3
スクォーラは広大な土地を有しており、そこには小さな森や医師などが利用する薬草が茂る場所など緑豊かな一帯が広がって居る。
その一角に、クロエが常備しているクラナス茶の原料である、クラナスの花が咲き乱れる場所がある。
クラナスは夜に咲く小さな花で、これを摘んで乾燥させ、一般的に広く呑まれている茶であるサミシュの葉に混ぜると、仄かな甘味と酸味、何より素晴らしい香りのお茶になる。
クロエはこのお茶を好んで部屋に常備しているが、せっせと在庫を減らしている自覚がある私も、夜の空気を楽しみつつクロエの茶摘みに付き合っていた。
「だれか……助けてください!だれかっっ!!」
叫び声がして慌てて当たりを見渡すと、クラナスの咲く一角の近くにある森から、一人の少女が飛び出してきたのが見えた。
慌ててそちらに駆けて行くと、その後ろからもぞりと黒い大きなものが動くのが見えた
少女を抱きとめ、そのままクロエに預け少女の後ろから現れた影に向きあう。
「…魔?」
気配は間違いなく魔のもの、けれどその姿はトカゲがそのまま人と同じ程の背丈になった異様な姿で…。
一般的に、魔に侵されるものは植物、動物、人のみで、爬虫類や昆虫は魔の気に触れても魔にはならないとされている。
なのに、これは何だ…?いや、兎に角コイツを何とかしないと…。
隙を伺っていると後ろからクロエの呪文詠唱の声が聞こえ、魔の動きが緩やかになるのが目に見えて判った
魔の消滅は二種類あり、それは依り代を生かすか殺すかに分かれる。
通常吸収された魔の気が少なければ、その気のみを払えば助かるが、融合が進むと魔の気を消滅させるとその依り代も消えてしまう。
しかし、対処は同じで、魔の体内に光を充填させること。
ただ、生かす場合は強すぎる光は毒となり、その力で依り代を傷つけてしまうことから加減が重要。
なので、聖剣術士は最初の見極めが重要とされているのだが…。
感覚としてはこれは完全に融合してしまっているように感じるが、見た目はただのでかいトカゲにしか見えず、そもそも此の様なものは見るのがはじめてで経験が当てにならない。
ともあれ、排除すべき対象ではあることは間違いがない。
クロエの術でかなり動きが緩やかになっているが、その鱗で覆われた体表は見るからに堅そうだ。
しかし、通常のトカゲと同じように柔らかに見えるその腹部を見て、そこを狙うことに決め、クロエのお陰でかなり動きのゆるくなっているトカゲの腕をつかみ一気にひっくり返した。
「アイシャ…!」
トカゲをひっくり返した瞬間焦ったようなクロエの声が聞こえたけれど
気にせず剣で斬りつけて突き刺す
「これはっ…」
突如吹き出す今まで感じたことがないほどの魔の気に一瞬剣を握る手が震えた。
けれど、そのまま今日シラーが私に補充してくれた気を思い切り流しこむ。
魔物の相手を始めて以来、感じたことがないほどの光を注入した頃突然トカゲの輪郭がぶれ始め、覚えのある衝撃の後、トカゲは消滅した。
やはり融合はかなり進んでいたようで形を残すことは出来なかった。
「大丈夫か?」
逃げてきた少女の方に振り向くと、彼女ははっとした顔をして
「エストが!!」
と叫んだ。
「私を逃してもう一体と森の中でっ!!」
泣きそうな顔でこちらを見るのに、身体を翻し森に駆け込もうとするところをクロエに腕を取られる。
「アイシャ、駄目です髪の色がもう素に近い、それでは」
「けれど、足を止めて逃がすくらいなら出来るかも知れないっ」
振りほどいて駆け込もうとするけれど、その腕は意外と強くて
「助けたいんだ」
じっとクロエを見つめると、諦めたように私の髪をつかみ、一気に闇の力が流れこむ。
「浄化はできないですが、動きを止めるくらいならなんとかなるでしょう、彼女を寮に帰しすぐシラーを連れてきます、絶対に無理をしないと約束してください」
「判った」
突如緩む腕に、振り返る余裕も無く、私は森の中に駆け込んだ。
闇雲に走りまわっても、きっと見つけることは困難だと自分を抑え、深く深呼吸して心を落ち着け周囲の気配を探る。
すると、わずかながら仕事で慣れ親しんだ魔の気配。
