第四章『かつての記憶と本当の気持ち』
「別れて失踪、見つけた親友」
真空はカシーズ村の近くにある小高い丘の上に居た。その目の前には二つのお墓がある。そして、真空はお墓の前で座ってじっとお墓を見つめていた。
…真空が失踪して、約一週間になる。あのことを、真空は今も苦悩している。戦いが終わったあと、やってきた別れを…
真空は急いで妖香の元へと駆け寄り、そして、妖香の隣で屈んだ。
「妖香、…俺は妖香を、超えられたかな?」
妖香を抱き起こしながら、真空は涙を流していた。
「…はい。とても、立派でし、たよ」
妖香はかなり弱っている。桔梗の方を見ると、桔梗の結界で守られたロボットも、停止しそうである。
「…妖香、死なないでよ。…俺、一人じゃダメだよ」
真空は必死に妖香に訴えかける。
「…あ、あなた、は、一人では、ありま、せんよ」
妖香は真空の左の頬に右手を添える。
「あなた、には、こんなに、あなたを想って、くれる、仲間が、います」
そう言って妖香は真空に微笑む。
「でも、妖香は特別なんだ。…俺を、救ってくれたから」
真空は妖香の添えた手に自分の手を添える。
「…そんな、事は、ありませ、んよ」
「あるよ! 今までずっと、側に居てくれた!」
「いえ、…あなた、が側に、居てくれて、救われて、いたのは、私の、方です」
「…あのとき、妖香と葵がいなかったら、俺は死んでた」
妖香の瞳にも涙が滲む。
「…真、もし、この先も、あのとき、の事、で、苦しむなら…私を、恨んで、くださ、いね」
「何言ってんだよ!…俺には、感謝しかできないよ」
「…ごめん、ね。…あなたを、…あなたの、心を救って、あげられ、なく…て―」
「…妖香? …嫌だよ!…眼を開けてよ!」
妖香の手から、力がなくなった。
「…、恨まれなきゃいけないのは、俺の方なのに…」
真空は妖香を抱き寄せて、
「うあああぁぁぁ!」
泣いた。
「俺、何にも恩返ししてないんだよ!」
大切な人の死によって。
「まだ、お礼とかも、ちゃんと言ったこと、ないんだよ!」
とても大切な女性の、消えていく温もりを抱いて。
「それなのに、…それなのに」
悲しみのまま、泣いた。
「妖香ー!」
その後、真空は姿を消した。愛する女性の亡骸を抱いて。
真空は、座ったまま、墓の前に座っている。何時間も、何日も、そこに座っていた。
「…龍、か?」
真空は墓を見つめたまま、後ろに近づく影に気付く。
「真、探したでござるよ」
木の陰から龍希が出てきた。
「…よく、ここがわかったな」
「直輝君の情報でござるよ。やっと、意識を取り戻したでござる」
「…そうか。…よかった」
そして龍希は墓を見る。
「…もう一つは、葵の墓でござるか?」
真空はそう聞かれ、龍希を見る。おそらく真空の事を探しまわったのだろう、龍希の服はボロボロだった。
「…いちおうな。…あいつの肉体は消えてしまったから」
「…まだ、何があったかは言えぬでござるか?」
真空はまた龍希を見る。そこには心配と不安で曇った龍希の顔があった。
「…、まだ、葵は生きてる」
「! 本当でござるか!」
龍希は眼を見開いた。しかし、真空は眼を反らす。
「…肉体がないから、生きているとは言わない、かもしれないけどな」
「なんでもいい、教えてくれ! 葵はどこに居るんだ!」
龍希の言葉使いから、驚いているのがよくわかる。
「…知ってどうする? …過去は、変えられないぞ」
「わかってる。…それでも、知りたいんだ!」
龍希の瞳は真剣に真空を見つめる。
「…そんなに、好きだったのか?」
「!」
龍希の顔が少し曇った。
