使用人茶屋顛末記
「お帰り下さいませ、ご主人様♪」
私は、その日初めて『秋葉原』という町 を訪れた。 電器産業で発展したこの街は、いまや別 の顔の方が膨れ上がり、元来の顔が霞ん でしまったという余りにも哀れな歴史を たどりつつある。
私はその日、多少鼻の下を伸ばしながら も、始めて入る店へと足を踏み入れたの だ。
だからこそ、第一声にそんな言葉を投げ かけられた時、私は頭の中を覆っていた 桃色の幻想がはじけ飛び、現実に唐突に 引き戻された影響からか多少意識が遠の きかけた。 それもそのはずである。 そこは見目麗しい乙女たちが使用人の服 (それもかなり過激に改悪された)を身 に纏い、店内を闊歩しているという独特 な雰囲気の喫茶店である。 まぁ、俗にいう「メイド喫茶」というも のである。 当年とってニ十と一つ、しかし、飲食店 の店内に踏み込むや否や「帰れ」とそれ も最高の笑顔とともに言われたのは、こ れが初めてであった。 確かに、清純な心とともに純粋に料理の みを楽しもうとしてこの店に入ったわけ ではないという事だけは百歩譲って認め よう。 しかし、不純な目的なく此処に来る男性 客などいるものか。 そして、さらに言うなら私は初対面の乙 女に笑顔で罵られて興奮できるほど救い ようのない変態でも無い。と自己 弁護をしておく。 ゆえにこの様な奇妙な事態に直面して私 の心はマリアナ海溝もかくやと言う思索 の深みに落ちていく事と為るのである。
そのような私を無垢な瞳で見つめなが ら、其の麗しき黒髪の乙女は「?」と言 う感じで首をかしげていたが、首をかし げたいのは此方である。 一体私が何をしたというのか?
嘆けど物事一向に進まず。 私は悲嘆にくれるまま、店の入り口に立 ちつくしていた。 店内からは奇異の目が私に向けられる。
いや、その目は私で無く、この目の前の 麗しい乙女に向けられるべきである。 まさか、最高の笑顔で客を追い返すこと が目的なのか? それとも「ドッキリ大作戦」か? 今から「ドッキリ大成功!!」みたいな看板 を持ったカメラさんが現れるのか?
私は、現状について幾つかの仮説を脳内 に組み上げ、瞬時にそれを吟味する。
仮説其の壱 私の佇まいが目の前の乙女に生理的嫌悪 を与えている可能性。 無いと思いたい。 いや、あってたまるか。 というわけで、この仮説は却下である。 論議の余地もなく、即刻却下である。
仮説其の弐 先程の疑問の通り、これが「ドッキリ大 作戦」であると言う可能性。 暇なのか? この店の連中はそんなに暇であるのか? ならば、私もここに就職したいものだ。 キッチンで。 しかし、見たところ繁盛しているようで あり、この仮説も間違いと言わざるを得 ない。
仮説其の参 店内に空いた席が無い為、新たな客は入 れないと言う事をユーモアを交えて説明 しようとした可能性。 これは、どうであろうか? もしもこの乙女のユーモアセンスが極端 に悪く、よってこんな笑えない冗談を発 したと言うのだろうか…。 悪くは無い説の気もする。 しかし、このような愛らしい乙女に神が 二物を与えていないはずがない。 ユーモアセンスがないなどという事はた ぶんあり得ないだろう。 勝手な思い込みによりこの説も却下。
以下、延々と思索は続く。
「あの、御主人様、どうかいたしました か?」
声をかけてくる他のウェイトレス。 是ぞ天の助け!! 私は事情を説明した。
「な、なるほど…」
相手は納得してくれたようである。 一方の当事者はというと…。
「あれ? 私そんなこと言ってました か?」
困惑していた。 私は、事ここに至ってようやく覚る。 言い間違えただけかよ…と。
「すみません、この子は新人でして、少 し緊張してしまっていたようです」
謝罪する先輩ウェイトレスに従って、頭 を下げる新人ウェイトレス。 そこまでされては、男として許さないわ けにもいかない。 私は、あくまで紳士然として爽やかな笑 顔を心がけながら「あぁ、お気になさら ず」と言った。
そして、その麗しい黒髪の新人ウェイト レスは、頭を上げると最高の笑顔で言い 放つ。
「それでは、席までご案内いたします。 豚野郎様」
突如としてその可憐な桜色の唇は信じられない罵声を発した。
唖然とする私が先輩ウェイトレスの方を伺うと、彼女もまた「それでいいのよ」 と言わんばかりの目で新人たる彼女を見つめてい る。 事ここに至って、私はまたしても覚る。 ここは「特殊な御趣味の殿方」専用の飲 食店である…と。
私が慌てて店を飛び出したのは、言うま でもないことである。 何度も言うが、私に被虐嗜好は ない。
読んで頂いた皆様お初にお目にかかります、似非紳士的相対論です。
PNは自分でも信じられないほどに長いので、似非紳士とでもお呼び下さい。
このような拙作ですがコメントなど頂ければ励みになりますので、宜しければお願いします。
それでは、お後が宜しいようで。失敬