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ちっとも凄くない 寺生まれのKさん

ちっとも凄くない寺生まれのKさん 『節分・鬼退治』

作者: 満月すずめ

――節分。

 それは、古来より伝わる厄払いの行事。

 元来は宮中の年中行事であったが、そのころの名称は『追儺』。なので、現在でも『節分追儺式』とするところもある。

 年中行事、しかも厄払いとなれば神社仏閣の出番だ。この田舎でも例外ではなく、大勢が寺に集まってくる。


 そして、その寺の住職が経営する保育園とて無縁ではいられない。

 今年は悪いことに日曜日で、つまりは唯一人の保母たる私は休日出勤確定で、本来だったら憂鬱なはずなのだけれど。

 節分だけは、少しだけ特別なのだ。


 毎年この時期になると思い出す。

 もう二十年以上前になるのか。まだ私が園児だったころの話。

 何を隠そう今勤めている保育園に通っていて、可憐で大人しくて愛らしい子供だった。

 けれど、どうやら私の両親にはそうは見えなかったらしい。


 毎日保育園に預けられた。土日だってお構いなしだ。当時は保母さんも多くて、土日は交替で面倒を見てくれた。

 迎えが来るのはいつだって皆が帰った後で、一人で時間を潰す方法ばかり覚えた。


 私は世界の邪魔者なのだと思った。

 死ぬまでずっと一人なのだと思うしかなかった。

 家の中に居場所なんてあるはずもなかった。


 何歳の頃だったかは忘れた。保育園の頃の記憶なんてそんなもんだと思う。

 節分の日に寺の境内で豆を撒いて、皆で『鬼は外、福は内』と言った。


 あぁ、つまり私は鬼なんだな、と理解した。

 だから、父も母も私を外に放り出したいんだ。そう考えれば、全ての辻褄があった。


 鬼は外、福は内。枡に入った炒り豆が宙を舞い、見えない鬼を追い払う。

 でも、私には見えていた。

 その鬼は、私とおんなじ姿をしていた。


 急にどうしようもなくなって、わんわん泣いた。

 皆はすごく迷惑だったと思う。なんだこいつ、と誰だって思っただろう。

 それでも、泣くのが止まらなかった。止めて、と叫びたかった。

 泣くのに精一杯で、声なんか微塵も出ていなかった。


 誰も彼もが困り果ててなんとか私を慰めようとして、違う、そうじゃないって言いたいのに言葉にならなかった。

 一体誰が鬼に感情移入してるなんて思うだろうか。

 泣き疲れるまで放置するしかないと保母さん達が諦めたところで、


 鬼の面をつけたあの人が現れた。


 寺を継いだばかりの若かりし頃。僧衣だってまだ着られている感が強かった。

 それなのにどこか風格はあって、笑う顔は力強くて、頭を撫でる手は温かかった。

 彼はむんずと炒り豆を握り締めて、まるでお相撲さんが塩を撒くように放り投げた。



『福は~内! 鬼も~内!』



 初めて聞く言葉だった。

 大きな声は空に響いて、他の子達も保母さん達も皆驚いた顔をして彼を見ていた。

 満面の笑顔で振り向き、私もやるようにと枡を差し出してきた。


 その頃まだ可憐で大人しくて愛らしかった私はおずおずと炒り豆を一つまみして、小さく同じ言葉を呟いて投げた。

 彼はもう一度同じように豆を投げて、ぐるりと周囲を見回して促した。