「…好きだよ。…今でも、好きだ」
「だったら、あのとき掟に逆らってでも、連れ出せばよかったろ!」
「できたら、こんなに苦悩してない!」
真空は、龍希の涙を初めて見た。
「お前は知らないから、そんなことが言えるんだ」
子供の頃から涙など見せたことがない龍希の泣き顔を…。
「俺は、母さんから、『龍族と人を繋ぐ希望』になってほしいと、この龍希という名をもらった」
真空には、泣いている龍希の方が、本当の龍希に見えた。
「だから俺には、母さんを裏切る事なんてできなかった」
いつも、涙を我慢していたのだろう。
「…だから俺は、お前が羨ましかった」
しかし、真空は切れた。
「それだけかよ。…お前が、俺の何を知ってるって、言うんだよ!」
真空は立ち上がって龍希の胸倉を掴んだ。
「…この前と、逆だな」
「!」
真空は震え出し、手を離す。
「…すまん。拙者も感情的になっていたでござる」
「…やめろよ。似合わねえから」
「それを決めるのは拙者でござる」
二人は、いつもこうして仲直りをする。
「…あれは、だいたい三年くらい前だ」
「!」
龍希は驚いたが、真空はかまわず語り出した。
[時の流れ、契約と封印]
俺と妖香とテイル、そして葵は、カシーズ村に来ていた。
「…きれい。こんな所もあるんだね」
「本当だ。いい眺めだね」
「そうね。しばらくこの近くの村に滞在しましょうか」
「どうでもいいよぉ、腹へったぁ」
葵は、この丘の景色をとても気に入っていた。正直、俺も好きだ。そんな俺達の顔を見て、妖香は楽しそうに微笑み、テイルはのん気にあくびをしている。何気ない幸せ。…でも、その幸せは長く続かなかった。
「妖香様! お助け下さい!」
「どうしたのですか、そんなに慌てて」
その日の空は、雲がかかって少し暗かった。
「それが、森に怪魔がでたようで、村の若い衆が何人かやられてしもうたんじゃ!」
当時の村長は、剣闘師である妖香をよく頼っていた。
「わかりました。怪魔退治も剣闘師の務めですから」
「あんま無理すんなよぉ」
そう言って妖香は、いつものように俺達を連れて、森へ入って行った。当時の俺は、低級クラスの怪魔を倒すのがやっとの力しか持っておらず、葵は中級クラスくらいの怪魔は倒せた。
ちなみに、俺が総国に来るときにであったイカの怪魔は中級クラスだ。そしてテイルはこの頃、まだ獣人になれなかったので、村に残って警護をすることになった。
「…妖香、村の人が出会った怪魔ってどんなの?」
葵の話し方は、レンそっくりだった。少し間をおいてから落ち着いて話し出す。
「それが、獣の姿をしていたそうだから、多分ウルフ系の怪魔だと思うの」
怪魔にはさまざまな種類が存在し、空想上の神といわれる者も居るそうだ。
「ウルフ系か、じゃあ上級クラスではないな」
「決め付けるのは早いわよ。怪魔にも神クラスは居るんだから」
「…『光獣』や『神獣』でないことを願うわよ」
俺達は、これから待つ地獄を知らない。
「…いないね、怪魔」
「居ないほうが俺はいいよ」
「真、どんな生き物にも命はあるんですからね」
俺達はのん気な会話をしながら、この前きた丘に来ていた。そして、妖香は俺達を丘に残して少し辺りを見回りに行った。
「…やっぱり、きれいだね」
そこからの眺めは、山と山との間が谷のように開け、遠くの山まで見る。真ん中を川が通っていた。
「…、お前の方がきれいだよ」
俺は葵の顔をみて心からそう思っていた。だがさすがに少し恥ずかしい。多分顔は少し赤らんだだろう。
「…ありがと」
