第九話:最初の接触
開けた上空は完全に闇に落ち、満月が美しく光っている。気持のよい夜風とは裏腹に町の中はさらに不気味さを増し、閑散とした空気も一緒に流れてくる。
ご主人から頂いた遅い昼食を終え、聞き込みをするため再び外に出た僕たちはまず、第一・第二被害者の両親と、第三被害者の旦那さんに会いに行くことにした。
しかし、ご主人に教えてもらった住所へ向かったはいいものの、警戒されているのかまったく呼びかけに応じてくれなかった。
よほど他人に恐れているのか、見ず知らずの僕たちの信用はまったくないようで、第三被害者の旦那さんは外に出てきてくれたのだが「早くどこかへ消えてくれ」と懇願されるほどだった。彼の目は深い悲しみに満ちていた。
しょうがなく周りの住宅にも何軒かベルを鳴らしたが、誰も出て来てはくれなかった。
一度宿に戻り、二人で試行錯誤して話し合った結果少々身を危険にさらす事になるが、夜に外を歩けばいずれあちらから来るのではないのか。という考えにいたった。
現在はアルトの西門がある場所に、シロさんと二人で夜の町を散歩中。木で出来た門は老朽化が進んでおり、所々ボロボロで朽ちていて門兵も一人もいない。ずっと開かれてないからか、門を開けるための太い縄は切れていて、より古さを醸し出していた。
アルトは北門と南門の二つが主流で、東門は風を生んでいる言う例の渓谷に繋がっており風車も東門の向こうにある。
しかし西門だけは常に閉ざされており、ここ何十年は開かれていないらしい。ご主人が子供の頃、大体四十年ほど前に閉じたらしい。何があったのかはご主人も知らないため謎のままだ。
僕は見えない西門の向こうを見る。いったいこの奥に何があるのか、僕は少し興味があった。当てつけかもしれないが、もしかしたらこの奥に犯人につながる何かがあるのではないのか、そう考えだした。
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心臓の音がドクドクと五月蠅いくらいに耳に響く。シロさんとの会話がふと途切れると、この空間はまったくの無音で耳が自然と敏感になる。朧げに目に映る満月に目を顰めながら時間は過ぎていく。
かれこれ一時間近く町中を歩いているが、一向に他人と会わない。特に西門の近くは家も建っていなく、ちょっとした広さがある。その広さがより虚しさを引き立たせる。
「情報が正しければこの時間に出歩いていれば、犯人が襲ってきてもおかしくないんですがねえ。やっぱり、何か被害者に共通点が・・・・・・・・・うーん」
時刻はもうすぐ22時。家の明かりも殆ど消えており、道もかなり暗く見えずらいため月光が頼りだ。
「襲われた人間から魔力の痕跡を調べるのが一番手っ取り早いじゃがのぉ」
そう言って、シロさんは右手の人差し指を額に当てて唸りだした。
ふと思ったのだが、シロさんは髪の毛から服まで真っ白なので、傍から見ると月の光を浴びて軽く発光してるっぽく見える。
そのせいか、より幽霊っ気が強かった。
「そういえばシロさん幽霊でしたね」
「なんじゃ突然に」
「いや、なんでも。ただいつもより幽霊っぽいなーって」
「お主もなるか?」
「怖!!」
かなり鳥肌が立った。この人(幽霊)が言うとシャレにならないから余計怖い。寝ている間にコロッと逝かされて、朝起きると「仲間じゃな!」と言う光景が簡単に目に浮かんだ。
白さんはケタケタと笑いながら月を見上げる。シロさんの長い髪の毛がふわりと舞、流れ星のように上下に流れる。少しうっとおしいのか前髪を後ろに追いやる。
改めて見るとやはりシロさんは綺麗な人だな、と思った。今更だが。
けど僕は牧師として女性に対する煩悩は抱かないよう心がけているので、すぐに思考を切り替える。下手したらシロさんに伝わって色々いじられるのは御免だ。
が、その瞬間だった。突如、左手の方から謎の音が耳に響き出した。
金属が擦り合わせた様な、それとも軋むような異様な金属音。ガリガリガリ、ガチャガチャガチャと。
「なん―」
僕が一言言い終える前に、シロさんの体を音がしていた左から右方向へ何かが貫通した。何かが通ったのは分かったが、それがどんな物かは目でまったく捉えられなかった。
シロさんも一瞬自分に何が起こったのか把握できず、何かが通り過ぎた自分の胸のあたりに視線を落とす。
二秒後にようやく自分のとるべき行動に気づき、僕は首を右に向けた。
そこには、一人の女性がいた。
闇夜に溶け込むような肩まである長い漆黒の髪の毛。片膝をついて背中をこちらに向けているため顔は確認できない。体格は僕より少し小柄で、着ている服は所々ボロボロで元の生地は白だったのだろうか、黒い汚れが染みとなって大半を占めていた。
