表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

懲役刑

作者: 晴樹

「被告人を懲役205年に処する――」


裁判長の声が朗々と判決文を読み上げる。近年、この国では死刑や無期懲役が廃止された一方、理論上際限のない長期の懲役刑が言い渡されるようになった。それは、実質的な無期懲役や、骨になっても形式上刑務所を出られないという類のものではない。


判決文の読み上げが終わると、被告人は重そうなフルフェイスマスクを被せられる。裁判長、検事、弁護士、その他傍聴人の見守る中で刑は執行されるのだ。もちろん、205年もの間彼らがここに留まるわけではない。現代の技術をもってしても、寿命は100年を超えるのがやっとなのだ。司法制度に革新をもたらした技術は別にある。それは、知覚時間の伸長だ。このマスクを被せられ、特殊な電気信号を与えることによって、装着者は1秒をおよそ1年と体感する。


「それでは始めてください」という裁判長の言葉を合図に、刑の執行は開始された。それから約3分半、その場は静寂に包まれる。職務上、そこにいなければならない裁判長らと違って、傍聴席に座る者の退出は自由だし、一般人が見ていて楽しいものではないはずだが、何事にもマニアは一定数いるもので、衣擦れの音一つなく3分半が過ぎ去っていく。


ちなみに、体験者によれば、体感時間が長くなるだけで何もない空間にただただ生きていくことは拷問に等しいという。人間の脳を研究する中で生まれたこの装置は、その危険性からはやくに製造・販売が禁止されたが、刑務所の収容能力に限界を感じていた法務省によって悪魔的に活用された。


大体100年以上この装置を使うと大なり小なり人格に影響があると言われており、今回の被告人はその倍であるから、何らかの変調を来すことは想像された。傍聴席のマニアは沈黙の3分半よりも、そういった被告人の奇態が見たいという者が殆どで、そういう意味での醜悪さは被告人と勝るとも劣らない。ただ違っているのは、法に触れるか触れないかというその一点のみだ。


唐突に機械的なアラーム音が刑執行の終了を告げ、場にはため息があふれた。マスクを外された被告人は――いや、既に刑の執行が終わっているからただの一般人は――立ち上がると、裁判長に一礼をするとそのまま帰ろうとした。確かにそのような権利はあるものの、200年以上の時間を揺蕩った者の振舞いではなかったため、裁判長も含めて場が騒然となった。


「ちょっと待ちなさい」

「何ですか、裁判長。既に刑は執行され、僕は自由の身のはずですよ」

「それは分かります。しかし――」


懲役200年の刑を受けたものが、常人のように受け答えできるはずがない――その場の誰もが思った疑問を裁判長は呑み込んだ。人権団体の批判をかわすため、人道的な刑であると喧伝する以上、廃人にならないのはおかしいなどとは口が裂けても言えない。


「昔の懲役刑と、今の懲役刑の違いは何でしょう。旧懲役1年と現懲役1年は同じでしょうか?」


元被告人は、辺りを見渡して視線が自らに向かっていることを察すると、唐突に講釈を始めた。誰も相槌すら売ってくれない状況に、少し落胆しながらも、先を続ける。


「その違いは、寿命が減るかどうかです。旧懲役刑は、ただ無為に寿命を縮めることこそが本質的であって、刑務所で暮らすことや拘束されていること自体が刑の本質ではないのです。翻って現懲役刑は、自由を拘束することにこそ意味を求めています。確かに私の寿命は205秒、無為に縮まりましたがそれは誤差の範囲です。僕は、何もない暗闇の中で205年間過ごしましたが、何ら痛痒を感じませんでした。だって、それが終わればまた太陽の下を歩けるんですもの」


そう言い切ると、周囲が唖然とする中、裁判所を後にした。今日も太陽はいつもと変わらぬ陽光を、大地に降り注いでいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 設定が良かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