それを聞いて葵も照れくさそうだった。この頃の俺は、葵に密かに想いを寄せていたが、龍希が葵の事を好きなのを知っていたし、葵も、俺なんかより龍希の方が好きだろうと思っていた。…その時、
「逃げなさい!」
悲鳴にちかい声だった。振り向くと、血だらけの妖香が立っていた。
「死ネ! 人間!」
そして、その後ろには、光る角と翼を持った伝説の獣の姿があった。
「あれって、…まさか!」
「…うそよ、だってあれは伝説よ」
古の伝説、怪魔の最高クラスである光獣、光の力をもつ獣。そして、その中でも最強であり、神とも言われた最強の神獣。…栄光獣『シャイニング・ビースト』
「人間ガ、コノオレニ、何ヲシタ!」
見れば、栄光獣は怪我をしているようだ。
「逃げなさい! 早く! あなたたちでは、足元にも及びません!」
妖香は必死に俺達に叫んだ。獣の牙が、間じかに迫っているのに。しかし、見れば妖香は足を怪我していて、逃げ切れないようだ。
天明流“砕刃”
「!」
「キサマモカ! 精霊ノ小娘!」
俺は、震えて動けなかった。葵も震えている。…それでも、葵は獣に刃を向けた。…妖香を守るために。
「葵! 何やってんだよ!」
「…私がやらないで、誰がするの!」
「葵、早く真を連れて逃げなさい!」
妖香は叫ぶが、葵は止まらない。
天明流・奥義“斬星剣”
「!」
「…コノ程度カ? 小娘」
「…そんな、斬星剣が!」
(まさか! 奥義でも)
「葵ぃ! 逃げろ!」
俺は叫ぶ事しかできなかった。栄光獣は傷一つ受けてはいない。わかっていても、動けなかった。
「所詮ハ、人間ト一緒ニ居るヨウナ、精霊カ」
そして栄光獣は、葵に爪牙を向ける。
「止めろおぉぉ!」
(…ごめんね。真ちゃん)
(くっ! 動いてよ、私)
「死ネ!」
「シャッ!」
「葵ぃー!」
最後まで、俺は動けなかった。
八気移動術・極み“瞬身速歩”
「!」
「はあ、はあ、…大丈夫よ。真」
気付けば、俺は妖香に右手で抱きかかえられ、泣いていた。そして、…目の前では、左手で妖香に抱えられている、血まみれの葵が、微かに息をしていた。
「ここまでくれば、すぐには、追ってきません」
妖香は無理をしたのだろう。俺と葵を下ろすと、息をするのさえ辛そうにしている。
「今のうちに、逃げなさい」
「でも、妖香と葵は!」
「…真ちゃん、私は、もう助からないよ」
葵は、無理に笑顔を作って俺に微笑んだ。…逃げようとして、背を向けたのだろう、葵は背中から腰にかけて、大きな三本の爪あとがあり、そこからおびただしい量の血が出ている。そして、この傷を治せる力を妖香しかもっていないが、その力を使うことも今の妖香にはできない。
「真、総国へ行って、総統にこのことを伝えてください」
「なんで総統に?」
「栄光獣を、このままにはできません。…あの方なら、なんとかしてくれます」
「…真ちゃん、お願い。…ごめんね。私が妖香の言うこと聞いてればよかったのに」
「違うよ、俺が何もできなかったから…」
「真、あなたはまだ、…弱いのです。…だから、逃げなさい!」
このときの俺は、妖香がなぜ俺に弱いと言ったのか、わからなかった。
「妖、香?」
「…真ちゃんには力がないの。自分でも、わかってるでしょう」
今思えば、そうまでして、…たとえ俺を傷つけても逃げてほしかったのだろう。…でも、俺はガキだった。
「そんなことない! 俺だって戦える!」
意地をはった。足がすくんで動けなかったのに、…自分で弱いとわかっていたのに。
「真空! 言うことを聞きなさい!」
このとき、俺は妖香に初めて怒られた。
「あなたを! 破門します!」
でもこのときの俺は、本当にガキだった。
「! それでも、俺にはできないよ!」
