【短編・シリーズ】 超金持ちお嬢様な完璧美少女が社交的なくせに許嫁ってだけで根暗陰キャな僕にだけ弱音を吐いてくる~美少女の金持ちパパが僕を憐れむような目で見てくるのは何故ですか?~
僕の婚約者である鏑木涼子。
僕はこいつがとにかく苦手だ。
「虎鉄くん、聞いて聞いて」
まず、信じられないほど顔が良い。
六歳の頃に初めて会って以降ことあるごとに傍にいる彼女の、そのあまりに隔絶した美少女っぷりに僕の女の子を見る目が肥えまくってしまい、テレビのアイドルなんかを見てキュンとするような経験をしたことが無い。
鏑木涼子と比べてしまえば今一番人気のアイドルもその辺の同級生女子と大差無く思えてしまう。
そのくらい最上級の外見をしているのだ、鏑木涼子という奴は。
それは十年経ってお互いに高校生になった今も変わらず、いやむしろ美少女具合が加速度的に増していっている気がする。
年相応に育った体はすらりとしているのに出るところはバツンと出ていて、ファッションモデルとグラビアアイドルの良いとこ取りかなというくらい均整が取れているし、育ちがいいため姿勢や立ち居振る舞いもお手本のように美しい。
「虎鉄くん? ねえってば」
潤んだ目がこちらを見ている。
何か不安になることでもあったのか、その瞳はキラキラと光を取り込みながらもやたらと水分を含んでいる。
勘弁してくれ。
目が潰れる。
彼女が僕を覗き込むようズイと身を寄せて距離が近づいた事でフワッと何かいい匂いがした気がして僕は背を反らして体を離した。
顔が良い。スタイルが良い。声も匂いもすごく良い。
それならせめて性格が悪くあれと思ってしまう僕だが、実際は性格も良いのだから手に負えなかった。
「虎鉄くん? 虎鉄くんってば」
そんな弱気な声を出さないでくれ。
普段からにこにこ明るく社交的で、頭も良くて体も動かせる。
そんな彼女が人に好かれないはずは無く、何をしていても何もしていなくても彼女の周囲にはいつもたくさんの人間が集ってくる。
人に囲まれいつもワイワイと賑やかにしている鏑木涼子とは、僕は全く住む世界の違う人間だ。
そんな彼女がなぜこんな人気のない薄暗い階段で僕の隣に座って不安そうに眉を垂らしているのか、僕はなぜこんな状況になるのかを誰かに説明してほしいくらいだった。
僕が小さい頃、具体的には鏑木涼子との婚約話がまとまる六歳頃まで、僕の実家である伊集院家は裕福な家柄だった。
歴史のある鏑木涼子の家と並べるくらいお金があって、いわゆる成り上がりな金持ち一家のボンボンだったのだ。
鏑木涼子の父親が昔うちの父親に世話になったとかで、まあ娘である鏑木涼子は伊集院家に差し出される形で婚約話はまとまったらしい。
僕と鏑木涼子、本人不在で親同士の取り決めだ。
その後、まあ僕の父親がミスって伊集院家は経営破綻して没落生活からの一家離散。
父親の負債を回避するために僕は母の姓である佐藤を名乗ることになり、佐藤虎鉄というちょっと貧乏なだけの何の変哲も無い少年が誕生したわけだ。
ひとつ、完璧美少女との婚約が解消されなかったという点を除いて。
(普通、解消するだろ!こっちはド貧乏まで没落してんだぞ! お菓子どころかご飯も怪しかったんだぞ!? )
冷静になればなるほどなぜ婚約解消されないのだと思ってしまうが、両家の父親同士の取り決めだからだろうか、僕が何を言ったところで母さんは困ったように苦笑するだけだった。
じゃあ鏑木涼子が親から冷遇されているのかといえばそんなことはなく、ちゃんと娘として愛されて大切にされているのだから訳が分からない。
いっそ、彼女から親に婚約関係の破棄を言ってくれればと思うのだが───。
「こ、虎鉄くんってばっ」
ついに痺れを切らしたらしい彼女が僕の腕にそっと手を添えて声を張った。