僕の脳裏にある言葉が浮かんだ。
『謎の金属音が鳴り響き、犯人は中柄で黒髪の女性』
今日聞いた犯人の情報と同じ事が今起っている。僕はすぐに彼女がこの一連の犯人、もしくは重大な鍵だと悟った。
ふいに体が軽くなり、溢れんばかりの力が全身に漲る。
『よいか主、絶対にあやつから目を離すでないぞ』
心の中から珍しく焦ったような声で、シロさんの言葉が聞こえてきた。どうやらシロさんが僕の体に入ったようだ。
言われた通りに僕は彼女を見る。丸まった背中が徐々に伸び、片膝が地面から離れ立ち上がる。右手を見ると、冷やかな蒼い靄がかかっており手の掌の辺りには鋭いエッジのような物が三つ突き出ている。空気を震わせているような謎の右手は禍々しくもあり、神々しくもあった。
『あの右腕は・・・・・・・?』
『分からん。じゃが感じるぞ、あの右手から禍々しい程の魔力が溢れておる』
そして、ゆったりと十秒ほど使い彼女はゆっくりとこちらに向き直った。その顔には、まったく表情はなかった。
虚ろな目だけがカッと見開かれ、ただじっと瞬きもせずこちらを見ている。僕の目と彼女の目が自然と被り合う。無意識に身が縮まり、萎縮する。それほどの眼光だった。
思わず目を逸らしそうになったが、必死に耐える。
すると、またもやあの謎の金属音が響き出した。音源はやはり彼女の方から聞こえてくる。
ガリガリガリガリガリガリガリガリ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
音が止んだその刹那。僕は咄嗟に左の脇に跳んだ。すぐに後ろを振り向くと、先ほどと同じ状態の彼女がいた。
僕の目は少しだけ捉えていた。音が止んだ瞬間、彼女は両膝を少し曲げると押し込めたバネのようにこちらに跳躍したのだ。少なくともこの動作を見る事は、普通の人間にはできない。シロさんの力を借りているこの体、この動体視力だからこそ見えたのだ。
先ほどシロさんの体の中を横切った正体は、どうやら彼女自身だったようだ。
恐らく少しでも目を逸らしていれば、何が起こったか分からないまま僕はシロさん同様、彼女に攻撃されていた。シロさんは実体が無いため、偶然にも助かったが、人があの化け物じみたスピードの体当たりを食らえば、人間の骨など容易く砕けてしまうだろう。
この強化された体がどこまでの衝撃に耐えられるかは分からないが、出来る事なら当たらない事にこしたことはない。
『変じゃ・・・・・・・あやつの右手からは魔力は感じるが、あの両足からは何も感じぬ』
『まさか、あのスピードは彼女自身が起こしたって事ですか?』
『断定はできぬ。じゃが、少なくともあやつは人間のはずじゃ。わしらのような神でもない、ただの人間のはずじゃが・・・・・・・・』
確かに見たところ外見は普通の人間と変わらない。神のダンクネスさんや天使のシュカさんなど、この世の者ではない人たちは、自分の周りにいると空気がまるで違ってくる。彼女はゆったりと立ち上がり、こちらに向き直る。先ほどと同じように。
しかし今度は金属の軋むような音は聞こえず、彼女はこちらに向かって駆け出した。ただの人間にしては、走りも恐ろしく早かった。まるで一歩目から全速力を出してるかのようなスピード。
普通どんなに足が早くても、最高速度を出すためには助走が必要だ。しかし、彼女の場合は違った。少し油断していると、数十メートル程あった空白があっという間に埋められる。
猛進してくる彼女は絶えず僕の目を見ている。僕は頭を必死に冷静にさせる。
彼女はあの靄の掛かった右手を振りかざし、僕の顔辺りを狙って思いっきり殴りこんできた。手を振りかざすスピードも、並の人間とは比にならない速さだった。しかし、先程の突進のようなスピードではないため、落ち着いて目で追い顔の前に手をクロスさせガードする。
『ダメじゃ!避けるんじゃ!!!』
突如シロさんの怒昂が僕の体から響き、慌てて後ろに一歩下がる。結果、彼女の右手は空をきった。
『今じゃ!!』
シロさんが叫ぶ。
だが、僕はそのまま後ろに後退する。
『何をしとる、チャンスじゃろうに!!もしや躊躇しとるのか、あやつに!?』
『あ、相手は少なくとも人間なんですよ? 今の僕のパワーで攻撃したら、きっと彼女の体は耐えれません』
『阿呆!そんな事をいっとる場合か!あやつはお主の事を殺しに、いや顔を取りにかかっとるんじゃ!!』
僕はハッと彼女の右手を見る。顔を取ると言う到底説明できない現象を引き起こせる、この世の法則を受け付けない魔法。あれが、顔を取る武器だったのか。
くっ。だから顔を狙って攻撃してきたのか!
