第六話:再びの事件
アルトに着いたのは、夕日が完全に落ち月が空を支配した夜中だ。
当然、外にはこの時間帯では誰も居ない。みな自宅で晩御飯を食べている時間だ。
僕たちは(とゆうより僕は)疲れた体を癒すため、町の中央広場から少し離れた宿『木漏れ日の風』へと向かった。
ガチャリ、と重たい扉を開け中に入ると、すぐに宿の主人と目が合った。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「はい。人数は二人で、一泊お願いします。部屋は一室で結構です」
「かしこまりました。部屋は二階に上がって左手の奥でございます。こちらが鍵です。くれぐれも無くさないようお願いします」
「料金は?」
「明日の朝で結構です。お客様、とてもお疲れのようですし」
宿の主人の心遣いにお礼を言い、部屋の鍵を受け取った。僕はそのまま鉛のように重くなった体を引きずり、二階の階段を必死に上る。
シロさんは僕以外誰も見ていない事はいいことに、ふわふわと浮きながら僕の後ろを付いてくる。
若干の不満感を抱きながら、なんとか階段を上り終え部屋へと向かった。
扉を開け中を見渡すとベッドが二つに小さなテーブルが窓際に一つ、服掛けに椅子が三脚あり机の上には林檎が二つ置いてある。二人でも十分すぎる広さで、さらにシロさんはスペースをまったくとらないためとても部屋が広く思えた。
すぐさま僕はベッドに吸い込まれる様に近づき、ボフッと体をベッドへゆだねた。
「ふむ。なかなかの間取りじゃの。お主もとっととコレ喰うて寝るんじゃな」
そう言うと僕の頭からゴンと鈍い音が響き、頭の横に真っ赤な林檎が転がった。もはや痛みや苦情を訴えるのもおっくうな僕は、そのまま無言で林檎にかじりついた。
シロさんはそんな僕の光景を見てウンウンと言葉に漏らし、ベッドの横にある二枚組の窓を開けた。
「景色もそこそこ良いようじゃ。ここからなら朝日がよく見えそうじゃな~」
そんな呑気な事を言いながら、気持ちの良い夜風が部屋に入ってきたその時。
トントンッ。
部屋の扉からノックが聞え、ゆっくりと扉が開く。
「失礼しますお客様。お疲れの所申し訳ありませんが、先程お伝えするのをわすれ― あぁ、いけません!」
部屋に入ってきたのはこの宿の主人だったが、言葉の途中いきなり血相を変え部屋の窓へと走り出した。
「なぬ!?」
窓の前に立っていたシロさんはいきなりの出来事に困惑しながらも、転がる様に横へと飛びのいた。そのまま主人は窓の前に立ち、窓の外に顔を出し念入りに注意しながら窓を閉めた。
突然過ぎる主人の奇行に、僕もシロさんもしばらく固まってしまった。
そんな僕たちの顔を見て、ハッと我に返った主人は慌てて頭を下げ早口で言った。
「す、すみませんお客様!!とんだご無礼を!」
「い、いえお気になさらずに。しかし、いきなりどうしたんですか?」
「その、実は・・・・・・・現在この町は、恐ろしい怪物の脅威にさらされているんです」
「恐ろしい怪物とな?」
間髪いれずシロさんが言及する。
「はい。私が今この部屋に来たのもそれが理由です。夜中は窓の戸締りに気を付けて、決して窓は開けないようお伝えしようと来た訳なんですが・・・・・すでに窓が開いておられてついあのような行動を。本当に申し訳ありませんでした」
また主人は深々と頭を下げ、少なくともさっきの奇行は理由があっての仕方ない行動だったらしい。
「それで主人よ。その怪物とやらの話も訊きたいんじゃがの? わしはとーても気になって、これでは今日は眠れんぞ?」
「すみません、ご主人。僕からもお願いします」
「・・・・・・そうですね、分かりました。本当は明日の朝一番にでもこの町を出発していただきたい所でしたが、先程のお詫びとして話させていただきます」
僕は主人に椅子に座るよう促し、ゆったりと主人は椅子に着き険しい表情のまま静かに語り始めた。
「まずはこの町からお話しましょう―
ここアルトは、風の生まれ故郷と呼ばれている理由は、近くに大きな渓谷があり、そこから発生した風はこの地方では一番最初に生まれる風と言われております。その渓谷から、生まれたての風がアルトに一番に来るのでそう呼ばれています。
よい風は人の生活を豊かにし、人々にも笑顔を与えると私たち住民はそう思っています。現に我々はこの豊かな風を使って風車で麦を煎ったりするなど、大いにこの風に助けられています。人々も常に笑顔が絶えず、事件などちょっとした盗み程度しか起きた試しがありません。
そんな笑顔が溢れ、幸せが生まれる町でした。
ですが、突如として平穏は崩され、悲惨な大事件が起きてしまったのです。
あれは一週間ほど前の事です。
私が町の外れにある風車で、倒れている二人の子供を見つけたのが始まりでした。
発見されたのは、この宿からすぐ近くにある家の子供でした。二人は仲の良い友達で、とても元気な子でした。ですが二人はよく門限を破り、夜遅くに帰っては親に叱られていました。今回も家の門限を破り、風車の近くで二人で遊んでいたのでしょう。
私もこの二人の事はよく知っており、以前も中々帰宅しないこの二人を探してくれるよう親に頼まれた事があったので、すぐにあの二人だと分かりました。
急いで倒れている二人の元へと駆け寄り、声をかけました。しかし、うつ伏せのままピクリともしない二人に、私は、疲れて眠ってしまったのかな? と適当に考え、二人を抱きかかえようとしました。