「聞いてます」
「本当? 聞いてくれてる?」
先ほども言った通り、ここは学校の人気のない階段。
上階は選択科目などで使われる教室が集まっていることもあって放課後になってしまえば人の気配はなく、僕と彼女の声以外、周囲はシンと静まり返っている。
屋上へと続く階段の最上段に二人並んで座り、今僕は完璧な美少女から至近距離で腕を引かれているのだ。
だからなんだこの状況は。
早く帰ってゲームがしたい。テレビが見たい。なんでもいいからこんな緊張する状況から逃げたい。
僕から返事が一度あったことに安心したのか、完璧美少女・鏑木涼子は少し表情を緩めてそれから自身の手元に視線をやると慌てて僕の腕から手を離した。
アワアワと手を振りながら「ちがう、ちがうの、ごめんね」と焦ったように弁明している。
目元がほんのり赤くなっている。可愛い。
鏑木涼子を見て可愛いと思うのは人類なら誰しもが思うだろうことなので、僕としては恥じらいなど無い。
鏑木涼子は可愛いのだ。
僕が鏑木涼子を苦手にしていることと、鏑木涼子が可愛いことは矛盾せず、同時に成立する事柄だ。
育ちが良い鏑木涼子はしばらく僕の腕に触れていたことを恥ずかしがった後、話を始めたいようで視線を向けている僕をチラチラと伺いながらもじもじする。
何度もしつこく呼びかけていたくせに、押しが強い訳ではないのだ。
こういうところもまた、いただけない。
そうこちらの反応を気にされると強く拒否もできないじゃないか。
聞いてほしい話があると、鏑木涼子はいつも僕をこの場所へと呼び出した。
そう、この状況は珍しいことではないのだ。
本当になぜなのかと思う。
人気者の彼女なら、いくらでも話を聞いてもらう相手はいるだろうに。
もじもじしていた彼女は普段の明るく元気なクラスでの様子とは打って変わり、再び不安げに瞳を潤ませ話し始めた。
「あのね、あのね、今日失敗しちゃったの」
だろうな、と思う。
彼女の話はいつも似たような内容だからだ。
「今度は何ですか。授業で当てられて声が裏返り掛けた事? 廊下を歩いているときにすれ違う友人に挨拶をしたけど相手が他の事に夢中で気付かれなかった事? それとも自動販売機で間違って隣の飲み物のボタンを押してしまった事?」
「な! なんで知ってるの!?」
僕は彼女に気づかれないよう小さく口の中で溜息を吐いた。
「あなた目立つんですよ」
僕の指摘が図星だったらしい彼女はすっかり涙目だが、彼女の言う”失敗”なんてこんなものなのだ。
声がひっくり返ろうが、友達とニアミスしようが、いちごミルクの紙パックを買おうとしてノンシュガーのカフェオレを買ってしまおうが、普通の人なら『あちゃー』と思うくらいで何ともない。
むしろ彼女のような陽キャさんなら友達に話して笑いの種にするくらいじゃないのかと思ってしまう。
しかしこの完璧美少女は、完璧すぎるがゆえに普通の人が簡単に済ませてしまう失敗もウジウジと気にしてしまう性質らしかった。
そして、そんな一面をどうやら僕にしか見せていないらしい。
親でもなく、友達でもなく、貧乏根暗陰キャの僕にだけ。
「あとねっ、あとねっ、最後まで吸いすぎてストローがズズズって音が鳴っちゃって、恥ずかしくってね」
顔を真っ赤にして失敗談を一生懸命語る彼女。
朗読会で賞を取って全校生徒の前で語り手をして見せていた姿はどこへ行ってしまったのか。
しどろもどろで可愛い。
可愛さで僕を殺す気か。
「……なんで鏑木さんは僕にそんな話するんですか?」
僕だけに、と言いかけてやめる。
彼女は僕にしか弱音を吐かない。
けれどそれを明言してしまうと何か悪いことが起きてしまいそうで怖かった。
「?」
キョトンとする彼女。
僕が彼女にこうして質問するのは初めてじゃない。
だって不可解だ。
