二度目の討論
子供とその保護者の姿が散見する中、僕たちはちょうど誰もいなかったベンチに並んで座った。
どこからか「カビゴソみたいにお腹の出たサト氏だー」なんて声がする中、切れた息が整ったところで僕は訥々と話し出した。
「さっきの話なんだけどさ、もしなにか気に障ることを言ったんなら謝るよ。ごめん」
「いえ……先輩は別になにも悪くないんです。あれは自分の問題で……」
すっかりしょげてしまい、チワワのように目を潤ませる沙羅ちゃんと和解、そして紺ハイソを履いてもらうべく、痩せている方が魅力的かどうかで討論開始だ。
「さっきの話はまだ途中だったんだ。あれはあくまで割合の話で、太っていてもかわいい子はごまんといるよ。それに痩せている太っているっていうのはBMIなんかを用いればわりと客観的に判断できるけど、それだって筋量によっては正確さに欠けたりするし、そもそも身長と体重を知らなければ調べることだってできない。だから――」
「先輩は結局なにが言いたいんですか!?」
「つまり、見た目なんていうのは主観が強く作用するもので、僕は沙羅ちゃんが太っているとは思わないし、もし万が一沙羅ちゃんが自分のことを太っていると思っていたとしても、僕は沙羅ちゃんはかわいいと思う、ってこと」
「えっ、それって、本当ですか」
「本当だよ。健康に害をきたすほど太っているなら痩せた方がいいと思うけど、別に沙羅ちゃんはそんなことないでしょ。あくまで個性の範囲内だ」
「そっちもですけど、かわいいっていうのが、です」
「もちろん。顔の黄金比率とかを出すまでもなく、沙羅ちゃんはかわいい。僕が保証するよ」
もっとも僕の保証にどれだけの価値があるのかは甚だ疑問ではあるが。少なくとも沙羅ちゃんは愛らしい丸顔に満面の笑みを浮かべているので、ゼロ円ではなさそうだ。
「ありがとうございます。嬉しいです、すごく」
「それは良かった。僕は気にすることないと思うけど、やっぱり体型って気になるんだ」
「そりゃもちろん。できればもうちょっとスリムになりたいっていつも思ってますよ。けど、だからってダイエットするのはちょっと……。おいしいものはなるべく食べたいし、でもなるべくかわいく見られたいしって、いっつも悩んでます」
見事に杉咲季さんの言っていた通りだ。つまり、これでいけるはずだ。
「さっきも言ったけど、僕はそのままの体型でいいと思うよ。だけどあくまで一般論で言うなら、適度に痩せている方が男子受けはいいかもしれないね」
「うう……やっぱりそうですよね」
「そこで提案なんだけど、目の錯覚を利用するってのはどうかな」
「錯覚、ですか?」
「たとえば囲碁の石っていうのは白と黒とで大きさを微妙に変えていて、わずかに黒の方が大きいんだ」
「それって確か、白の方が膨張色っていって大きく見えるからですよね」
「そうそう。だからその理屈を生かして、白系は大きく見えちゃうから黒系の服を着たらどうかなってこと。僕は女子の私服ってよく分からないから制服を例に挙げると、Yシャツの色とか靴下の色だったりを黒系統――たとえば紺に変えてみたら引き締まって見えるんじゃないかな」
「なるほど……」
「さらにもうひとつ。沙羅ちゃんは結構露出が多めだけど、面積の大きい服を着た方が肌を見せる割合が減るから、体型をカバーできるんじゃないかな。制服でいうとYシャツの上にセーターやカーディガンを着たり、スニーカーソックスじゃなくてニーソックスやタイツを履いたりね」
「うーん……でもわたし暑がりだから、なるべく薄着でいたいんですよね。セーターとかタイツはちょっと暑そうかなぁ」
「それじゃあ涼しさも考慮して、セーターじゃなくて長袖のYシャツにするとか、ニーソじゃなくてハイソックスにするってのはどうかな。これだったらそこまで暑くはないんじゃないかな」
沙羅ちゃんが暑がりなのは制服や私服、普段の態度で予想がついていた。
最初から紺ハイソを勧めたのでは暑さを理由に拒絶される可能性もあると思ったので、一旦セーターやタイツといったより厚手なものを勧めることで、本来の目的である紺ハイソを履いてもらうためのハードルを下げたのだ。
果たして上手くいったかどうか。
「うーん……似合いますかね?」
「僕は似合うと思うよ、絶対」
「そうですかぁ! 先輩がそっちがいいって言うんならそうしてみます」
漆黒の曇り空のように苦い顔をして難色を示していた彼女の表情が、すっかりいつもの快晴に戻った。どうやら上手くいったみたいだ。
しかし沙羅ちゃんの言い草、まるで僕が勧めたからオッケーしたみたいに聞こえるな。
も、もしかして、やっぱり僕のことを好きなのではないだろうか? いや待て、そんなわけがない。
あれは中二の冬だった。隣の席の女子が頻繁に教科書を見せてくれというので、僕に気があるからわざと忘れてきてるんだなと思って告白したら、『ただ単に無くしたからで、そんなことくらいで勘違いするなんて意味分かんない』と言われてフラれたじゃないか。
きっと沙羅ちゃんは僕のことを世の男子の声代表かなんかだと思っているのだろう。それならば、さっき僕がかわいいと言ったときに喜んでいたのも頷ける。
とにかく、彼女が紺ハイソを履いてくれる可能性が出たのだから、それでいいではないか。そんなことより……。
「先輩、わたし――」
沙羅ちゃんがなにか言おうとしたのを手を顔の前に出して制し、僕は首を横に振った。
「ごめん。もう、限界……」
ミッションを完遂したことによって張りつめていた糸が切れたのだろう。
僕は腹部を撃たれた兵士のように、腹を押さえながら前傾姿勢でゆっくりゆっくりと公園内のトイレに向かって歩き出した。
待たせている沙羅ちゃんに思いを馳せる余裕もなくトイレを独占すること十数分。どうにかこうにか日の下に舞い戻ったが、結局僕の調子が上向くことはなく、すぐに公園を後にしてそれぞれの家に帰ったのだった。
翌日、引き続き激しい腹痛に襲われたことにより、僕が登校できたのは昼休みになってからだった。
今日はなにも食べるつもりはないが、沙羅ちゃんはどうしているかなと食堂を訪れる。
さすがの彼女も今日は食事を取らないんじゃないかと思っていたが、マコちゃんとドロリンと一緒に卓を囲み、本日の日替わりランチであるチキンカツ定食を、ご機嫌な面持ちで食べていた。
今日は食べ物を見るのも遠慮したいところだったが、嬉しそうに食事をする沙羅ちゃんの顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくる。
口角が上がるのを感じていると、袖をまくった黒系統のポロシャツに紺のハイソックスを履いた沙羅ちゃんが、「せんぱーい! おなかの具合はどうですかぁ」と入口まで届く大きく元気な声で、僕に呼びかけるのだった。