第四話:奇学
気持ちのいい朝だった。大きく白い雲が、魚のように空を泳いでいく。
町の議会場からそう遠くない場所に、僕たちはいた。目的は昼食をすませるためで、現在はその帰りである。
僕は青白いまっさらな空の下、大きく伸びをした。
「ん~!・・・・・・はぁ。平和だなぁ~」
教会が燃えた事件から、早くも一週間の時が経った。
ダンクネスさんの助言に従い、真相を探るべく北の大地へと向かう。しかし、現状は非常に脆く危うい。上手くやらねば、整いかけた均衡が一気に崩れる恐れがある。
「主様よ。ちと太陽が眩しい。弱めてきてくれぬか」
隣で僕にそんな事を言っているのは、やはりシロさん。シロさんの着ている、簡素な白い服に太陽光がはね返り、眩しくてあまり直視できない。
「・・・・・遠まわしに、僕に消えてくれって事ですか?」
「なんじゃ、随分と被害妄想がはいっとるの。まぁお主一人が消えてこの眩しさが緩和されるなら、それも考えもんじゃな」
「結構ストレートに言われた!!」
青空の下、僕のツッコミが軽快に響いた。
「・・・・ぬ」
フッと。いきなりシロさんは、他人から姿が見えないマナーモード状態になった。
「クロド様ー」
どうやら誰から来たようだ。シロさんの存在は教会のみんなには教えていないので、あまり他人の目には映らないようにしているのだ。
謎の人物が数メートル手前まで近づき、それがレナスだと気がついた。彼女は小走りでこちらに向かってくる。
「やあ、シスターレナス。気持ちのいい天気だね」
「はい。とても清々しくて心が洗われます」
レナスは太陽の眩しさに負けないくらい、満面の笑みで言った。
いつもはあまり表情を変えないレナスだが、ここ最近は笑顔が増えた気がする。
「クロド様。お一人で一体何をなされてたのですか?」
「あぁ、いや。特に理由は無いけど、昼食を終えて帰る途中考え事していてね」
勿論レナスにも、シロさんの存在は知らせていない。
紹介をしてもいいのだが、シロさんの存在は特別説明が面倒で、色々ごまかしもしなければいけない。
「そうだったのですか。では、クロド様は今お暇を余しているでしょうか?」
「うん、そうだね」
「・・・・なら。もしもよかったら私と」
急に、レナスの言葉がよそよそしくなった。顔も徐々に赤くなり始めた。
「う、うん?」
「少し・・・町を歩きませんでしょうか?」
「そうだねー・・・・・・うん。今日は天気もいいし、室内にいるのはもったないからね。僕の方こそ頼むよ」
「は、はい!」
レナスは頬を赤くしながら、元気よく返事をした。珍しく声が随分と大きかった。
そんなレナスを見て、シロさんは先程からニヤニヤとしっぱなしだった。
「それじゃあ、どこに行きましょうか?」
「あ・・・・・すみません。特に決めてませんでした・・・」
「あはは。なら町をブラブラしないかな? ゆっくりと歩きながら話すのもいいと思うんだ」
「すみません、無計画で・・・・それでよろしくお願いします」
こうして僕とレナス、そしてシロさん。二人と神一人のお出掛けが始まった。
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僕たちは今、町の中央区。ガーデン地区と呼ばれる、多種多様な色んなお店が立ち並ぶ所に来ていた。
必要な物の買い出しなど、屋外に出る仕事の大半はシスター達の仕事だが、特にレナスは場の指揮と責任者も兼ねて仕事をしているので、教会の中からあまり外には出ない。勿論この教会での最高責任者は僕なのだが、よく留守を任すレナスの方が、実質リーダー的な役割を担っている。まったく面目ない事である。
町の人々もレナスの人柄を高く買っており、老若男女問わず彼女は住民から慕われている。
僕だって慕われているといえばそうだが、幽霊牧師と冗談で言われた時はショックで丸一日立ち直れなかったのは、誰にも言えない秘密の一つだ。
「うーん、この辺も久々に来たな~」
「はい、私もあまりこの辺りは来ませんから、ちょっと新鮮です」
人通りは多すぎず少なすぎず、二人が横に歩いても邪魔にならない程度の混み具合だった。
シロさんはマナーモード状態なので、ふわふわと空を優雅に漂いながら、ゆったりと観光している。
『どこもかしこも、わしの生きとった時代には無かったものばかりじゃなぁ。特にアレなんか、何に使うのか見当もつかん』
心の中にシロさんの声が響き、シロさんが指を指して先を見ると、そこには照明器具などを扱っている店があった。
『なんじゃあの黒い箱は? 材質は鉄かのぉ・・・・・おわ!光おった!火を点けるそぶりは無かったが・・・・もしや魔法!?』