親同士が決めただけの空虚な婚約関係は、きっと、いや絶対近いうち破棄されるだろう。
だってそうでないとおかしい。
婚約を決めた当時とは状況が変わりすぎているし、どう考えてもこの完璧美少女に育ったお嬢様を僕に宛がうのは勿体無さ過ぎると思う。
「僕でなくとも、いいんじゃないですか」
言った途端、喉の奥が狭くなったように感じ息も苦しくなる。
指先から冷たくなる感覚を、僕は知らないふりをして続けた。
「名ばかりの婚約者だからと僕に頼らなくていいんですよ」
そんな僕に。
「虎鉄くん、大好き」
ふにゃっと笑った彼女は言う。
苦手だ。苦手だ。苦手だ。
僕はこの完璧美少女、鏑木涼子が苦手だ。
こんな風に僕に笑顔を向ける。
無防備で、初めて出会った六歳の頃と変わらないようなあどけない顔を、僕だけに見せる。
鏑木涼子が苦手だ。
そして、彼女はいつも言うのだ。
僕のことが好きだと。
あどけない笑顔で、屈託なく言うのだ。
その言葉に、僕の緊張や決意が氷解させられてしまいそうになってグッと奥歯を噛む。
応える術などないはずだ。
僕なんかでは彼女に相応しくない。
僕なんかイケメンでもなければお金もなく、成績も普通な根暗な陰キャだ。
唯一彼女に差し出せるはずだった家の財産もとうの昔になくなった事故物件。
こんな僕が婚約者だからってだけで何もかも完璧な彼女にこんな風に笑いかけられていいはずないのに。
「虎鉄くんがね、いいんだよぅ」
僕の心を見透かすみたいに、へにゃりとした笑顔で言葉を重ねる彼女はどこまでも純粋に僕を慕っているように見えて、僕は内心で流されてはいけないと何度も強く繰り返しながら、罪悪感やら渇望感やら彼女への想いやら劣等感やらもう訳が分からないくらいごちゃ混ぜになってぐちゃぐちゃになっていた。
***鏑木涼子視点***
「涼子、ご挨拶をしなさい。彼が涼子と将来結婚する虎鉄くんだよ」
お父さんの大きな手に背中をぐっと押されると踏ん張っていられず前に一歩踏み出した。
結婚なんて言われても実感も何も無く、私はご挨拶をしないととそればかりに一生懸命だった。
「はじめまちて、かぶらぎりょうこです! ろくさいです!」
よろけそうになった足を踏ん張り、私はきちんと両足を揃えて背筋を伸ばすと軽く膝を曲げて会釈をしながらご挨拶をする。
「おやおや、これはこれは。可愛らしいなあ。よろしくね、涼子ちゃん」
私のカンペキなご挨拶に、目の前に立つうちの一人、お父さんより年上に見えるオジサンが相貌を崩して褒めてくれた。
こういうデレデレしたお顔は私には見慣れたものだ。
私は得意になって胸を張り、それから目の前に立つもう一人、小さな男の子へと視線を移した。
「……」
男の子はむすっとしたお顔でズボンを握りしめ、俯きがちで何もお話しない。
幼稚舎でもこういう子はいる。人見知りさんだ。
私はズイと一歩踏み出し俯いているお顔を下から覗き込んだ。
「おなまえは?」
「……こてつ。ろくさい」
「こてつくんね!」
少し強引にほっぺを両手で挟んで持ち上げてやると、虎鉄くんは驚いて目を大きく見開きこちらを見た。
私はニコッと笑って見せてあげる。
「よろしく!」
満面の笑顔で私がこう言えば、みんな私から目が離せなくなって、大人の人たちは可愛い可愛いってデレデレになっちゃう。
幼稚舎の人見知りさんや恥ずかしがり屋さんな子たちも、みんなこうしてあげれば、はにかんだり私をじっと見たりしてちゃんとお話できるようになるんだから。
そう思った私だったけど、虎鉄くんの様子は私が予想していたものとは違っていた。
「や、やめてっ」
焦ったように小さな声でそう言うと、首を振って私の両手から顔を離してしゃがんでしまった。
私とお顔を見せ合ったのに、ちゃんと目が合ったのに、なんで?
