7、二度目の事故は
(私は――貴方が好きです)
一度目の事故を振り返り終わって、心の中で呟いた。
私は二度目の今、事故に遭った大通りに、ミーナと共に立っている。
状況は一度目とほとんど変わらない。
王都の大通りは収穫祭を控え、賑わっている。誰も今、この時を繰り返していることを――知らない。
目の前を、ガタガタと音を立てる馬車が何台も通過していく。一度目と同じなら、きっとリオネル様は今、こちらに向かってきているだろう。
正午までは、まだあと少しだけ時間がある。
心はもう、決まっていた。
「ミーナ」
お腹の底に力を込めて絞り出した声は、どうしようもなく震えていた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
立ち止まった私の半歩先から、ミーナがこちらを見上げてくる。
なにも知らない彼女の瞳はどこまでも透き通っていて、最後の迷いを消し飛ばしてくれた。
覚悟を、決める。
ミーナを危険に晒したくない。
私も死にたくない。
傷つきたくもない。
なによりも。
――自分を大事にしろ。
一度目の私にそう言ってくれたぶっきらぼうな声が、今も耳の奥に残っている。
だから、大きく息を吸い込んだ。
「……今日は」
声が震えた。踏み出す最初の一歩は、すごく重い。
「今日は人通りが多いし、裏道から帰ろっか」
けれど踏み出してしまえば、案外簡単に歩き続けることができる。一息に勢いよく言いきった。
「えー? そっちだと、お姉ちゃんが好きなお菓子屋さんに行けなくなっちゃうよ?」
ミーナは名残惜しそうに、大通りの向こう側を眺めている。
「今日はそんな気分じゃなくて。せっかくブレディが気を利かせてくれたけど、早く休みたいの」
自分に言い聞かせるように、早口で言う。
ミーナを騙すようで気が引けたけど、早く立ち去らなければ、なけなしの覚悟が萎んで、運命の甘言を受け入れてしまう。
「お姉ちゃん、具合悪い? なら早く帰らなきゃね」
心優しいミーナは、私を導くように率先して路地に入っていく。
路地は狭く、馬車一台分の幅はない。
念のためにより奥へと進み、大通りを行き交う馬車から隠れるように、すぐの角を曲がった。
「ここならもう、大丈夫」
「お姉ちゃん?」
事故という運命は、あっさり回避できた。強ばっていた全身の力が一気に抜けてしまい、よろめきながら背後の壁に身を預ける。
深呼吸をして、はち切れそうな心を落ち着かせようと試みる。
もう、リオネル様とは会うことがない。
そもそも、王太女付きの王宮魔法使いと教会育ちの小娘に接点があったことの方がおかしいのだから、これでいい。
いい、はずだ。
「……っ」
自分が決めたことなのに、酷く胸が痛んだ。
あの人とした『不幸を分かち合う約束』を一方的に反古にしたようで。
私が目の前から去ることを一度目の彼は望んでいなかった。また「罪を償わせないつもりか?」と言われてしまうかもしれない。
――いや、もう気に病む必要はないことだった。
私がいるのは二度目の人生。事故は起こらない。私は生きるし、リオネル様に罪はない。
今がきっと、唯一無二の幸せな結末だ。
言い聞かせて、思い込まなければ、心がバラバラに壊れてしまいそうだった。
路地の壁にもたれかかったまま、肩で荒く息をする。
「お姉ちゃん、苦しい? 待ってて、あたしブレディお兄ちゃんを呼んでくる!」
ミーナが私の手を放し、路地の奥へと駆けていこうとする。
――次から気を付けろ。
頭を過る言葉に従い、小さな手をぎゅっと強く握りしめた。
「ミーナ、行かないで」
「でも……」
ミーナが泣きそうになっている。
「ここに、一緒にいて」
我が儘だった。
ミーナは戸惑いながらも、私の手を握り返してくれた。今度こそ、小さな手を最後まで離さない。
「落ち着いたら、すぐ帰ろうね?」
「うん」
それからただ黙って、正午の鐘が鳴り終わるまで壁に身を預けていた。表の通りを馬車が駆け抜けていく音が、路地の奥に反響して、消えた。
運命は変わった。
二人三脚はほどけて、私は一人でこの人生を歩んでいく。
今からでもミーナの手を離して、表通りに駆け込んで、馬車に轢かれたいという衝動を覚えた。辛かった。苦しかった。
でも、これでみんな幸せに――
手の中のぬくもりが、どうしてか彼の温度と、重なる。そっと撫でてくれた手の感触を、今も鮮やかに思い出すことができる。
(幸せに――なれない、よ)
私の幸せは、リオネル様と過ごした暖かな日々なのだから。
顔を上げる。
「あなたに、会いたい」
小さく呟く。
色々な感情が飛び出した後、心に残ったのは小さな希望だった。
なんてことはない、恋という不確かでうつろいゆくもの。
でも、希望にすがれば、ずっと歩いていけると思った。
精霊様は苦笑いしているかもしれない。せっかくチャンスをやったんだから、身の丈にあった幸せを考えろって。
でも、自分の心を無視することはできなかった。
まだ諦めてなんてあげられない。生きているのだから。自分を大事にしていいのだから。
もう一度、貴方と幸せを掴みたい。
はっきりとそう思った。
「――もう、大丈夫」
私の声は震えていない。
「ごめんね。帰ろうか」
巻き込んだことを謝ってから、ミーナの手を引いて歩き出す。
念には念を入れて、表通りには出ずにこのまま裏道を進むことにした。運命とやらが事故に遭わせようとしても、絶対に事故をしてなんかあげない。
強い心で、私は前を向く。
「……? お姉ちゃん、急に元気になった?」
ミーナが首を傾げる。
「うん。やりたいことが見つかったから、元気になっちゃった。ごめんね、変だよね」
結局のところ、私は単純で明け透けな人間なのだ。全く自分に呆れてしまう。
「ううん。お姉ちゃんが元気ならそれが一番いいもん!」
ミーナは本当にいい子だ。
そのおかっぱ頭をめいっぱい撫でる。
「あ、でもね、お菓子は? 買わなくていいの?」
ミーナはちらちらと表通りを気にしている。
「帰ったらクッキー焼いてあげる」
「えっ、いいの!?」
ミーナの顔が笑顔に彩られる。
「お姉ちゃんのクッキー微妙だけど食べたい! 早く帰ろう!」
「ちょっと!? 微妙って何!?」
「だってお兄ちゃんが焼いたのの方がおいしいし~」
乙女心にぐっさり刺さる一言だった。子供は時々、無邪気だからこその残酷さを見せてくる。
少しも否定できない。完璧すぎる幼なじみを持つととても辛い……。
「じゃあブレディにお願いしてあげる」
私は白旗を上げた。
「やったー! 早く帰ろっ!」
ミーナとふたりで路地を駆け出す。私の中に、希望が残っているから。たとえどんなに辛くても、苦しくても、もう迷わない。
あの日の野花のように。
この方がずっと、自分を大切にできる。
またあの人に会うために、私は歩み続けた。