先程シロさんの忠告を無視して手でガードしていたら、一体どうなっていたのだろうか。答えは分からないが、分かった頃にはきっと悲惨な状況になっているだろう。
土を力強く踏む音が聞こえ、彼女はまた右手を振り上げこちらに駆けている。
『よいか、あやつの右手には一切触れるでないぞ!』
彼女の右手が振り下ろされ、僕の顔に当たりそうになるギリギリまで引き付け、すぐに後ろへ飛ぶ。しかし彼女は今度は食い下がらずに、右手を振り下ろした勢いを利用してそのまま体をひねり、回し蹴りをしてきた。
咄嗟に手で顔を守ったが、運よく距離が足りなく寸での所で蹴りは当たらなかった。だが回し蹴りの風圧が顔を殴る。
これが蹴りで起こせる風なのか!?
若干よろめきながら、急いで彼女との距離を空ける。
彼女は蹴りを入れた姿勢のまま固まっており、表情は合った時からまったく変わらない。ずっと見開かれた瞳、眼球がギロリと動き焦点を僕に合わせる。血が凍るほどの視線、光が全くない死人のような目だった。
『いい加減腹をくくれぃ!!』
シロさんはいい加減痺れを切らしたか激しく激昂した。
し、仕方ない。女性にあまり手を上げたくないけど、軽く足を狙って動けなくさせよう。
僕は覚悟を改め、今度は僕のほうから彼女へ向かって走り出した。右足を引き、フルパワーの半分ほどの力を込めた蹴りを彼女の左足首を狙う。強化されたこの足の蹴りなら、少なくともこのパワーで打撲位の威力はあると踏んでいる。
僕の右足と、彼女の左足首が激しくぶつかる。
ガキィンッ!!
案外すんなり当たった蹴りは、鍋を叩くような音を響かせた。途端、僕の右足首から激痛がした。
「いっ!!」
彼女は蹴られた左足に視線すら送らず、急スピードで右手を僕の顔めがけて突き出してくる。
痛がっている暇もなく、僕は必死に横へと体をダイブさせ難を逃れる。右足に広がる、ジンジンと響く痛みに耐えながら素早く立ち上がり、後ろに五歩ほど後ずさる。
『どうしたんじゃ!?』
『わ、わかりません。何故か僕の蹴った右足のほうが痛くて・・・・・・』
まったくわけが分からなかった。どうして蹴った方の僕が痛がってるんだ? それに彼女の足に当たった時、どうしてあんな音が。
僕は自分の右足に気を遣いつつ、体制を整える。
視線を彼女に戻すと、どうした事か漸く顔を左足に向けている。
やっぱり彼女にもダメージがあったのか? と思い僕も彼女の左足首を見る。しかしそこで見たものは―
「・・・・・・・凹んでいる?」
そう、つぶやいた瞬間。彼女の小さな口が開かれた。
「左足、足首上部に、軽度の損傷を確認。修復のため、一時館に帰還します」
彼女が等々喋ったのだ。しかし、聞こえてきた声は酷く無機質で、どこか物悲しい声だった。
そのまま彼女はここで初めて僕から目を逸らし、踵を返した。
そして、またあの不気味な金属音が耳に響き出した時、僕は自然と叫んでいた。
「ま、待って下さい!!あなたの目的っていった―」
僕の声を遮り、彼女は上空へ高く跳躍し西門を飛び越し、向こう側に飛んで行ってしまった。
僕はそのまま、じっと門の向こうを見つめていた。
向こう側にある、何かを。