私の頭の中は素朴な疑問でいっぱいになった。
思わず動きを止めてしまった私に、お父さんが慌てたように肩に手を置き言ってくる。
「虎鉄くんびっくりさせてごめんね。涼子、突然お顔に触れてはいけないよ、驚かせてしまっただろう」
「いやいや、涼子ちゃんが余りに可愛いものだから、照れてしまったかな」
虎鉄くんの隣のオジサン、つまり虎鉄くんのパパがしゃがんでいる虎鉄くんの肩を少し強引にグイと引くようにしながらお顔だけはこっちに笑顔を向けてフォローをした。
私はポカンとしてしまって、たぶんこれが私が初めて人に拒絶された瞬間だったんだと思う。
この時の私は、上手く言えないんだけど、自分の事を世界で一番優先されて当然のものだと思い込んでいて、可愛くご挨拶さえすれば誰もが『かわいい』と笑顔を返してくれるものだと信じ切っていた。
まさか、私の顔を見るなり渋いような苦いような顔をして避けられることがあるなんて思いもしなかったのだ。
なんで? なんで? と疑問で頭がいっぱいになって、けれど今までの自信に根拠もないから思考も考察も何もできるはずもなくて、私はこの日この後何を話して何をしたのかすら覚えていないほどの衝撃を受けていた。
「涼子、ウザイ」
「ひどい虎鉄くん!」
十歳を過ぎた頃、虎鉄くんは私に冷たく当たるようになっていた。
『ブス』とか『ウザイ』とか酷い言葉を使うようになって、その頃になると虎鉄くんのパパもママもとても忙しくなって虎鉄くん一人で我が家に遊びに来るようになっていた。
虎鉄くんは遊びに来てくれるけど、いつも私のお父さんの書斎にまっすぐ行っては本棚に噛り付くみたいに本を選んで、その後は帰る時間になるまで本を読んだり何か紙に書いたりしていて私に全然構ってくれなかった。
集中したいらしい虎鉄くんに、でも私は構って欲しくて私を見て欲しくていっぱい話しかけていて、それはイジワルの悪口とかとは別に本当にうざったい存在だったんだと思う。
後になれば分かるけれど、その頃の虎鉄くんのお家は大変で虎鉄くんは我が家に来ることで気を紛らわせたり気晴らしをしに来ていたんだと思う。
でもそんなことを知らないし知ろうともしなかった私は、その頃には自分に向けられる『かわいい』がどういうものかをはっきり自覚していて、私は『かわいい』から嫌われることはないって、傲慢な自意識を盾にして矛にしてグイグイと強引に虎鉄くんに絡んでいた気がする。
虎鉄くんだって私の顔をちゃんと見てさえくれれば、私のことが大好きになっていっぱいデレデレになって構ってくれるはずだって信じてた。
虎鉄くんとはちゃんと顔を見合わせてお話したことがない気がしていて、実際、虎鉄くんは我が家に来ても本ばかりで私のヤキモキした気持ちはどんどん膨らむばっかりだった。
そんなある日、私はついに暴挙に出た。
「虎鉄くんは今日から我が家のご本読んじゃ駄目って決めたから! お父さんにもお願いしたから!」
「ハ?」
いつものように我が家に着くなりお父さんの書斎に向かい、ドアを開けようとして鍵がかかっていることに気付いた虎鉄くんに、私は言い放った。
本当はそんなの嘘。
お父さんにお願いに行ったのは本当だけど、『そんなワガママ言っては駄目だよ』と言われてしまったから、虎鉄くんが来る直前に私がこっそり書斎の鍵をかけておいたのだ。
部屋の内側で鍵をかけて、そのまま窓から靴下のまま出て庭をぐるっと回ってきたのだから、そんなのお嬢様教育を受けている女の子がすることじゃないのは分かっていた。
