9、再会
エヴァレット王国には四季がある。
すっかり涼しくなった風に吹かれて、私は秋晴れの空を見上げた。
教会の付近には木がたくさん植わっていて、この季節には落ち葉で教会前の広場が埋め尽くされてしまう。
普段ならブレディが片付けてくれるのだけれど、残念なことに、今日の彼は夜明け前から学園に登校してしまっている。
ブレディは今研究している魔法について先生と話し合う予定だから、と言っていた。そういう話を聞くと、本当に優秀な生徒なのだなと思う。私とは違って。
「ブレディみたいに魔法の風で、びゅーっと飛ばせたら良かったのになぁ」
なんてぼやきながら、私は箒を手に取った。登校時間までにやってしまわなくては。
教会の門に手をかけた私は、フードを被った人物が門の前に立っていることに気がついた。その人は背を向けて、先ほどの私と同じように空を見上げている。
教会は王都の外れ、寂れた住宅街の一角にある。こんな早朝といってもいい時間に、人を見かけることは珍しい。
「おはようございます。教会にご用でしょうか?」
門を開けながら声をかけた。
聖堂でお祈りするために開門を待つ、信心深い人もいる。そう思って聞いたのだけれど、振り向いた人物は首を横に振った。
「ごきげんよう」
聞き慣れない挨拶と共に、その人はにこりと微笑んだ。若い女性だった。
(……きれいな人)
それが、私の第一印象。顔ももちろん整っているのだけれど、立ち姿が凛としているのが大きいだろう。
フードを目深に被って顔を隠しているにも関わらず、舞台の上でスポットライトが当たっている主役のように存在感があって、目が離せない。
私と同い年か、少し年上だろうか。フード付きマントの下はドレスでも着ているかのように、裾にボリュームがあり、ふわりと広がっている。
「おはよう、ございます。何か教会にご用でしょうか?」
彼女が持つ独特な雰囲気に飲まれて、挨拶を返すのが遅くなってしまった。彼女は気にした様子もなく、小さく首を横に振る。
「人を探しているのです」
鈴を転がすような声が響く。
「こんな早朝からお疲れ様です。お手伝い致しますね」
教会の者は信者だけでなく、困っているすべての人間の味方であれとシスター・マリーから教わって育ってきた。
私は神職ではないけれど、教会に属する者である以上それには従うべきだと思っている。
「ありがとう。助かります」
私の申し出に、彼女は花が咲くように笑った。黙っていても目を引くのに、絵になる華まで持っているらしい。
「探しているのは誰なんですか?」
「わかりません」
「え?」
答えが率直すぎて、私は固まった。
「わかりませんけど、もうすぐわかるような気がします」
彼女は笑みを崩さない。
(も、もしかして変な人?)
と思ったけど、口には出さなかった。
ニコニコしている彼女と、どう扱っていいかわからず次の言葉を探す私。
「……あら」
そんな均衡は、彼女がふわふわとした雰囲気を消し去ったことで、唐突に終わりを告げる。
何が変わった訳ではない。笑顔のまま、けれど彼女の雰囲気は抜き身の剣のように鋭くなっていた。
自然と、私の背筋が伸びる。
「あなたは、戦いはお出来になりますか?」
問われた意味がわからないけど、フードの下から覗くライラック色の瞳は笑っていない。
「はい!? 戦い!? お出来になれませんよ!?」
「そうですか」
彼女は気にした風もなく軽くそう言って、
「では、ご自分の身を守ることを優先なさってね」
また笑った。
それとほとんど同時に、周囲の路地から10人ほどの男たちが現れ、私たちを遠巻きに取り囲む。
誰もが手に獲物を持ち、私たちに向けている。
ギラリとした鋭い金属の輝きに、さっと血の気が引いた。
(え!?)
荒事と縁がない生活とはいえ、この人たちと友好的にお話で解決できると思うほど平和ボケしている訳ではない。
凍りついたように動けない私の手を引いて、一歩後ろへ下がらせた彼女は、威風堂々と前に立つ。
「さ、参りましょうか」
まるで散歩に行くみたいな気楽さで言われてもまずこの状況が飲み込めていないんですが!
