はじめての討論
映画館を出ても余韻は醒めず、帰り道でも地磁気妹は劇中の内容を身振り手振りを交えて振り返っていた。
地磁気もキューカルダモンがスパイスフラッシュを決めたところがすっごい良かったとか、キューシエスタが戦ってる最中なのに昼寝の時間だからって眠り出しちゃったのが懐かしくて笑っちゃったとか、喜々とした表情で話に参加していた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、もう地磁気家がすぐそこに迫っていた。
すると急に落ち着いたトーン――というよりもやや強張った声音で、地磁気が僕に訊ねてきた。
「この後、ちょっと時間ある? 話しておきたいことがあるんだけど……」
「ああ、いいよ」
妹を家まで送り届けると、僕は地磁気と近くの公園へ向かった。
数分も歩くと、遊具は危ないという理由で設置せず、ボール遊び、ペット同伴、飲食、その他諸々を禁止したベンチが二基置かれているだけで、砂場も水飲み場もトイレもない、話をするか青姦する位しかやることのない公園に着いた。
人が寄りつかないので話をするにはもってこいだろう。
今回もバッグを挟んで僕たちは座った。自分から誘ったというのに地磁気がちっとも口を開かないので、場の雰囲気を和ませるために僕から軽くプリキュートークを繰り出すことにした。
「いまやってるプリキューはさ、いままでのシリーズと一線を画しているよね。いつもだと普段から集まってパン屋をしてたり花屋をしてたりするけど、『まるっと』は敵を倒すときだけ集合して、普段は学校も違うしそれぞれで行動してるってのが斬新だと思うんだ。しかもボスと戦うときはタイマン。はじめて見たときは相当驚いたよ。特にキューロンリーが好きでさ、変身前は学級委員とかボランティア活動に熱心で誰からも好かれてるのに、変身すると他人を一切寄せ付けない孤高の存在になるっていうギャップがいいんだよね。その理由がさ、他のメンバーを傷つけさせないために自分だけで倒すって決めてるっていうのも深い。初登場の第四話のときにバンクシー気取りの落書きワルッチョを一喝したシーンは最高だったよ。『落書きするならテメーの家の壁にでもしてろ。それをSNSにでもアップしとけ!』ってさ」
僕が意図的に間違えてみせると、我慢ならなかったのか地磁気がキューロンリーの口調を真似つつ、ツッコミを入れてきた。
「全然違うから! 『絵を描くという行為はみんなに与えられた自由の翼。しかし規則を破った瞬間に翼は朽ちて消え果てる。抑えきれない闇の衝動は、心のキャンバスに描いて発散しなさい!』でしょ」
「おっと、そうだったね」
僕が表情筋を緩めながら頷くと、地磁気は観念したのか訥々と話し出した。
「妹から聞いたんでしょ? あたしがプリキュー好きだって……」
「偶然流れで、ね。別に内緒ってわけじゃないんだろ」
「そりゃ隠してはないけど……でも、絶対に学校では言わないでよ」
「なんで」
「だって恥ずかしいじゃん。高校生にもなってプリキューが大好きなんて」
やはりな。事前の予想通り、地磁気はプリキューが好きなことを周りに隠している。
というわけでここからが本番だ。紺ハイソを履いてもらうべく、地磁気が『プリキュー好きは隠すべきだ』という主張、僕は『プリキュー好きを隠すべきでない』という主張で討論開始だ。
「そうかな、別に僕は恥ずかしくないと思うけど。確かにプリキューに関連するイベントは、募集の対象年齢が中学生以下であることが多いから、メインのターゲット層はその辺りなんだろうね。そして女の子向けであるということも想像に難くない。だけど男子高校生の僕が見ても、プリキューシリーズは十分に見応えがあるよ。地磁気だって面白いから見てるわけだろ」