妖香の愛に、気付けなかった。何がなんでも生きてほしい。そう思う、妖香の愛を…。 …でも、現実は残酷だった。
「ククク、仲間割レカ? 所詮、人間ハドレモ同ジダ」
栄光獣は、人を物のように言う。
(! まさか、早すぎる)
「真ちゃん! 早く行って!」
「嫌だ! 俺だって、戦える!」
俺は、どこまで愚かなのだろうか。
「小僧、何ノツモリダ?」
栄光獣に、刃を向けるなど。
「お前を倒す!」
手足は振るえ、恐怖で表情を強張らせて、何もできはしないというのに。
「ソンナ、鈍ラ刀デカ?」
「真、やめなさい! 相手は神クラスですよ!」
「お願いだから逃げてよ! 真ちゃん!」
「うああぁぁ!」
俺は止まらなかった。どこまで愚かで、醜いのだろう。
「ククク、目障リダ!」
「くあ!」
俺は、近づく事さえできなかった。…栄光獣は力を放出し、衝撃波を生み出す。その衝撃波で俺は吹き飛ぶ。
「ククク、クハハハ! 愚カナガキヨ。…苦シミナガラ、死ネ!」
「やめてー!」
「真ちゃん!」
俺は、呪いを受けた。苦しみ、少しずつ命を削られる、死の呪いを。
「少シズツ、苦シミナガラ、アノ世ヘ行ケ!」
「ぎゃああぁぁ!」
「真ちゃん!」
「…葵、動けますね」
俺は苦しみながら悲鳴をあげていた。
八気攻術“槍指”
妖香は限界であろう体を無理やり動かす。そして、鋼体により硬くした指を槍とように放つ。
「…マダ、動ケタノカ?」
やはり栄光獣の纏う気光障壁(光の鎧のようなもの)の前にはびくともしない。
「あなたの相手は、私がします」
妖香は全身の気を、開放している。死ぬ気で、力を振り絞る。そして、栄光獣の意識は、妖香に向く。
「…真ちゃん、大丈夫?」
「!」
気付けば、苦しくなかった。見れば葵は七色の石を、俺の胸に押し当てている。このとき、俺は葵が精霊なのだと初めて気付いた。
「あお、い。お前…」
「…ごめんね。私が精霊なの黙ってて」
「…龍は、知ってるの?」
「…うん。前に、この石を見られたから」
「! 妖、香?」
しかし、俺はもっと驚いた。
「…これが、私の力なの」
止まっていた。妖香も、栄光獣も。動いているのは、俺と葵だけ。
「…私の本当の名前は『ラクエンス・シャウィング』、時の巫女の一族の末裔なの」
「時の、巫女?」
「…そう、『時の神』につかえる巫女なの。…私は、やめてしまったけどね」
そして葵は、俺の顔に自分の顔を近づける。
「葵?」
「…真ちゃん、どうして精霊が、人としか契約できないか、わかる?」
この頃の俺も、精霊の知識くらいは持っていたが、人としか契約できない理由は知らない。
「…それには、いろいろな説があるけど」
葵の顔が、近くなる。鼻と鼻が触れ合うくらい。
「…私は、かつて精霊の神が人間の男性に『恋をした』からだって思うの」
こんなに近くで葵を見たのは始めてだった。
「…だから、信頼し合っていると、私達精霊は強くなれる」
葵が何を言いたいのか、このときの俺にはわからなかった。
「…私は、真ちゃんが大好き」
「! …うそだ。俺なんかより、龍のほうが…」
「…龍ちゃんも好きだよ。でも、真ちゃんへの好きとは、少し違うの」
「…葵」
「…真ちゃん、一緒に詠って」
「俺で、いいの?」
「…私は、真ちゃんがいいの。」
それは、契約の言葉。
《二人の想いが重なるとき、想いは無限の力となり、力は互いを結ぶ、絆となる。そして、絆は二人を永久に、結ぶであろう》
そして、契約は、誓いでもある。
《二人はどれほど結ばれるか、それは互いの想いの強さで変わる。契約に、互いの絆の強さを示せ》
