第五話:アルト
目が覚めると、そこは暗い部屋だった。
体中にまとわりつくような嫌な空気と、割れた窓から入る断続的な風の音。部屋の中は暗い闇の空間なのにもかかわらず、配置されている家具や調度品がしっかり目視で認識できる。
ふと顔を下に向けると、目の前には大きな物体が二つ並んで倒れている。
片づけなければ―
何故そう思ったのか自分でも分からないが、体が無意識に動き、謎の物体を両手でつかみズルズルと引きずる。
今いるこの場所も、この手に持つ物体の正体も、今向かおうとしている所も、私には何一つ分からなかった。ただ、体が奇械のようにひとりでに動く。
少し歩くと、割れた窓ガラスから入った月光が謎の物体の先端に当たり私は歩みを止める。
そこにうつったのは何もない顔面だった。
短い髪の毛が乱雑に掻き毟られ、顔には苦悶の表情でも浮かんでそうなのに何も無かった。
眉、目、鼻、口、顔にあるはずの物が何も無かった。頬の凹凸などはあるものの、皮をむいたジャガイモノのように白くツルツルしていた。つまりは傷口などは無く、顔のパーツが完全に消え去ったような風貌なのだ。
そして、手に持つこの物体の正体が人の死体とゆう事に私は気がついた。
が、不思議と恐ろしさや恐怖の感情が湧かなかった。
足が勝手に歩きを再開する。二つの死体を手に持ちながら。
一つだけ理解出来たのは、私はこの死体を処理するために動いているとゆう事だけだった。
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太陽が燦々と僕たちを照らすなか、馬に乗った人が通り過ぎる度に、僕は後悔の念に苛まれていた。
「僕も馬に乗れればよかったのになぁ」
僕の移動手段は基本的に徒歩だ。この足二本で、どこへでも歩いて行く。例えそれがどんなに離れた距離だろうと。
と、銘打ってはみたが、ハッキリ言ってかなり辛い。
頻繁に他の町に行く僕にこそ、馬による移動方法が必要なのではないか。それなのに、それなのに・・・・・。
「だったらお主、クリードを出る前に馬の一頭でも借りればよかろうに。あの町長に頼べば、一頭くらい快く貸してくれると思うがの」
「僕は馬に乗れないんです」
「・・・・・・・・なに?」
「僕は生まれつき高所恐怖症で、極度の乗り物音痴なんです。馬上くらいの高さなら克服しましたが、どんなに頑張っても乗りこなせないんです」
「・・・・・お主は本当に情けないやつじゃなぁ」
ため息をつきながら、シロさんは不意に前方を見た。
「ぬ。お主のお仲間が来たぞ」
そう言われ、僕も前を見ると、数十メートル先に人影らしき物が一つこちらに歩いてくる。
「通行人でしょうか。しかし妙ですね。この道はクリードとアルトを繋ぐ、長い長い一本道です。馬もなしにこの道を通るなんて―まさか!あの人も馬に乗れない口では!」
僕は少し興奮気味に言い、シロさんからは冷たい視線と一緒に『情けないやつ』と小言で言われたが、僕の耳には届かなかった事にしといた。
だが、これは本当に不思議な話だ。だが、一旦この話は置いとこう。
まず話さなければいけないのが、現在の僕たちの目的。
僕たちが目指す最終目的地は北の地の中間にあたる街。奇学が生まれし街ギルントス。馬に乗って途中の町に宿をとらず、野宿をしてでも最低五日以上はかかる。徒歩で行こうものなら、何週間かかるだろうか。さらに途中の町でバリバリ宿をとり、少しだけ観光も出来たらいいな、と思っている僕たちなら尚更だ。
そして現在目指す目的地は『風の生まれ故郷アルト』と言う小さな田舎町だ。クリードからアルトまでは一本道なので迷う事は無いが、いかんせん遠い。クリードから馬に乗って朝に出発しようと、お昼すぎに到着するのが限界だ。だからこそ、僕は馬に乗れないハンディキャップを意識して、あのような早すぎる時間に出発したのだ。
時刻は、もうそろそろお昼にさしかかる。クリードを出てから歩きっぱなしで、やっとアルトまで中間の折り返しと言った所。晩御飯の時間に着けばトントンだ。
ここで話を戻すと。あの人は少し妙なのだ。
この道を歩いているとゆう事は、つまりクリードかアルトのどちらかに用がある、とゆう事だ。あの人は僕たちとは反対な場所から来ているので、つまりアルトからクリードに向かう通行人だ。
しかしなぜあの人は歩きなのか? 先ほども言った通りこの一本道は長い。クリードからアルトまで歩いたら半日以上かかってしまう。
考えられる可能性は二つ。
あの人は僕と同じ、何らかの理由で馬に乗らずに来ているのか、もしくは単に乗れないのか。それとも特に理由は無く、気分で歩いてるだけか。
