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「ルーニア…君はどんな声をしているんだろうね……」
切なげに私を見つめる黒髪に青い瞳の端正な青年…。
「君と同じ存在になれれば・・触れることも、声を聞くこともできるのだろうか・・」
そんな言葉を掛けて私に頬に手を伸ばすけれども、その手は私に感触を残すことはなくすり抜けて行き…、目に見える風景がぶれることで私は首を降っているのだと判る。
嬉しさと苦しさの混じったよく分からない感情に胸が痛くて…。
「カ…イ…い…てる…」
「アイシャ!」
何かを呟いて目が覚めた、冷たい感触に頬を触ると涙が溢れていて……涙で霞んだ景色の向こうに輪郭の歪んだシラーが見える…。
「シ…ラー……?…」
「お前が拾ったブローチに針と薬が仕込んであった…、お前が意識を失った瞬間ルーニアが出てきて…色々分ったことはあるが、お前はまだ薬の影響が強いはずだ、後でゆっくり話してやるから、もう少しそうしてろ」
何だか喋りにくいしものすごく眠たい、これは薬のせいなのかと思いながら
「こ…こは…?」
「先日の館だ、一部屋貸してもらった」
「すま…ない……また、めい…わく…」
回らない舌にもどかしく思いながらもそういうと
「馬鹿な事言うな、いいから寝てろ」
シラーにいつもより低く聞こえる声でそう言われて……、私はもう一度意識を手放した。
「だ…大丈夫なの?アイシャちゃん?」
朝の剣術の稽古で汗を流していたら、同じ訓練場に入ってきたクライスが驚いたように声を掛けてきた。
「ん? 問題はないと思うが? あの薬は睡眠薬だって言うし時間が経てば切れる、そうクロエにも聞いたしな、大体クライスも同じ物を触ったんだろ? ご先祖様も困ったものを作ったもんだな……」
「全くだよ、ルーニアの為って犯罪レベルだよ…」
あの後私と切り替わったルーニアは、あのブローチはカイが作った罠付きのブローチで、どうしてもルーニアが声や体を使いたい時の為にと、剣術士眠らせるために作った物だと言い出したらしい。
実際は使うことはなかったらしいけれど、危険極まりないブローチはクライスと私と既に二人も眠らせている、薬に詳しいクロエによると、即効性は強いけれど副作用はなく、少量で効くためにブローチに薬を詰めておけば数回分は使えるというシロモノで、使いようによっては便利かもしれませんね…、クロエはそんな事を言って感心していたが…。
「アイシャちゃんは結局いつまで寝てたの?」
一度目が覚めた後、もう一度寝てしまい起きたらもう夜中だった。
シラーとクロエがずっとついていてくれたらしく、ブローチと薬の話を教えてくれて…
そんな事を答えると
「6刻と言うところか…つまり僕と同じくらい…」
「あの夜のことか?」
「うん、あの遺跡に入ったのは真夜中くらいで、次に気がついたら朝方だったから多分それくらい…」
「私はじゃぁ、同じくらいの時間であそこに入り込んだわけか…」
あの遺跡のロックはカイ、つまりクライスの血に反応して一刻ほどは開いて閉める術を使わなければ一時間ほど開いているらしい、あの夜のルーニアは遺跡が空いていたので驚いて下りたのは良い物の眠っているクライスを見て、カイじゃないのに気が付いてがっかりして気が抜けて、そのまま私の体を動かすことに疲れて休んでしまったらしい。
精霊も眠るのかと驚いたら、取り敢えずルーニアはそうらしいですよとクロエは言った
「しかし、丈夫だねアイシャちゃん、あれだけのことに巻き込まれて…」
「そうか? 2.3日ちゃんと体を動かしてなかったからなんだか落ち着かなくて…
丁度いい! お前相手してくれないか?」
剣術士には女性は少なくて、かと言って女性と剣をあわせてくれる男の剣術士もあまり多いとは言えない、私と剣をあわせてくれるのは師匠とその同じ師匠に付く何人かの弟子に当たる人間くらいだけれど、今日は見当たらなくて。
それに、クライスは私を面白がって口説こうとする割に幼い頃の訓練はともかくこの数年は剣を合わせた事もなくて
「えええぇ……」
最初は渋ったけれど、重ねて頼むと頭を下げたら、仕方ないなぁ、とため息を付いて剣を合わせてくれた。
やっぱり…こいつ、強い…。
剣を合わせながら、久々に感じる高揚感にワクワクしてきた、けれど、夢中になって剣を合わせていたら、足元の小石に引っかかってたたらを踏んでしまいクライスに受け止められてしまう。
「はい、おしまい…、っていうか、やっぱ無茶だよ昨日の今日では、副作用がないって言っても体に薬が入ったんだし、ま、それでこれだけ動けてる君が不思議だけど…」
「むぅ…確かに…戦闘中は目の中の小石を見逃したりはしないはずなのに…しかし、やっぱり強いな、楽しかった!」
そう言って、其の場にぺたりと座ってクライスを見上げると
「君だって相当だよ?何で話題に上らないんだか不思議なくらい」
「あはは、有り難いな、実はちょっと采配に疎まれてて…、光以外も吸収する野良剣術士って、仕事が中々回ってこないんだ」
「あんっの、陰険ババアか…、確かにそういうところ有るな」
女性相手に存外口の悪いクライスに驚いて
「ババアって…わりと美人だったと思うけど…」
「あーゆー険がある上品ぶったのはあんまり好きじゃないんだよね…って、そうか、アイシャちゃんは二重に恨まれてるわけだ、君女性の敵だものねぇ…」
本物の女性の敵に言われてため息を付く