「そりゃもちろんそうだけど……。でも、あたしの周りはそういうの全然興味ない子ばっかだから、絶対引かれるし」
「でもいいの? 本当の自分を隠したままで」
「しょうがないじゃん! 変な奴だって思われたくないんだから」
「そうだよね。僕も隠したままの方がいいと思うよ」
「えっ!?」
てっきり、『もっと自信を持て』とか『自分を偽るのはよくない』とか言われると思っていたのだろう。地磁気はびっくりした表情を浮かべ、僕を見てきた。
「だってそうだろ。なにも偽ることなく思うがままに生きている人なんて、世の中にほとんどいないはずだよ。それはルールだったり周囲との人間関係だったり、色々な要因が考えられるね。そういった兼ね合いをクリアするには強い心や確固たる信念、あるいはある種の開き直りが必要なんだろうけど、残念ながら大半の人はそこまで強く生きられない。地磁気だってさっき言ってただろ。変な奴だって思われたくないって。その気持ちは人が他人と関わっていく上で、少なからず持っているものなんじゃないかな。だとすれば自分の好きなものを公開して、それがマイナスに働くって感じるなら、僕は言うべきじゃないって思うんだ」
地磁気はこちらを向いたまま、黙って僕の言うことを聞いてくれている。ここで一気に畳みかけるとしよう。
「しかしそれと同時に自分が好きなものを他人に理解されたいって思ったり、愛情を表現したいっていう欲求を完全に消し去るのも難しいだろうね。もしもモヤモヤしているのなら、僕や妹さんに語りまくるのもいいし、ネット上で同好の士を探して交流するのもいいかもしれない。あるいは、少しだけでも好きなキャラに近づいてみるっていうのもありなんじゃないかな」
「近づいてみるって、一体どういうこと?」
「妹さんから聞いたんだけど、地磁気の一番好きなプリキューは『バッコーン!』に出てきたキュークールなんだよね。グッズもいっぱい持ってるって言ってたよ」
『バッコーン!』はそこら中にバナナの皮を置いたり、落とし穴を掘ったりして地球征服を企んでいるワルヤマワルオたちから人類を守るため、プリキューが戦う話だ。
このシリーズのプリキューは全部で五人で、キュークールは五番目に仲間になった中学二年生の刺草好という女の子だ。
普段は漆黒のリーゼントヘアをばっちりキメて学校を締める番長をしており、変身するとブルースカイ色のサラサラロングヘアをなびかせながら、メリケンサック型レーザーを武器に戦うという、中々パンチの利いたキャラである。
「確かにそうだけど」
「どういうところを好きになったの?」
僕が訊ねると地磁気は目をランランと光らせ、饒舌に語りだした。
「そうだなぁ、いっぱい理由はあるけどまずはキャラデザかな。キュークールに変身したあとの凛とした感じもいいんだけど、変身前の制服にリーゼントっていうのが絶妙なバランスで最高にかっこいいんだ。あたしもいつかリーゼントにしようと思ってたんだけど、踏ん切りがつかなくて、結局できなかったんだよね。それと普段から誰にでも言いたいことはビシっと言えて仲間思いなところがホント素敵。二十一話の『あたしは仲間(ダチ公)を守るために、ぜってー自分を守り抜く』は至言だと思うの。それから――」
どれくらいの時が流れただろう。セミが生まれてから地上に出てくるくらいだろうか。
幼稚園の頃からいまのいままで見たことのなかった熱量で地磁気がキュークールへの思いを吐き出し続けたことにより、とにかくたくさんの時間が流れた。
「――というわけで、キュークールは最高なの。分かってくれた?」
