映画
それから三日が経った日曜の昼下がり、やや雲がかった空の下、僕は白い長袖のTシャツに半ズボン、足元にサンダルという出で立ちで地磁気の家の前にいた。
約束の時間より十分以上前から待機していると、ちょうど時間となったところで地磁気家の玄関のドアが開いた。
「やあ、こんにちは」
「こんにちはぁ」
フリフリしたワンピースを着て笑顔で挨拶を返してくれる妹とは対称的に、僕と同じような格好をした姉の方は、「えっ、なんでこいつがここにいるの? 意味分かんないんですけど」と言わんばかりに露骨に顔をしかめた。
「それじゃあ、さっそく行こうか」
「はっ? 行くってなに? どういうこと?」
「どういうことって、行くんでしょ。プリキューの映画見に。僕も一緒に行かせてもらう約束を妹さんとしてたんだよ。ねっ?」
「うん!」
「えっ、ちょっと待って! 意味分かんないんだけど!?」
玄関を開けたら近所に住んでいる同級生の男子が立っていて、日曜朝にやっている幼女向けのアニメの映画を妹と一緒に見に行く約束をしていたという訳の分からない展開に、地磁気は狼狽に狼狽を重ね、声を荒げた。
遡ること三日前、地磁気妹と会話を重ねていく中で、今度の日曜日に彼女が姉である穏やかと一緒に近所の映画館にプリキューの映画を見に行く予定だと知った僕は、一緒に行かせてほしいと頼んでおいたのだ。
承諾を得た際、お姉ちゃんを驚かせたいから当日まで僕が一緒に行くのは内緒にしておいてねと約束をしておいたのだが、しっかり守ってくれたようだ。中々に義理堅い幼女である。
おかげで狙い通りに地磁気は驚いてくれた。もっとも、ハッピーサプライズではなくアンハッピーサプライズなんだけど。
「まあまあ、話は道すがらするとしようじゃないか。お菓子代と飲み物代は僕が出すからさ。さあ出発だ」
なんだかんだと言われる前に、半ば無理矢理歩き出す。目的地は歩いて十五分ほどのところにある、今時珍しい商店街の中にある小さな映画館だ。
地磁気は釈然としない様子だったが、映画の開始時間が迫っていることもあってか、妹と一緒に歩き出した。
「ちょっと、どういうことかちゃんと説明してよ」
地磁気が妹の手を取りながら、逆隣りの僕に小声で詰問してくる。
「いやさ、偶然妹さんがキューアローンのフィギュアを持ってるところに遭遇してね。プリキュー好きな僕としては、ついつい話しかけずにはいられなくてさ。そしたら今度映画を見に行くって言ったから、僕もまだ見てなかったしご一緒させてもらうことにしたんだよ」
もちろん嘘である。
約束をするまで一度たりとも見たことのなかったプリキューについて勉強するため、僕はアニオタでありプリキューシリーズの大ファンでもあるという檜から今シリーズの録画映像と歴代シリーズのブルーレイボックスを借り、三日三晩寝る間も惜しんで映像を見続けた。
それに加え、休み時間にはプリキューのファンブックを熟読し、データを可能な限り頭に叩き込んだ。全部で十八シリーズと想像以上に多かったのですべてを網羅することはできなかったが、最新シリーズである『まるっとプリキュー』と、地磁気が好きなキュークールが出てくる『バッコーン! プリキュー』シリーズは重点的に視聴したので、第二十五話の作画監督は誰かとか訊かれない限り、会話をするには十分なくらいの知識は得られたはずだ。
今日も朝の八時半からのレギュラー放送に加え、家を出るまでブルーレイを見続けた成果をなんとしても発揮してみせるぞ。
「今作もいまのところ歴代トップファイブに入るくらい好きなんだけど、キャラデザとか内容含めて『バッコーン!』が一番好きなんだよね。地磁気は?」
「あたしも『バッコーン!』――って、べ、別に好きとかないから! あたしはただ妹の保護者として来ただけだし」
「あっ、そうなんだ。だったら僕が一緒に行くから大丈夫だよ。地磁気は貴重な休日を楽しむべく、友達と都心のおしゃれなカフェで舌を噛みきりそうな名前の飲み物とかスイーツ(笑)でも食べるか、大好きな動画をスマホのデータ容量がなくなるまで観てればいいさ」
僕があからさまに嫌味っぽく言うと、地磁気は歯ぎしりせんばかりに表情を歪めた。
「ぐっ……そ、そんなわけにはいかないから。ひのとんみたいな奴とふたりっきりにしたら、妹がなにされるか分かんないし」
「僕は変質者か」
「それに……おごってくれるんでしょ、お菓子と飲み物」
「もちろん」
作戦にかかる予算は杉兄から経費として計上されるので、出資者は僕ではないけど。
そうこうしている間に目的地の映画館が入るビルに到着した。
小規模を象徴するようにスクリーンは二つしかなく、映画館で定番のポップコーンもコンビニやスーパーでおなじみの青い袋のものが売られている。飲み物は自販機で調達だ。
ちなみに地磁気姉妹は事前に特典付きのチケットを購入済みで、僕だけ当日券を購入した。大手シネコンとは違い指定席は存在せず、すべて自由席だ。
地磁気は中学生以下だけがもらえるハンディスティッククリーナー型ライトを受け取った妹と一緒に、ドアの中へと入っていく。
もぎりをしていたおっちゃんに「えっ、お前もプリキュー(これ)見るの?」という顔をされながら、僕も後に続いた。
すでに全国公開から一か月ほど経過していたが、封切りよりも遅れて上映することがままあるこの映画館では、まだ公開三日目だ。それなのに人影はまばらで、あと数分ではじまるというのに母親とその子供と思われる組み合わせが二組いるだけで、部屋の中に百以上ある座席は空席だらけだった。
しかしなにもプリキューの人気がないからというわけではない(と思う)。
単にスクリーンが小さい上に音響設備も旧態依然、3Dや4D上映に対応していない映画館で映画を見ようという人が少ないというだけの話だろう。
僕は寂れていると取るのではなく味があると捉えているので、まったく気にならないけど。
地磁気が一駅先にあるシネコンでなくこの映画館を選んだのは、近いからという理由以外に知り合いに会う可能性が低いということもあるのかもしれない。
「一番前がいいー!」
そう言って最前列に駆けていこうとする妹を制し、地磁気は前から五列目の中央の席を選択した。彼女の右には妹、左には手にしていたバッグを置いたので、僕はバッグの隣に腰かけた。
ほどなくして暗くなり、お決まりの予告や映画泥棒のくだりが終わると本編がはじまった。
大まかな流れは、突然変異で悪の思想に染まってしまった妖精を救うため、前々作『スパイスプリキュー』のメンバーと、前作『パートタイム! プリキュー』のメンバーと一緒に『まるっとプリキュー』メンバーが戦うという、春の映画の王道パターンだった。
途中で何度か地磁気妹が、「がんばれー! プリキュー!」と言いながら光るスティッククリーナーを振り回し、当初は声を押し殺して応援していた地磁気も、話が終盤になると目を輝かせながら「がんばれー! プリキュー!」と声を張り上げていた。もちろん僕も。
瞬く間に二時間弱の上映が終わり室内が明るくなると、いやぁ素晴らしいものを見たと言わんばかりに、地磁気の顔は笑みを湛え上気していた。
間違いない、こいつは絶対にプリキューが好きだ。