そこにいる。
電車に乗っている人間は、どうしてこうも『窓の外』を見たがるんだろうね。
特に扉付近に立っている人なんか、扉に取り付けられた大きめの窓ガラスに顔を近づけるようにして、外の景色を眺めたりしないかい。
もちろん例外はある。乗車後ずっと携帯をいじっていたり、ゲームや読書をしていたり……。そういう人は当然、ディスプレイや本を見ている訳だが、ふと休憩するため顔をあげた時、やはり窓の外に目をやったりしないかい?
その時、変なものが見えたことはないだろうか。
そう質問したら、ある人とない人に分かれるんだろうな。
ない人の場合、窓の外に見えるのは単なる景色だ。近くの物は早く、遠くの物はゆっくりと移動していく。見えるものは都会のビルかもしれないし、田舎町の畑かもしれないし、もしかしたら山や海かもしれない。まあ、こういったものしか見えない人の方が多いだろう。
それ以外のものが視える人。
――人間が窓ガラスに張り付いているのを見たことがある、という人。
ああ、説明不足で分かりにくいかな。じゃあ、こういうのはどうだろう。窓の外に虫がいて、窓ガラスに張り付いてるのを想像してくれ。そうそう、こちらからだとちょうど、虫の腹が見える感じだ。ちなみに僕はどうも、虫の脚の付け根というか腹の部分が苦手でね。おっと、話が逸れた。
そういった虫みたいに、人間が電車に張り付いてるんだよ。窓の外に。電車というのは窓の面積が広いから、そういう人間が張り付いていたらとても視えやすい。
なのにほとんどの人は見えないから、不用意に窓ガラスへと顔を近づけたりする。
僕からすれば、それはかなり恐ろしいことだと思う。窓ガラスを挟んでいるとはいえ至近距離、下手すれば十五センチほど先に、自分には視えない人間の顔があるかもしれないんだよ。それもかなり恐ろしい形相で、大抵は腕がなかったり脚がなかったり顔が潰れていたりする。首だけかもしれないし、その首も半分は切断されているかもしれない。
そういったものと、知らないうちに人々は目を合わせているかもしれないんだよ。
……張り付いている人間の正体? ああ、言っていなかったね。
君は、自分が乗っている電車が『今まで何人の人間を轢いてきたか』などと考えたことはあるかい。
――……ない? そう、だとしたら余計なことを吹き込んでしまうかな。
人身事故で人間を轢いた電車というのは、そのまま使われている場合が結構多いんだ。ああ、車体にこびりついた肉片や血はもちろん取ってあるよ。けれど、人間を轢いたからってその電車を即スクラップにすると思うかい? よほど重大な損傷がない限り、それはないんじゃないかな。残念ながら僕は、鉄道会社の人間じゃないから詳しくは知らないけれど。
ああ、張り付いてる人間について、大体の予想はできた? それは結構。
そう、そいつらの正体は、『その電車に轢かれて死んだ人間』なんだ。
全員が全員、そうなるわけじゃないよ? さっさと成仏する人間もいるし、怨んでいる人間に取り憑いていることもある。ただ、自分を轢いた電車に張り付いていることも多いんだ。
意外? そうかな。……そういう幽霊は、はねられた場所にいるものだと思ってた? それは固定概念ってやつかな。実際問題、電車の車両自体に張り付いている奴って結構多いよ。
はねられた人間っていうのは当然、車内ではなく外にいた。だから幽霊になっても、車内に入ることもできず、電車に張り付くことになるのさ。腕や脚がないような状態でね。
だからそういう人間と目を合わせたなくなければ、不用意に窓の外は見ないことだ。
そして将来『張り付く幽霊』になりたくないのなら、人身事故には気をつけるんだね。
「――どうして私に、そんな話をするんですか」
私が尋ねると、饒舌な彼の口がぴたりと動きを止めた。そうだなあ、と考えてから、にやりと笑う。