もう一つは、あの人は旅人とゆう可能性。
町から町へと行き来する商人は、馬を荷車につないで運んでもらって移動しているので、可能性としては0だ。通行人を襲う盗賊なら、必ず複数いるだろう。単独で襲う者もいるが、それは極稀の存在で、それは盗賊とは少し違う名前呼ばれているがここは省略しよう。もしかしたら仲間は物影に隠れているだけかもしれないが、この辺は人一人隠れられるような物影が無いのでその可能性も0だ。あの人が盗賊である可能性は拭えないが、可能性としては低い。
だが、旅人なら可能性は高い。
西へ東へ北へ南へ当てもなく旅をする、自由気ままな生活を送る。それが旅人。
旅人は主に一人が普通。馬に乗る者もいるが、馬の餌代や馬を繋ぐための料金など、収入が無いに等しい彼らには、自分の馬を人は少ない。
したがって、今こちらに歩いてくるあの人物は旅人である可能性が高い。
僕がそう考察してるうちに、その人物の姿が目視出来るほどの位置まで近づいた。
歳は三十代だろうか。少しボロくなったマントを纏い、手には皮で出来た大きなバッグを持ち、年期の入った皮靴がよく目に付いた。
「こんにちわ、旅人さん」
僕は彼が旅人であると判断し、先に挨拶をする。
「おぉ、これは牧師様。こんにちわ。そちらの麗しいお嬢さんもどうもこんにちわ」
「ほほう? やはり滲み出る美は隠せないようじゃな。そなたは長寿タイプじゃな」
自分の美貌について褒められたシロさんは、ニコニコしながら実体化させた右手で旅人さんの肩をバシバシと叩いた。彼も少し顔が引きつっていた。
「私、詩を謡いながら旅をするヴィントと申します。牧師様はクリードの?」
「はい。クリード支部の教会の牧師、名前をクロドと申します。隣にいる彼女は修道女見習いのシロナです」
僕とシロさんが一緒に行動していると、思いのほか目立ってしまう。傍から見たら、古いドレスを着た綺麗な女性と、神の使いである牧師が一緒にいるのだ。嫌でも目立つ。
とりあえず、前々から考えていた、こうなった状況を合理化するための都合合わせの言葉を言ってみた。
「おや、そこのお譲さんはシスター様ですか。いやいや、修道服も随分と変わったのですね。とてもお似合いです」
「ぬ。そうかそうか? いや~ネリウス様に感謝せぬとな~。のう、牧師様?」
シロさんはジロリと蛇のような目を僕に向け、僕の背中から冷たい汗が流れる。話は上手く信じてくれたが、シロさんにこの事を説明する事を忘れていた事に今気がついた。
『この説明は後でキッチリするようにの』
心の中にシロさんの言葉が呟かれる。
「それで牧師様。これからどちらに?」
「あ、えっと今はアルトに向かっています。今晩はそこで一泊しようかと」
「・・・・やはりそうですか。無理にとは言いませんが、お止めになった方がよろしいかと」
そう言いながら旅人さんは、今来た道を振り返った。今気がついたが、旅人さんの顔は少しやつれていた。
「何かあったんですか?」
「今あそこで起こっている事は・・・・・もはや人知を超えてます。あの所業はまさに-」
少し間を空け。
「-悪魔の仕業です」
ビクッと一回心臓が大きく呼応した。悪魔とゆうキーワードに、シロさんも怪訝そうな顔を浮かべる。
「・・・・・あれは口で言っても到底信じられる光景じゃありません」
苦しそうな顔をしている旅人さんを見て、僕も段々と胸騒ぎがしてきた。
しかし、皮肉な事に、この感覚は最近よく感じるせいか、どこか落ち着きを保っている自分がいた。
アルトに繋がるこの道の先へと目を向ける。アルトがある所の空が、少し淀んでいるような気がした。
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旅人さんの忠告にお礼を言い、旅人さんはそのままクリードへと行ってしまった。
「これからどうしますか? アルトには必ず寄らなければいけない理由はないし、このまま一泊野宿して通り過ぎますか?」
「ふん。愚問じゃな。あのような話を聞いて、何食わぬ顔で見ないフリをするなど出来ん。あやつの話が本当なら、きっとわしのような存在が絡んでいてもおかしくはない。うまくいけば、答えが簡単に見つかるかも知れぬ。それにお主こそ、本当は何が起きたか確認したいんじゃろ?」
「そうですね・・・・・。人知を超えた出来事が起こったなら、きっとアルトの住民も混乱しているでしょうし。一介の牧師として、人と町の状態を見極めたい所です」
「だったら他に言う事は無いじゃろ。先を急ぐぞ」
そう言ってシロさんはズンズンと先へ進んでいく。僕も慌ててついて行く。
はたしてこの先にいるのは、本当に悪魔なのか。
それとも神なのか-