ライフ
空が滲んでいた。
薄墨のようなおぼろげな雲が、空の色彩を奪っていく。湿り気を帯びた灰色の風は頬を撫で、じんわりとした雨の気配が鼻の奥に立ち昇った。それから少しして、上空から一粒の雫が滴り落ちた。次第にそれは数を増し、舗装されたコンクリート、アスファルトらの路面を濡らしていく。
水滴の暗幕に、信号や電光掲示板、車のヘッドライトが入り込む。都心の雑音は雨の世界で幾分か和らいでいるようだった。
――ほっと、一筋の息を吐く。
冷たい雨粒が、黄色いレインコートを濡らしていく。しかし不思議と寒さはなく、歩道橋で一人、人や物が行き交う昼下がりの街を見下ろす。
――ふと、視界の隅にカラスが入った。
雑居ビルの路地から、のそりと姿を現したカラスは、周囲を伺うように首を左右に振ると、大きな黒い翼で降りつける雨の彼方へ飛び去っていった。まるで颯爽と仕事を終えた暗殺者のようだった。
カラスは『腐り』を見つけることに長けている。果たしてその噂は神話であるのか、迷信であるのか、あるいは都市伝説の類かは知らない。けれど、鋭い眼光で睨まれた獲物は決して逃げられはしない。
鋭利な爪が肉に食い込み、獲物は自由を失う。尖った嘴は容赦無く腹をえぐり、その内臓を貪るのだ。その様は効率的で実に無駄がない。翼は漆黒の外套のようで、その佇まいは死の使いを想わせた。
ここ最近、私はカラスの夢をよく見ていた。
例えばそれは、見知らぬ誰かがカラスに喰われている夢だった。例えばそれは、カラスの面をした人々が、ナイフを一刺し一刺しつき立てる夢だった。例えばそれは、高層ビルが立ち並ぶ都会の上空に、人間の肉片を落とす夥しい数のカラスの夢だった。
だというのに、私の心は平常だった。恐怖に慄くことも、怯えることもない。
――伽藍洞なのだ。私の心は。
時に私は起床した。時に私は笑顔の化粧を施し出社した。時に私は食事した。時に私は帰宅した。時に私は眠気にその身を委ねた。それが私のルーチンで、日常で、全てだった。かつての私は今やなく、生の実感はおろか思考はどこかで眠っていた。歓びもなければ、感動もなく、目を閉じた瞼が一生上がらなくても悔いはなかった。瞼を上げた世界はいつも雨のカーテンでぼやけていて、不透明な灰色に覆われていた。
カラスは私を見なかった。もしカラスが私を見つけてくれたなら、私は今を終えるのではないかと思っていた。きっと私は『腐り』熟れている。私の血は錆ついている。綺麗でさらさらした血ではなく、赤黒く、鈍い褐色に変色し、脳は鉛と化しているはずだ。
私は生きることが平面上を歩いているかのような錯覚に陥ることがある。まるで中身のない形に惑わされ、踊らされ、囚われているかのような気分になるのだ。それはひどく感覚的なもので、こればかりは説明出来るものではない気がした。
視界の雨が、突然黒く滲んだ。身体がよろめき、口から何かが伝う。
どうも背中に誰かが密着しているようだった。
そこには黒いレインコートの青年がいた。
青年は無表情だった。だがその瞳は穏やかで、たおやかな光を湛えていた。その様は神を信仰する信者のようだった。
その瞬間、身体に鋭い氷のような、しかし炎のような痛みに襲われた。急速な勢いで何かが零れていくのが分かった。
見ると、青年の右手には力強く握り絞められた黒い柄があった。その先にあるはずの刀身は私の背中に深々と突き刺さっているらしい。
――ああ。
私は息を吐き出す。しかし代わりに出たのは赤黒い液体だった。
――ようやく。
青年はおもむろに刀身をグリグリとこねくり回した。
視界はすでに深い闇に堕ちていた。
刀身が身体を引っ掻き、外に出た。こびりついた錆はきっと雨で洗い落とされることだろう。
雨がうつ伏せになった私を洗った。そこで私の意識は事切れた。意識がなくなるその瞬間、深淵の片隅で私はカラスが鳴くのを聞いた。
どうも初めまして。
初投稿の高等遊民こと、貴族院 遊々です。
本日は私の拙い小説をお読みいただきありがとうございます。
雨が好き。都会が好き。ちょっとサスペンス?的な何かで書きたいと思って出来た小説がこれです。
しかし雨が好きな人ってなかなかいないんですよね。何ででしょう?
僕なんかは家でゴロゴロすることを神様に許してもらえている気がして、ついはしゃいでしまいます。うん?僕が引きこもりだからかな?
さて、これまで小説を書くということ自体したことがなかったので、意外と見落としている日本語、文章表現の誤りがあるかもしれません。その時はボソッとメッセージいただけると嬉しいです。
また今後は日常のネタを拾いながら、ちょっとSFを絡めた短編小説(主に文学系)を書いていけたらなと思っています。さらにこういう作品が読みたいというご要望も受け付けていますので、どうぞ気兼ねなくメッセージください(必死)
それではまた次回の投稿でお会いしましょう〜。
HP
『遊人書斎』
https://asobitosyosai.amebaownd.com