一人でワーワー!と盛り上がっている所を水をさすようで悪いが、僕は正直に答える。
『アレは自光器って言う照明器具ですよ。簡単に言っちゃうと中に光源があって、それが発光するんです。奇学技術の街『ギルントス』が作り上げた蝋燭に変わる、画期的な新しい日用品です』
『ふむ? して、あの中には何が入っとるんじゃ? 一人でに光る物など、太陽と数人の神しかわしは知らんぞ』
一人でに発光する神がいる事に少々驚きつつ、説明を続ける。
『確か、ナントカって技術者が雷が持つエネルギーを見つけて、どうたらこうたらして・・・・・えっと・・・・・』
視線をレナスに向け、救いを求める。
「ねぇ、レナス。いきなりだけどちょっと質問いいかな?」
「あ、はい。何でしょうか?」
「あの中身って知ってる?」
僕は例の自光器を指さした。
「鉄箱型の自光器ですか。あまり詳しくはありませんが、中にはガラスで出来た卵のような形状の球が入っており、さらにその中に鉄線が円を描いて挿入されてあって、スイッチを押すとエネルギー変換が行われ鉄線が光る・・・・だったと思います」
『だ、そうですよ』
『お主が誇らしげに言うな』
「っいて」
ぽかりと、レナスには見せないよう実体化した拳で頭を小突かれた。
「え?」
「あ、いやちょっと小石に躓いてね」
「そうですか。それでクロド様、どうしていきなり自光器の中身など御聞きになったんですか?」
「あーえ~っと・・・・・そ、そうそう、あれを作ったギルントスの技術力って凄いよね。僕は今だにあの自光器を見ると、つくづく感心するよ」
目は完全に泳いでいたが、何とか言い訳を述べた。
「あぁ、はい。そうですね。奇学が出来たのも、それを応用して物を造り出したのもあの街が最初でしたからね。噂では、すでに馬に変わる、革命的な乗り物も出来たようですよ。あの自光器も数年前のタイプらしく、すでに手のひらサイズにまでコンパクト化されているようです」
「へぇ~。レナス、結構詳しいね。もしかして奇学に興味があったり?」
「確かにそうかもしれませんね。物が光る原理や、あんな不可思議な物を作る奇学はとても魅力的です。ですが私はシスターであり、ネリウス様に捧げた身であります。それに自光器など無くても、私は蝋燭があればそれで十分です」
僕も、火を点けずに光る自光器を見た時は驚きを隠せなかったが、ほしいかと言われれば微妙である。現在の僕も蝋燭さえあればそれで事足りるし、高いお金を払ってまで手に入れたいとは思っていない。
『ふーむ。そんなにも己の信仰は大事かのぉ。わしには到底分らん事じゃな。まぁ、わしも蝋燭で十分事足りるのは同意見じゃ』
そりゃ神には信仰なんて言葉、もっとも遠い存在だしね。
『そう言えば先程から出とる『奇学』とは何じゃ?』
『奇学ですか? あぁそっか。あれが出来たのはまだ数十年前でしたからね。平たく言ってしまえば、物事の現象を人工的に操る物、みたいなものでしょうか。物が地面へと落ちるのも、火が燃えるのも、全て理由や法則があるんです。それを応用しているのが奇学です』
『ほう。そのような考えはわしの時代にはなかったの。物が落ちようが、火が燃えようが、別に気にならんかった。過程より結果が全てと思ってたしの。今の人間の考えは、ちと違うようじゃ』
腕組みをしながら、シロさんは言った。
「自光器は蝋燭みたいに勝手に消えちゃったりしないから便利だけど、やっぱり値段は高いままだね。それにあんまり他の町には出回ってないようだし」
「そうですね。一つあれば便利と言えばそうなんですが、あまり今は贅沢できませんしね」
「だったら今度、本部に頼んでみようか。自光器を一つ供給して下さいって」
「駄目ですよクロド様。あまり本部に頼るようじゃ、この町の教会の示しがつきません。燃えちゃいましたが、その不幸に甘えてはいけません」
「あははは・・・・・まぁ、ギルントスに行く用が出来たら一つ買ってくるよ。あそこならきっと安いだろうし」
『それならお願いしますね』とレナスは笑いながら答える。
そのまま自光器の置いてある店を過ぎ、そのまま道なりに進んでいく。
レナスとこんなたわいのない話をしたのは、一体何カ月振りだろうか。
よく町を空けるとはいえ、まったく会えない訳じゃない。会おうと思えばこちらから会いに行けばいいし、そもそもレナスは町の住民とシスターのパイプ役も兼ねているので、僕に最近の傾向などを逐一教えに来てくれる。