その時。表に向き返った子供の顔が、私の目に飛び込んできたのです。
あの時の光景は一生忘れません。今まで生きてきて、あそこまで悲惨な光景は見た事がありません。
その二人の顔には
―何も無かったのです」
「っえ?」
「ふむ・・・・・」
「どうゆう事ですか?」
「言葉のまま、あの二人の顔には何一つなかったのです。目も鼻も口も眉も顔には何も無い、ただ顔の凹凸と髪の毛だけがあり、まるで殻を取った卵のようにツルツルでした。思わず私は子供の体から手を離し、子供は仰向けのまま地面に転がりました」
その時の事を思い出したのか、酷く怯えた表情を浮かべながら主人は続けた。
「私も混乱と恐怖のあまりそこからの記憶が曖昧なんですが、私は二人を抱えて町の兵舎に向かったそうです。警備兵の呼びかけに兵舎へ来た二人の母親はその場で卒倒して、今でも寝込んでしまっています。精神的ショックが強すぎたんでしょうね・・・・・・」
無理もない。自分の愛する子供が突如猟奇事件に襲われ、この世の出来事とは思えない惨状になったのだ。シロさんは怪訝そうに少し眉をひそめ、僕は不確定な胸騒ぎがフツフツと湧きおこってくる。
「すぐに町一番の医者を呼び子供たちを診てもらいました。最悪の結果を誰もが予想していましたが、診断結果にみな驚きました。なんと二人とも生きていたんです!」
「そ、そんな!顔には口も無ければ鼻も無いんですよね? なのに生きている・・・・?」
「はい、その通りです。顔には口も鼻も無く呼吸は出来ないはず。胸も呼吸をしている動きはない。なのに生きている。心音はしっかりとしており、顔以外に目立つ怪我は無く、首筋に手を当てれば脈も力強く打ってました」
「その童に意思はあったかの?」
先程から口を閉ざしていたシロさんが質問する。
「い、いえ。失神してるかのように手足はだらりとしていて、完全な睡眠状態だと医者は言っていました。今でも医者は毎日診察に子供たちの家へ行って診察をしてるんですが、あの日のまま何も変わっていないようです」
「ちょ、ちょっと待って下さい!その事件が起きたのは一週間ほど前なんですよね? その間は食事はどうしてたんですか!? 口が無ければ呼吸同様何も出来ないはずですが・・・・・」
「・・・・・・そちらの問題も最初は考えていたんですが、二日三日時間が経てど子供たちのお腹はまったく凹みませんでした。つまり空腹にならないんですよ、あの子たちは」
「そんな事って・・・・・・」
「この世ではありえぬな」
僕の言葉に合わせたか知らないが、シロさんが続けて言った。
部屋の中に沈黙が流れ、主人のため息が一つこぼれ、窓は強い風を受けガタガタと震えるように鳴く。このような不可解な現象をこの世の言葉で片付けられるとするなら、僕はある言葉しか知らない。
『魔法、じゃな』
僕の考えをくみ取ったのか、シロさんが心の中で呟いた。
『・・・・・・やはりそうですか』
『実際にその童達の元へ行くのが一番じゃが、この様な奇奇怪怪な現象を起こせる力は魔法しかありえぬ』
魔法。この世の理には縛られず、それゆえに扱える者はこの世にはいない。魔法を使えるのはこの世の者ではない者。
我々人類がこう呼ぶ者―
『・・・・・神』
『断定は出来ぬが、その可能性が一番高いのう。動機は分かるぬが、少なくとも人の仕業ではなかろう』
部屋の中は、先程から風に打たれ窓ガラスが煩く音を鳴らす。僕とシロさんは二人にしか分からない会話で話しているため、主人の目からはあまりの衝撃に黙り込んでしまったかのように見えたのだろう。主人は慌てて謝った。
「す、すみません!お客様を癒すのが仕事の宿の中で、この様な話をしてしまい申し訳ありません!!」
「いえ、お気になさらないで下さい」
「うむ。わしから聞いたんじゃ、そちが謝る必要はない。失礼したの、わしたちもそろそろ眠りにつきたい故、お互いこの話はここで終わりにしたいと思うんじゃが、どうじゃろう?」
「は、はい。そうですね。これ以上お客様のお休み時間を取る訳にもいきませんし。では、失礼させていただきます」
椅子から立ち上がり、若干のふらつきが心配だったが主人は最後に一礼して部屋を出た。
「出発早々、いきなり怪事件に遭遇してしまいましたね」
「ふん。数十年しか生きられぬ人間、特にお主はもっとこの様な経験に感謝すべきじゃ。生きている内にここまでわし達に関わるなんて、聖職者としてはそれこそ血の涙を流してでも喜ぶところじゃ」
「それ、喜んでるんですか・・・・・・・?」
聖職者だからと言って、それは幾らなんでも極論だろ。と言葉には出さずにおく。
「まぁよい。わしはもう疲れた。難しい話はまた明日にでもすればよい」
「疲れたって、シロさん一歩も歩いてないじゃないですか!しかも道中時々うたた寝してましたし、どこの眠り姫ですかあなたは!!」
「あーもー騒がしい奴じゃなお主は。と・に・か・く、わしは眠いんじゃ。これ以上の理由があるかの? ないよの? じゃからして寝る!」
そう言うとシロさんは体を空中に浮かべ、そのまま横になる。
目で早く明かりを消せと合図を送られ、僕もかなり疲れているので渋々部屋の中の蝋燭の明かりを消して回る。着替えも放棄し、すぐさまベッドへと潜りこむ。柔らかな感触を体中に浴びながら、頭の中で先程の話を検証したが、意識がゆっくりと抜け落ちていく。
シロさんは、今一体どんな事を考えてるのだろうか? それともすでに寝てしまったのだろうか?
そのような事を疑問にしながら、僕の意識はそこで途切れた。