第十五話:中篇:願い
いったい何百年ぶりなのだろうか。
『彼女』ダンクネスは、シュカさんの前にその姿を現した。
「な・・・なんであなたが・・・ここに?」
シュカさんの声は弱弱しくて、生まれたての小鹿のようにふるふると震えていた。
「さぁ、後はお主の番じゃな、ダンクネス。お主の手で終わらせてやるのじゃ」
隣でシロさんがのろのろ立ち上がりながら、ダンクネスさんに言い放った。
僕も体に力を入れ、何とか立ち上がった。吹き飛ばされただけなのに、僕の体にはかなりダメージが蓄積していたようだ。自分のふがいない体に涙が出そうである。
ダンクネスさんはシロさんの方を向かず、じっと前を見つめながら言った。
「はい、そうですね。私が終わらせます、今度こそ彼女を救ってみせます、絶対に」
その言葉には強い信念が込められており、シュカさんが一歩後ずさってしまうほどの気迫も放っている。
なぜダンクネスさんがこの場にいるか、それは偶然でもなければ、ましてや奇跡でもない。
それは、数時間前。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「それでお主はマナの命、わしの命、どちらを選ぶのじゃ?」
「・・・・・・・・・・」
それはシュカさんと初めて会って、宿に帰って来た時の事だった。
そんなの選べるわけ・・・・ないじゃないか・・・・・。
「どっちなんじゃ?」
残酷にも、シロさんは再び訊き返した。
この場合マナを取るのが一番普通の答えだと思う。だってそうだろう? 昔っからの知り合いで、いつも元気でニコニコしているマナ。みんなに優しく、見ているこっちも明るくなってしまう程の。あの屈託のない笑顔。僕の数少ない、大好きな人。なのに心はどうしても簡単にマナを選べない。
それに比べて、シロさんとはほんの数日前に会ったばかりだ。しかも人間ではなく大嫌いな神様で幽霊。僕に一方的にとり憑いたまったくの赤の他人だ。なのにシロさんと話していると、僕はとても楽しいと感じる。騙したり、悪戯をしたりして僕の事を散々振り回しているに、まったく悪意を持てない。マナより大事、とまでは断定できないが、シロさんの命をないがしろに出来るほど、僕はシロさんの事が嫌いではないのだ。むしろ、好きなのかもしれない。(恋愛感情ではないよ?)
「黙ってても分からん。約束の時間までずっと黙っているわけにもいかんじゃろ? 何かしらのお主の答えを聞きたいんじゃ」
「ぼ、僕は」
まるで許しを請う罪人のように僕は力なく呟いた。
「どちらも選べません。はは、おかしいですよね? 僕にとって今一番大事なのは自分よりも、マナの方だってのに・・・素直にマナを選べないんです・・・。ホントに僕、どうしちゃったんだろう・・・・・」
「決しておかしくなんかないわ」
シロさんは当たり前のように、強く優しく言う。
「わしはな、ここでお主がマナと答えたら、素直にこの命あやつにくれてやろうと思ってたのじゃ」
「・・・・・え?」
「お主にとってマナとわしを天秤にかけたら、確実にマナの方に傾く。わしもそれが分かっていたし、それなりに覚悟もしていた。じゃが、お主はマナを選らばなかった。正直言うと、ほっとしておる、わしだって完全に消えたくないからの。じゃが、お主はわしを選らんだわけでもないんじゃがの」
「・・・もしも。もしも、僕がシロさんを選んでいたら・・・・シロさんはどうしていました?」
「どうもせんよ。それがお主の出した答えならわしは口答えしない。じゃが、きっとわしはお主にたいし、今まで通り接することはできんじゃったろうな」
「そう、ですか・・・・」
ただ虚しく時間が進み、外は時間と共にさらに賑やかになりつつある。
「ですが、僕はどちらも選べない。でもそれじゃ!それじゃ・・・何の解決にもなっていない」
そう、一時的にこの問題から逃れただけで、あと数時間したら決断しなくてはならない。なのに僕の心は蝋燭に灯った炎のようにゆらゆらと揺らいで、決して止まらない。
「・・・・・一つだけ、わしに考えがある」
「え?」
何だって? この状況下を打破できるような方法があるのか? そうだとしたら、この言葉は僕が生まれてきた中で、今までに感じたことのない最高の救済の響きである。
「一つだけ、みんなが幸せになる方法がある。だが、みんなが不幸になる方法でもある」
「それって一体?」
「詳しく教えるにはまず、昨日の晩の事から話さんといかんな・・・・・・」
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
昨日の晩、わしはお主に頼みこんで力を貰い、夜の街に一人で行った。
突発的な行動ではない、わしなりに確かめておきたい事があったからじゃ。
昨日の朝、いきなりわしに実体が戻った。最初はお主の異常な魔力のおかげと片づけておった、じゃがその後外に出て、市民の変死体を見た所でわしの考えが変わった。もしかしたら、実体が手に入ったのも、市民を殺した奴が必然的に関係しているかもしれんと。
そして、その犯人にわしは思い当たる人物がいた。じゃがまだ確信が持てず、その晩にわしは一人で外に出て確かめる必要があった。
わしは確信を得るため、ある人物を探して街をくまなく探しまわった。
すぐに探していた人物は見つかった。あやつは街の大広場にあるダンクネスの偶像の前に居た。いや、わしを待っておったんじゃ。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「その人物って?」
