雨の匂い
「あなた、雨の匂いがするわ」
嘘をつくときは、いつもそう。でも、きょうは、なにかがちがう。加奈子はそう思いながら、光一に肌を寄せていった。
加奈子が小さいころ、建築関係の仕事をしていた父は雨の日に家にいることが多かった。そんな日の父は、いつのころからか、ほのかな匂いがするようになった。
それがオードトワレと呼ばれるものだだということを、加奈子はずっとあとになって知った。母がなにかの記念の日に、父に買ってきたのを、父は少しずつ、だいじに使っていたのだ。
加奈子は、じゃれるように、父にまとわりつきながら、どこからくるのか、香るか香らないかする匂いをさがすのが好きだった。
「今度の休みは遊園地に行こう」
「うん」
指きりをした小指に鼻を近づけて、加奈子はにんまりしてしまう。
しかし、約束は一度だって守られたことはなかった。でも、なぜか加奈子は父が好きだった。一緒にいられるだけでうれしかった。
光一とはじめて会った日は雨が降っていた。
加奈子の女子高時代の先輩がむりやり仕立てた出会いだった。
ふたりは、はじめはぎこちないあいさつを交わしたものの、しだいに、どことなくおたがいに惹かれるものを感じていった。
加奈子は、光一がつけていたオードトワレのかすかな香りに、自分でも不思議に思うくらいに心を開いていた。
「今度、ディズニーランドでも行きませんか」
はじめて会った日、光一はそう言ったが、いまだに約束は守られていない。でも、なぜか加奈子は許せてしまう。幼かったあのときのように。
今夜は、どんな嘘をつくのだろう。肩をすくめた加奈子のとなりで光一は静かに口を開いた。
「そろそろ結婚しようか」
「うん」
今度の約束は守られるような気がする。
きょうの雨の匂いは、いつもよりすこし甘い香りがした。