Misson:5 エースの日曜日
梅雨も開けたため日曜日は快晴だった。
しかし、グラウンドにはブリザードが吹き荒れていた。
発生元は鬼コーチ。原因は司。
既に太陽は真上を過ぎていたが、司は一向に現れない。コーチの怒りバロメーターも、臨界点を突破していた。
「おいおい。早く来い。司。」
なぜか恐ろしいほどに静かなコーチを見ながら、啓介は手を合わせていた。
ちょうど昼休憩になったところで、部員達は木陰で少しでも体力を取り戻そうとしていた。
それほどまでに、午前中の練習がきつかったのだ。
ほとんど雑用ばかりの一年でさえ、グッタリしていた。
大会出場者ともなれば、その疲れははかりしれない。
啓介は痙攣を起こしそうになっている足を、未佳に冷やしてもらいながら、司が来るのを待っていた。
「高燈君、来ないのかな?」
「いや。来る。絶対に。と言うか来てもらわないと困る。」
「そうだね。」
マネージャーである未佳も随分疲れていた。
啓介の足にスプレーを当てていた時、近くから声が聞こえた。それは待ちに待った声だった。
「なんか疲れてんな。どうしたんだ?」
「「あ――――!!」」
二人の大声で、近くで休んでいた部員達は一斉にこちらを見た。
そして、それぞれがさまざまな表情をした。
安堵の息を吐いたもの。怒りを露にするもの。
そして『あとは頼んだ』って目で見てくるもの。
司は、その表情を見て困惑気味に、目をパチパチさせた。
「なに?どういうこと?」
他の部員と同じように胸をなで下ろしていた啓介に聞いた。
「お前が来なかったせいで、コーチの機嫌が絶好調に悪かったんだよ。」
「絶好調って、何か使い方間違ってねぇ?」
「そこはどうでも良いんだよ!!ようするに、コーチの地獄のスパルタ練習を受けさせられてしまったわけよ。お前のせいで。」
啓介はジト目で司を睨んだ。
「悪かった。×2」
司はそんな悪友の視線に、苦笑で答えた。
「何で来なかったんだよ?」
「まあいろいろあってさ。」
「言いたくねーなら別にいいけど……コーチんとこ行けよ?今昼飯食いに行ってるけど。」
さすがの啓介も少しばかり怒っている様子だった。
それはそうだろう。30度の炎天下の中、ほとんど休憩なしで、練習していたのだから。日射病で倒れた者が出なかったのが奇跡だ。
「高燈君、少し顔色悪くない?」
早々にジャージに着替えた司が準備運動していると、未佳に声を掛けられた。
さすがにマネージャーだけはある。部員の体調には鋭かった。
司は平気な顔して『大丈夫だ』と答えた。
側にいた啓介はまだ怒っているのだろう何も言わない。
「でもいつもより………。」
「平気だって。気にすんなよ。」
「そうだぜ。本人がそう言ってるんだ。ほっとけよ。それより、司。あれ。」
啓介が顎で指した先には、これからの部員の運命を左右するコーチが、グラウンドに向かってきていた。
「あー。じゃあ行ってくるわ。」
啓介は、何でもないかのようにコーチの方へ歩いていった。
実は正直歩くのも辛かったりする。昨日の任務で、へまをやらかして、血を流し過ぎたのだ。傷は外からは見えないところにあるので誰かに見付かることはないが、貧血が酷かった。
視界を保っているだけで精一杯で、ほとんど気力で動いているようなものだった。
〈くそ…!もってくれよ…。〉
それでも大会直前にこれ以上休めないと思い、ここまで足を運んだのだ。
〈司のやつ。あのいい加減なところどうにかなんねーのかよ。〉
啓介は珍しく本気で怒っていた。
部員が疲れるのはまだ良いにしても、マネージャーである未佳にまで影響を与えた事が許せなかった。
いままではなんとか、これも司の性格、みたいに、割り切れていたが、今回はそうもいかなかった。
大会直前だというのに、平気で遅れてくる神経が信じられなかった。
そして、ロクに練習にも来ないのに、あっさり全国への切符を手に入れたことも気に入らなかった。
なにより一番ムカつくことは、未佳が司にやけに気を掛けていることだ。
自分が司と仲が良い事もあり、未佳ともよく話す。
そんなとき、どうしても司と未佳の関係が、他の部員やクラスメイトより親密に見えるのだ。
