【批評論】エアプ感想はなぜ最低なのか
創作仲間の愚痴を聞いていて驚いた。
「お前のジャンルはしょうもない」と最初から決めつけて、だから「読まなくても分かる」から低クオリティと断じる人がいるというのだ。
それに関してボクは、作品を読んでもないエアプ感想でディスる奴は、小説クラスタとして最低最悪のド外道だと思ってる。
なぜエアプ感想をやるか。推測するに意図は二つ、悪意と見栄じゃないか。
悪意すなわち、相手を貶めてやろうという意図。無礼の極みだよね。既に対話する価値もない。
そして見栄。相手を下げることで、自分を高めようとする。けどそんなの、小説と関係ない場所でやればいいのにね。
小説クラスタで小説の話をしているのに、自分が見栄を張ることしか考えてない。そもそも読んでないのだから、小説の話をなんてやってない。
ボクは読書とは、新たな自分との出会いだと思っている。けどエアプ感想はそれを否定している。むしろ、そんな出会いなんてしたくないという態度こそエアプ感想。
自分と違う意見を聞きたくないなら、小説クラスタから出て、畳の目でも数えてりゃ良いのに。
どのみち言えることは、本を読んでないのだから、読み手としての資格はないということだ。
じゃあ書き手としてはどうか。小説だけでなく、評論もまた一個の作品だ。
けど読まずにエアプ感想を発表するこということは、元ネタの取材をせずに作品を書くということ。つまり手抜き作品。
もちろんこれが、あえて読まずに語ります、なんてネタなら構わないのだけどね。
批評においては単なる手抜きよ。批評作品として正確性ゼロ。つまりエアプ感想は書き手としても、小説クラスタにいる価値がない。
小説クラスタにいたいなら、読むか、ちゃんと書くかするのは最低限よ。
読み手としても書き手としても、小説クラスタにいる価値がなく。自分の悪意と見栄だけをふりまく。何様って感じだね。
ボクが思うにネットの小説クラスタにおいて、読んだり書いたり、そして誰かをリスペクトすることが、共同体に所属するための「交換価値」なのだと考えている。
読むことで、書くことで、誰かを笑顔にさせることが小説クラスタにいるための最低条件。
それを読みたくない、批評も手抜き。けど他人は貶めて、自分はマウント取ってやろう。それもう、小説は関係ないじゃん。
お金払って、キャバクラででも行ってこいと。むしろ、そういうのは小説クラスタ内の交流を妨げる、単なる邪魔者。
だから改めて言っておく。
「どうせこんなの」
「読むまでもない」
というエアプ感想は、読み手としても書き手としても最低最悪です。小説クラスタでもない。
もちろん読書障害とかで長文を読めない人もいるけどね。そういう場合は普通にこう返したら良いのよ。
「まだ読んでません」
「機会があったら読みます」
と正直にね。
それも出来ないなら、これはもう単なる嘘つきだわ。小説クラスタの前に、人としてどうかしてる。
とりあえずボクは先輩から、こう叩き込まれてきました。
「批評やるなら最低でも十回は読み込んでこい」
小説クラスタにいるという自覚があるなら、小説に対して手抜きせず、誠実にありたいもんだね。