 最初は保母さん達が、続いて他の子達も、同じ言葉を叫んで豆を投げてくれた。


 救われた気がした。


 それは、お安い感傷に過ぎないのかもしれないけれど。

 確かにあの時、ここにいてもいいといわれた気がしたのだ。


 ヤンチャだった学生時代、『鬼の日奈』と呼ばれ続けた発端は多分あそこだった気がする。


 今となっては全て恥ずかしい、私――丹科日奈の甘酸っぱい思い出の一つだ。



  ※           ※            ※


 寺生まれだが、霊感などの『ソッチ』の力がまるでない俺――吉備綱仁。

 隣の駐在所に住む幼馴染――島原依歌に世話を焼かれながら、なんとなくと惰性で生きてきた俺の前に許婚と名乗る女の子が突然現れた。


 クリスマスに寺に来たその子の名は、鬼瓦怜。

 親父の了承も得たという彼女に俺も依歌も何も言えず、一緒に暮らすことになった。

 その出来事をきっかけに、俺達の関係は少しずつ変わっていく。


 これは、俺達三人と、その周囲の人達を含めた町の物語。

 なんてことはない、特別でもない日常。

 世界を揺るがしたりなんか少しもしない、心が絡まるだけの出来事だ――



  ※            ※             ※


 二月二日、土曜日。

 大豆を大量に積載し、愛車を走らせる。


 カブで走れば完全防備でなければ厳しい程寒く、雪が降るなんて予報も聞く。

 出来れば大豆は買い置きしておきたかったが、家にあると酒のつまみにしてしまう人がいるからそういうわけにもいかない。

 そもそも年末年始で忙しく、使い切ったのに気づいたのが今日だったのだ。


 明日の節分に使う炒り豆を作ろうとして、在庫が切れていた。まだ少しは余裕があったはずだが、思えば近頃よく丹科さんが飲みに来ていた気がする。

 この時期になると毎年だ。何か理由があるとは思うが、余り立ち入るのも悪いと思って利いていない。

 そして決まって、大豆をつまみにする。節分に何かありそうなくらいは察しがついた。

 なんとなく強く言うのも躊躇われて、こうして俺が走らされる羽目になっている。あの人はいつもどうして人を扱き使うのか。酔い潰れた彼女を家に送った回数だって、もはや数えるのも馬鹿らしい。


 ガレージの右側端に駐車する。親父の車がなくてスペースがあるとはいえ、いつ帰ってくるかもわからない。いつもの停車位置から変えるのも収まりが悪かった。

 大豆を担いで、防犯意識など欠片もない門を潜る。閉めるのはいつも鍛錬の後だ。

 最近は鍵をかけるようになった玄関を開け、両手が塞がっているので止むを得ず足だけで靴を脱ぐ。


「ただいま~」

「おかえり~」

「お帰りなさいませ」


 声をかけると、居間から依歌と怜が顔を出した。腹をくすぐるいい匂いもする。

 炒り豆を作ろうとしたのが丁度夕食前だったので、二人に料理を作ってもらっている間に買い物に出たのだ。あやうく店が閉まるところだった。

 例年通りならもう少し早く気づけていたのだが。


 節分は年中行事であるからして、寺であるウチも無関係ではない。とはいっても人数も設備もないので大したことをするわけでもなく、ただ炒り豆を用意して訪れた人達と厄払いをするだけだ。