「ご安心なさって。わたくしが必ず護りますから」
彼女の落ち着いた声色に、私も冷静さを取り戻す。
(焦っちゃ、だめ)
私は私にできることをして、身を守らなければ。魔法学園で魔法防御術を学んでいるのだから、きっと切り抜けられる。
男たちは目配せし合い、まずは3人ほどが正面から突っ込んできた。
「風よ――」
少女が風の魔法を詠唱すると、たちどころに広場に突風が吹き荒れた。ぶわりと、掃除するはずだった木の葉たちが一瞬で吹き飛ばされる。
(なに、この威力……! こんな魔法を使えるの!?)
立っていられないほどの強風に男たちは薙ぎ倒され、石畳に腰を打ち付けた。立ち上がれないまま、風に流されるようにごろごろと広場を転がっていく。
私は自分自身と少女に防御魔法をかけて、強風の影響を遮断する。
愛用の杖があればもっと威力が出せるのだけれど、あいにく掃除に出てきただけの私は箒1本しか持っていない。
「まあ、ありがとうございます」
「これくらいは……させて下さい……」
と、強がってみたけど、正直彼女の魔法は強力すぎて魔法の維持で手一杯だ。私は肩で大きく息をする。
装いといい魔力の高さといい、彼女はどこかの貴族のご令嬢なのかもしれない。
「姫の魔法は威力こそ高いが持続はしない。粘り強く狙えば勝機はある」
リーダー格の男の言葉に、姫と呼ばれた少女は反論しない。風の魔法を逃れた男たちが、じりじりと包囲の輪を狭めてきた。
「大きな怪我をさせたくないのですけれど」
呟きながら、少女が次に放ったのは炎の魔法。
シンプルな火球が飛び、男たちの進路を妨害する。移動を止めるだけで、炎本体は彼らに一度も当たっていない。
魔力の強さだけではなく、制御能力の高さにも驚いた。
「怪我をさせたくないだと? 甘いな」
「甘いのはそちらではありませんか?」
少女の余裕は崩れない。
水の魔法で男たちを押し流し、地面に小さな穴を開けて躓かせる。時には氷を産み出して、男たちの靴を地面に縫い止めるなんて芸当まで披露している。
もはや私には、できることがない。
とはいえ少女がしているのは時間稼ぎだけなので、立ち上がった男たちが次々と向かってくるこの状況は、最初となんら変わらない。
何かしなければ、と前に出ようとした私を、少女が制する。
「大丈夫ですよ。わたくしがひとりでノコノコ出てくるとでもお思いですか?」
前者は私に、後者は男たちに向けて。
こてんと首を傾げた愛らしい顔には不釣り合いなほど、剣のように鋭い言葉を投げつけ、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
瞬間。
「そこまでだ」
その声は、冷たくも確固たる響きをもって広場を支配した。放たれた魔法の光が場を支配し、男たちは一瞬にして、地面に倒れ伏す。
(まさか――)
私の体が硬直する。
心臓が一際大きく跳ね、痛いほどに早く脈打ち始めた。胸の中から競り上がってくる何かで、呼吸ができなくなる。
男たちに囲まれた時よりも、ずっと息苦しい。
男たちの全身に、光輝く魔力の輪が巻き付いている。光は鋼鉄の檻のように強く冷たく男たちを捕らえ、どれだけ踠いても決して逃がしはしない。
魔法学園で初歩の初歩として習う拘束魔法だ。
一瞬動きを封じるはずのそれは今、圧倒的な規模で展開されている。全員同時に、身動きすらも赦さない冷徹なまでの威力。
私が吐いた息は、どうしようもなく震えていた。
こんな規格外の魔法を扱える人なんて、私はたった一人しか知らない――
(リオネル様……!)
広場に現れた男の名を、私は心の中で呟いた。箒を持つ手が震える。心臓がぎゅっと捕まれたように、締め付けられる……。
彼は冷徹以外の何者でもない視線で男たちを見て、少女を見て、それから私を見た。
(あ……)
彼の瞳に温度はない。それを直視したくなくて、咄嗟に下を向いてしまった。
私は理解した。
貴方の存在が、どれほど私を支えてくれていたかを。圧倒的な安心感を。
それと共に、もう二度と、その瞳はあたたかく私を見守ってくれないかもしれないという可能性を――




