第四章:白衣の檻
エリス・ヴァルドは、白い天井を見つめながら目を覚ました。
瞬きをするたび、視界の端が滲む。思考は綿のように鈍く、体は自分のものではない感覚が続いていた。
――また、薬だ。
喉の奥に残る苦味。腕には無数の注射痕。拘束具は外されているが、逃げる気力など残っていない。ここでは“従順”であることが、生き延びる唯一の条件だった。
エリスがこの施設に連れてこられたのは、アリスが徴兵された直後のことだった。
「家族保護プログラム」――そう名乗る役人の言葉を、当時の彼女は信じてしまった。
戦争遂行のため、兵士の“適性”を最大化する研究。
その被験体として選ばれたのが、兵士の近親者、とりわけ若く、魔力反応値の高い女性だった。
エリスは優秀だった。
だからこそ、逃げ場はなかった。
白衣の研究者たちは彼女を番号で呼び、感情を測定し、薬剤を投与し、反応を記録する。
恐怖、屈辱、混乱――それらはすべて「戦闘効率向上のための刺激」として処理された。
直接口にされることはない。
だが、夜ごとに続く“検査”の時間、視線の粘つき、拒否が許されない接触が、何を意味するかを、エリスは理解していた。
泣くことは、早々にやめた。
泣けば「不安定」と判断され、投薬量が増えるだけだったから。
薬は感情を削り、思考を鈍らせる。
同時に、体の奥に奇妙な熱を生み出し、命令への抵抗を溶かしていった。
「君は、兵器として完成しつつある」
そう告げられた日、エリスは初めて“役割”を与えられた。
敵性国家に奪われた研究施設――そこへ送り込まれた彼女は、いつの間にか“敵側”の実験兵として扱われていた。
国も、陣営も、もはや関係ない。
価値があるのは、使えるかどうか、それだけ。
鏡に映る自分は、以前のエリスではなかった。
虚ろな瞳、感情の乏しい表情、薬で制御された力。
それでも、心の底に、消えない名前があった。
――お姉ちゃん。
その名を思い出すたび、胸の奥が痛んだ。
だが同時に、研究者の声が脳裏に重なる。
「もし再会したら、君は彼女を殺せるか?」
答えは、まだ出せない。
薬は思考を縛るが、記憶までは消せなかった。
エリスは静かに目を閉じる。
再び注射の気配を感じながら、彼女は“敵”として生きる準備を強いられていく。
その先に、姉がいることを――
彼女自身が、最もよく理解していた。