 一日中。

 ここが肝心なところで、人にはそれぞれ事情があって一定の時間に全員集まるというのは難しい。しかし、皆厄払いはしたい。

 そういった要望に応えてうちでは昔から節分の日は朝から晩までいつ訪れてもいいように枡と炒り豆を準備して、訪れた人から順次豆まきをしていくという方式なのだ。


 よって、大量に炒り豆がいる。毎年、昼の内から親父が準備をしていた。

 俺や依歌だって手伝うと言うのだが、住職の念を込めてるから勉強でもしてろと一人でやっていたのだ。

 そして、今年はその親父がいない。代わりに、怜がいる。

 念など嘘八百だと分かっていたが、邪気を祓うからには多少それっぽい方がいい。三人で話した結果、夕食前に作ってしまおうということになった。

 なので、気づくのが遅れた。そして、台所はそれなりに広いが流石にコンロが三つも四つもはない。自然、俺の役割は買出しになった。


 袋で抱えるほどに豆がいるのかというと、これがいる。

 自宅でやると後始末が面倒ということもあって、案外ひっきりなしに人が来るのだ。

 毎年その日は、俺と親父は基本この行事に拘束され、他には何もできない。

 昼過ぎには保育園の子達もくるので、これが意外と忙しい。そして、丹科さんが職員となってから、もう一つ仕事を追加されてしまった。


 本当に、あの人は他人を振り回すのが好きらしい。

 住職である親父のいない今、俺が代わりを務めなければならないというのに。

 今年はどうするのかと聞いたら、「怜ちゃんが先生の代わりをしたほうが皆喜ぶんじゃない」なんて適当な事を言われた。


 確かにその通りだと思う。俺よりよっぽど上手くやるだろう。反論のしようもない。

 思い出したら、煙草が吸いたくなってきた。


「大豆、どこに置いたらいい?」

「それで全部?」

「あぁ」

「でしたら、台所の天板の上に置いて頂ければ」

「分かった」


 交互に話しかけてくる依歌と怜に頷き返し、キッチンの台の上に置く。

 それにしても、随分仲良くなったものだと思う。特に家の中のことなら、今みたいに一緒に会話することが多くなった。

 いつの間にか、二人の間でしっかりと意思疎通が取れている。これが女子の団結力というものだろうか。

 それとも、俺が人と話すのが下手なだけか。そっちの方がありそうだ。


 昔は上手く人付き合い出来ていたと思っていたが、一皮剥げばこの有様。仮面をつけることに慣れれば、意思疎通は下手になるばっかりだった。

 それでも意味があれば続けていけたんだろうけれど。


 煙草でも吸おう。

 軽く肩を解して、居間を通り過ぎがてら二人に声をかけた。


「ちょっと煙草。置いといたから」

「仁、もうご飯だよ?」

「あぁ、うん。一本だけ」

「夕食の後ではいけませんか?」

「……分かった、そうする」


 二人に押し切られ、出しかけていたボックスをポケットに戻す。

 最近、こういうことも増えた気がする。

 吸うなとは言わないが、やはり快くは思っていないのだろう。


 まぁそれとは別に、確かに飯前に吸うのはどうかとは我ながら思う。味覚が鈍るのもそうだが、煙草の臭いはそう簡単に取れるものじゃないから。

 その臭いに落ち着くのだけれども。


 結局そのまま夕食を摂って、二人が豆を炒っている間に煙草を吸った。

 いつか禁煙を迫られる日が来るんだろうか、と思いながら。


 吐いた煙は、寒気に紛れて消えていった。



  ※              ※             ※


 二月三日、日曜日。節分当日。

 本堂を開けて、縁側から炒り豆入りの枡をずらっと並べる。

 縁起物の行事だからか、大仏様にお参りをしたい人もたまにいるようで、本堂は毎年開けるようにしていた。


 一応休憩所としていつもの宴会場も開けているが、流石に今日は誰も騒がない。以前は騒いでいたらしいのだが、苦情が入ったのだ。保育園から。

 親御さん達と職員さんの連合で、節分が正月みたいに呑んで騒いでいい日だと園児たちが勘違いしたら困ると抗議されたらしい。これも時代か。


 朝から鈴懸姿になって、同じく鈴懸を着た怜と一緒に訪れる人に枡を渡して豆を撒く。

 毎年の事ながら依歌も朝から手伝ってくれて、何の問題もなく『節分追儺式』は進行していった。

 『追儺』。古い名残の名称で、節分の元となった年中行事。あれこれと格式があるらしく、総本山ではかつての式に則ってやってるんだとか。


 追儺はともかく、総本山でのことは怜に教わった。伝統だの何だの、連中にとっての金科玉条だから納得できる。

 そんなものよりも訪れる人の笑顔が大事だと、親父は教えてくれた。伝統を守るも破るも、その為に必要かどうかだと。

 景気よく豆を飛ばして笑う人達を見ると、その言葉の意味が少しは分かる気がする。


 鬼は外、福は内。

 お決まりの掛け声が寺の境内に響き、魔を滅する穀物が邪気を祓った。

 滞りなく進むのはいいが、少し気になることもあった。


 今朝から微妙に怜の顔色が優れない。気のせいかとも思うし、本人に聞いても大丈夫だというが、どうにも引っかかる。