「ダンクネスじゃよ」
「!?」
シロさんは昨日ダンクネスに会った!? この街を守り、死んでしまった女神。あのダンクネスに会ったのか!?。
「ダンクネスがわしを待っておったのを見て、すぐに確信を持てた。本当に久しぶりじゃった、最後に会ったのがもう数百年前の事か・・・・」
「も、もしかしてシロさんが死んで幽霊になったように、ダンクネスも霊なんですか?」
「うむ。どうやらダンクネスは殺された後もこの街に留まり、あの天使に見つからんよう大広場にある自分の偶像に隠れておったようじゃ。そしてあの天使と話をつけるために機が訪れるのをひたすら待ち、そうしてわしたちが現れた」
「そうじゃろ? ダンクネス」
シロさんは天井を見つめながら同意を求めて言った。
「はい、シロナさんの言う通りです」
「!!」
天井からすーっと何かが降りてきて、足のつま先が見え、下半身、上半身、そして頭が見え、半透明の一人の女性が僕の前に降りてきた。
栗色の長髪で、線の細い体型。大きくとても穏やかで優しい瞳なのだが、その瞳の中には深い悲しみが籠っており、とても悲観な表情だった。
「あ、あなたが、ダンクネスさん?」
「はい、クロドさんだったかしら? 初めまして」
「えっと、あなたに会えた事を一牧師として神に感謝します」
「よして下さい。この街の住民も私を敬って下さってますけど、力及ばずに死んでしまった、だめな神です。感謝などされる覚えはありません」
ダンクネスさんはだいぶ自嘲気味に言い、その表情はまだ優れないままだ。
「さて、話は戻るが。問題の方法をお主に今から言う、それを実行するかどうかはお主次第、決してお主の判断に口などはさまんから遠慮なく決めてくれて結構じゃ」
「は、はい」
心臓が高鳴り、シロさんの言葉を待つ。
「なぁに簡単な事じゃ。まずお主は、あやつに『どちらの命を選ぶ』と訊かれたら、こう答えるのじゃ。『どちらも選ばない』と」
「どちらも・・・え、選らばない? そ、それってどういう意味で・・・」
「話はまだ終わっとらん、動揺しすぎじゃぞ? お主」
「あ。す、すみません」
しっかりしろ僕、落ち着くんだ。僕がここで冷静な判断をしなきゃ、取り返しのつかない事になる。それは何としても避けなければならない。
「きっとあやつはその答えを聞いたら、かなり苛立つじゃろうな。さらにわしもあやつに向かって挑発してあやつに畳みかける、そうしたらあやつの性格じゃ、きっとぶち切れてわしたちを殺そうと攻撃してくるじゃろうな」
「確かにそうなりそうですけど、攻撃されたら僕たち終わりなんじゃ?」
「そこでダンクネスの出番じゃ」
「ダンクネスさんの?」
ちらっとダンクネスさんの表情を窺うと、先ほどまでの悲観そうな顔はいつのまにか消え、決意に満ちた勇敢な戦士のような表情になっていた。僕の視線を感じて、ダンクネスさんは僕の方へ向き、にこりと笑ってみせた。
「ダンクネスは機が訪れるのを今までずっと待っとった。じゃからその間に少しずつ溜めた力なら、あやつがいかなる攻撃をしてきても一発だけなら防げる。じゃからここでダンクネスの出番じゃ、わしの今の力じゃ到底あやつに勝てん、不本意じゃがの」
「はい、そこで私がルシュカに何とか話をつけます。これ以上あの子を苦しめたくないんです、だからそこからは私に任せてください」
「あやつを怒らすのは、そうした状況下の方がダンクネスが現れた時の方があやつにとって衝撃が強いからの。あやつの精神状態を乱しておかないと、冷静でいられたら話をする暇などなく、わしたちと一緒に消されてしまう可能性があるからの」
「成程、それが僕に残された『第三の選択肢』ですか」
「うぬ。じゃがな、もしダンクネスの説得が失敗したらわしたちは確実に死ぬ、マナも殺されるじゃろう。マナを選んでおけば、お主とマナは助かる可能性は高い、元々わし狙いじゃからな。つまりみんな死ぬか、みんな生き残るか、誰か欠けるか、リスクの高い賭けじゃ」
みんな死ぬか、みんな生き残るか、誰か欠けるか、あまりにもリスクの大きい大博打だ。
だけども僕にはこの選択肢以外考えられなかった、きっと僕の精神が甘ったるくて臆病だからかもしれない。だが僕はこの選択肢を選ぶ事に、不思議と後悔や心配など微塵も感じなかった。
「賭けます。そして、みんなで笑いながらご飯を食べましょう」
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
そして現在。
「な、なんで、なんであんたがそこにいるのよおぉ!!!?」
シュカさんがヒステリックに叫び、強い風がこちらに向かって吹いてきた。僕の体に乱暴に当たり、思わず後ろに倒れるとこだった。
「ルシュカちゃん、久しぶりね。またあなたと話せてうれしいわ」
とても穏やかにしゃべるダンクネスさん。
「何言ってんだ!いきなり出てきて、私と話せてうれしいだぁ!? 何なんだよあんた!今さら何しに私の前に現れたんだよ!!?」
それに比べ、ほぼ叫びに近い声でダンクネスさんに問いかけるシュカさん。
「ええそうね、今さらじゃ遅すぎたのかもしれない」
でもね、と続け。
「あぁ!?」
シュカさんは鋭い敵意をさらにむき出しにしながら、ダンクネスさんを睨みつける。
「あなたをその苦しみを解き放ち、終わらせてあげたいの、それが私の最後の」
「願いよ」