番外編⑥ 自分を大事に
エリック様は、ゆるふわな態度とは裏腹に、こと魔法に関してはとても厳しい師匠だった。
「はい、あと一周だよ」
王宮魔法使いの詰所には、訓練場が併設されている。主には魔力を高めたり、制度を上げる訓練をするための場所なのだけれど――私は今、エリック様と一緒に、その外周を走っていた。
最後の一周を終えた私は、肩で大きく息をする。
「お疲れー。よく頑張ったね」
エリック様は現役騎士だけあって、走った後でも涼しげな顔をしている。
「治癒術士は特に体力が資本だからね」
「大丈夫、です」
息を整えながら答える。訓練場で他の魔法使いを指導していたリオネル様がちらっとこちらを見たので、弾む呼吸のまま笑顔を作ってみせた。
リオネル様は心配性だ。
「ま、ここで一度休憩しようか」
そう言って、エリック様は訓練場の端にあるベンチに座った。その隣に、ひとり分のスペースを開けて座る。
「リオネルに水でもぶつけて遊ぶ?」
言いながら、もうエリック様は魔法で握り拳大の水球を出現させている。次から次へと。
「ダメですよ。真剣に訓練してるんですから」
私は杖を振り、水球をひとつずつ霧散させていく。
「えー。リオネルのことだから気付いて防御してくるって、絶対」
なんて言いつつも、実際ぶつけるつもりはないのか、水球はふわふわその場に浮いたままだ。
(……もしかしてこれ、訓練の一環?)
全部を消してしまってからようやく、そのことに思い至った。
私は隣のエリック様を見る。彼は私の視線に気付かず、真っ直ぐに王宮魔法使いたちを見守っている。あの中には、ハーバー公爵家の支援を受けた治癒術士も混ざっているのだろう。
エリック様の守りたいものは、多すぎる。
「あの、エリック様……」
「ん?」
心の準備をするために、息を吸ってから、ゆっくりと吐く。それから、重い口を開く。
「私は……一度、死にました」
この場の音が、すべて消えたような感覚がした。エリック様がこちらを向いたけれど、私はただリオネル様だけを見つめている。
「そう言ったら、信じますか?」
「ま、普通は信じないよ。だってアメリアさんは今、ここにいるからね。でも……」
エリック様の方を向いたら、彼はいつになく真剣な顔をしていた。
「君を心から想うリオネルなら、不可能のひとつやふたつ、やってのけそうだよねー」
「……はい。彼は私を救うために、時を遡ったそうです」
師匠の反応が、一瞬遅れる。
「え、ほんとに?」
冗談のつもりだったんだけど、とエリック様が苦笑いする。
「一度目の私は、彼と白い結婚をしていました」
私がループを打ち明けるのは、目覚めた直後のマリー以来だった。
到底人に信じてもらえる話ではない。馬鹿馬鹿しいと切り捨てられる可能性に身構えつつ、すべてをエリック様に話した。
けれど、彼は私の言葉を決して否定しなかった。
「そんなことがあったんだね。……なるほど、腑に落ちた」
エリック様はもう一度水球を作り、それを今度こそリオネル様に向かって飛ばした。水球は彼に届くことなく、光の盾に阻まれて地面に落下する。リオネル様が遠くからエリック様を睨んだ。
「気付いた、怖っ! ……リオネルの薄情者。言ってくれればよかったのに」
呟いた言葉は、リオネル様には決して届かない音量だった。
「あのリオネルと普通の女の子が、どこで接点あったんだろう、ってずっと不思議だったんだよね」
「色々、ご迷惑をおかけしました」
「気にしないで。というか、そんな秘密を僕に打ち明けちゃっていいの?」
エリック様が首を傾げると、銀の髪がさらりと揺れた。
「……私とエリック様は似ているなって思ったんです。大切なものを並べて、どちらかを諦めようとしているから」
「んー……でもさ、仕方ないんだよ」
エリック様はへらっと笑った。
「僕は家を継ぐ。それで君みたいな未来がある子を育てる。ずっとそのつもりで生きてきたし、王配なんて柄じゃないし」
最もらしい理由を並べて、エリック様は逃げ回る。その姿勢が、私の心を揺らした。杖の柄を強く握る。
大きく息を吸う。
「――それは、嘘です」
低い声で告げた。エリック様の笑顔が固まる。私は酷く冷静だった。
「貴方が本当に家に戻ることを望んでいるのなら、すぐに戻れます。必要とされているのだから。『騎士を続けたいから』なんて言い訳する必要、ないですよね」
彼の青い瞳が、今は迷子の子供のように揺れている。
この人も、不器用なのだと思った。自分で決めたことをやり遂げるために、自分を犠牲にしがちな人。――リオネル様や私と、同じ。
「もっと、自分を大事にして下さい」
いつかの自分にかけられたその言葉を、告げる。
エリック様は息を呑んだ。目を見開いてじっと私を見つめている。口の中で私の言葉を反芻する。届いてと、私はただ祈っていた。
それから、その綺麗な顔が歪んだ。泣きそうな笑顔だと思った。
「僕の弟子は随分ひどいことを言うね。王配兼公爵なんて、どれだけ働かせるつもりなの?」
「護衛騎士もですよ」
「それは流石に厳しいよ」
エリック様の瞳は、真剣な光を帯びている。
「リオネルじゃあるまいし、そんなに働きたくないよ?」
「それでも、諦めて欲しくないんです。私とリオネル様も、出来ることでお手伝いしますから」
「アメリアさん……」
エリック様の歪んだ笑顔は、どこか嬉しそうに見える。私の思いは、ちゃんと届いた。
「……君が、本当の妹だったら良かったのにな」
エリック様がいつもみたいに、力の抜けた笑顔を浮かべる。
「妹夫婦に公爵家を任せられるからですか?」
「その通り」
彼の妹姫は18年前、生まれたばかりの頃に亡くなってしまったと聞いている。もし彼女が生きていれば、エリック様は迷いなくイルゼ様を選べたのかもしれない。
「実際問題、結構大変だと思うんだよね。どちらも責任の重い立場だから。でも、捨てたくないなら――やるしかない、か」
切実な響きの声。けれど、迷いが晴れたようにすっきりとしていた。
「ありがとう。……これからも、よろしく。弟子として、師匠の仕事を手伝ってね?」
エリック様が言って、私の頭を撫でようと手を伸ばした――のとほぼ同時に、私たちの間に氷の壁が形成される。彼の手は弾かれ、届かない。
「触るなと言っているだろう」
リオネル様が睨んでいる。
「うわあ……妹みたいな子に対する軽いスキンシップだよ?」
「ダメだ」
「心狭っ! あんなのが義理の弟とか御免だから、やっぱりアメリアさんが妹はなしで!」
エリック様の変わり身の早さに、私は思わず笑ってしまった。