 とはいえ思い当たる節もなく、園児達が来る前に飯を済ませておこうと先に休憩に入らせてもらった。

 依歌の昼食を食べて戻ってくると、殆ど毎日見る顔が二つ増えていた。


「てめぇこら仁! なに休憩してんだ、あぁ!?」

「やっほー、仁くん! 豆まきにきたよー」

「あぁ、好きに撒いてくれ」


 理不尽に突っかかってくる透耶を無視して、志穂に枡を渡す。

 志穂は嬉しそうに豆を掴み、透耶は不愉快そうに胸倉を掴んだ。


「人の話聞いてんのかワレェ!」

「あぁ、聞いてる聞いてる」

「行くよ~! 鬼は~外! 福は~内!」


 まさに鬼の形相で迫る透耶に苦笑を返し、隣の様子など気にせず志穂は豆を撒く。

 二人とも実に好き勝手で、なんとなく落ち着くものを感じた。


「大体お前はな! もう少し自覚というものを持て! 許婚を置いて一人で飯とか、やる気あんのかコラ!」

「そうは言ってもなぁ……」

「飯なんか食うな! 豆食え、豆! 男なら、女性に優しくしろ!」

「言わんとすることは分かるが、今は男女平等の時代だぞ」

「うるせぇぇぇ!! 男がぐだぐだ言い訳してんじゃねぇ! なんでてめぇが彼女の許婚なんだ、おぉ!?」

「落ち着け。とりあえず怜が念を込めて炒った豆でも投げて、邪気を祓え」

「えっ!? 本当ですか!?」


 両手で俺の胸倉を捻りあげたまま、透耶が顔だけ怜の方を振り向く。

 苦笑しながら怜が頷くと、ぱっと手を離して枡に飛びついた。


「いやぁ、これは効きそうですね! 住職がいらっしゃらないのでどうなるかと思いましたが、今年もこれで安泰です!」

「お役に立てれば何よりです」

「いやもう全然立ってます! 行きますよ~、鬼は~外! 福は~内!」


 満面の笑みで豆を撒く透耶を他所に、小さく咳をして振り向く。

 苦笑していた怜と目があう。やっぱり、どこか優れないようにしか見えない。もう一度効いてみるべきかと思ったが、口から出たのは違う言葉だった。


「昼飯と休憩いってくれ。何なら、今日はそのまま休んでもいい」

「ありがとうございます。ですが、どうか最後までお手伝いさせて下さい」

「……分かった。でも、飯と休憩はしっかり取ってくれ」

「はい。では失礼します」


 一礼し居間へ向かう怜を見送る。

 足取りはしっかりしている。肉体的なもの、というよりは精神的なものだろうか。ホームシックというわけでもなさそうだし、見当がつかない。


 昨日までは普通だったのに。

 気がつけば考え込んでいて、すぐ隣から聞こえた志穂の声で現実に引き戻された。


「怜ちゃん、なんか元気ないね?」

「なんだとぉ!? てめぇコラ仁! 何しやがった!!」

「いや、特に何も。思い当たる節がなくて困ってる」


 肩を引っ掴んでくる透耶に逆らわず、正直に答える。

 横目で志穂を見れば、珍しく真顔で何事か考えていた。

 怒気を顔中に漲らせて、透耶が睨んでくる。


「お前以外に誰がいるんだ! さぁ吐け、全て正直に!」

「いや、分からないから困ってるんだが」

「ん~……もしかしたら、私たちのせいかも」


 悩むように口にした志穂の言葉に、透耶の動きが止まる。

 俺はといえば、なんとなく薄っすらと見えてくるものがあった。

 顔を引きつらせた透耶が、恐る恐るというふうに尋ねる。


「ちょ、おま、お前、志穂。それはアレか? 女子特有の、その、そういう?」

「違うよ~。今日一日、もしかすると怜ちゃんは気にしちゃうかもねってこと」

「鬼瓦さんが? なんだそれ?」

「仁くん、ごめんね?」

「いや、気にするな」


 疑問符を浮かべる透耶を置いて、手を合わせて謝る志穂に首を振ってみせる。

 大体、なんとなく理解できた。どうしたものか。

 一人察せていない透耶が口を尖らせて志穂にくってかかる。


「おい志穂! なんだ、どういうことだ!?」

「透耶は鈍感だね~」

「いいからちゃんと説明しろぉ!」


 くすくす笑って逃げる志保を、目を吊り上げた透耶が追いかける。

 俺にとってはいつもの光景。でも、怜にとってはここ一月少しの新しい光景。どうやら、気遣いが足りなかったらしい。


 煙草を吸いたくなって、門から聞こえる騒がしい声に断念する。

 数名の園児を引き連れて、丹科さんがやってきた。毎年恒例の保育園行事だ。

 小さな体に元気だけをパンパンに詰め込んだ園児達が庭の真ん中で立ち止まった。


「はい、じゃあ今から節分の豆まきをします! 皆、準備はいい?」


 おぉー、という鬨の声が上がり、握り拳が天を突く。

 保育園で預かっている子の中には流石に豆まきに参加できない年齢の子もおり、流石にそういう子はきていない。

 つまり、園児達は下の子を気にすることなく思いっきり遊べるということを意味する。


「さて、それじゃ仁君! 宜しくお願い!」

「はい」


 溜め息一つ吐いて、懐から鬼の面を取り出した。

 そう、これから行われるのは鬼退治の豆まきだ。本来の豆まきとは季節の変わり目にやってくる邪気を祓うもので、鬼とは即ち邪気のことである。決して桃太郎のような鬼退治ではない。一部そういう伝承もあるにはあるが。