「あっ、ああもちろん。十分すぎるほどに。でさ、話を戻すけど、さっきも言ったようにその大好きなキュークールにちょっとだけでも近づいてみるってのはどうかな。簡単にいうと、格好を真似てみるってことなんだけど」
「格好って、キュークールの? それってつまりコスプレしろってこと?」
「違う違う。真似るのは変身後じゃなくって変身前。つまり、刺草好の方だよ」
僕は両手の指先をくっつけて額の前で動かし、好ちゃんの髪型であるリーゼントを示してみせた。
「好ちゃんの……でも、リーゼントにするのはやっぱり抵抗ある、かな」
「みんなと違うと浮いちゃうからでしょ。だからみんな同じような髪型で同じようなメイクをして、同じような格好をするわけで」
「……」
「責めてるわけじゃないよ。みんなと一緒であることを個性がないだとか自分がないだとかまるで悪いことかのように言う人がいるけど、一緒であるということは帰属意識や一体感だったり、安心感を生み出すのに一役買っているという面もあるんだ。もちろん自己主張があるのは大事なことだけど、毎度毎度自分の権利や意見ばかり主張していている人が世の中に溢れていたらきっと疲れちゃうだろうし、疫病が流行ってるときでも他人の迷惑を顧みずに、なんの対策もなしに夜な夜な遊びまわるなんてことになるかもしれない。個性的な人が輝けるのはその他大勢の一般的な人がいるからで、全員が個性という名の自己主張をするならそれは混沌でしかない。枠があるから枠からはみ出ることができるんだ。誰に強制されるわけでもなく自分の意思でみんなと一緒であるということを選んだなら、他人にとやかく言われる筋合いはない。自分の選択に自信を持って大丈夫だよ。みんなと一緒というのは決して恥ずかしいことでも悪いことでもないんだ」
僕はここで言葉を区切り、地磁気の反応を待つことにした。
できるだけ論理立てて説明したつもりだけど、所詮僕の言うことだ。『またこいつは理屈っぽいことを抜かして。馬鹿じゃないの』なんて思われているかもしれない。
過去の苦い経験も胸の奥から湧き上がってきて、不安で心が大きく揺らいでいるが、なんとか気取られないように注意しつつ彼女の言葉を待った。
そして――
「そっか、そうだよね」
どこか安堵したような口調で放たれた地磁気の言葉は、ほんの短い相槌だけだったが、僕にとってはそれだけで十分だった。
ここまでの話に納得してくれていることに気持ちが緩みそうになったが、まだまだ峠は越えていない。集中をし直すと、僕は再びしゃべりだした。
「まあ周り云々は置いといても、中々リーゼントにするのはハードルが高いかもね。そこでここはひとつ、服装を真似てみるってのはどうかな。ちょうど好ちゃんの着ている制服とうちの学校の制服のデザインは似ているし、好ちゃんと一緒のブルーのワイシャツに紺のハイソックスを履いたら、結構いい感じになると思うんだけど。これくらいなら周囲から浮くこともないと思うし、どうかな?」
そう、いままでの話はすべてこの話をするための伏線だったのだ。プリキューが中学生の女の子の話だと地磁気妹に聞いた際、中学生と言えば制服、つまり紺ハイソを履いているキャラもいるのではと推測し、そこから突破口が開けないかと考えた。
案の定紺ハイソのキャラはいて、しかもその中のひとりが地磁気のお気に入りだったことから、好きなキャラとの同化による愛情表現によって、紺ハイソを履いてもらうという計画を思いついたのだ。
ここまでは自分でも怖いくらい順調に事が進んだのだが、果たして僕の提案を受け入れてくれるだろうか。
今度は不安になる時間もないくらい、地磁気はいままでよりかも幾分すっきりとした表情ですぐに返事をしてくれた。
「うん、それくらいならできそうかも」
よし! 計画どおり!