二人は静かに唇を重ねる。
〝あなたに、時の加護が、授けられた〟
契約の誓いはいくつかある。その中でもっとも力を授けてくれるのがキスによる契約。それは互いの愛を示すもの。そして、キスによる契約は、どちらかが死ぬまで解けることはない。
「…ありがと、真ちゃん」
時の呪縛が解け、世界は再び動き出す。
「葵、行くよ」
〝…うん〟
精霊の能力、それは、力で人を包み、鎧と化すこと。そして、自分は霊体となって契約者の側にある。
「何ダ! コノ『力』ハ!」
「あなたの負けですね。栄光獣」
「アリエナイ! 人間ゴトキガ、神力ヲ得ルナド!」
〝…真ちゃん、詠おう〟
「あいつを止められる?」
〝…今の真ちゃんならね。…だからこそ、やらなくちゃ〟
神力は神が持つ力。つまり、神クラスの存在。
《流れ行く時よ、その流れを止め、我に従え》
時縛術“時の牢獄”
「! クソウ、動ケン!」
この世でもっとも強い力は『存在』、次が『時』。
存在があるからこそ時は存在し、時があるからこそ世界は動き、流れる。その時をつかさどる存在が、時の神。その巫女は時の加護をもち、わずかな時を操る。
「縛ッタクライデ、イイ気ニナルナヨ! コノ術、長クハモツマイ」
栄光獣はまだ諦めてはいない。術が解けたら俺達は皆殺しにされるだろう。
〝…真ちゃん、お願いがあるの〟
「言われなくてもわかってるよ。…今は、繋がってるんだから」
そして俺は妖香のもとに行き、妖香の傷を癒す。俺は、それほどの力を手に入れたのだ。
「妖香、…俺に、あいつを封印して」
「! 何を馬鹿なことを!」
〝…私と真ちゃんでも、神は倒せないわ〟
「だから、封印するしかないんだ」
「そんな、…私の体ではダメなの?」
〝…栄光獣の力を私が抑えるから、妖香じゃダメなの〟
「それって!」
「仕方ないんだ。栄光獣を抑えるために、葵の力が必要だから」
〝…だからこそ、私達がやらなくちゃダメなの〟
「でも、他に方法があるはずよ」
妖香は必死に、俺達に訴えかけてきた。
「…他の方法を探す暇はないんだ」
〝…あまり、長くはもたないから〟
「俺は命を失ってる。今は葵と繋がってるから、動けるんだ」
〝…私も肉体がもうダメだから、このままじゃ死ぬしかないの〟
「だから、俺は葵と…」
〝だから、私は真ちゃんと…〟
《一つになるって決めたんだ》
それしか助かる道はなかった。俺は葵の肉体となり、葵は俺の命となる。そして、栄光獣を抑えるために、葵を栄光獣と一緒に封印するしか…
「…わかり、ました」
妖香は泣いた。三年前だから、妖香もまだ十七歳の少女である。
「ごめんね。妖香」
〝…ごめんなさい。ダメな弟子で〟
「いいえ、私こそ、頼りない師匠でごめんなさい」
「オイ! ヨセ! ヤメロォ!」
栄光獣は叫んだが、呪縛で体は動かない。
封印・禁術“気終・神封極法”
「オレハ諦メナイゾ! イツカ復讐シテヤル!」
栄光獣は、俺の体へと入って行った。八つある気孔の門うちの一つ、『心門』へ。そして、
妖香は禁術の発動により、気術を失った。さらに栄光獣にやられた怪我で体はボロボロでだ。
「ありがとう、妖香。…ごめんね。もう、剣闘師でいられなくさせて」
〝ごめんなさい、私にもっと力があれば〟
「いいのよ、気にしなくて」
妖香は優しく微笑んだ。もう、剣闘師どころか、満足に普通の生活さえ行えないかもしれない体で。…そして
「もうすぐ、…お別れだね」
俺は、霊体の葵の前に立った。
〝…そんなこと言わないで。…私はいつでも真ちゃんの中にいるから〟
「でも、もう会えないかもしれない」
