第一章:徴兵
その日、空は不自然なほど澄み切っていた。
まるで、この先に訪れる地獄を隠すかのように。
アリス・ヴァルドは、古びた井戸のそばで水桶を持ちながら、妹のエリスを見つめていた。銀色に近い淡い金髪が風に揺れ、年相応のあどけなさが残る横顔が、彼女の胸をわずかに締めつける。
「姉さん、今日のパン、少し焦げてたね」
「文句言わない。小麦があるだけでも恵まれてるんだから」
そう言いながら、アリスは笑った。
両親を戦争で失ってから五年。二人で生き延びるために、感情を削り、現実に慣れるしかなかった。
――その「日常」は、唐突に終わる。
村の中央広場に、黒鉄の装甲車が三台止まった。軍章を刻んだ外套の男たちが降り立つと、空気は一瞬で凍りつく。子どもが泣き、老人が祈りを呟く。
「徴兵令を通達する」
無機質な声が響いた。
「本日をもって、成人男性および戦闘適性を持つ女性は、全員国家軍に編入される。拒否権は存在しない」
ざわめきが悲鳴に変わる。
アリスの耳には、血が流れる音しか聞こえなかった。
「……姉さん?」
エリスの指が、震えながらアリスの袖を掴む。
「大丈夫」
そう言った声は、自分でも驚くほど冷静だった。
――守る。妹を守る。そのためなら。
簡易検査は即座に行われた。身体能力、反射、魔力適性。数値だけで人間を切り分ける視線に、アリスは言い知れぬ嫌悪を覚える。
「合格。前線歩兵候補だ」
その言葉が告げられた瞬間、エリスの顔から血の気が引いた。
「姉さん、行かないで……」
アリスは答えなかった。ただ、エリスの頭に手を置き、静かに撫でる。
「すぐ戻る。約束する」
それが嘘になるかもしれないと、彼女は理解していた。
夕刻、徴兵された者たちは荷台付きの輸送車に押し込まれた。泣き叫ぶ者、暴れる者、すでに感情を失ったように俯く者。
村が遠ざかる。
最後に見えたのは、エリスが必死に手を振る姿だった。
――この時、アリスはまだ知らない。
妹がこの戦争で、自分とは別の「地獄」に引きずり込まれることを。
そして、再会が「敵」として訪れる可能性を。
輸送車の扉が閉まる。
暗闇の中、誰かが嗚咽を漏らした。
戦争は、すでに始まっていた。