ただ、話す内容が仕事の事なだけ。こうやってレナスの町を歩き、ちょっとして世間話などお互いしたいなど考えた事もないだろう。別に話がしたくない訳ではないが、変に現状の関係を意識してしまうのだ。プライベートの場でも、常に上司と部下のような上下関係が発生してしまう。レナスは特に仕事が真面目なので、仕事のオンとオフの切り替えが上手ではない。
ふと横目を向けると、レナスがじっとこちらを見つめていた。
「どうかしたかな?」
「いえ、ただちょっと気になりまして」
レナスは僕からスッと視線を外す。
「クロド様は、また何か御用があるのでしょうか?」
「え?」
「教会が燃えたあの日。あの日からずっとクロド様はいつもと違う顔をしていました。何か大切な事があるかのような、ずっと何かを考えているような、そんな顔をしています」
レナスは眉を顰めながら、僕に言った。
ガツンと後頭部を殴られたような衝撃が走った。僕は心底驚いた。いや、今更なのかもしれないが。そしてある事に気がついた。
今日の、この珍しい二人きりになる彼女の目的が。彼女は僕の心情を敏感に察し、僕を散歩に誘った。内容が他のシスター達に聞かれないよう、彼女になりに考慮して。
「伝えたいけど言えない、けどどうしても言わなきゃいけない。それが何なのか私には分かりませんが、きっとそれはクロド様にとって大切な御用なのですよね。心の優しいクロド様の事だから、教会の件や私たちの安全が心配で、言うに言えない」
スラスラと僕の心情を読み取っていくレナスに圧倒っされ、僕はまったく口が開かなかった。
レナスは全能な女神のように言い続ける。
「確かに今回の事は、あまりにも辛く酷の状態です。今クロド様が町から居なくなってしまったら、他のシスター達の動揺も想像がつきます。ですが、それ以上に私たちの事で、クロド様が悩み、苦しみ、目的を達っせない事が、私やシスター達にとって一番酷な事です」
もはやぐうの音も出なかった。今すぐにこの場に座り込み、彼女に謝りたかった。僕はそんなたいそうな人間ではない。僕は牧師でありながら神の存在を憎悪し、嫌悪感に苛まれ、馬鹿にしている僕を彼女は知らない。
そして何よりも、礼を言いたかった。僕は、感謝の言葉を慈雨のように叫びたい衝動に駆られた。
このような人間に巡り合えた僥倖を、誰かが仕組んでいたのなら、僕は感謝するだろう。その神だろうと。
後ろにいる白い神は薄らな笑みを浮かべ、こちらをただただ静かに見ている。あの神は最初から気がついていたのだろうか。
「ありがとうレナス。君は本当に有能で頼りになるシスターだ」
「そんな・・・・・もったいないお言葉です」
「こんなことなら、もっと早くに言うべきだったよ。今までの事を。彼女の事を」
僕はそう言って後ろを向いた。
レナスも僕が何を言っているのか理解していない様子だったが、同じように後ろを振り返った。
そこには白い神がいた。
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息をつくと、白い煙が口から吐き出された。
まだ太陽も昇っていない。薄暗い空と消えかけた月が、どんよりと辺りを照らしていた。凛とした空気が肌をかすめ、少し重たい瞼が軽くなる。
「すまないね。こんな時間に出発してしまって。まだ眠いよね?」
「いえ、私の事はお気になさらずに。本当ならもっとお渡ししたい物があったのですが、あまり荷物が増えるのもいけませんしね」
「僕ももう少しゆっくりしていたいんだけど、一刻も早く確かめたい事が増えちゃったからね。みんなの無念、教会の敵は必ず報いてみせるよ」
「ありがとうございます。しかし、くれぐれもご自分の安全を優先して下さい。私たちよりも早く神の元へ逝ってしまわれては、今度は私たちが何をするか分かりませんから」
レナスは笑みを浮かべながら、サラリと恐ろしい事を言った。彼女なりの冗談なのだろうが、本当にやりかねないので少し顔が引きつる。
「それじゃ、あんまりここで立ち話をして風邪をひいたらいけない。そろそろ出発するよ」
「はい、そうですね」
ビューッと冷たい風が僕とレナスの間を吹き抜ける。結局彼女は、一度も僕の帰りの日を訊いてこなかった。
「ネリアス神の御加護が二人に幸を与えんことを」
「ネリアス神の御加護があらん事を。レナス、君にもね」
僕は体を彼女から背け、町の北門へと向かって一歩を踏みしめた。
「いってらっしゃいませ。クロド様」
後ろからレナスの声が小さく聞こえる。
「いってらっしゃいませ。シロナ様」
後ろから聞こえる声は、小さく震えていた。
一人の牧師と、一人の神。
北の大地。奇学が生まれた地でもあり、僕たちが探す真相がある地。奇学技術の街『ギルントス』へと向かって、二人はまた動き出した。