いままでは気にしていない振りをしていたがそれも難しくなってきた。
足にテーピングをしながら司に目を向けた。
予想通りこっぴどく怒鳴られている。
随分離れているのに、こっちにまで声が聞こえてくるということは、よほどの声量なのだろう。
隣にいる未佳が本当に心配そうに見ていた。
「未佳?」
「ねぇ。高燈君、本当に大丈夫かな?」
「そんなに心配か?別にいつもと変わりねーだろ?」
そう言った啓介も、少し違和感を持っていた。
いつもならコーチに言い返す司が、いまはただ謝っているだけだった。
心配そうに見つめている未佳を見て、何か得たいのしれない感情が渦巻いた。
「未佳。アイツのことは放っとけよ。」
「啓介は心配じゃないの?」
「俺には健康そうに見えるぜ。それにお前が心配しても仕方ないだろ。」
「啓介!!」
啓介は小さく舌打ちして高跳びに使うマットのところに歩いていった。
コーチの声が頭に響いて最悪な気分だった。
なんとか手を握り締めて耐えていたが、もういつ倒れても不思議じゃなかった。
「おい!!!高燈!テメー聞いてんのか??」
「……聞いてます。ホントにすみませんでした。」
司は素直に頭を下げた。なんとか早くコーチの説教を終らせようと、ひたすらに謝り続けた。
怒りに血が上っているせいだろう、いつもと様子が違う司に気付くことなく、コーチは30分近く喋り続けた。
〈……お…わっ…た……。〉
司は多少ふらつきながらベンチに座った。
スパイクに履きなおして、走るために立ち上がる。
一瞬クラッときたが、なんとか立てた。
そして軽くアップのため走り出した。
「啓介。やっぱり変だよ。」
「まだ言ってんのか?平気に走ってんじゃねーか。」
「あれが平気そうに見えるの?」
司の方を見てみれば、確にいつもの様な軽快な走りではなかった。
「とにかく一緒に来てよ。」
「お、おい!未佳!」
啓介はなかば引きずられて、未佳の後をついて行った。
「コーチ!!ちょっといいですか?」
未佳は啓介を引き連れて、幅跳びを見ていたコーチに話しかけた。
「椎野か。……どーした?」
さすがに、選手ではなく尚且、女子の未佳には、少し落ち着いた話し方をする。
「高燈君の様子が、少しおかしいんです。」
それを聞いた途端にコーチの顔は3割増険しくなった。
「高燈だと?」
のろのろとまでは、いかないにしても、やる気を全く感じさせない司の走りを見て、コーチの額には、青筋が浮かんだ。
「高燈!!!!!お前いい加減にしろ!!もういい!!やる気ねーならさっさと帰れ!!!」
いままでの比ではないぐらいの雷がグラウンドに落ちた。
部員達は、その怒声に驚いて、コーチに視線を向けた。
コーチの近くには啓介と未佳がいて、三人ともが、トラックの外を走っていた司を見ていた。
コーチは憤怒の表情で。未佳は心配そうに。啓介は少し困惑気味に。
司とコーチの間には30mほどの距離があった。
怒鳴られた司は、何の声も発する事なく、チラリとこちらを向くとコーチの方に歩き出した。
啓介は、困惑の表情で司を見ていた。
司とは二年近い付き合いになるが、いままで、こんな司は見たことがない。
有り得ないぐらい青白い顔に、練習でかくのとは明らかに違う汗。
誰から見ても、いつもと様子が違う司に、部員はおろかコーチも気が付いたらしい。
「おい……。どうした……?」
司は、コーチの問掛けにも答える事はなかった。
「高燈君……。すごい顔色……。」
未佳が手を口にやって、小さく呟いた。
ゆっくり歩いてきた司は、未佳達がいるところに来ても足を止めず、そのまま通りすぎた。
「お…おい!司、お前どうしたって…………。」
司が通りすぎたため、啓介達は体の向きを変えて、軽く目を見張った。
「……!」
司の向かうその先には、明らかに学生ではない大柄な男が立っていた。
二十代後半の男で、カジュアルなジャケットとパンツを品良く着こなしていた。
体格は良いが、暑苦しい感じはしない。むしろ、逆に爽やかさが漂っていた。
だんだん男に近付いていった司は、目の前まで来ると、ほとんど倒れ込むようにその男の肩に頭を乗せた。
そして呟いた。
「………鷹兄…。………血………くれ。」