それを頼りに進んでいくと、先程倒したものよりも、一回りほど大きいトカゲと対峙している少年が見えた。
慌てて駆け寄ろうとするも、少年の緊張が緩んだ瞬間飛びかかろうと構えているトカゲに闇雲に動くことは諦め周囲を見回す。
ふと思いついて、、一番近くにある木に登り、木から木へと乗り移り丁度トカゲの頭上に行くことが出来た。
そのまままっすぐに下へと飛び降り、トカゲの背中に体重ごと剣を突き刺すと、流石に硬い鱗も私の体重と重力で剣が貫通する。
そのまま、クロエに先ほど注いでもらった力を注ぎ込み、トカゲの動きを止める。
「あ…あなたは?」
突然飛び降りて、トカゲを刺した私を見て、引きつりつつこちらを見る少年と目が合う。
光を放つ右手に握られた剣…、聖剣術士か。
「エストか?」
突然名を呼ばれ驚く少年に森の入口で少女を助けたことを告げると、途端、ほっと気が緩むのが判る。
「ありがとうございます! マリエルは…」
「見たところ怪我はなかったし、追ってきたトカゲは私が消滅させた、ただ、それで今の私にこのトカゲを消す力はない、このまま、暫く留めておいて応援を待つ」
「あなたは…?」
「剣術士だ」
その言葉に少年は目を丸くする、無理もない、いまここでトカゲをとどめているのは明らかに闇の力で…。
さすがにこの距離では、何が行われたかは判るだろう、逆に分からなければこの仕事は向いてないことになる…。
さて、どう説明しようかと考えていると
「もしかして…アイシャさんですか?」
「どうして、私の名を?」
「やっぱり!シラー兄様に聞いたことがあるんです、光以外の力も使いこなす剣術士がいるって!」
そう言われて、目の前のエストをよく見ると、育ちの良さそうな物腰、手入れの行き届いた身なり、輝くような金髪に幼さは残るけれど端正な顔立ち…。
確かにシラーの幼い頃を彷彿とさせる、但し、彼の場合は私の前では常に不機嫌な表情でこのようななキラキラした瞳ではなかったけれど…。
「僕はエスト・フェルシア、シラー兄様の従兄弟で今年から聖剣術士としてスクァールへ入学しました、今日はマリエル、あなたに助けていただいた闇の術士の薬草取りに森に付き合った所、突然魔に襲われて……」
思い出したように 体を震わせる少年を思わず抱き寄せて
「もう大丈夫だ、よく守ったな、マリエルを助け自分も守ることが出来た、よくやった」
そういって、ぎゅっと抱きしめる、とたん身体を硬直させ
「ありがとうございます」
小さな声でそう呟くのが聞こえた
残り少ない光の気を剣先に集めてぽんっと頭上に撃ち出す
「なんですか?それは」
不思議そうな顔をするエストに、居場所を知らせる信号と答えて応援を待つことにする。
その結果クロエ達を待つ間エストに、質問攻めにされることになり、周囲には絶対秘密で絶対広めるなという約束の上で、生活の知恵的剣術を教えるという約束に、いつの間にかなってしまって……いた。
「アイシャ!! 良かった無事か?」
「あぁ、済まない、こんな夜中に…」
「シラー兄様!」
「エスト! 良かった…マリエルから話を聞いて血の気が引いたぞ? 怪我はないか?」
「ええ、アイシャさんが助けてくれました」
そう答えるエストに、シラーはこちらを向いてすまないと頭を下げる
そんな態度を受けることは滅多にないので焦ってしまい、視線をうろつかせてクロエと師匠のの顔が目に入る
「マルティン師!?」
思わず声を上げる私に、クロエがシラーを呼び出すのにバタバタしていたら丁度マルティン師が出ていらして、この際巻き込んでしまおうと思いましてと、にっこり笑って物騒なことを言う。
けれど、良かった、このまま光を注入すればトカゲは消滅してしまう、消す前に現状の報告を誰かにしなければと思っていたことを告げる。
するとマルティン師は、一定の距離をとりつつトカゲをぐるっと見回し
「…一時捕獲、ですかねぇ」
と、憂鬱げに私を見た。
その後、研究のための捕獲部隊が編成され、夜明け前に捕獲作戦が開始されたが、網をかけようと動いたその瞬間突然トカゲの輪郭はぶれ初め、衝撃と共にはじけて消えたと、翌日寝不足気味のマルティン師からの報告を受けた。