けれど、私はとにかく虎鉄くんに構ってもらうためならなんだってやってしまうくらい必死だった。
そんななりふり構わない私の渾身のドヤ顔に、怪訝そうに「ハ?」と言った虎鉄くんのその後の反応は、決して私が望んでいたものでは無くて。
あ、怖い顔。初めて見た。
そう思う間もなく口を開いた虎鉄くんは私をまっすぐ見定めて眉をしかめ、
「性格悪いな、ブス」
言われて当然の、純然たる敵意が放たれた。
生まれて初めて、『ごめんなさい』を言わなくてはと自発的に考えた。
冷たい目を向けられ、すっかりフリーズした私は結局その一言を口にすることは出来ず、来て早々踵を返して帰って行く虎鉄くんの背中を見ているだけだった。
無意識だったけれど、私は虎鉄くんのその残酷で、けれど正直な目にいつだって安心させられていた。
親から甘やかされている自覚があった。
周囲の大人が、お友達が、私を甘やかしたがっていることも分かっていてそれに甘えていた。
みんな私が言う事なら嫌な顔せず応じてくれた。
容姿も家柄も能力も揃っている私を、誰もが求め、どんな横暴だってきっとみんなが許した。
いくらでも道を踏み外せてしまえそうなその中で、ただ一人の”婚約者”だけがそれを許さず、私が最低な人間になるのを引き留めてくれていた。
そんなの、好きになるに決まってる。
私は、誰より私を甘やかさない彼を好きになった。
虎鉄くんの家が没落した。
虎鉄くんのパパは私の知らない間に姿を消して、虎鉄くんはママと二人で暮らし始めた。
部屋で一人、じっと黙っていた私の元へノックの音が届く。
「涼子、今いいかい?」
「お父さん? うん、いいよ」
珍しく私の部屋へやってきたお父さんはそっとドアを開けると暗い顔をしていた。
入室しようとして立ち止まり、その顔が驚きと困惑に染まっていく。
「涼子───」
「お父さん、珍しいね、お部屋に来るなんて。どうしたの? 入って入って」
「あ、ああ」
部屋を見回し何か言いかけたお父さんをひとまず席に促すと、戸惑ったままだったけれど一歩一歩と足を進めやがて座ってくれた。
何か用があって訪ねてきたはずのお父さんが話を始めないのを不思議に思いながら、ひとまず私がお父さんへ伝えていなかったことを話した。
「──でね、また一番になったのよ」
「うん、そう。そうだね。涼子はすごいよ」
私が話し始めてからお父さんは部屋へやって来たときの表情から徐々に力を抜いて、相槌を打って嬉しそうに聞いてくれた。
最後まで聞き終えたお父さんは改まったように一度座り直すと私をまっすぐ見た。
その視線が私の本心を見抜こうとしているように思えて、少し緊張する。
「涼子、正直に言う。僕は涼子の幸せを考えているんだ。涼子の相手は───」
「お父さん、お願い」
お父さんの言葉を遮った私をお父さんが責めることはなく、それからまるで泣き出しそうに深く眉間に皺を寄せて押し黙った。
長い沈黙だった。
けれど、正したままの姿勢を崩さず、胸を張った私が決して譲ることがないだろうというのはお父さんにもはっきり感じられたのだろう。
お父さんは鼻から細く長い息を出すと一度詰まってから言葉にした。
「これは、涼子が?」
「うん。私が揃えたの」
「……そうか」
お父さんはしばし圧倒されるように私の部屋中にひしめき合っているコレクションたちをぐるりと見回した。
