コオリノマコト
「お応えできる事でしたら」
「ありがとうございます」
そう言って、秋咲が再び手帳に視線を落とす。
「大山祐二という男は?ご存じですか?」
「さあ知りません?何者ですか?」
火折乃がはっきりとした態度で否定する。
「つい数日前、路上で保護された男です。夜道に放心状態で突っ立っているところを、通行人からの連絡で警察が保護して病院へ入院させました。3日ほど意識が戻らなかったので、色々と検査したところ、身体の機能的にはどうやら眠っているらしいんです。つまり、大山は立ったまま眠っていたらしいんですよ。そして、今もまだ病院のベッドの上で眠り続けています」
「私、医者ではありませんから、そんな相談されても」
そう言って火折乃が皮肉っぽく微笑むと、秋咲が小さく首を振った。
「伺いたい話はこれからでしてね」
小さく頭を掻く。
「じつは、大山はたまに寝言を言うらしいんです」
「そ、そりゃあ、まあ、寝てるのであれば、寝言ぐらい言うんじゃ無いですか?」
疑いを挟む余地がないほど動揺した様子で火折乃が答える。
彼女には寝言の見当がついているようだった。
「『コオリノさん』と繰り返すのだそうですよ」
火折乃が心の中で舌打ちする。
「これ、貴方の事じゃ無いですよね?」
「他人の夢の話をされても、何も言いようがありませんね」
火折乃の言葉に、目交ぜし間、沈黙していた秋咲が、目を伏せ気味にして話し出す。
「まあ、そうですよね。実際の所、私も何を聞いて良いのか、じつは困っています」
言って自嘲気味に笑う。
「じつは、もう一つあるんですよ火折乃さん」
脇で静かにメモを執っていた清水が口を挟む。
「先日、ある事件の容疑者を確保したんですけどね。山崎、山崎徹っていうんです」
「ご存じないですか?」
秋咲が尋ねる。
「さあ?知らない名前ですね」
「でしょうね」
秋咲が清水と一瞬顔を見合わせ、ため息交じりに言った。
「海の岩場で転んだらしく、顔の右半分の皮がずる剥け状態になってました。海岸で倒れていた所を病院に運ばれて、そこで身柄を確保したんですが、その際に、何か、もの凄く怖がってましてね」
「幽霊でも見たんじゃ無いですか」
火折乃がそう言って微笑む。
「いえ、聞いてみると『コオリノマコト』が怖いって言うんです」
秋咲の言葉に火折乃が目を逸らした。
「当初、コオリノマコトが何なのか解らなくて、かなり混乱したのですが。貴方の名前、コオリノマコトでしたよね?」
しばし、ヒグラシの鳴く声だけが部屋の中に流れる。
「これ、ただの偶然でしょうか?それとも……」
秋咲が何かを言いかけたとき。
「刑事さん」
火折乃が口を開いた。
二人の刑事が身構え、清水が喉を鳴らす音が聞こえた。
「お腹が空きました」
火折乃は真顔でそう言うと鋭い形相で二人を見つめた。