 しかし、丹科さんは「それじゃ子供に分かり辛い」と言って、俺に節分の鬼役をするよう要請してきた。

 親父が面白がってこれを了承したせいで、毎年俺は豆をぶつけられる役目を負うことになってしまったのだ。

 鬼の面をつけて草履を履き、丹科さんと一緒に園児達に自分にぶつけられる豆の入った枡を配る。


 全員に行き渡った所で、丹科さんが豆をむんずと掴んで構えた。

 同じように子供たちも構え、さっきまで追いかけっこをしていたはずの透耶と志穂も何故か一緒になって構えていた。


「お前ら……」

「今年こそ覚悟しろ、仁!」

「よーし皆、今年も鬼をやっつけるよ~!」


 志穂の激励に、子供達が威勢よく応じる。

 透耶の目は尋常でなく、下手したら殺気までこもっているかもしれない。むしろ鬼はあいつの方じゃないのか。

 丹科さんが開戦の合図を告げた。


「鬼は~外!!」


 お決まりの掛け声と共に豆が飛んでくる。

 子供達のはともかく、丹科さんと透耶のは痛い。棒立ちで豆にあたるのも芸がなく、二人の豆だけは絶対にかわすように動いた。


「福はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 気合満点の透耶が、投球フォームに入る。

 もはや豆まきではない。


「内ぃぃっ!!」


 振り下ろした腕から放たれた豆が散弾銃のように襲い掛かってくる。

 地面を這うように屈み、一発二発掠るだけに留めた。


「鬼は~外っ!」


 狙い済ましたように丹科さんが豆を投げつけるが、予想済みだ。

 逆立ちの要領で体を押し上げて側転し、脇腹に数発当たるだけに留める。


「福は~内~!」


 適当に投げられた志穂の豆は痛くないので無理に避けない。追いかけてきた園児達が我先にと豆を投げてくる。これは避ける振りをする。その方が喜ぶから。

 透耶と丹科さんは悔しそうに叫んだ。


「ちょっとぉ! 何であたらないのよぉ!」

「そうだそうだ! 仁てめぇ少しはじっとしてられねぇのか!!」

「痛いから嫌だ」

「鬼のくせにぃ!」


 無理に押し付けたくせに、実に悔しそうに丹科さんは吠え面を掻く。

 形振り構わなくなったのか、掛け声にあわせる気もなく豆を投げつけてきた。

 逆に透耶は本気で狙い済まして投げてくるようになった。そこまでして当てたいのか。


 保育園のレクリエーションとしてどうかとは思うが、園児達からの評判は実によく、早く豆まきできるようになりたいという子までいる始末だ。

 今も、執拗に追いかけてきては豆を投げてくる。

 伝統を守るか破るかは、人の笑顔次第。それなら、こういうのもいいんだろう。

 炒り豆足りるかな、と不安になりながら庭中を逃げ回った。



  ※             ※             ※


 鬼退治の豆撒きが終わったのは、怜が戻ってくるのとほぼ同時だった。

 庭の惨状を見た怜は閉口し、疲れ果てて縁側で倒れる丹科さんを介抱する。

 毎年恒例のレクリエーションだと説明すると、驚いた後に苦笑してくれた。


 園児達はまだまだ元気があるようだが、流石にこれ以上は豆が持たない。最も浪費したのは丹科さんなのだが。

 透耶はクリーンヒットさせられなかったのが不服なようだが、怜の様子を見て続けるのを自分から断念してくれたようだ。これで来年から参加しなくなれば楽なんだが。


 鬼退治の後は、普通の豆まきをして終わる。園児達が誤解しないようにとの配慮だが、今更手遅れな気がしないでもない。


「さ~……それじゃ皆行くわよ~……」


 疲労困憊の丹科さんが、それでも大人としての責任感から枡を持つ。

 散々暴れまわった挙句一人縁側に座っている時点で、既に責任などどこかに捨て去っている可能性は考慮に入れないことにした。

 今少しだけ、丹科さんの機嫌を損ねるわけにはいかない。


 怜の前で、やっておきたいことがあった。