お父さんの喉がゴクリと大きく嚥下されるのが見える。
「涼子の気持ちは、分かった。けれど虎鉄くんの意思も尊重するんだよ」
「うん、わかったよ」
(虎鉄くんだけは許してくれないの、私、知ってるよ)
私が嬉しそうに笑ったのを見て、お父さんは複雑そうに顔をしかめ、けれどそれ以上何も言うことなく退室して行った。
お父さんをドアまで見送った私は室内へと振り返る。
私のコレクションたちが部屋中すべてから私に視線を向けている。
「私には、虎鉄くんしかいないんだよ」
私は呟いて笑みを浮かべるけれど、壁から、天井から、机の上から私を一身に見つめてくる虎鉄くんたちは、決して私に甘やかな目を向けたりしなかった。
「虎鉄くん、聞いて聞いて」
二人っきりの放課後の校舎。
人気のない階段で二人並んで虎鉄くんに話を聞いてもらう。
十六歳になり人付き合いもすっかり覚えた私は、自分で見てさえ隙一つない完璧なお嬢様になったと思う。
あれ以来お父さんから婚約者を変えるような話は二度と出ることはなく、またお父さんが私の部屋を訪ねてくることも無かった。
六歳で婚約者になって以降、私は十年間虎鉄くんの婚約者であり続けられている。
「虎鉄くん? ねえってば」
十年経っても、虎鉄くんの最優先が私になることはない。
分かっていても、虎鉄くんに構って欲しくて、その目が見たくて、しつこいと思いながらも話しかけてしまう。
話す内容はなんだっていい。
些細な失敗の話をして慰めてもらうのが最近の私のやり口だった。
「虎鉄くん? 虎鉄くん。───虎鉄くんってばっ」
今日はいつにも増して上の空な様子に、堪え性のない私はついに我慢ならなくなって大きな声を上げてしまった。
だって、私の虎鉄くんたちはいつだって私を見てくれるから。
こんな風にワガママ言っちゃ駄目だと声を出してから気付く。
友達の部活の助っ人とかでここ数日虎鉄くんと話せなかったせいで、またチヤホヤされ慣れた嫌な自分が顔を出していた。
やっぱり、私には虎鉄くんが必要だ。
虎鉄くんじゃなきゃ駄目だ。
「聞いてます」
「本当? 聞いてくれてる?」
内心で激しい自責の念に襲われていた私は、虎鉄くんの返答があったことに心底ほっとした。
虎鉄くんは家が没落してから色々と考えたことがあるらしく、私に対しては敬語で話すことを徹底している。
そうして自制をしているのだといつか零しているのを聞いて、私は自分を律することができる虎鉄くんをますます好きになった。
自惚れとワガママばかりの私とは大違いだ。
それから、急に恥ずかしくなって視線を落として、やっと自分が虎鉄くんの腕を握ってしまっていたことに気が付いた。
「ちがう、ちがうのっ、ごめんね」
慌てて手を離したけれど、さっきまで触れていた虎鉄くんの服の感触が、その体温が指先に残っている気がして頭が沸騰しそうに熱くなる。
虎鉄くんに触っちゃった。
あんなに長い時間。
勝手に触っちゃったのに、虎鉄くん振り払わずにいてくれた。
ぐるぐると回り始める思考の中、パタパタと振った指先が風に当たって熱が奪われ、その代わりとでも言いたげにお腹の奥にズクンと熱い熱が灯った。
頭が熱に浮かされポーっとしてくる。
知らず、瞳が潤みだす。
触っちゃった。
本物に、触っちゃった。
ドキドキとうるさすぎる鼓動の音を隠すように、私はこちらの様子を観察するように見ている虎鉄くんへと口を開いた。