〝…そうだね。でも、真ちゃんは一人じゃないよ〟
「体と命を共用しても、触れられるわけじゃない」
葵の言いたいことは、繋がっているためよくわかった。
「…それに、龍になんて言ったらいいか」
〝…『死んだ』って伝えて。…もう会えるかわからないし〟
そして、葵の姿は薄れ始めた。
〝…真ちゃん、いいこと、教えてあげる〟
契約が解け始めたので、葵が何を言いたいのかわからなかった。
〝…嬉しいことや、悲しいことに終わりがくるように、怖いことや悲しいことにも、きっと終わりがくるんだよ〟
「…葵」
〝諦めないで生きて。間違ったって、遠回りしたっていいから、諦めないで生きて。たとえ、私が隣に居なくても…〟
「葵ぃー!」
そして、葵も俺の中で、眠りについた。
気が付くと、俺はベットの上で横になっていた。どうやらあのあと気絶したらしい。
(…軽い?)
体がやけに軽く感じた。そして上半身を起こして自分の手を見る。
(…白いし、なんか細い)
気のせいではない。そして胸騒ぎがしたので立ち上がり、近くにあった大きな鏡の前に立つ。
「…やっぱり、変だ」
全身が細くなり、肌も白く、顔つきも女の子のようになっていた。と言うより、女の子でも通るだろう。
(ズキッ!)
そして、背中から痛みがはしった。俺はためらいがちに上着を脱ぐ。
「…本当に、俺の体かよ?」
十二の少女で通りそうな上半身、おそらく、下半身にあれがついていなければどこからどう見ても女の子であろう。
「…やっぱり、そういうことか」
背中を鏡で見たとき、俺は確信した。俺は葵と一つになったのだと。…背中には、大きな三本の爪あとがあったのだ。
[本当と偽り、歌姫の歌声]
龍希は驚きと動揺でかたまっていた。
「真、今の話が本当なら…葵は」
「微妙だな、生きているというか、なんと言うか」
「…だが、お前の顔も体も今普通の男ではござらぬか!」
それを聞いて真空は顔に手を添えた。すると、顔が白い面に変わる。それを外すと、美しい顔が現れた。たしかに顔は同じなのかも知れないが、顔の色や輪郭、まつげの長さや唇の色などが微妙に違い、とても男には見えない。
「真、…その顔は?」
「綺麗だろ? ベースは俺の顔みたいだけど、これだけ綺麗だと、自分の顔だと思いたくないよ」
気のせいか、声のトーンが高くなり、女の子の声のように聞こえる。
「まあ、もし葵が居て、成長したら、絶世の美女になっただろうな」
「…そうでござるな」
真空は体も細くなっている。龍希は真空がつけていた面による能力だと思った。
「この面は『千面』て言うんだ。顔と姿を自由自在に変えられる」
龍希の思ったことは、千里の光眼を通して真空に筒抜けだ。
「自由自在でござるか」
「って言っても、本当に変わるわけじゃない。あくまでそう見せるだけ」
「…光術の一種でござるか?」
「まあな。面がなくても、俺は光術使ってこの姿を人前に、さらさないから」
そして真空はまた面をつける。すると、顔や体つきは男に戻った。
「…じゃあ、葵はまだ、真の中で眠っているのでござるな」
「…いちおうな。…起きるかどうかはわからないけど」
真空の顔が少し曇る。
「起きたときは、栄光獣が起きるときだよ」
「…この間は偉そうなこと言ってすまなかった」
おそらく、選抜試験前に龍希が切れたときであろう。真空はそう悟る。
「…たとえ、オレでも、神には勝てなかったと思うから」
その後、龍希は去った。しかし、真空の千里の光眼は、しばらく龍希を見ていた。頬を流れる、龍希の涙を…。
「…紗嗚、何か歌ってくれ」
「!」
真空は龍希が去ってしばらくして、後ろで見ている影に声をかける。