 丹科さんの枡に手を突っ込んで、豆を一掴み拝借する。


「すみません、ちょっといいですか?」

「ん? なに、どした?」

「掛け声を、少し変えたいんです」


 眉を上げて見上げてくる丹科さんの目を見つめ返す。

 一瞬驚いたような顔をして、挑発するような笑みを向けられた。


「いいよ、やってみて」

「ありがとうございます」


 礼を言って、豆を手に掴んだまま子供達の前に出る。

 不思議そうに見上げられ、小さく微笑んだ。


「皆、今日は少し違う掛け声でやってみようか。俺の後に続いて」

「分かった!」


 一番前で声を上げてくれたマサの頭を撫でて、他の子達を見回す。

 頷いてくれたのを確認して、縁側で丹科さんの隣に座る怜を一瞥する。

 視線に気づいた怜に軽く手を上げて、子供達に背を向けて豆を構えた。


 怜の姓は、『鬼瓦』。

 この町はきっとまだ、怜にとってどこか余所余所しいのだろう。


 久しぶりに腹から声を出した。



「福は~内! 鬼も~内!」



 親父から聞いた節分の掛け声。鬼が身内にいる所で使われているもの。

 例えそれが意味が違うと分かっていても、出て行けといわれるのは辛い。

 だからきっと、こんな掛け声があるのだと思う。


「えぇ~? それじゃあ鬼が来ちゃうじゃん!」


 園児の一人が、不満げな声を上げる。

 確かにその通りで、馴染みのない人からすればそうとしか受け取れない。まして、大人から教えられるだけの子供なら尚更だ。


「いい鬼だっているからさ。そういう鬼の為の掛け声」


 そう言うと、園児達は困惑したように顔を見合わせた。

 無理もない。自分がやっただけでも良しとしようと、


「福は~内! 鬼も~内!」


 声を張り上げて、マサが豆を撒いた。

 驚いて腰くらいまでの小さな友人を見下ろす。視線に気づいて顔を上げ、どうだといわんばかりの笑顔を見せた。

 思わず頬が緩む。度胸ある友人の頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。


「福は~内! 鬼も~内!」


 続いて聞こえた声は、縁側でヘバっているはずの保母さんのものだった。

 振り向くと、マサと同じような顔をして豆を放り投げていた。


 最も身近な大人である丹科さんがやったことで、園児達の間に流れる空気が変わる。

 もう一度マサがやってみせると、それを皮切りに次々と豆を撒き始める。


 掛け声は、鬼にも優しい方。

 横目で窺えば、鬼の姓を持つ許婚が微笑んでいるのが見えた。

 顔色は、見違えるほどよくなっていた。


 もう豆はないけれど、もう一度声を出す。

 やけくそ気味に聞こえてきたのは、透耶の叫び声だった。志穂の楽しそうな声と混じって、本当にやかましい。

 食器を片付け終わった依歌も混ざって、全員で新しい掛け声をかけた。


 怜の隣にいた丹科さんが、何故かずっと懐かしそうな目をしていた。



  ※             ※              ※


 ウチの節分は一日中やるとはいえ、流石に日付が変わるまでなんてことはない。

 夕食前には当然片付けるし、庭の掃除だってする。手元も見えないのに豆を撒く物好きは流石にこの町にはいない。


 そこまではよかったのだが、思わぬ来客があった。

 休日出勤の憂さを晴らしに、丹科さんがウチを訪れたのだ。


「はっは~ん、怜ちゃんの為にねぇ」

「えぇ、まぁ」


 ビール片手に残り物の炒り豆を摘みながら、厭らしい笑みを浮かべる。

 どうやら昼間の件が気になったらしい。別に隠すことでもないので答えると、この反応だ。

 いつもは節分が終わると暫くウチにはこなくなるのだが。親父がいないからだろうか。


 酒をくらって頬を染める姿は、色っぽいというよりは酔っ払いにしか見えない。色気というものをどこかに置き忘れてしまったようだ。

