妹現る
さてどうしたものか。また一から作戦を考えなくてはいけないのだが、なにせとっかかりがまるでない。女子に紺のハイソックスを履いてもらうためのハウツー本が売ってたらいいんだけどな。
なんてことを考えながら家路をたどっていると、僕はいつの間にか地磁気の家の前まで来ていた。
「んー、別にここに来てもなぁ」
独り言をつぶやき、僕は駐車スペースが一台分ある二階建ての一軒家をぼんやりと眺めた。姉貴は地磁気の家にちょくちょくお邪魔しているようだが、僕自身は幼な馴染まなかったので一度も入ったことがない。
こんなところにぼーっと突っ立っていて、帰ってきた地磁気に遭遇でもしたらなにを言われるか分かったもんじゃない。これ以上罵声を浴びるのは精神衛生上よろしくないし、さっさと家に帰るのが吉だ。
そう思って歩き出そうとしたところ、僕の腰のあたりを誰かが軟らかく突っついた。
「ねえ、うちになにか用?」
舌っ足らずな喋り方で僕に話しかけてきたのは、真っ青な髪をしたミニスカの女の子――のフィギュアを持った、小学校低学年くらいの女の子だった。
僕ははじめて見たが、杉咲季さんからの情報と照らし合わせるに、地磁気の小学二年生の妹とみて間違いないだろう。
こちらが一方的に知っているだけで初対面な訳だし、知らないふりをして会話をしようじゃないか。
「あっ、いや、えーっと、もしかして穏やかの妹さん?」
「そうだけど、お姉ちゃんの知り合い?」
「そうだよ。僕はすぐそこの家に住んでいる大慈弥って者で――そうそう、大慈弥丙って知らない? 僕のお姉ちゃんなんだけど、たまに遊びに行ってるでしょ」
「へぇー、ひのえちゃんの弟さんなんだぁ」
「うん、丁って言うんだ。よろしくね」
「よろしくお願いします。わたしは地磁気健やかです。もしかしてお姉ちゃんに用があるのかな。いま呼んでくるね」
「あっ、そういうわけじゃないんだ。それにあいつならいまは家にいないと思うよ。どっか遊びに行ってるから」
「えっ、なんでいないって知ってるのに、うちの前でぼーっとしてたの?」
……しまった! つい口が滑ってしまった。まさか小二の女の子に追い込まれるなんて。もしかして僕って奴は、一般の人よりかも口下手なんじゃないだろうか。ますます自信が奪われるな。
ワーニングのアラートが鳴り響く脳内を静めるべく、僕は思考回路をフル回転させて懸命に言葉を絞りだした。
「あっ、そのお人形かわいいね。なんかのアニメに出てくるのかな?」
そう言って地磁気妹の手にしていたフィギュアを指さす。話を変えて有耶無耶にすることでごまかしにかかったのだ。果たして上手くいくかどうか……。
「そうだよぉ、日曜の朝にやってる『まるっとプリキュー』に出てくる、キューアローンっていうんだよ」
どうやらごまかされてくれたようだ。所詮はまだ幼女だな。
しかしまだまだ油断はできないので、しばらくはプリキュートークをするとしよう。
「そうなんだ。そのアニメってどういう話なの」
「えっとね、なんか中学生の女の子たちがね、おっきな声を出しながらお布団を叩いたり、ゴミの日を守らないワルッチョたちから地球を守るために変身して戦うの」
制作陣の中に隣人トラブルを抱えている人でもいるのだろうか。
「へえ面白そうだね。女の子たちってことは、キューアローン以外にも仲間がいるんだ」
「うん。いまのところね、アローンの他にロンリーとオンリーがいて、今度新しくロアソリタリーが出てくるんだよ。次回予告で言ってた」
仲間間皆無のネーミング。
「ふーん、それは楽しみだね。健やかちゃんが好きなのは人形持ってるし、やっぱりアローンなのかな?」
「うん、わたしはアローンだよ。アローンアローっていう必殺技でね、ワルッチョたちをやっつけちゃうのがすっごいかっこいいの。でね、お姉ちゃんは今回のシリーズだとロンリーが好きなんだよ。ロンリーはロンリーフィンガーズって、指で相手をいっぱい突く攻撃をするの」
ん? いまなんと言った? お姉ちゃんはロンリーが好きだと?
「お姉ちゃんもプリキュー見てるんだ」
「そうだよぉ。わたしは二年前のからだけど、お姉ちゃんはずっと前から見てるからいろんなプリキューを知ってるんだよ。いままでで一番好きなのはキュークールっていう、氷を使うプリキューなんだって。人形とかカードとかいっぱい持ってるんだよ」
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえるかな」
これはまさしく僕が知りたかった、本当に地磁気が好きなものかもしれない。このチャンスを逃すまいと、僕は人目もはばからず、路上で小学校低学年の女の子に質問を浴びせまくった。
質問を終えると少しそこで待っててと地磁気妹に告げ、走って自宅に戻った。家中のありったけのお菓子をかき集め、再び彼女のところへ戻る。お礼と口止め料としてそれを渡すと、大層喜んでくれた。
今度は本当に帰宅すると、僕は杉咲季さんから渡された紙に書いてあった檜の電話番号を思い出し、スマホに打ち込んだ。もしかしたら紺ハイソを履いてもらうことができるかもしれないという期待を胸に。