彼が私の声を受け取ってくれるというだけで、羞恥とはまた違う熱が体中を支配して甘やかされてなどいないのに、勝手に体が甘く溶けていきそうだった。
「あのね、あのね、今日失敗しちゃったの」
何度もつかえ、どもりながら話す私に彼は『だろうな』とでも言いたげに無感情な顔を向けている。
私の言葉を待つことなく彼が発したのは、まさに今日私が話そうとしていた話そのままの、私の失敗談だ。
「今度は何ですか。授業で当てられて声が裏返り掛けた事? 廊下を歩いているときにすれ違う友人に挨拶をしたけど相手が他の事に夢中で気付かれなかった事? それとも自動販売機で間違って隣の飲み物のボタンを押してしまった事?」
「な! なんで知ってるの!?」
「あなた目立つんですよ」
小さく溜息を吐く、その息の温度さえ想像して身震いする。
虎鉄くん、私のこと見てくれてた。
私が失敗するところ、見てくれてた。
そう思っただけで、指先から痺れるような震えが這い上がってきて私を満たす。
後悔していたはずの失敗なのに、私に無関心な虎鉄くんに少しでも私のことを印象付けたのだとそれだけで嬉しくなってしまう。
またお腹の奥が熱くなった気がした。
私がそんなことを考えてうっとりしている間にも、虎鉄くんから注がれていた呆れた様な視線が、話を打ち切るようにすいと逸らされた。
視線を逸らされたくなくて、私は慌てて言い募る。
「あとねっ、あとねっ、最後まで吸いすぎてストローがズズズって音が鳴っちゃって、恥ずかしくってね」
友達や大人の人たちの前ではあんなにスラスラ話せるのに、虎鉄くんの前ではこんなに滅茶苦茶になっちゃう。
滅茶苦茶になっちゃう私をもっと見て欲しい。
虎鉄くんの興味を惹きたい。
虎鉄くんに構って欲しい。
虎鉄くんだけ。
私がこんな風になっちゃうのは虎鉄くんだけなの。
こっちを見て。
こっちを見てよ。
自分でもしどろもどろに言葉を紡ぎながら、私が悩ましく虎鉄くんを見つめていると彼がポツリと言葉を零した。
「……なんで鏑木さんは僕にそんな話するんですか?」
「?」
また、だ。
同じ質問を、私は何度もされている。
いつも同じように答えているのに、虎鉄くんには伝わっていないみたい。
「僕でなくとも、いいんじゃないですか」
確認するように、普段よりも重たい声が虎鉄くんから紡がれる。
「名ばかりの婚約者だからと僕に頼らなくていいんですよ」
苦しそう。
私が勝手に、そう思ってるだけかもしれない。
けれど、そうやっていつも何度でも私に聞いてくれる、分からせてくれる気持ちを私も何度でも思い知る。
「虎鉄くん、大好き」
思わず、ふにゃっと笑ってしまう。
彼に理由を問われ、答えることができる。
未だワガママなままの私は、それが彼の望む答えでなくても言ってしまう。
虎鉄くんが眉をしかめ、苦しそうに、苦そうに顔を歪ませて俯いた。
座っている彼が俯き背を丸くすると体が小さくなり、初めて会った時もこうして避けられたなと思い出した。
私は嬉しくて、嬉しくて、もっともっと聞いてほしくて、うっとりと言葉を続ける。
「虎鉄くんがね、いいんだよぅ」
小さく身を屈めた彼の、浅く吐く息だけが響いた。
─
(最後までお読みいただきありがとうございます。ブクマや評価を押していただけると今後の励みになります)
(12/21追記:続編できちゃいました→https://ncode.syosetu.com/n6561hj/)