「君が、『そういうものが視えるタイプ』だって分かったからかな。窓の外を見てびくりとする人間なんて、乗り過ごしたか乗る電車を間違えたか、――変なものが見えるか、くらいだからね」
「だから話しかけてきたうえ懇切丁寧に説明してくれた、と」
「だって話しかけてみたら、君は全然そういう世界の事詳しくなかったからさ。知らないのに視えるって、余計に怖くないかい? 僕は嫌だね」
彼は自己満足したのか、うんうんと頷き、私にとびきりの笑顔を見せた。
「今この車両で、この話が通じるのは僕と君だけ。他の人間には視えていないみたいだからね」
「そうですね」
私は窓の外に目をやらないようにしながら、車内を見渡した。ぼんやりと窓の外を見ている老人も、イヤホンで音楽を聞きながら窓の外に目をやっている男子高校生も、なんともないらしい。
「……こんな怖いのが張り付いてるのに、視えていない人間は平気なんだ。視えないってのは素晴らしいね」
「そうですね」
私はため息をつくと、ゆっくりと窓の外へと目を移した。
「それで? どうしてあなたはさっきから、窓の外を行ったり来たりしてるんですか?」
私の質問に、血まみれで窓ガラスに張り付いている彼はうんうんと頷いた。それはいい質問だよ! と、ノリが良すぎて鬱陶しい英語の教科書のような口調で言う。窓ガラス越しなのに、その声は私にしっかりと届く。他の人間には、聞こえていない。
「実はね、僕は大好きだった彼女と一緒に、この電車に飛び込んだんだ。両親から結婚を大反対されて、彼女とともに選んだ結果さ。電車にはねられ僕は即死。なのに成仏できなくて、この電車に張り付くことになってしまった。けれどね、一緒に飛び込んだはずの彼女の姿が見当たらないんだ。この電車に張り付いていると思うんだけど……」
「はあ」
「ねえ君、女の人がこの電車に張り付いてるの、視なかった?」
「……もしかしてそれが訊きたくて、私に話しかけたんですか?」
「あたり! いやあだって、僕たちの姿が視える人って、居るようで居ないんだよ。――僕の姿が視えた時、この車両で君だけがぎょっとした顔をしたからさ。視える人間がいる、これはチャンスだ! と思って」
「そうですか。……残念ですが、この電車に張り付いている人間は視ませんでしたね。あなた以外」
「そうか、残念だなあ。もしも視つけたら僕に教えてくれよ。……もしかして、先に成仏しちゃったのかなあ。だとしたら寂しいなあ。電車に張り付きながら探し物をしている幽霊なんて、世界中探しても僕くらいじゃないのかなあ」
彼は半分抉れた口でぶつぶつと呟きながら、唯一残っている左手をかさかさと動かし、隣の車両へと移動していった。
「……こういう事があるから、あなたはあまり窓の外を見ちゃだめよ。視える人って、幽霊にちょっかい出されやすいんだから」
「はあ。ところで、彼はやっぱりあなたのこと探してましたね」
「そうね、匿ってくれてありがとう」
「どうして彼と会わないんですか? もしかして」
「違うの、彼の事が嫌いになった訳じゃないの。ただ……」
「ただ?」
「私の左手薬指がね、見つからないの。轢断されたらしいんだけど、その拍子にどこかに飛んでしまったみたいで」
「はあ」
「左手薬指は、私と彼にとって大切なの。二人で結婚を決めた時に買ったペアリングをしていたのよ。なのに、私はそれを失くしてしまった。……一方の彼は、左腕だけは守りきっているでしょう? 他の手脚は切断されているのにね。――その姿を見ると、私は失くしたって言い辛くて、そうしたら会えなくなってしまって……」
「彼はきっと、あなたと出会えるだけで喜ぶと思いますけどね」
「駄目! 指輪を見つけない限り、私は彼と絶対に会わない! ねえあなた、私の左手薬指を見なかった? ずっと探してるんだけど見つからないの。××駅近くの踏切か、もしかしたらこの車両あたりにあると思うんだけど……」
「さあ、見ませんでしたね」