きよろしくお願いしますね。大慈弥さん」
「……分かりました。分かりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」
こうして僕は紺色のハイソックスを広めるための集団――『紺色のハイソックス団』に、半べそをかきながら入団することになったのだった。