「そいつは良かった。もっと愛情を表現したいと思ったらリーゼントにしたり、変身後のコスプレをしたり、あるいはみんなにプリキューの良さを伝えて回ればいいんじゃないかな。もちろん地磁気がプリキュー好きっていうのを、僕からみんなに言うことは絶対にない。いまはふたりだけの、いや、妹さんも入れて三人だけの秘密だ」
僕はキュークールが友情の証としておこなう、自らの拳を突き出す仕草をしてみせた。
「うん。ありがと、ひのとん」
地磁気も自分の拳を突き出し、僕の拳に合わせようとする。
しかしこういったことに不慣れな僕は、ゆっくりと出された地磁気の拳を反射的に避けてしまった。
「なんで避けてんの。ウケるんだけど」
「あっ、いや、なんかごめん」
再度拳を突き出し、今度は拳と拳がかみ合った。なんだろう、すごく照れ臭いな。
「そういえば、ひのとんとはちっちゃい頃から一緒だったのに、こうやってふたりだけで話す機会ってなかったよね」
「そういえば、言われてみればそうかも」
「ひのとんってさ、勉強はできるけど休み時間に生徒手帳とか説明書読んでるし、いつも屁理屈ばっかり言ってるから、ぶっちゃけ結構苦手な感じだったんだよね」
なんてことをぶっちゃけてくれてるんだ。僕は結構打たれ弱いんだぞ。これ以上言われたら涙腺が決壊しかねないからな。
「でも先生が相手でも、納得できないと絶対に従わないで自分の考えをはっきり示す姿は、正直ちょっと憧れてた。あたしもあんな風に思ったことをしっかり言えたらなって。中二のときに数学の木島に食って掛かったの、いまでもはっきり覚えてるよ」
「あああれね。だっておかしいじゃないか。アイウエオの中から合ってるのを三つ選べって問題なのに、アイウエオ順で答えないと不正解なんてさ。合ってるのを三つ選べとしか書いてないんだから、順番がオ、イ、エだろうがエ、イ、オだろうが合ってるなら正解は正解じゃないか」
「それはそうだね。でもさすがに小学校の体育の授業で跳び箱を跳びたくないからって、その理由を長々と説明しだしたときはドン引きしたけどね」
「それは……まあ、なんにでも良し悪しはあるものだよ」
僕はアハハと作り笑いを浮かべて、気まずいのをごまかす。なんでそんな余計なこと覚えてるんだよ。しょうがないだろ、跳びたくなかったんだから。
数秒の沈黙の後、地磁気は普段より幾分柔らかい口調で語りだした。
「ひのとん、今日はありがとうね。それとごめん」
「ごめんって、なにが?」
「その、何日か前にひのとんにもう話しかけないでって言ったときのこと……。なんかさ、みんなに合わせてそんなに興味ないファッションや動画の話をしたり、自分の好きなものを隠してることに最近引け目を感じるようになってて、でもみんなの輪を乱したくないって気持ちも嘘じゃないから、どうしたらいいのか分かんなくなっちゃってもやもやしてたんだ。それでつい、ひのとんに当たっちゃって……」
「なるほど、そういうことだったのか」
これで合点がいった。杉咲季さんが言っていたように、感じた違和感には意味があったということだったんだ。
「許してくれる?」
「もちろん。全然気にしてないよ」
「よかったぁ。それとさ、さっきひのとんがみんなに合わせるのは悪いことじゃないって言ってくれたじゃん。そのおかげで悩みも解決した気がするんだよね。あたしがあたしを受け入れることができたっていうか」
「そっか、それは良かった。僕はさ、思うんだよね。本当の自分っていうのは別に自分本位に振る舞ったり包み隠さず生きるってことじゃなくて、自分の考えに沿うってことなんじゃないかって。だから地磁気がみんなに隠し事をしていても、それを否定的にではなく肯定的に捉えることができるのなら、それが本当の自分ってやつなんじゃないかな」
僕の言葉に地磁気が優しく微笑んで肯くと、耳慣れた五時を告げる放送が鳴り響いた。
「さて、そろそろ帰るとしようか」
「そうだね」
ベンチから立ち上がり、ベンチしかない公園を出る。地磁気の家までの道すがら、互いに一言も発しなかったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
家に入る直前、地磁気が僕を見ながら言った。
「今度さ、もっといっぱいプリキューの話しようね。約束だよ」
じゃあねの代わりにブンブン手を振る彼女を見ながら僕は思った。
あれ? もしかして地磁気の奴、僕のことを好きになったんじゃないのかと。
だってこんなに女子から笑顔を向けられたことなんて、いままでの人生であったか。いや、ない(即答)。
ということはどう考えても……いや、待て。待つんだ、僕。中二の夏を思い出すんだ。
目が合うたびに笑顔を返してくれる女子がいたので、この子絶対に僕のことが好きだと思って告白したら、超ハードワックスにバンドマン御用達の超ハードスプレーで逆立てた僕の髪が『超ヤサイ人みたいで面白いから笑ってただけ』と言われてフラれたじゃないか。
危ない危ない。危うく勝手に騙されるところだった。
僕は自分の頬を噛み、痛みにより冷静さを取り戻したところで返事をした。
「ああ、約束だ」
僕の返事に満足したのか、ゆっくりとドアは閉まっていった。