 見た目だけなら美人の部類だが、人は見かけによらないものである。


「『鬼瓦』だもんねぇ。そっか、成る程」


 ここぞとばかりにからかわれるかと思ったら、あっさりと引いてくれた。

 どこか遠くを見るような表情に意味深なものを感じるが、君主危うきに近寄らず。

 素面ならともかく、酔っている時の丹科さんに近づきたくはない。


「それじゃ、俺はこれで」

「待った待ったぁ! お酌くらいしてくれてもいーんじゃない?」

「……はぁ、いいですけど」


 昼間助けてもらった借りがある。大人しく座りなおせば、嬉しそうにジョッキを差し出してきた。

 ビールを注げば、嬉しそうに呷る。こういうとこが色気のなさの原因だとは思った。


「っかーっ! 仁ちゃんもどーお?」

「教育者が未成年に酒を勧めないでください」

「煙草吸ってる悪ガキの台詞じゃないわねぇ」


 全くその通りで、返す言葉もなく口を閉ざす。

 丹科さんもそれ以上何も言わず、ビールを飲んでは豆を口に放り込む。

 豆を噛む音が、何だか小気味良かった。


 依歌はとっくに家に帰り、怜は風呂に入っている。居間には丹科さんと俺だけ。

 ここのところ、たまにあった状況。丹科さんが本当は何をしに来ているか、知らないし聞くつもりもなかった。

 触れられたくないことくらい、丹科さんにだってあるだろう。


 不意に、丹科さんが話しかけてきた。


「仁くんさ。あの掛け声、誰から教えてもらったの?」

「……親父ですけど」

「そっか。うん、そっか。やっぱりね」


 一人で納得して、丹科さんはビールを飲み干す。

 差し出されたジョッキにおかわりを注ぐと、机の上にある分が全部空になった。

 どうせこの後も呑むだろうからと腰を上げて、


「聞かないんだ? 何も」


 滅多に見ない丹科さんの顔。

 まるでこちらを試すような目をして、欲しい言葉がこないか待っている。

 けれど、その言葉が何かまでは流石に分からなかった。


「聞きませんよ」

「優しいんだ?」

「違います」


 冷蔵庫からビール缶をあるだけ取り出し、肘で押してドアを閉める。

 机の上に並べてから、炬燵に入りなおした。



「理由をもてないだけです」



 聞いてどうするというのだろう。一体俺に何が出来るのか。

 聞いて、慰めて、そんなので済むくらいならきっとこんなことしていない。


 どれだけ他人を言い訳にしたって、結局はそこに尽きる。

 相手が表に見せている部分以外に踏み込むには、自分に理由がいる。

 その理由が、ずっと持てないだけだ。中学二年のあの時から、ずっと。


 ビールを嚥下する音が、やけに耳に響いた。


「そっか。やっぱ、仁くんは先生の息子だね」

「なんですか急に」

「色々真面目に考えてるってこと。適当な答えも出さなさそうだし、ちゃんと考えろって言ったのは杞憂だったかな」

「そうでもないですよ」

「そういうとこ! 可愛くないとこよ!?」

「はぁ、すみません」

「あーもう! 可愛くなぁい!」


 一気に呷って、空のジョッキを差し出してきた。

 何も言うまいと無心でビールを注ぐ。これはもう、泊めるしかない。


 こうなると潰れるまで呑むのだ。流石にこの寒空の下、夜中に送り返すのは気がひける。

 それに、保母さんが二日酔いで保育するのも問題があるだろう。

 怜が風呂から上がったら、明日の朝食に一人分追加してほしいと頼まなくては。

 人の気も知らないで、丹科さんは酒と豆を胃に入れる機械と化していた。


 二時間後。予想通り、完全に潰れた丹科さんを客室に寝かせた。



  ※           ※              ※


――高校三年の冬、あの人に告白した。

 フラれるのなんて分かりきっていた。ずっとずっと好きで、ずっとずっと見てきたから、あの人が誰を想っているかなんて誰よりも知っていた。


 亡くなった奥さんを、あの人はずっと想い続けていた。

