Misson:2 エースの悩み
「こら〜高燈!!お前また朝練サボりか?あぁ?大会近いってーのに、てめーは一体な〜に考えてんだぁ?」
太陽が傾き始めた今日この頃。グラウンドには、ヤクザ並にドスの効いた怒声が響いていた。
そして困ったことに、この声の発信元にはまんまヤクザな人が二王立ちしていたのである。
やたらとでかい体に鋭い目、それにどこで作ったのか頬に傷跡まである。ここでジャージなんかではなく、ちょっと派手なシャツにスーツを着ていれば完璧に組員だ。
「お前ら、ぼけっとしてね―でさっさと練習しやがれ!」
さりげなーく様子を見ていた部員達は、慌てて練習に戻った。
「で、何で朝練来なかった?な・ん・で・午後練まで遅れた?なぁ?高燈司?」
「まぁまぁ。そんなに怒らないで下さいよ。いつも怒ってたら、そのうち高血圧で倒れますよ?」
そう返したのは、見た目組員なのにガッコの先生で、毎年この陸上部を全国まで引っ張っていく名コーチを、毎日のように怒らせている陸上部員、高燈司だ。
コーチのこめかみに血管が浮き出た。
「どこの誰のせいで怒ってると思ってんだぁ?」
「誰ですか?学校一怖い先生を怒らせる生徒は?」
司はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
――ブチッ―――
何かが切れた音が響いた。
「……………お〜ま〜え〜の〜こ〜と〜だΣ!!もういい。校庭30周してこい!!」
「はぁ?俺短距離専門ですよ?そんな持久力はどこにも…………。」
「いいから行け!!」
司の言葉は途中で怒鳴り声に掻き消された。
「ちぇ………。」
司は面白くなさそうにトラックに向かった。
そんな司の背中を、部員達は憧れの眼差しで見送った。
あのヤクザコーチの迫力にも臆することせず、むしろ怒りをあおって、しまいには呆れさせることができるのは、この学校でも司だけだ。おまけに、会話が終る頃には、コーチの最初の質問は、サラーッと受け流されているのだ。狙ってやっているのか、それとも天然なのかはわからないが、ただ者ではないと、部員逹は思っている。
この高校の陸上部は、例年通り全国大会出場の切符を手に入れた。出場する選手の中でも注目されていたのが司だ。一年の後半に入部してきた司は、すぐにその頭角を顕した。陸上は初めてだと言うのに、走らせてみれば全国レベルのタイムを弾き出したのだ。
幅跳びやその他の種目も、そつなく良い記録を出したが、短距離がほかよりずば抜けていたので短距離走の選手になった。
二年になってすぐに始まった陸上大会でも、地区、県と他を寄せ付けない走りで一位通過を果たした。
最終地点である全国大会は夏休みの始めに行われる。
ニ週間前となった今日、出場部員はほとんど最終調整に入っていた。が、司だけはいつも通り遅刻、サボリを繰り返していた。
司は渋々準備運動を始めた。
コーチが怒るのも無理はないと思っている。授業も単位ぎりぎりだし、部活に至っては来る日のほうが少ない。
司本人も、どうにかしたいとは思っているのだ。
だが自分の秘め事が、それを許さなかった。
学校にもコーチにも言えない秘密が、司に重くのしかかっていた。
隠された事情のせいで、小中と、学校には行けなかった。
条件つきでも、やっと許可された高校で、友達を作って、部活に入って、という理想もなかなか難しかった。
もともとのさばさばした性格のお陰で、友達はなんなくできたし、悪友と呼べる親友まで作れた。
時期は遅れたが部活に入ることも出来た。
しかし、それが余計、自由にできる時間を減らし、今では留年の危機に追い込まれている。
靴紐を結び直しながら、司は溜め息を吐いた。コーチの怒りも解るが、毎回のように怒られる側としては、理不尽なことだが、少しムカッと来る。
事情を知らないコーチが怒るのも無理はない。
しかも司は陸上部期待の星なのだ。陸上初挑戦で全国。万全の態勢で臨ませようとするのは、指導者として当然の事だ。
司もそのあたりのことは理解していたが、それでも、あの怒鳴り声を聞くと平常心を保つのが難しい。
息を吐き出すことによってなんとか心を落ち着ける。
そして、ふっとさっきの会話を思い出して苦笑した。
何十回と怒られてきたせいで、あの人の怒りを、どう受け流せばいいか、すっかり身に付いてしまっていた。
〈どうせなら、コーチの扱い方を覚えるより、感情の押さえ方を身に付けてーよ。〉
司はそうして、トラックを走り始めた。