「シラーとクロエもなぁ…特定の相手でも作れば私の風当たりも減るんだが…」
そう呟くと
「それはあんまりにも彼らに酷いと思うよ…」
クライスに呆れられてしまった
「ごめんっ、遅れた!」
いつも通りのクロエの部屋に走りこむ
剣術の稽古の後、夕刻から昨日の夜の出来事を話し合うのにクロエの部屋に行くことになっていたのに、クライスと夢中になって剣を合わせてたら遅くなってしまった。
「珍しいですね…こんな時間まで、いつも極力日光を避けているのに」
「ああ…ちょっとクライスに稽古に付き合ってもらったら、こんな時間に…、いや、久々に楽しかった…噂には聞いていたけど、強いな、あいつ」
「何でお前は昨日の今日でクライスに近寄るんだ……」
「大丈夫、剣に集中してたからおかしな事にはならなかった」
「そういう問題じゃないだろう…」
ここの処、連日クロエの部屋で顔を合わせるシラーは、疲れたように肘掛けにかけた腕に頭を載せていた。
クロエはそんなシラーに、これちょっと持ってくださいといつも私にくれるお茶のカップを預けて、にこやかな顔で私の前に立つ
「アイシャ…少し両手を軽く握って肩の横に上げてくれませんか?」
「……こうか?」
言われたとおりに肩の横に腕をあげるとクロエが軽く体を傾けて両手首を握りそのまま背もたれにぐっと抑えつける、何をするんだ? と見上げると先ほどまで柔らかだったクロエの表情は真剣で…少しづつ近づく顔を驚いて見上げる
「ちょ…クロエ…なにするんだ」
最初は不思議なだけだったのが、どんどん近づく唇に焦りが募り
「ふ…ざけるな…っ」
手首を振りほどこうにも、意外にその力は強くて振りほどけない、どうすることも出来なくて…
「おい…」
唇が触れそうになる直前にシラーの低い声がして、クロエの動きがピタリと止まる。
途中から伏せられた視線が再び私を見つめて…ふうとため息をつくとその手を放した
急に抑えていた力がなくなりパタリと落ちる両手…。
「アイシャ、貴方は確かに強い、けれど油断すれば確実に女性なのですよ? 力の勝負だけなら、普通の男である私の手も振りほどけない…、もし相手がその気になれば貴方は逃げることができない、自覚を持つべきです」
それを教えるための行動だったのか…。
「判った…」
うつむいて小さな声でそう言うと
「どうぞ」
シラーに預けたお茶を渡してくれた。
「あの部屋でカイは遺跡の研究をしていたようですね…、幾つか書類のような物も出てきました…、どうやら国からの依頼であの場所を調べていた術士のようです」
あの日私が意識を失った後、あの部屋を探索しながら見つけたものとルーニアからの話をしてくれた
「あの遺跡は魔力を吸い込み増幅する装置のようなものとカイは思っていたようです、
ルーニアはあの遺跡の残っている力の意思みたいな存在とあり、驚くことにこの世界を覆う膜の強化にも関わるようなことが書いてありました」
「随分話が大きくなるな…」
「ええ、この世界の根幹に関わりがありそうで驚きました」
「ルーニアはなんて?」
そう聞くと、彼女は遺跡が稼働していた頃から存在はしているけれど、遺跡の力が弱まるに連れて記憶や能力が曖昧になり眠る…というべきなのか? 彼女が棲む入れ物のような場所があるそうでそこで休んでいることが増えていたらしい。
ある日突然カイが消えてからは、外に出ることもなくずっとそこに居たそうで…ただ、遺跡が稼働していた頃は今よりも魔物は少なかったと聞かされた。
「そういえば村の師匠が、世界の力がもっと強くなれば魔物が減るかも知れないとか、昔言っていた気はするが…」
「そうですね、私もそんな話を小さい頃聞いた気はしますが…、お伽話だと思ってました」
「だが、そこにカイがどう関わるんだ?気配がしたから彼女が起きだしだんだろ?」
そういうと
「そうなんですよね…クライスがあの遺跡に行くのは初めてだそうですし、彼の中に流れる血に反応して研究室へ繋がる入口が開いたのは確かだと思います…けれど、ルーニアが目覚めたのは、もっと強いカイの気配を感じたというのですよ、そしてそれはクライスではないと」
「でも、クライスは100年前の人間なんだろ? 行方不明の時に幾つだったかは知らないけれど到底…」
「ああ…寿命を考えても、今生存しているとは考えにくい、けれど、はっきりさせるまでお前の中に居座るとか言いやがって…」
忌々しげにシラーが言うと
「カイに関してはクライスの先祖に当たるのは間違い無いと見て、今度の休みに彼が少し実家の家系を調べて見てくれるそうです」
「クライスの実家?」
「一応貴族ではあるが、今では商売人としてのほうが有名だな、女性物の装飾品などの流通に関わっていたと思うが」
「女好きは家系か…」
「ちょっとその認識は…」
と、クロエに呆れた顔をされてしまった。
「しかし、あの遺跡の問題は、もしかしたらカイのことより重要じゃないのか? ルーニアがこのまま弱まればこの世界を覆うと言われる膜は…」
「カイの研究によれば…、ですけどね、でも確かにここ最近魔物の活性化はしていますし、起こらないとされる爬虫類の魔変も起こっている…あれだけの資料があのままになっていたと言う事は報告はされてないはずですし」
「いま、資料は?」
「どのみちクライス以外はあそこへ繋がる扉は開きませんからそのままです、それが一番安全でしょう」
一回ごとの読みよい分量というのがいまいちよめていません
それなりにキリの良いところで・・と、思ってはいるのですが