 それでも告白したのは、諦めたかったからだ。この想いを終わらせたかった。


 何度も考えた。ただの憧れだって。父性愛を求めるようなもので、家族から得られなかったものを他人に欲している。ただそれだけなんだと。

 年上との恋愛、なんてものに夢を見ているだけだ。自分より強い人を尊敬しているだけ。恋とか愛とか、そんなのじゃない。

 何度自分を諭しても、巡り巡った先は同じところに着いた。


 保育園の頃に感じた手の大きさと温もり。それが欲しくて欲しくて仕方ない。

 それを初恋と言うのならば、私はずっとそれを追い求めていた。


 純情、と人は言うだろうか。でも、その内実はドロドロとした欲求の塊だ。

 初恋は叶わない。誰が言い出した言葉かは知らないが、本当にその通りだ。叶うべくもない初恋をした。

 でも、それでよかったのだと思う。こんな醜い欲求だらけの心は、無残に散るのがお似合いだ。


 叶って欲しくもなかった。あの人を汚してしまう気がして。

 綺麗な思い出のままで終わりたかった。



 一日くれ、とあの人は言った。


 本気で考えるから、と。



 そんなこと、しなくていいのに。

 奥さんを愛していて、大事な息子さんもいて、私にかまけている余裕なんてないだろうに。

 どうして、そんな真面目な顔で言うのだろうか。

 愚かな事に私はその言葉に頷き、本当に一日あの人は考えてくれた。


 そして出た答えは、やっぱりだめだった。

 分かってたのに。救われたはずなのに。

 どうしてか、良かったという安堵の涙ではなく、苦痛と悲哀の涙が出た。

 泣きじゃくる私を、あの人はあの頃と同じ、欲しくて欲しくて仕方なかった掌で撫でてくれた。


 それでも、告白してよかったと思う。

 保育園のあの時からずっと続いた苦しみがようやく終わらせられた。痛くて痛くて、学生の間はずっと苛々していた。

 おかげで、『鬼の日奈』なんて嬉しくもない別称をもらってしまった。


 そう話すと、あの人は「すまなかった」なんて言って困ったように笑うのだ。

 その笑顔にもう手が届かないと知ると、胸の痛みと引き換えに安らぎを得ることができた。

 ちゃんと考えて答えてくれて良かった。そうじゃないときっと、本当の心を隠したまま建前で受け止めてしまっていた。

 今もきちんと諦めることが出来ずに、浅ましい未練にしがみついていただろう。


 今の仕事をやっているのは、半分はあの人への恩返しのようなものだ。仁くんにあれこれ言うのも、私なりの恩返しではある。

 私の知る仁くんは、自分で考えるのを放棄しているような子だった。

 余り好きなタイプではないが、だからこそ捨て置くことはできなかった。


 あのままだと、なし崩しで依歌ちゃんと付き合いそうだったから。そういうのもアリだとは言うが、何かあった時に辛くなるのは間違いない。それは、二人にとって決していいことではないと思った。

 怜ちゃんが来て、状況が少し変わって、突っつく意味もあるかと思って口を出した。


 ところが、どうやら全て私の早合点だったようだ。

 だって、彼はあの人と同じことができる。

 悲しんでいる女の子に手を差し伸べられる。

 きっと、これで大丈夫だ。心配することは何もない。後は時間が解決するだろう。

 それでも、もし何かあったのなら。


 その時は、私が彼に手を差し伸べよう。

 かつての思い人の息子というのも、中々悪くないかもしれない。年齢だって、私とあの人ほどは離れていないから平気だろう。

 若い子と張り合うのだって面白そうだ。

 あの人もきっと驚く。それを想像するだけで、こみ上げる笑いを抑え切れなかった。



 丹科日奈、25歳。肌の張りもまだまだ衰えない女盛り。寺に永久就職というのも、選択肢としてはアリである――

次こそ時節に間に合わせます。

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