第八章:引き金を引けない理由
撤退命令が下ったのは、唐突だった。
「第三中隊、生存者は後退せよ。座標Gに再集結」
通信に混じる雑音が、命令の軽さを際立たせる。
まるで、ここで何が起きたかなど最初から数に入っていなかったかのように。
アリスは荒く息をつきながら、数歩後ずさった。
視線の先には、なおも敵として立つエリスがいる。
装甲の割れ目から覗く素肌。
そこに残る痕跡が、頭から離れない。
――注射の痕。
――拘束された跡。
――消されなかった“記憶の名残”。
それらは言葉よりも雄弁に語っていた。
妹が、どんな場所で、どんな扱いを受けてきたのかを。
「……戻れ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
エリスは銃を構えたまま、動かない。
その指先が、かすかに震えている。
次の瞬間、彼女の背後で機械兵が再起動した。
命令系統が回復したのだ。
「対象A、追撃を指示」
無線越しに、冷たい声が落ちる。
エリスの体が強張る。
その表情が、痛みに歪んだ。
アリスは悟った。
妹は自分の意思で戦っていない。
戦わされている。
――引き金を引けない。
――剣を振れない。
それは弱さではなかった。
これまで信じてきたものが、音を立てて崩れただけだ。
アリスは後退しながら、最後にエリスを見る。
その瞳が、一瞬だけ、確かにこちらを追った。
命令に抗えず、声も出せず。
それでも、確かに――妹だった。
煙幕が展開され、視界が遮られる。
その隙に、アリスは戦線を離脱した。
再集結地点で、生存者は数えるほどしか残っていなかった。
指揮官はそれを確認し、満足そうに頷く。
「予定通りだ」
その言葉を聞いた瞬間、アリスの中で何かが決定的に変わった。
――この軍は、守るために存在していない。
――人を壊し、使い捨てるための装置だ。
アリスは剣を握りしめる。
もう、命令のためには振るわない。
次に剣を抜く時は――
妹を取り戻すためだ。
それが、反逆の始まりだった。