「いつから、気付いておられたのですか?」
「あなたが来てから、ずっとです」
紗嗚は、木陰からゆっくり出てきた。…その顔には涙のあとがあり、真空の話を聞いて泣いたのだとわかる。それを、真空は千里の光眼でずっと見ていて、紗嗚が泣き止むのを待っていた。
「なんでもいいから、歌って。…短くてもいいから」
「…私でよければいつでも」
静かな夜に あなたは一人で泣いていた
あなたの心の悲しみを 私は知らない それでも側にいたい
空を見上げて 夜に私はあなたを照らすため 昇るから 優しく照らし 勇気をあげるから
曇る日もあるだろう 涙を流す日もあるだろう その時は 微笑んでほしい あなたは私に光をくれる 太陽なのだから
私は一人では輝けない あなたという太陽が 笑顔の光をくれて 初めて輝く月だから
生きていれば 辛いこと 悲しいことがあるだろう そんなときは空を見上げて 私は月となり きっとあなたを照らすから あなたのために
オリジナルなのだろう。紗嗚の歌は独特だった。…でも、真空は聞きほれた。この歌に、自分を重ねて。…ひょっとしたら、真空の為に作った歌かもしれない。月とはきっと紗嗚の事で、いつでも側に居るという意味に聞こえた。
「ありがとう。紗嗚」
「いえ。…私は、謝りに来たのです」
「…レンに、何かあったんだね」
「はい。…約束を守れませんでした」
「…別に怒ってない。ただ、何があったのか話して」
紗嗚は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「レンが、精霊界へ、…連れ戻されました」
真空は立ち上がり、紗嗚の頭を上げさせる。
「紗嗚は、頑張ったんでしょ? …俺との約束を守ろうと」
紗嗚は微かに頷く。
「でも、守れませんでした。…お母様を、説得できませんでした」
悲しむ紗嗚を、真空は抱きしめた。
「紗嗚、…精霊界には、どう行くの?」
紗嗚は泣くのをやめた。そして、真空にしがみつく。
「どうしても、行くのですか?」
「約束だから。必ず迎えに行くって」
それを聞いて、紗嗚は諦めた。真空の覚悟を、感じ取ってしまったから。
「…聞いてください」
「言わなくても、この眼で何が言いたいのかわかるよ」
「それでも、自分の口から、言いたいのです」
そして、紗嗚はしがみつくのをやめて、抱きついた。
「愛しています。…心から」
そんなに永い時を共に過ごしたわけではない。それでも、紗嗚は、真空に想いをよせていた。
「レンも、あなたが好きだと言っていました」
そしてレンも、真空に想いをよせている。
「姉妹で、同じ人を好きになって、しまいました」
紗嗚は申し訳ないようにいう。そんなこと、真空は欠片も思っていないのに。
「紗嗚、ありがとう。…俺も、紗嗚が大好きだよ」
真空も優しく紗嗚を抱きしめ返す。
「この眼で、紗嗚の想いを、ずっと見ていたから」
その瞳は、微かに潤んでいる。
「とても嬉しいよ。…でも、同じくらいレンも、俺を想ってくれているんだ」
そして、真空は紗嗚を離す。
「ごめんね。…今の俺には、どっちかなんて、選べないよ」
紗嗚の瞳も、潤んでいる。
「どっちも好きで、大切なんだ」
そして真空は顔を伏せる。
「ごめんね、優柔不断で。…想いに応えてあげられなくて」
「…泣かないでください。あなたの想いは、わかっていますから」
紗嗚は感じていた。自分とレンを、想ってくれているからこそ、悩み、苦しんでいる真空の心を。自分は、心から想われているのだと。
古の獣は完全に眼を覚ました。光の加護によって。